アルメニア共和国
国境
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アルメニアへはジョージアから陸路国境越えで。
ここはアルメニアの入国審査場。
たくさんの人が並んでいる。
エレバン市内
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エレバン市内、ここはリパブリック・スクエア、共和国広場。
建物は共和国行政府の建物。
共和国広場
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共和国広場には広い楕円形のロータリーに石造りの古い建物が残る。
行政府建物の時計台の風景。
共和国広場
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行政府の建物の左側に建つ国立歴史博物館。
前には噴水の池があり、夜に音楽と噴水のショーがある。
共和国広場
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国立歴史博物館の左側に建つ政庁舎。
共和国広場の夜はライトアップされ、夜景がきれい。
共和国広場
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政庁舎の左側に建つ、アルメニア・マリオットホテル。
共和国広場
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マリオットホテルの左側に建つコンバース銀行。
ここで一周です。
カスケード
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共和国広場の北にあるカスケード・コンプレックスと呼ばれるモダンアートが並ぶ施設。
入り口の像はアルメニアの建築家、アレクサンドル・タマニアンの像。
カスケード
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カスケードには斬新な現在美術の作品が数多く野外展示されている。
カスケードとは階段状に連なって流れ落ちる滝や水の流れの事で、コンプレックスはそれらの複合体となっている意味。
カスケード
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カスケードは斜面に造られており、ここから階段が始まった。
エスカレーターもあるらしいが、判らなかった。
カスケード
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カスケードの名の通り、階段状に上から水の流れがあり、それぞれの段に不思議なアートが造られていた。
カスケード
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上から見たカスケードの風景。
下まで真っ直ぐに細長く造られている。
下からの高低差は120mほど。
カスケード
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カスケードにあった洒落たカフェ・レストラン。
アートとは関係なく、カスケードはエレバン市民の憩いの場となっているようだ。
カスケード
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長く伸びるカスケードの中央には美しい花壇が造られ、公園となっている。
カスケード
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カスケードで見かけたエレバンの女の子。
カスケードはアルメニア・ソビエト社会主義共和国樹立50周年記念のモニュメントとして建設された。
共和国広場
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再び共和国広場。
ライトアップされ、夜景がとてもきれいだとの事でやって来ました。
たくさんの市民が集う行政府時計台前の風景。
共和国広場
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ライトアップされた時計台のある行政府の建物。
アルメニアの首都、エレバンは現在も都市として形成されている中では、最も古い時代に築かれたとされる。
現地ガイドさんによれば2900年になり、ローマより古いとの事。
共和国広場
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コンバース銀行の夜景。
エレバンがあるこの地は、古代ウラルトゥ王国のアルギシュティ1世によって北部からの侵略に備えて城塞が築かれた事が歴史に残っている。
共和国広場
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アルメニア・マリオットホテルの夜景。
その後、アケメネス朝の支配を受け、シルクロードの時代に交易都市として栄えた。
共和国広場
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ライトアップされた政庁舎の夜景。
7世紀中頃のアラブ侵入からバグラト朝、イルハン朝、サファヴィー朝、ロシア帝国と様々な王朝や帝国の支配下に置かれた。
共和国広場
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国立歴史博物館の夜景。
丁度、建物前では音楽と噴水のショーが行われていた。
共和国広場
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主にクラシック音楽が流れ、それに合わせて機械仕掛けで様々な噴水が上がり、水中からのライトに照らされ、幻想的なショーだった。
共和国広場
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いつまでも見ていても飽きない音楽と噴水のショー。
ホテルに帰るのが遅くなってしまった。
エレバンの夜景
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共和国広場からホテルへの帰り道。
ここはステパン広場。
広場に建つ像はステパン・シャウミャン。
アルメニア人の革命家で、ロシア革命の指導者の一人でボリシェヴィキ委員のメンバーでもあった。
エレバンの夜景
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ライトアップされたアルメニア外務省の建物。
エレバンは旧約聖書に登場するユートピア、エデンの園があった地ともされている。
エレバンの夜景
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ここはミャスニキャン広場。
建つ像はアレクサンドル・ミャスニコフ。
スターリン時代のアルメニアの政治家。
エレバンの夜景
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お酒の工場。
主にコニャック、ワインやウォッカなどを作っている。
エレバンの夜景
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エレバン歴史博物館。
博物館は1931年に設立されたが、この建物は当時の建物ではない。
エレバンの夜景
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ライトアップされたエレバン歴史博物館の入り口の風景。
ハフパット修道院
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ここはエレバンから北へ100kほどにあるハフパット修道院。
その入り口の風景。
ハフパット修道院
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入り口近くの露天のお土産屋。
人形がたくさん置かれていた。
ハフパット修道院
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入り口の階段を上がって直ぐの所にある聖グレゴリウス教会。
教会前にはユネスコの碑がある。
ハフパット修道院はハフパトとサナヒンの修道院群としてユネスコ世界文化遺産に指定されている。
ハフパット修道院
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聖グレゴリウス教会の内部、礼拝堂の祭壇風景。
とってもシンプル。
ハフパット修道院
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主聖堂である聖ニシャン大聖堂の前室、ガヴィト。
大聖堂はハフパット修道院の建物で最大の大きさ。
ハフパット修道院
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聖ニシャン大聖堂の礼拝堂の風景。
正面の祭壇には聖母子像の絵が掛けられている。
ハフパット修道院
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こちらは聖母教会。
聖ニシャン大聖堂の左手に建つ。
ハフパット修道院
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聖母教会と聖ニシャン大聖堂の間を奥に回廊を進むとドームの空間に出た。
ここは書庫や学舎だった所。
ハフパット修道院
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床にはたくさんの穴が。
建築当時はワインの貯蔵用に作られ、後に重要な書物をイスラムなどの異教徒から隠すために使われた。
ハフパット修道院
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この石碑は十字架を彫った十字架石、ハチュカル。
アルメニアの教会や修道院に数ある十字架石の中でも、キリストの磔刑を彫っている、このハフパットの十字架はアメナプルキチ・ハチュカル、救世主の聖十字架石と呼ばれ名高い。
ハフパット修道院
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大聖堂の東側に建つこの小さな建物は鐘楼。
ハフパット修道院はバグラト朝アルメニアの時代に建築された。
ハフパット修道院
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大聖堂南側の風景。
セルジューク王朝などイスラムによって破壊され、再建された。
ハフパット修道院
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ハフパット修道院はハフパットの小高い丘の上に建つ。
要塞の様に半地下の建築構造をしている。
ハフパットのハフは強い、パットは壁の意味。
ハフパット修道院
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修道院で見かけたアルメニアの姉弟。
修道院のあるハフパット村はジョージアと国境を接するアルメニア北部のロリ地方にある村。
修道院から国境まで15kも離れていない。
セヴァナヴァンク修道院
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首都エレバンから北西に60k。
セヴァナヴァンク修道院の遠景。
セヴァナヴァンク修道院
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修道院はセヴァン湖の北西、セヴァンの町から湖に突き出た半島にある修道院。
セヴァン湖
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修道院からのセヴァン湖の風景。
この日は快晴だったので、とても美しい湖の風景が楽しめた。
セヴァン湖
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セヴァン湖はアルメニア国内で最大の面積を持つ湖で淡水湖。
海抜1900mと高山湖の一つに入る。
セヴァナヴァンク修道院
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修道院で出会ったアルメニアの親子。
セヴァナヴァンク修道院
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セヴァン湖畔から、かなりの階段を上って修道院に着く。
ヘロヘロになりますが、その分美しい景色に出会えます。
セヴァン湖をバックに筆者近影。
セヴァナヴァンク修道院
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修道院は2つの教会で構成されている。
左はカラヴェト聖十二使徒教会、右はアラケラカン聖母教会。
セヴァナヴァンク修道院
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アラケラカン聖母教会。
セヴァナヴァンク修道院の建造物群は9世紀に建築された。
セヴァナヴァンク修道院
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入り口にはたくさんの十字架石、ハチュカルが置かれている。
建築当時は他にもいくつか教会が建っていたと言う。
現在はその基礎部分が残るだけ。
セヴァナヴァンク修道院
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聖堂内の風景。
焚かれているローソクのススで堂内は真黒。
セヴァナヴァンク修道院
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カラヴェト聖十二使徒教会とセヴァン湖の風景。
セヴァン湖
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湖畔に下りて来ました。
レジャー用のボートが桟橋に泊めていた。
昔は修道院のあるこの地は、セヴァン湖に浮かぶセヴァン島と言う島だった。
セヴァン湖
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湖畔にいた地元の人達。
旧ソ連時代、ソ連はセヴァン湖の水を農地用水に使う大規模な灌漑を行ったため、水位が極端に下がった。
セヴァン湖
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水位が下がった結果、セヴァン島は陸続きになり、半島となってしまった。
セヴァン湖の湖面、透明度は高く、とても綺麗な湖だ。
ホル・ヴィラップ修道院
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次の訪問地は、ホル・ヴィラップ修道院。
修道院の遠景と、バックにそびえる雪をいただくアララット山の風景。
アララット山
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アララット山はトルコ領だが、修道院からは南西へ30kの位置にある。
修道院からトルコ国境までは2kも無いほど近い。
アララット山
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雪をいただくアララット山の頂上。標高5137m。
アララット山は第一次大戦まではアルメニアの領土だった。
戦後、トルコ領となってしまった。
アララット山
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修道院とアララット山を背景に筆者近影。
周囲は国境を流れるアラス川が作ったアララット平野で、穀倉地帯が広がる。
ホル・ヴィラップ修道院
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修道院はエレバンから南へ30kほどにある。
この辺りはアララット地方アルタシャトの町。
ホル・ヴィラップ修道院
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アルタシャトは古代アルメニア王国の首都として栄えた。
紀元前2世紀、アルタクシアス朝の皇帝アルタクシアス1世によってアルタシャトの街がつくられた。
ホル・ヴィラップ修道院
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修道院は小高い丘の上に建つ。
皇帝アルタクシアス1世は現在、修道院の建つ場所に要塞として砦、堀を築いた。
ホル・ヴィラップ修道院
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礼拝堂の風景。
4世紀初め、この地でキリスト教の布教活動していた聖グレゴリオスは拝火教徒の王ティリダテス3世に捕えられ、要塞の地下牢に投獄された。
その後、ティリダテス3世は重い病に倒れる。
ホル・ヴィラップ修道院
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聖グレゴリオスが投獄されたと伝わる地下牢。
聖グレゴリオスを赦免する様に家族に説得された王は彼を釈放した。
すると程なくして病は直った。
これを奇跡と確信した王は己の愚行を悔い改め、キリスト教徒に改宗し、この牢獄の上に聖堂を建設した。
ホル・ヴィラップ修道院
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地下牢の鉄梯子。
一人しか通れないので、とても渋滞する。
ホルは深い、ヴィラップは穴、と言う意味だそうだ。
墓地
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修道院のそばに墓地があった。
ここはアルメニア人ジェノサイド(虐殺)で亡くなった人々の墓。
墓地
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アルメニア人虐殺は第一次大戦時、オスマントルコによるこの地、東アナトリアのアルメニア人をシリアのデリゾール強制収容所へ死の行進をさせ、百数十万人が亡くなった事件の事。
アルメニアは現在でもトルコとは国交は有るものの対立している。
コウノトリ
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アルタシャトの町で不思議な物を見かけた。
ほぼ全ての電柱の上に大きな鳥の巣が。
これはコウノトリの巣。
電柱の上に営巣し、繁殖する。
コウノトリ
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体は大きくなっているが、まだ飛べないヒナ達は親の帰りを待っている。
一夫一妻で、雌と雄は協力してヒナを育てる。
赤ん坊や幸福をもたらす鳥と大切にされている。
コウノトリ
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このコウノトリは日本など、東南アジアに生息するコウノトリとは種が違い、ヨーロッパを中心に生息するシュバシコウ。
親鳥はくちばしが赤い。
コウノトリ
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アララット山とコウノトリ。
アララット山は旧約聖書に登場するノアの方舟が漂流の後、流れ着いたとされる山。
事実、衛星写真での舟形の構造物や、古代の木舟の残骸が発見されている。
エチミアジン大聖堂
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ここはエレバンから西へ20kほどにあるエチミアジンの街。
この街にあるエチミアジン大聖堂、そのモダンアート的な入り口の門。
エチミアジン大聖堂
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入り口の門から大聖堂と周辺に建つ付帯施設の風景。
この時は大聖堂の外壁修復工事を行っていた。
エチミアジン大聖堂
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十字架石、ハチュカルとピンクの花咲くネムノキ。
現在のエチミアジンの街はアルメニア正教会総主教、カトリコスのガレギン2世がおり、アルメニア正教会の総本山となっている
エチミアジン大聖堂
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ドーム状の建物は洗礼の儀式を行う場所。
モダンな近代建築となっている。
エチミアジン大聖堂
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大聖堂への参道から入り口方向の風景。
エチミアジンの街は古く、紀元前4世紀頃に形成された。
前述のティリダテス3世が治世の時代は首都となり、アルメニア最大の都市となった。
エチミアジン大聖堂
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大聖堂内部への正面入り口。
上部は鐘楼となっている。
これから聖堂内へ入ります。
エチミアジン大聖堂
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聖堂内の風景。
外壁の修復工事は行っていたが、内部は支障なく入れた。
エチミアジン大聖堂
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礼拝堂の風景。
大聖堂は4世紀に建てられたキリスト教世界最古の教会と言われている。
エチミアジン大聖堂
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礼拝堂内でロウソクを献じる信者の人達。
キリスト教においてロウソクは光の象徴とされ、礼拝時には必ず灯される。
エチミアジン大聖堂
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大聖堂に来ていた子供達。
前述の聖グレゴリオスはホル・ヴィラップの牢獄から釈放された後、ティリダテス3世に洗礼を授け、キリスト教をアルメニアの国家宗教にした。
エチミアジン大聖堂
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聖グレゴリオスはある夜、キリストが地上に降り、地面を槌で打つお告げを聞いた。
そしてエチミアジンのこの地に木造の教会を建てた。
エチミアジン大聖堂の始まり。
エチミアジン大聖堂
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ここは大聖堂内にある付属の宝物館。
聖遺物や宝石付きの十字架など教会の秘蔵の宝が展示されている博物館。
エチミアジン大聖堂
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聖遺物の一つ、ノアの方舟の木片。
十字架の額縁に木片が保管されている。
十字架の後の板が方舟の木片だとの事。
ノアの方舟は前述のアララット山に漂着したとされる旧約聖書に登場する木舟の事。
エチミアジン大聖堂
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聖遺物の一つ、聖槍ロンギヌスの槍。
聖槍とは十字架に貼り付けにされたキリストの脇腹を刺した槍の事。
ロンギヌスは実行したローマ兵の名前。
聖槍伝説は他にもあり、エチミアジンに残る聖槍はアルメニアの聖槍と呼ばれる。
エチミアジン大聖堂
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聖堂内の霊廟にあったたくさんの墓標。
エチミアジンとは神(キリスト)がこの地へ降臨した、という意味。
エチミアジンの大聖堂と教会群、及びにズヴァルトノツの考古遺跡としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
車窓
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次の訪問地はガルニ神殿。
車窓には白い花が咲き乱れるお花畑の風景が続く。
ガルニ神殿
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ガルニ神殿入り口。
朽ちたアーチ状の建造物の遺跡が残る。
ガルニ神殿
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入り口から神殿への道。
ガルニ神殿はエレバンから東南東へ20kほどにある。
ガルニ神殿
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神殿は崖の縁に建つ。
崖はアザト渓谷となって落ち込んでいる。
神殿から見たアザト渓谷の風景。
ガルニ神殿
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アザト渓谷の対岸の風景。
この線の様な地形は柱状節理。
地中のマグマが冷えて固まった際に六角柱状に形成されたもの。
ガルニ神殿
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神殿の正面。
石柱群で囲まれた独特の建築様式はギリシア建築。
現在アルメニアに残るギリシア建築遺跡はガルニ神殿だけ。
ガルニ神殿
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横からのガルニ神殿。
17世紀に地震で倒壊したが、近年再建された。
右手前には他の神殿の基礎部だけが残る。
ガルニ神殿
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神殿内部の風景。
特に何も置かれていない。
とてもシンプルな内部。
年に一度、太陽の光が奥の祭壇に届く、との事。
ガルニ神殿
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神殿から少し離れた所から発掘されたローマ風の浴場跡。
ガルニ神殿は紀元前3世紀に要塞が築かれた事が始まり。
ガルニ神殿
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ローマ風の浴場跡。
紀元前1世紀にポントス王国の国王、ミトリダテス6世の避暑の離宮が建てられた。
ガルニ神殿
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ローマ風の浴場跡。
基礎部分は立柱がたくさん並んでいる。
ガルニ神殿
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ローマ風の浴場跡の建物とガルニ神殿の風景。
ガルニ神殿はミトラス教の太陽神ミトラスを崇めるために建てられ、太陽の神殿と呼ばれた。
ミトラスは古代ペルシア神話やインド神話、またゾロアスター教やマニ教にも登場する英雄神。
ゲガルド修道院
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ガルニ神殿から東へ8kほど、アザト渓谷沿いに上流に行くとゲガルド修道院がある。
修道院入り口近くの岩山に十字架が立つ。
ゲガルド修道院
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入り口のゲートをくぐると左手に、修道院の中央聖堂が建つ。
アルメニア使徒教会の修道院で、岩盤に残る修道士が修行した洞窟がある事から洞窟修道院とも呼ばれる。
ゲガルド修道院
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中央聖堂の入り口付近の風景。
左手に上に登る石段があり、この上に洞窟がいくつか残っている。
ゲガルド修道院
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周囲を囲む回廊は城壁の様だ。
ゲガルド修道院は4世紀初めにキリスト教国家となったアルメニアで、最も古い修道院。
ゲガルド修道院
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修道院で出会たアルメニアの父娘。
ゲガルドとは槍の意味で、前述のエチミアジン大聖堂に残る聖槍ロンギヌスの槍が最初に発見された事から名付けられた。
ゲガルド修道院
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こちらはお母さんと三姉妹かな。
中央聖堂は、いく度か異教徒の侵攻により破壊された。
ゲガルド修道院
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中央聖堂の中に入ってみた。
ススで薄汚れた感じの、一切きらびやかさの無い聖堂内の風景。
ゲガルド修道院
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礼拝堂にやって来ました。
祭壇の風景。
現在の中央聖堂は13世紀再建されたもの。
ゲガルド修道院
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礼拝堂内の風景。
丁度これからミサが始まる様で、多くの信者が集まっていた。
ミサでは修道士による聖歌が歌われていた。
ゲガルド修道院
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礼拝堂内で見かけた礼拝に来ていた姉妹。
ミサの聖歌をジッと聞いていた。
ゲガルド修道院
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ロウソクを献じる礼拝に来ていた人達。
訪れた教会、修道院では全てでロウソクを灯していた。
ゲガルド修道院
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中央聖堂の裏手。
ここには岩盤を掘って造った岩窟教会がある。
ゲガルド修道院
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たくさんのアルメニア十字架石、ハチュカル。
ここの特徴は、岩に直接彫られたハチュカルが多く残る事。
ゲガルド修道院
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修道院の敷地内に残る岩窟教会の一つに入ってみる。
岩盤むき出しの武骨な入り口風景。
ゲガルド修道院
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岩窟教会内部の風景。
天井部に開けられた採光窓から日の光が差し込む。
日が当たらない所は真っ暗で何も見えない。
ゲガルド修道院
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岩窟教会内の聖堂にも沢山のハチュカルが彫られていた。
いたる所の岩盤にはひび割れが見て取れる。
千数百年もの時代を感じさせられる。
ゲガルド修道院
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さて、ゲガルド修道院での楽しみの一つは、洞窟を利用してライブ演奏会を聞ける事。
ここではクラシックや教会音楽のア・カペラを披露してくれた。
ア・カペラとは伴奏無しでの合唱や重唱の事。
ゲガルド修道院
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ア・カペラとは、元々はキリスト教音楽、特に正教会における声楽の無伴奏様式の事を言う。
正教会では聖歌を歌う時に楽器による伴奏は原則禁止のため、ア・カペラの形をとる。
ゲガルド修道院
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岩盤の洞窟と言う環境もあって、エコーが効く、洞窟内部に響き渡る歌声。
自然光のスポットライト効果もあり、非常に厳かな雰囲気だ。
ゲガルド修道院
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外に出て入り口での記念撮影。
グループは女性だけの場合もあるが、今回は女性3名、男性2名のグループ。
ゲガルド修道院
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修道院の敷地内を流れる渓流と渓谷。
周辺には山岳地帯が続く。
ゲガルド修道院
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周辺の岩山には、いたる所に洞窟が残る。
かつて修道士たちは修道院だけでなく、周囲の洞窟に籠り、禁欲生活を送っていた。
ゲガルド修道院
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修道院と洞窟が残る周囲の岩山。
ゲガルド修道院とアザト川上流域としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
文字公園
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ここはアルメニア文字公園と言う所。
アルメニア文字の大小彫刻のモニュメントが置かれている野外美術館の様な所。
文字公園
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アルメニア語の表記にはアルメニア文字が使われるが、これがとても独特の文字。
アルメニア文字は5世紀初頭に創造された。
写真正面のUの字の右上が跳ねた様なアルメニア文字はMだそうです。