アルメニア共和国(アルタシャト)
ホル・ヴィラップ修道院
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次の訪問地は、ホル・ヴィラップ修道院。
修道院の遠景と、バックにそびえる雪をいただくアララット山の風景。
アララット山
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アララット山はトルコ領だが、修道院からは南西へ30kの位置にある。
修道院からトルコ国境までは2kも無いほど近い。
アララット山
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雪をいただくアララット山の頂上。標高5137m。
アララット山は第一次大戦まではアルメニアの領土だった。
戦後、トルコ領となってしまった。
アララット山
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修道院とアララット山を背景に筆者近影。
周囲は国境を流れるアラス川が作ったアララット平野で、穀倉地帯が広がる。
ホル・ヴィラップ修道院
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修道院はエレバンから南へ30kほどにある。
この辺りはアララット地方アルタシャトの町。
ホル・ヴィラップ修道院
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アルタシャトは古代アルメニア王国の首都として栄えた。
紀元前2世紀、アルタクシアス朝の皇帝アルタクシアス1世によってアルタシャトの街がつくられた。
ホル・ヴィラップ修道院
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修道院は小高い丘の上に建つ。
皇帝アルタクシアス1世は現在、修道院の建つ場所に要塞として砦、堀を築いた。
ホル・ヴィラップ修道院
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礼拝堂の風景。
4世紀初め、この地でキリスト教の布教活動していた聖グレゴリオスは拝火教徒の王ティリダテス3世に捕えられ、要塞の地下牢に投獄された。
その後、ティリダテス3世は重い病に倒れる。
ホル・ヴィラップ修道院
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聖グレゴリオスが投獄された、と伝わる地下牢。
聖グレゴリオスを赦免する様に、王の家族から説得された王は彼を釈放した。
すると、程なくして病は直った。
これを奇跡と確信した王は、己の愚行を悔い改め、キリスト教徒に改宗し、この牢獄の上に聖堂を建設した。
ホル・ヴィラップ修道院
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地下牢の鉄梯子。
一人しか通れないので、とても渋滞する。
ホルは深い、ヴィラップは穴、と言う意味だそうだ。
墓地
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修道院のそばに墓地があった。
ここはアルメニア人ジェノサイド(虐殺)で亡くなった人々の墓。
墓地
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アルメニア人虐殺は第一次大戦時、オスマントルコによるこの地、東アナトリアのアルメニア人をシリアのデリゾール強制収容所へ死の行進をさせ、百数十万人が亡くなった事件の事。
アルメニアは現在でもトルコとは国交は有るものの対立している。
コウノトリ
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アルタシャトの町で不思議な物を見かけた。
ほぼ全ての電柱の上に大きな鳥の巣が。
これはコウノトリの巣。
電柱の上に営巣し、繁殖する。
コウノトリ
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体は大きくなっているが、まだ飛べないヒナ達は親の帰りを待っている。
一夫一妻で、雌と雄は協力してヒナを育てる。
赤ん坊や幸福をもたらす鳥として、とても大切にされている。
コウノトリ
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このコウノトリは日本など、東南アジアに生息するコウノトリとは種が違い、ヨーロッパを中心に生息するシュバシコウ。
親鳥はくちばしが赤い。
コウノトリ
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アララット山とコウノトリ。
アララット山は旧約聖書に登場するノアの方舟が漂流の後、流れ着いたとされる山。
事実、衛星写真での舟形の構造物や、古代の木舟の残骸が発見されている。