アゼルバイジャン共和国
アゼルバイジャン空港
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アゼルバイジャンの旅は首都バクーから。
日本からはカタール航空で、ドーハ乗り換えでやって来ました。
アゼルバイジャン空港
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モダンな造りのアゼルバイジャン空港。
正式にはヘイダル・アリエフ国際空港。
ヘイダル・アリエフはアゼルバイジャン元大統領。
殉教者の小路
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まずやって来たのが殉教者の小路と呼ばれる所。
ここは入り口の広場。
大きな国旗と、傍らにはイスラムの教会、モスクが建つ。
階段を上って行きます。
殉教者の小路
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殉教者の小路とは、旧ソ連軍のバクー侵攻、黒い一月事件と、その後のアルメニアとのナゴルノ・カラバフ戦争において、亡くなった犠牲者や戦死者達の霊を祀った慰霊の場所。
殉教者の小路
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今も献花が絶えない犠牲者達の墓。
墓石は新しく、ピカピカに磨かれていた。
右手前の墓は新婚カップルだった方のもの。
慰霊塔
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殉教者の小路の先は小高い丘となっていて、シャヒドゥラール広場がある。
中央にはモニュメントとして慰霊塔が建つ。
黒い一月事件では130名もの死者を出した。
多くは一般の市民だった。
平和の炎
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慰霊塔の中では亡くなった方々の鎮魂を願い、永遠に炎が焚かれている。
旧ソ連軍の侵攻は1990年、ゴルバチョフの命により実行された。
皮肉にも同年、東西冷戦終結の功績からノーベル平和賞を受賞した。
シャヒドゥラール広場
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広場は展望台にもなっていて、ここからカスピ海やバクー市街の風景が楽しめる。
写真はベイエリアの風景。
右手は巨大な旗がはためく国旗広場、その左は多目的ホールのバクー・クリスタル・ホール。
シャヒドゥラール広場
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ベイエリア、高層ビルが建つ新市街の風景。
この広場、独立前の旧ソ連邦時代はキーロフ公園と呼ばれていた。
シャヒドゥラール広場
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このロール状の建物はカーペット博物館。
左手前の建物が邪魔で見えませんが、カーペットを筒状に巻いた形の、とても変わった建物です。
シャヒドゥラール広場
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新市街に囲まれるように残るバクー旧市街。
シャヒドゥラール広場
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広場の展望台で記念撮影する人達。
殉教者の小路の入り口から広場まで、階段が続いているが、かつてはケーブルカーが運行されていた。
シャヒドゥラール広場
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記念撮影していた中にいた女の子。
バクーの名前は、風が吹きつける、という意味。
この広場は特に風が強く、飛ばされそうだった。
炎の塔
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殉教者の小路の登り口からの風景。この独特な形の建物は炎の塔、フレイムタワーと呼ばれるビル。石油の国らしく、炎の形に造られている。ホテルや石油会社のオフィースに使われている。
海底油田
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カスピ海のバクー湾に建つ海底油田掘削施設、石油プラットフォームの風景。
現在、産油国としてはペルシア湾岸諸国が名高いが、それまではアゼルバイジャン、バクー油田が世界一の油田だった。
油井
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バクーでは、海底油田だけでなく、陸地にも沢山の油田がある。
これは油井に建つ採掘装置、サッカーロッド・ポンプ方式のはポンプ・ジャック。
アゼルバイジャン・グランプリ
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バクー市街地コースを使った公道サーキットが開催された。
公道サーキットではモンテカルロ市街地で行われるモナコグランプリが有名。
アゼルバイジャン・グランプリ
18/112
道の両側には、未だ組み立て式の観覧席がいくつも残っていた。
バクー旧市街
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これから世界遺産となっている城塞都市バクーの旧市街へ向かいます。
ここはシルバンシャフハーン宮殿の入口の門で、この様な城壁が旧市街を取り囲んでいる。
バクー旧市街
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世界遺産では「城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔」として文化遺産に登録されている。
豆本博物館
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ここは世界の豆本をコレクションしている豆本博物館。
ちょっと入ってみます。
豆本博物館
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館内はそれほど広くはないが、所狭しと豆本が置かれている。
日本の物もあった。
豆本博物館
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資料によると約6000札もの蔵書が有るらしい。
これは小指の爪くらいの大きさ。
中にはルーペで見なければ判らないものもあった。
バクー旧市街
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城壁内には古い石造りの建物が残る。
城壁内はアゼルバイジャンの言葉で内城の意味のイチェリ・シャハルと呼ばれる。
バクー旧市街
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城壁の内側にある投石台。
大砲が発明されるまで石などを投擲する投石機、カタパルトが攻撃兵器として使われた。
バクー旧市街
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城壁はカフェ・レストランにもなっていた。
バクー旧市街
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城壁を再利用したオープン・カフェ。
オシャレな店内だ。
バクー旧市街
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城壁の木陰でゲームを楽しむお父さん達。
これはバックギャモンと言うサイコロを振って駒をゴールさせる双六の様なゲーム。
バクー旧市街
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木漏れ日の中、食事をしているお嬢さん達。
バクー旧市街
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旧市街で見かけたバクーの家族。
バクー旧市街
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旧市街で見かけた女の子。
キャラバンサライ跡
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旧市街に残るキャラバンサライの跡。
中庭を中心として回廊の様に周囲に建物を配置されている。
現在はレストランに改装されていた。
入口の風景。
キャラバンサライ跡
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キャラバンとはラクダを十数頭束ね、複数の商人が共同で商品を輸送する隊商の事で、集団になる事で盗賊団から身を守る事ができる。
サライとは元々は王宮の意味。
各領土を治める王達はキャラバン隊を手厚く保護した。
理由は大きく2つある。
キャラバンサライ跡
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一つは東西の文化や情報を手に入れる事ができる。2つはお金になるから。
沢山のキャラバン隊が来る王国では連日市が立ち、バザーが開かれる。
大切にしたキャラバン隊を王達は自分の王宮を改装して、ラクダごと泊まれる様にした事からサライは隊商宿の意味になる。
バクー旧市街
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バクーはカスピ海の西側にある半島、アブシェロン半島の付け根に位置するコーカサス地方最大の都市。
バクー旧市街
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旧市街にあった蚤の市。
バクー旧市街
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街角のショップの風景。
古い石造りの建物を改装してお店にしている。
バクー旧市街
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石畳の道、石造りの家々。
通りに張り出したバルコニーやベランダが多い。
バクー旧市街
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バクーはカスピ海に面したアゼルバイジャンの首都で、古くからシルクロードの重要な交易都市として栄えてきた。
バクー旧市街
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少し薄暗く静かなたたずまいの裏路地風景。
ムハンマド・モスク
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11世紀に建てられた、旧市街に残る最古の建造物のといわれるムハンマド・モスクとミナレット。
旧ソ連時代は閉鎖されていた。
ムハンマド・モスク
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解説看板では1078〜1079年となっている。
このモスクも城壁都市バクーの一部として、ユネスコ世界文化遺産に登録されている。
バクー旧市街
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旧市街で見かけた男の子。
バクー旧市街
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お昼に立ち寄ったレストラン、オールド・バクー。
おいしゅうございました。
バクー旧市街
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アゼルバイジャンの有名な詩人アリアガ・ヴァイドの胸像。
頭部は何十人もの人で表現されている。
バクー旧市街
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今も残る城壁の一部。
これから城壁内に残る王宮へ向かいます。
シルヴァン・シャー宮殿
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かつてこの地に存在し、16世紀までこの地を治めた王朝、シルヴァン・シャー朝の宮殿跡。ここはイスラム建築様式の、天井がアーチ状になっていて一方だけが開かれている入り口ホール、イーワーン。
シルヴァン・シャー宮殿
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入り口を入って直ぐの所にあるのがディワン・ハーネと呼ばれる謁見の間。
全体は八角形をしたドームを持つ建物で、写真はその入り口。
シルヴァン・シャー宮殿
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謁見の間の建物の外側を取り囲む回廊の風景。
シルヴァン・シャー宮殿
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謁見の間の奥には王が住んでいた王宮がある。
現在、中は博物館となっている。
王座の間を再現している。
シルヴァン・シャー宮殿
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王座の間のドームになっている天井。
シャーとはイスラムでの王様の事。
シルヴァン・シャー宮殿
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王座の間に置かれているのはバックギャモンの盤。
細かな彫刻が施されている。
シルヴァン・シャー宮殿
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民族楽器。
中央手前の楽器はサントゥール。
古代ペルシャ発祥の打弦楽器。
細い木の棒で叩いて演奏する。
シルヴァン・シャー宮殿
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館内に置かれていた旧市街のジオラマ模型。
室内灯も再現されていて雰囲気のある模型に仕上がっている。
シルヴァン・シャー宮殿
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シルヴァン・シャー王朝は9世紀から16世紀にかけて、この地を統治した王朝。元は100k内陸にある都市シェマハを首都としていたが、12世紀末地震により現在のバクーへ遷都した。同じ時期にはアッバース朝、セルジューク朝、イルハン朝と言った大国に囲まれていたが、和平を保っていた。17世紀サファヴィー朝により滅亡した。
セイッド・イェフヤー・バクヴィー廟
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王宮の先、宮殿内の最も奥にあった霊廟。
ドームの中は何も無く、入り口アーチの下に地下に降りる階段があった。
セイッド・イェフヤー・バクヴィー廟
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薄暗い墳墓内、一つだけ石棺が置かれていた。
バクヴィーは15世紀の学者。
セイッド・イェフヤー・バクヴィー廟
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この墓は通称、ダルヴィーシュの墓と呼ばれている。
イスラーム神秘主義スーフィー教に付いての著書は30程もある。
ファルハザード・モスク跡
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バクーヴィー廟に並び建つ様にかつてここにあったモスクと神学校メドレッセの跡。
皇帝シルヴァン・シャー・ファルハザード2世が建てた王族の神学校。
バクヴィーが先生をしていた。
シャー・モスク
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バクーヴィー廟の右手に王様専用のモスクが建つ。
シャー・モスク
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モスク入り口のイーワーンと塔のミナレット。
15世紀中頃に建てられた。
シャー・モスク
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入口にあった説明盤。
モスク内では男女別の祈りの間がある。
シャー・モスク
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モスク内の礼拝堂風景。
礼拝堂の壁にある、このくぼみはミフラーブと呼ばれるメッカの方向に礼拝するために指し示すもの。
その右側に置かれている階段状のものはンバルと呼ばれる、イスラム教の指導者イマームが信者に教えを説くための壇。
シルヴァン・シャー一族の霊廟
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モスクの右奥にシルヴァン・シャー一族の霊廟があった。
石棺が並ぶ霊廟内の風景。
シルヴァン・シャー一族の霊廟
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皇帝シルヴァン・シャー・カリルラ1世の母親と6歳で亡くなった息子のために建てられた。
ハマム
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宮殿にあったこの遺跡は浴場跡。
中近東でハマムと呼ばれるスチームバス。
小部屋が沢山ある王族専用のハマム。
ハマム
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次に行く乙女の塔の近くにあったハマムの跡。
こちらは一般大衆が利用した公衆浴場。
乙女の塔
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旧市街の城壁を守る見張り台や要塞の機能を果たした乙女の塔。
その後の時代には燈台としても使われた。
バクーのシンボル的な建造物。
乙女の塔
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塔の中にある螺旋階段を上り頂上へ。
見晴らしの良い展望台の様になっている。
360度のパノラマ風景が楽しめる。
乙女の塔
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塔の上で筆者近影。
世界文化遺産に登録されている。
この塔の名の由来は、王族の娘が望まない結婚を苦に身を投げたと言う伝説から。
ヘイダル・アリエフ・文化センター
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旧市街を出て新市街へ。
この建物はヘイダル・アリエフ・文化センター。
ヘイダル・アリエフはアゼルバイジャンの元大統領。
ヘイダル・アリエフ・文化センター
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奇抜とも言えるモダンな設計は、東京五輪の新国立競技場の設計でも知られる女性建築家ザハ・ハディド。文化センター周囲は芝生が広がる広場となっていて、彫像などがオブジェとして置かれている。
ヘイダル・アリエフ・文化センター
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広場で見かけたバクーのお嬢さん達。
文化センターは複合施設で、中はいくつかの国際会議場や展示会場、コンサート会場などの多目的ホールがある。
ヘイダル・アリエフ・文化センター
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広場で見かけた姉弟。
市民の憩いの広場ともなっていて、家族連れも沢山来ていた。
ビビヘイバートモスク
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市街を離れ、少し郊外へ。
ここは皇帝シルヴァン・シャー・ファルハザード2世が建てたビビヘイバートモスクがある。
ビビヘイバートモスク
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過去に何度か破壊されその度に再建されたが、第二次大戦前、旧ソ連の革命組織ボリシェヴィキによって徹底的に破壊された。
現在のモスクはヘイダル・アリエフ元大統領の命で再建されたもの。
ビビヘイバートモスク
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モスクの南側には礼拝堂がある。
メッカの方向を示すミフラーブに向かって祈っていた信者。
ビビヘイバートモスク
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ここは女性専用の礼拝堂。
モスクの北側にある。
なんとなく明るい色調の部屋だ。
ビビヘイバートモスク
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ウケイマの霊廟。
預言者ムハンマドの子孫と言われる聖人ウケイマ・ハヌムが眠る。
ビビヘイバートモスク
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ウケイマは治癒能力を持ったヒーラーだったと伝わっていて、奇跡が起きたポルトガルのファティマにあやかり、ここをファティマのモスクとも呼ぶ。
信仰心の厚いお年寄り達が少しでも恩恵に与ろうとお詣りに来ていた。
ビビヘイバートモスク
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モスクは海沿いの高台にあり、ここから港湾の風景を望む事ができる。
ビビヘイバートモスク
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モスクの道を挟んで反対側の山の斜面にはイスラムのお墓があった。
アテシュギャーフ寺院
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ここはアテシュギャーフ寺院、拝火教の寺院。
バクーの郊外、東へ30K程の所にある。
アテシュギャーフ寺院
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入り口にあった説明盤。
拝火教はゾロアスター教とも言い、信仰の対象を火・炎とする火炎崇拝の宗教。
アテシュギャーフ寺院
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寺院の外壁は上から見るといびつな六角形をしており、寺院内には祭壇が建つ。
祭壇前には神聖な永遠の炎が灯されている。
アテシュギャーフ寺院
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永遠の炎。
無限にある天然ガスを燃やしている。
この辺りでは古来より地下から上がって来る天然ガスが自然発火し、燃えていた。
そのため火を崇める信者たちにとって聖地となっていた。
アテシュギャーフ寺院
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ゾロアスター教は教祖ゾロアスターが紀元前16世紀頃に現在のアフガニスタン北部で開いたとされるが、不明で良く判っていない。
この地へは古代ペルシャからもたらされた。
アテシュギャーフ寺院
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寺院内にはいくつかの僧侶が居住していた僧房が残る。
現在は、その当時を再現して生活用具や道具を陳列している展示室となっている。
アテシュギャーフ寺院
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一つの展示室では像の影絵を映し出していた。
これは踊りの神、ナタラージャ。
ヒンズー教の神、シバ神の別名。
この寺院はインドに住むゾロアスター教信者、パールシーによって建てられた。
そのため、ヒンズー教の影響も受けた。
アテシュギャーフ寺院
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寺院のすぐ横を鉄道が通っていた。
寺院の最寄りの駅はスラハニ駅。
丁度、保線用車両が走っていた。
鉄道
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旅行中に見かけたアゼルバイジャンの鉄道。
ゴブスタン博物館
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アゼルバイジャン観光の中で岩絵で名高いゴブスタン国立保護区へ向かう。
ここはゴブスタン博物館。
入り口風景。
ゴブスタン博物館
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まずは博物館で予備知識を得てみよう。
博物館はバクー市内から60k程南西にあるゴブスタンの町にある。
ゴブスタン博物館
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ゴブスタン遺跡から出土した石器時代の岩絵彫刻や当時の道具などを展示している。
ゴブスタン博物館
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遺跡で見つかった岩絵。
ゴブスタン遺跡に残る岩絵は岩壁を石器で削った彫刻で、顔料で彩色を施された有名な洞窟壁画などとは異なる。
ゴブスタン博物館
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これは矢じり。
有史以前、石器時代の狩猟道具などが多数発掘されている。
ゴブスタン博物館
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博物館前からゴブスタン遺跡のある岩山方面の風景。
ゴブスタン遺跡
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遺跡の入り口。
説明板も岩に彫刻している。
ゴブスタンの町、博物館からは4k程離れている。
ゴブスタン遺跡
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遺跡内にはこの様な巨石がゴロゴロ転がっている。
遺跡全体は国立保護区として国定史跡に設定されている。
ゴブスタン遺跡
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岩絵彫刻。
踊る人々と言われている。
ゴブスタン遺跡
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左上のゲジゲジの様な岩絵は舟。
左下の人はシャーマン。
ゴブスタン遺跡
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二頭の牛。この辺りの岩場はかつて良質の石が産出される採石場だった。第二次大戦前、石の切出しのためこの地に来た石工がおびただしい岩絵彫刻を発見した。
ゴブスタン遺跡
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遺跡の岩山にはこの様な岩の割れ目や洞窟があり、石器人達が暮らしていたと言われる。
ゴブスタン遺跡
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牛と狩猟をする狩人。
古い岩絵彫刻は推定、紀元前2万年前にもなるらしい。
ゴブスタン遺跡
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遺跡の岩山を前に筆者近影。
ゴブスタン遺跡は近くにある泥火山と共に、ゴブスタンのロック・アートと文化的景観としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
ゴブスタン遺跡
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石器時代の暮らしを再現した野外展示物。
これは石器時代でも後期だろう。
ゴブスタン遺跡
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このテーブル上の岩はガワルダシュと呼ばれる石の楽器。
現地ガイドさんが実演していた。
ゴブスタン遺跡
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近くの岩の隙間に大きなトカゲが潜んでいた。
鋭い爪を使って岩場を器用に移動していた。
ゴブスタン遺跡
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遺跡の岩山から見たゴブスタンの町。その向こうにはカスピ海が見える。
石器時代のカスピ海は現在よりも水位が相当高く、ゴブスタン遺跡の残る辺りは湖畔だったと言われている。
ヘイダル・アリエフ国際空港
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アゼルバイジャンの観光はこれでおしまい。
空港と離陸の風景。
ヘイダル・アリエフ国際空港