アゼルバイジャン共和国(バクー旧市街)
バクー旧市街
1/63
ここからは世界遺産となっている城塞都市バクーの旧市街を紹介します。
ここは旧市街入口の門で、この様な城壁が旧市街を取り囲んでいる。
バクー旧市街
2/63
入り口近くに置かれていた世界遺産の認定証。
バクー旧市街は、世界遺産では「城壁都市バクー、シルバン・シャー宮殿、及び乙女の塔」として文化遺産に登録されている。
豆本博物館
3/63
ここは世界の豆本をコレクションしている豆本博物館。
ちょっと入ってみます。
豆本博物館
4/63
館内はそれほど広くはないが、所狭しと豆本が置かれている。
日本の物もあった。
豆本博物館
5/63
資料によると約6000冊もの蔵書が有るらしい。
これは小指の爪くらいの大きさ。
中にはルーペで見なければ判らないものもあった。
バクー旧市街
6/63
城壁内には古い石造りの建物が残る。
城壁内はアゼルバイジャンの言葉で内城の意味のイチェリ・シャハルと呼ばれる。
バクー旧市街
7/63
城壁の内側にある投石台。
大砲が発明されるまで石などを投擲する投石機、カタパルトが攻撃兵器として使われた。
バクー旧市街
8/63
城壁はカフェ・レストランにもなっていた。
バクー旧市街
9/63
城壁を再利用したオープン・カフェ。
オシャレな店内だ。
バクー旧市街
10/63
城壁の木陰でゲームを楽しむお父さん達。
これはバックギャモンと言うサイコロを振って駒をゴールさせる双六の様なゲーム。
バクー旧市街
11/63
木漏れ日の中、食事をしているお嬢さん達。
バクー旧市街
12/63
旧市街で見かけたバクーの家族。
バクー旧市街
13/63
旧市街で見かけた女の子。
バクーはカスピ海の西側にある半島、アブシェロン半島の付け根に位置するコーカサス地方最大の都市。
キャラバン・サライ跡
14/63
旧市街に残るキャラバン・サライの跡。
中庭を中心として回廊の様に周囲に建物を配置されている。
現在はレストランに改装されていた。
入口の風景。
キャラバン・サライ跡
15/63
キャラバン・サライ跡の風景。
一階部分はラクダなどの家畜を休ませた部屋。
キャラバンとはラクダを十数頭束ね、複数の商人が共同で商品を輸送する隊商の事で、集団になる事で盗賊団から身を守る事ができた。
キャラバン・サライ跡
16/63
サライとは元々は王宮の意味。
各領土を治める王達はキャラバン隊を手厚く保護した。
理由は大きく2つ。
一つ目は東西の文化や情報をもたらしてくれ、手に入れる事ができたから。
キャラバン・サライ跡
17/63
2つ目の理由はお金になるから。
沢山のキャラバン隊が来る王国では連日市が立ち、バザーが開かれる。
大切にしたキャラバン隊を王達は自分の王宮を改装して、ラクダごと泊まれる様にした事からサライは隊商宿の意味になっていった。
バクー旧市街
18/63
旧市街の街角の風景。
カーペットのお店。
バクー旧市街
19/63
旧市街にあった蚤の市。
敷いたカーペットの上にアンティークな品々を置いている。
バクー旧市街
20/63
街角のショップの風景。
古い石造りの建物を改装してお店にしている。
バクー旧市街
21/63
石畳の道、石造りの家々。
通りに張り出したバルコニーやベランダが多い。
バクー旧市街
22/63
この店は小物を置いている。
バクーはカスピ海に面したアゼルバイジャンの首都で、古くからシルクロードの重要な交易都市として栄えてきた。
バクー旧市街
23/63
旧市街の路地の風景。
アゼルバイジャンではカスピ海で採掘される石油によって経済は潤っており、バクーの新市街では高層ビルが次々に建てられている。
バクー旧市街
24/63
経済発展の著しい新市街に比べ、取り残された様な旧市街の、少し薄暗く静かなたたずまいの裏路地の風景。
ムハンマド・モスク
25/63
11世紀に建てられた、ムハンマド・モスクとミナレット。
旧ソ連時代は閉鎖されていた。
ムハンマド・モスク
26/63
解説看板では1078~1079年となっている。
このモスクも城壁都市バクーの一部として、ユネスコ世界文化遺産に登録されている。
ムハンマド・モスク
27/63
このモスクの塔、スヌフ・ガラのミナレットは旧市街に残る最古の建造物と言われている。
旧ソ連から独立後、他のモスクと一緒に再開された。
バクー旧市街
28/63
ムハンマド・モスク近くの店の入り口で寝転がっていた白猫。
バクー旧市街
29/63
旧市街で見かけた男の子。
かつてシルクロードの時代、東西交易の商人たちでにぎわった旧市街、現在は観光客でにぎわっている。
バクー旧市街
30/63
お昼に立ち寄ったレストラン、オールド・バクー。
おいしゅうございました。
バクー旧市街
31/63
アゼルバイジャンの有名な詩人アリアガ・ヴァイドの胸像。
頭部は何十人もの人で表現されている。
バクー旧市街
32/63
今も残る城壁の一部。
これから城壁内に残る王宮へ向かいます。
シルバン・シャー宮殿
33/63
かつてこの地に存在し、16世紀までこの地を治めた王朝、シルバン・シャー朝の宮殿跡。
ここはイスラム建築様式の、天井がアーチ状になっていて一方だけが開かれている入り口ホール、イーワーン。
シルバン・シャー宮殿
34/63
入り口を入って直ぐの所にあるのがディワン・ハーネと呼ばれる謁見の間。
全体は八角形をしたドームを持つ建物で、写真はその入り口。
シルバン・シャー宮殿
35/63
建物のドームを下から覗く。
きらびやかなモスクのドームと異なり、全く装飾されていない。
シルバン・シャー宮殿
36/63
謁見の間の建物の外側を取り囲む回廊の風景。
シルバン・シャー宮殿
37/63
謁見の間の奥には王が住んでいた王宮がある。
現在、中は博物館となっている。
王座の間を再現している。
シルバン・シャー宮殿
38/63
王座の間のドームになっている天井。
シャーとはイスラムでの王様の事。
シルバン・シャー宮殿
39/63
王座の間に置かれているのはバックギャモンの盤。
細かな彫刻が施されている。
シルバン・シャー宮殿
40/63
民族楽器。
中央手前の楽器はサントゥール。
古代ペルシャ発祥の打弦楽器。
細い木の棒で叩いて演奏する。
シルバン・シャー宮殿
41/63
これはお風呂用のサンダル。
彫刻が美しい。
シルバン・シャー宮殿
42/63
館内に置かれていた旧市街のジオラマ模型。
室内灯も再現されていて雰囲気のある模型に仕上がっている。
シルバン・シャー宮殿
43/63
シルバン・シャー王朝は9世紀から16世紀にかけて、この地を統治した王朝。
元は100k内陸にある都市シェマハを首都としていたが、12世紀末地震により現在のバクーへ遷都された。
セイッド・イェフヤー・バクヴィー廟
44/63
王宮の先、宮殿内の最も奥にあったセイッド・イェフヤー・バクヴィーの霊廟。
ドームの中は何も無く、入り口アーチの下に地下に降りる階段があった。
セイッド・イェフヤー・バクヴィー廟
45/63
薄暗い墳墓内、一つだけ石棺が置かれていた。
バクヴィーは15世紀の学者。
セイッド・イェフヤー・バクヴィー廟
46/63
この墓は通称、ダルヴィーシュの墓と呼ばれている。
イスラム神秘主義スーフィー教に付いての著書は30程もある。
ファルハザード・モスク跡
47/63
バクーヴィー廟に並び建つ様にかつてここにあったモスクと神学校メドレッセの跡。
皇帝シルバン・シャー・ファルハザード2世が建てた王族の神学校。
バクヴィーが先生をしていた。
シャー・モスク
48/63
バクーヴィー廟の右手に王様専用のモスクが建つ。
シルバン・シャー王朝はアッバース朝、セルジューク朝、イルハン朝と言った大国に囲まれていたが、和平を保っており、互いに栄えていた。
シャー・モスク
49/63
モスク入り口のイーワーンと塔のミナレット。
15世紀中頃に建てられた。
シャー・モスク
50/63
入口にあった説明盤。
モスク内では男女別の祈りの間がある。
シャー・モスク
51/63
礼拝堂へ入る入り口ホール、イーワーンの風景。
シルバン・シャー王朝は17世紀サファヴィー朝により滅亡した。
シャー・モスク
52/63
モスク内の礼拝堂風景。
礼拝堂の壁にある、このくぼみはミフラーブと呼ばれるメッカの方向に礼拝するために指し示すもの。
その右側に置かれている階段状のものはミンバルと呼ばれる、イスラム教の指導者イマームが信者に教えを説くための壇。
シルバン・シャー一族の霊廟
53/63
モスクの右奥にシルバン・シャー一族の霊廟があった。
石棺が並ぶ霊廟内の風景。
シルバン・シャー一族の霊廟
54/63
皇帝シルバン・シャー・カリルラ1世の母親と6歳で亡くなった息子のために建てられた。
ハマム
55/63
宮殿にあったこの遺跡は浴場跡。
中近東でハマムと呼ばれるスチームバス。
小部屋が沢山ある王族専用のハマム。
ハマム
56/63
次に行く乙女の塔の近くにあったハマムの跡。
こちらは一般大衆が利用した公衆浴場。
乙女の塔
57/63
旧市街の目玉となる観光地、乙女の塔。
バクーのシンボル的な建造物。
乙女の塔
58/63
旧市街の城壁を守る見張り台や要塞の機能を果たした乙女の塔。
その後の時代には燈台としても使われた。
乙女の塔
59/63
塔の中にある螺旋階段を上り頂上へ。
見晴らしの良い展望台の様になっている。
360度のパノラマ風景が楽しめる。
乙女の塔
60/63
乙女の塔の頂上から見たバクーの街の北西方向の風景。
乙女の塔は、城壁都市バクー、シルバン・シャー宮殿、及び乙女の塔として文化遺産に登録されている。
乙女の塔
61/63
南西側の風景。
正面奥の高いビルは炎の塔、フレイムタワーと呼ばれるビル。
全面ガラス張りのビル。
乙女の塔
62/63
南側の風景。
正面奥左手の建物はショッピング・モール。
その右の細長く見える建物はカーペット博物館。
乙女の塔
63/63
塔の上で筆者近影。
この塔の名の由来は、王族の娘が望まない結婚を苦に身を投げたと言う伝説から。