バングラデシュ人民共和国(ダッカ)
ダッカ空港
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バングラデシュの旅は首都ダッカから。
夜間飛行でダッカへ向かいます。
飛行機の窓から、ダッカの街の夜景。
当時はジア国際空港と呼ばれていたが、現在はシャージャラル国際空港と変更になった。
ダッカ空港
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ダッカ国際空港のターミナル風景。
かつての国際空港は後述する国会議事堂のすぐ近くにあるテズガオン空港だった。
テズガオン空港は日本赤軍によるハイジャック事件、ダッカ事件でハイジャックされた日本航空機が緊急着陸した空港。
現在は地方路線を受け持つローカル空港となっている。
国会議事堂
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ここはバングラデシュ国会議事堂。
ダッカ空港から南へ10kほどにある。
モダンな設計で堂々とした建物。
バングラデシュ国内では数少ない近代的建造物の国会議事堂。
国会議事堂
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横からは判らないが、周囲は池に囲まれており、建物の形は上から見るとスイレンの花の形をしている。
国会議事堂前は広々とした広場になっている。
国会議事堂北側通りの風景
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国会議事堂北側にある通りの風景。
土産物などの露店の店がたくさん出ていた。
国会議事堂北側通りの風景
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北側通りに出ていた屋台。
ピーナッツなど、何種類かのナッツを売っている。
国立博物館
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ここは国立博物館、その外観風景。
国会議事堂から南東へ3kほどにある。
バングラデシュに付いて、自然や歴史、文化など幅広く展示している。
ダッカ
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ダッカの街の風景。
筆者がかつて地理で勉強した年代、バングラデシュでは無く東パキスタンで教わった。
その後、印パ戦争を経て現パキスタンから独立、バングラデシュとなる。
選挙ポスター
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この日、国会議員の選出選挙を控えたバングラデシュの町に選挙ポスターが貼られていた。
変わっているのが道の両側にひもを渡し、旗の様にひもに下げている事。
不思議な光景だ。
選挙当日、バスの車窓からは各地の投票所で大勢の人々が集まっているのが見えた。
商店街
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ニューマーケットへ向かうため、国立博物館から南西へ向かう。
半分露店になっている店が続く商店街があった。
マメや穀物、フルーツなどの店が続く。
果物店
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果物店だ。
ヤシの実やスターフルーツ、パイナップルなど。
右の巨大な実は熱帯で見かけるパンノキの仲間、ジャックフルーツ。
地元ではカタルと呼ばれる。
ニューマーケット
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ここはダッカにある庶民の市場、ニューマーケット。
国立博物館から西へ1kほど。
米や乾物のお店。
夫婦でお店を開ているのかな。
ニューマーケット
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野菜のお店。
キュウリにズッキーニ、ナスやニンジン、トマトにカリフラワー。
ニューマーケットには肉、鶏、魚介類、穀物からサリーなどの衣料品、雑貨に至るまで何でもある。
ニューマーケット
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こちらも野菜のお店。
イモやタマネギ、ニンニクなどを置いていた。
古くからあるのに名前はニューマーケット。
人混みをかき分けてマーケット内を散策する。
ニューマーケット
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ニューマーケットの一角に、ニワトリと卵ばかりを扱っている店が集まっていた。
客は生きたまま、足をわしづかみにして買って行った。
ニューマーケット
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こちらは魚屋のコーナー。
ダッカはブリガンガ川には面しているが、海まで少し遠い。
川魚がたくさん並べられている。
下の魚は良く食べられる淡水のニシンの仲間、イリシかな。
ニューマーケット
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こちらも淡水魚だが、ナマズではなさそうなので、ライギョの小さいのかな。
バングラデシュでは魚をよく食べる。
インドやパキスタンと同様にカレー料理が多いが、中でも魚のカレーが多いとの事。
ニューマーケット
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バングラデシュは貧困国である。
しかし黄金のベンガルと呼ばれる豊かな土地があり、農作物は豊富に収穫できる。
穀物を中心に、食品の多くを輸入に頼っている日本と比べると、はたしてどちらが豊かなのか。
ダケーシュワリー寺院
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ここはダケーシュワリー寺院、ニューマーケットから南へ1kほどにあるヒンドゥー教の寺院。
写真は入り口を入って正面、北側に建つシヴァ堂。
特徴のある尖がった屋根はアンブレラ屋根と呼ばれ、ベンガル地域独特の様式。
ダケーシュワリー寺院
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ダケーシュワリー寺院で見かけたヒンドゥー教の僧侶。
今はイスラム教徒の国となったバングラデシュではヒンドゥー教徒は一割くらい。
ダケーシュワリー寺院
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ダケーシュワリー寺院東側に建つ本堂の建物。
寺院は11世紀ごろ、ベンガル地方を支配していたセーナ王朝の国王バッラーラ・セーナの命で建立された。
この地がバッラーラの生誕の地だった事から。
ダケーシュワリー寺院
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寺院関係者なのか、本堂前にいた太鼓を打ち鳴らしていた人。
形も大きさも違うが、シヴァ神が手にする楽器ダマルも太鼓だ。
ダケーシュワリー寺院
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本堂の風景。
現在のダケーシュワリー寺院は19世紀に修復・再建された建物。
ダケーシュワリー寺院
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寺院の池で身を清めるヒンドゥー教徒。
ダケーシュワリー寺院は小さい寺院だが、国内ではヒンドゥーの聖地となっている。
ダケーシュワリー寺院
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本堂の堂内に安置されている女神ドゥルガの像。
ダケーシュワリーとはこの女神、ダッカの女神の意味で、ダッカの地名の由来ともなった。
ダケーシュワリー寺院
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ドゥルガ神の像。
ドゥルガとはシヴァ神の神妃パールヴァティーと同体にて、戦いにおいての女神をさす。
虎に乗り10本の腕を持ち、水牛の悪魔を倒した。
ダッカ市内
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次の観光はラールバーグ・フォート。
移動中に撮ったダッカ市内の風景。
テント張りの簡易食堂の様だ。
人力タクシー
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街には3輪自転車があふれていた。
サイクル・リクシャーと呼ばれる人力タクシー。
安くて手軽なので市民にとっては重要な乗り物。
しかし、遅いので渋滞の根元になっている。
ラールバーグ・フォート
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ここは城砦跡、ラールバーグ・フォート。
ダケーシュワリー寺院から南へ0.5kほどにある。
北側の入り口ゲート付近から南側の風景。
ラールバーグ・フォート
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ラールバーグ・フォートは、ムガール帝国の第六代皇帝アウラングゼーブが三男のムハンマド・アーザム・シャーのために建設した城塞。
実際に携わったのはムガール帝国ベンガル地方の総督だったナワブ・シャイスタ・カーン。
ラールバーグ・フォート
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ラールバーグ・フォートの西に残るモスク、シャヒ・モスク。
17世紀終わりごろ建てられた、3つのドームを持つモスク。
ラールバーグ・フォートの敷地内にはあるが、鉄柵で遮られており、直接は行けず、外側から入る。
ラールバーグ・フォート
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東側に残るウェーブした屋根を持つこの建物は、総督ナワブ・シャイスタ・カーンの館。
当時の浴場ハマム跡などが残っている。
現在は小規模の博物館として用いられている。
ラールバーグ・フォート
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ラールバーグ・フォートの中央に建つビビ・パリ廟。
ナワブ・シャイスタ・カーン総督の娘ビビ・パリは若くして急逝した。
総督は愛する娘のための墓をタージ・マハールに似せて建てたのがビビ・パリ廟。
ラールバーグ・フォート
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ビビ・パリ廟から南へ向かう。
城壁跡の上から見た北西方向の風景。
左がラールバーグ・モスク、右がビビ・パリ廟。
ラールバーグ・フォート
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ラールバーグ・フォートの城壁の一部。
ラールバーグ・フォートは東西350m、南北200mの広さがあり、周囲を城壁に囲まれている。
ラールバーグ・フォート
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城壁に沿って東へ進む。
城壁はかなり壊れている。
ベンガル地方はセーナ朝支配の後、16世紀にムガール帝国に支配されると、ダッカはベンガル地方の首都となる。
ラールバーグ・フォート
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振り返って城壁の一部の風景。
ラールバーグ・フォート建設を任されていたナワブ・シャイスタ・カーン総督だったが、娘を失った失意と、娘の死からの不吉な予感を感じ取り、建設を中止してしまう。
結果、未完成のままとなった。
ラールバーグ・フォート
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さらに東へ進みます。
ラールバーグ・フォートはまた、イギリス植民地支配に抵抗する反乱、セポイの乱、インド大反乱の際に反乱軍兵士が立てこもった要塞としても知られる。
数多くの破壊の跡は、その様な戦争の爪痕なのかもしれない。
ラールバーグ・フォート
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最も東にあった建物。
説明板では南ゲートとあった。
南東角にある三階建ての建物。
ミナレットの様な塔は2つ見えるが、元は4つあったらしい。
ラールバーグ・フォート
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南ゲートをくぐり、南側に出ました。
ラールバーグ・フォートはイスラム様式の建造物でできており、この南ゲートもイスラム建築によくみられる、三方が壁で天井がアーチとなっているホール、イーワーンが入り口となっていた。
ラールバーグ・フォート
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南ゲート南側に残る建造物。
ラールバーグ・フォートには広大な敷地面積があり庭園も美しく、現在では市民の憩いの場となっている。
庭園は四分割様式のチャハールバーグ庭園で、イスラム教の世界が水路で分けられた庭園で現わされている。
この朝も散歩をする人々が沢山いた。
ラールバーグ・フォート
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南ゲートから北へ向かう。
これは北東にあった入り口ゲート跡。
向かう途中にラールバーグ・フォート東に残る貯水場の跡があった。
今は水は無いが、当時ダッカを流れるブリガンガ川が近くを流れており、その川の水を引き込んでいたらしい。
スターモスク
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次の向かったのはラールバーグ・フォートから東へ1.5kほどにあるスターモスク。
写真はスターモスク入り口付近の路地風景。
スターモスク
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東に向けられた入り口から見た、西側に建つイスラム教モスク、スターモスクの全景。
左右対称、シンメトリーの形が美しい。
スターモスク
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とてもきれいなモスクの印象がするのは、明るい乳白色の壁に、外装としてタイルを使ってモザイクを貼っている事だ。
いたる所にある細かなモザイクは星の形をしている。
スターモスク
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礼拝堂への入り口上部にあった星と三日月。
星と三日月は、イスラム教における代表的な象徴、シンボル。
イスラム教の国の中では、この星と三日月のデザインを国旗に取り入れている国もある。
スターモスク
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スターモスクにいたダッカの姉弟。
ここのモスクは女性の入場も可能でした。
スターモスク
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スターモスクの礼拝堂内部の風景。
内装も美しい。
花や星形のタイル貼りやモザイクの装飾。
スターモスク
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熱心にお祈りをする信者。
スターモスクは雑居ビルやアパートに挟まれる様に建っている小さなモスク。
スターモスク
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礼拝堂内部の風景。
スターモスクの正式名はタラ・モスク。
星モスクの意味で、外装、内装に用いられている星形のモザイクや中庭に作られている噴水池が星形から。
一般には愛称でスターモスクと呼ばれる。
スターモスク
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礼拝堂内部のタイル画。
中には浮世絵をモチーフにした様な富士山のタイル画があり、ビックリ。
昔、財を成した富豪が日本から取り寄せ、寄進したものらしい。
スターモスク
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礼拝堂に設置されていたミフラーブとミンバル。
ミフラーブとはイスラム教信者ムスリムが1日5回の礼拝サラートを行う、メッカのカアバ神殿の方向キブラを示している窪みの事。
ミフラーブの傍らに設けられている椅子の様な台はミンバルと呼ばれる説教壇。
スターモスク
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礼拝堂に設置されていた礼拝時刻表。
信者は1日に5回の礼拝を行い、その時刻を表示している。
6つあるのは礼拝時以外に日の出の時刻を載せている。
スターモスク
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スターモスクの近くで見かけた親子。
スターモスクは18世紀に建立された、ムガール帝国の建築様式、ムガール建築でのモスク。
幾度となく修築・増築されており、5つのドームも当初は3つだった。
また、一般的なモスクにはある、礼拝を呼びかけるアザーンが流される塔、ミナレットはここには無い。
オールドダッカ
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スターモスク周辺から南にあるブリガンガ川までの、北岸エリアは旧市街、いわゆるオールドダッカと呼ばれる地域。
街の歴史はムガール帝国時代から始まる。
これからブリガンガ川にある港街ショドル・ガットへ向かいます。
ショドル・ガット
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ここは港町ショドル・ガット。
ダッカ市内を流れるブリガンガ川、その川岸にできた港町。
川に沿った通りを散策。
ショドル・ガット
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通りから堤防に建っていた建物を通り、川辺にでた。
ここはブリガンガ川を航行するフェリーの乗り場。
ショドル・ガット
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岸辺に手こぎの木造ボートがひしめき合っていた。
これはブリガンガ川の両岸を行き来する渡し舟、ノウカ。
ショドル・ガット
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岸辺に数え切れないほどのノウカがお客を待っている。
奥には巨大な3階建てフェリーの定期船が停泊中。
河川が多く、道路や鉄道のインフラが遅れているこの国では、河を利用した水上交通が重要な輸送手段。
ただ店員オーバーでの沈没事故と言う、痛ましい事故も起きている。
ショドル・ガット
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ノウカが行き来するブリガンガ川の風景。
ノウカは地元の人にとって、足代わりとなる水上タクシーだ。
ショドル・ガット
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渡し舟ノウカに乗ったダッカの人々。
筆者の観光は岸に着けられた大型船の甲板から行った。
ショドル・ガット
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ノウカの渡船場風景。
風景は別として、川の水は真っ黒な色で、ひどい状態。
辺りは卵の腐った様な臭いが立ち込め、長く居ると頭痛がしそうになる。
ショドル・ガット
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ブリガンガ川の河岸にはガートと呼ばれる階段が造られており、ヒンドゥー教の信者たちが沐浴をする。
筆者は水の汚さに手を触れるのも戸惑うのに、よく全身を浸せるものだ。
ショドル・ガット
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川辺を離れ、再び港町の通りへ。
道路に屋台の出店が出ていて、通行を邪魔します。
ショドル・ガット
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通りに出ていた屋台の風景。
何やら、油で揚げたスナックの様な食べ物。
ショドル・ガット
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こちらは鉄板に溶き卵を流し込んでいた。
どんな食べ物だろう。
インドなどではエッグロティと言う卵と小麦粉を使ったクレープの様な物があるが。
ショドル・ガット
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こちらも鉄板で調理する食べ物を売っていた。
バナナなどのフルーツとパン生地があったので、スイーツかな。
ショドル・ガット
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お茶屋さんだ。
バングラデシュでは紅茶が飲まれ、名もチャと呼ばれる。
ショドル・ガット
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三輪自転車タクシー、リクシャーが行き交う港町の通り。
三輪自転車、バングラデシュではベイビータクシーと呼ばれるらしい。
ショドル・ガット
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三角屋根の倉庫群が建ち並ぶショドル・ガットの港町。
水運業で栄えたこの町の象徴だ。
ショドル・ガット
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それにしても、とってもゴチャゴチャしている。
とにかく人が多い。
バングラデシュという国は、国土が日本よりも狭いにもかかわらず、人口が多いと言う唯一の国。
ホテル
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筆者が泊まったホテル、パン・パシフィック・ショナルガオン・ダッカ。
パン・パシフィック・ホテルグループの一つで、バングラデシュでは最高級ホテル。
要人の定宿や国際会議場もある、とてもきれいなホテル。
ホテル
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ホテルの名前のショナルガオンとは、黄金の都の意味で、ダッカの郊外に残る14世紀初めごろに栄えた古都の事。
この後、訪問します。
郊外