バングラデシュ人民共和国(ショナルガオン)
ショナルガオン
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ここは首都ダッカから東へ20kほどにある、かつての王朝の都だった町、ショナルガオン。
その中でも都の古い廃墟跡が残る一画を観光する。
ショナルガオン
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ショナルガオンの町の北方にパナム・ナガールと呼ばれる、打ち捨てられた西洋風の建物が数多く残る地区がある。
パナム・ナガールの廃墟跡は東西に伸びるショナルガオン・ロードの両脇に並ぶ。
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パナム・ナガールの廃墟跡。
ショナルガオン・ロードには、長さ500mの両脇に約50件の赤レンガと漆喰造りの家屋の跡が並んで残っている。
ショナルガオン
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12世紀後期、ヒンドゥー教セーナ朝は衰退が始まり、イスラム教ゴール朝の侵略に遭う。
セーナ朝第五代の王、ラクシュマナ・セーナは後退し、ベンガル地方の拠点としてショナルガオンに遷都した。
ショナルガオン
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ショナルガオンはバングラデシュの主要な川の1つ、メグナ川に面しており、水上交通に適した町。
セーナ朝時代、ショナルガオンは特産品の線製品などの交易港として繁栄を極め、重要な商業都市となった。
ショナルガオン
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廃墟の建物の一つに入ってみた。
天井はひび割れていたが、花の模様の様な立派な彫刻が残っており、繁栄していた当時を物語っていた。
ショナルガオンとはベンガル語で黄金の都の意味。
ショナルガオン
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16世紀、ムガール帝国の侵略にあい、ベンガル地方の首都がダッカへ移ってしまう。
ダッカへ遷都された後のショナルガオンは商業都市としての重要性が失われ、衰退していく。
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英領インドから独立運動後、イスラム国家パキスタンの東パキスタン地域を経て、独立国家バングラデシュが誕生する。
パナム・ナガールに住んでいた裕福なヒンドゥー教の豪商たちは、新しいイスラム国家への失望と不安感からインドへ逃れた。
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現在に残るパナム・ナガールの街並みは、この時に放棄されたヒンドゥー教商人の豪邸跡。
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パナム・ナガールのショナルガオン・ロードに続く町の道路には露店の店が建ち並び、バザールの様になっていた。
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露店の店の風景。
現在、主を無くし放棄されたパナム・ナガールの建物群は歴史的建造物群として観光資源になっている。
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こちらは小麦粉で作った食べ物を調理して売っている。
パナム・ナガールが観光資源になる理由の一つは、修復もされず廃墟となり、静かに残る朽ちた、この西洋風の町並みだ。
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露店の店の風景。
貧困国バングラデシュではこの遺跡とも言える歴史的な街並みの保存・修復にはほとんど手を付けておらず、老朽化が進んでいる。
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パナム・ナガールの外れ、大きな池があった。
パナム・ナガールの裏手にはメグナ川につながる運河が残っており、この池はその一部かもしれない。
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村にある大きな池で水草を収穫する村民。
何と言う種類か判らないが、特産の黄麻ジュートとは違う様なので、根元の芋の様な所を利用するのだろうか。
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道路の反対側にあった池。
一面に水草、ホテイアオイだろうか、水面も見えないくらいに密集していた。
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廃墟跡パナム・ナガールから西へ1k程に残るモスク、ゴアルディ・モスク。
パナム・ナガールの建物群同様に赤レンガで建てられているが、これも廃墟の様だ。
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ゴアルディ・モスクの風景。
16世紀中頃に建てられた、ムガール建築様式での建造物。
小さく、ドームも一つだが、正面柱には素焼きのテラコッタの彫刻が残る。
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ゴアルディ・モスクの礼拝室。
入り口には金網が張っていて入れないので、金網越しに内部を撮影。
中央にはメッカの方向を指し示すミフラーブらしきものが残る。
カビが至る所に生えていた。
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ゴアルディ・モスクにいた子供達。
モスクの近くにはイスラム神学校、メドレッセがあったので、そこに通う子供達だろう。
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パナム・ナガールの外れにあった池。
かつて栄華を極めた商業都市も、今は歴史に埋もれるかの様に、喧騒から離れた静かで寂しい町となっている。