バングラデシュ人民共和国(モハスタン)
モハスタン
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ここは古代仏教都市遺跡、モハスタン。
車窓からの遺跡の外壁の風景。
モハスタン
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遺跡に到着。
入り口付近の風景。
モハスタン
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モハスタン遺跡の上を歩く。
この辺りは、かつては建物があっただろう、レンガの基壇部分が残っている。
モハスタン
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古の都には700もの僧院があったと言うが、今は城壁の一部が残るだけ。
レンガ造りの城壁の大部分は8世紀頃のもの、との事。
モハスタン
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モハスタンを取り囲む城壁の上を歩く。
城壁と言っても土塁の様で、幅は2mくらいのあぜ道の様だ。
モハスタン
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モハスタン遺跡のレンガの基壇部。
草地が広がる遺跡内では近くの人が牛の食事にと連れて来ていた。
モハスタン
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モハスタン遺跡で見かけた地元の母娘。
仏教都市遺跡モハスタンはボグラの町から北へ13kほどの所にある。
モハスタン
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こちらは遺跡で子牛と遊ぶ子供達。
ここらでは子牛はペットだ。
ゴビンタ・ビータ寺院
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ここはモハスタンの北東に残るゴビンタ・ビータ寺院跡。
入り口にあった説明板。
ゴビンタ・ビータ寺院
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モハスタンの地は古く、インド十六大国時代、その一つ古代インドのアンガ国がベンガル地方を治めていた頃から都市としての機能を果たしていた。
モハスタンはベンガルで最も古い都市と言われている。
ゴビンタ・ビータ寺院
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その後モハスタンの地は幾多の王国の興亡、繁栄と滅亡の地となった。
紀元後4世紀、チャンドラグプタⅠ世が興したグプタ朝の時代に仏教都市として栄えた。
ゴビンタ・ビータ寺院
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ゴビンタ・ビータ寺院跡の基壇の上で見かけたノラ公。
ゴビンタ・ビータ寺院は6世紀、グプタ朝の時代に創建されたと言われる。
ゴビンタ・ビータ寺院
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7世紀、玄奘三蔵が仏典を求めて天竺へ向かった際、奔那伐弾那国(プールナヴァルダナ)に立ち寄り、周囲10k以上もの都で仏教が大いに栄え、農業が盛んで人が多い、と大唐西域記に残している。
この奔那伐弾那国はモハスタンの事と考えられており、ベンガル地方の首都だった。
ゴビンタ・ビータ寺院
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最も栄えたのは8世紀からの仏教王朝パーラ朝時代、歴代の君主は、仏教を手厚く保護した。
パーラ朝時代の最盛期、ここには数百もの僧侶の居住する庫裏があった。
ゴビンタ・ビータ寺院
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寺院の基壇の上からの風景。
この川はカラトヤ川、モハスタンの北東を流れる。
かつては城壁の外にカラトヤ川の水運を利用するため、船着き場があったとされる。
ゴビンタ・ビータ寺院
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ゴビンタ・ビータ寺院は小高い丘の上に建てられたらしく、基壇や盛り土の跡を見るとかなりの高低差がある。
低い所は堀の跡と考えられており、今よりも広かったカラトヤ川の氾濫に備えての堀だった。
モハスタンの城壁も堤防としての役目を果たしたと言われる。
ゴビンタ・ビータ寺院
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高い山が無く平坦な上に降雨量の多いこの地では、洪水が度々発生する。
この様な地では遺跡・遺構の保存は難しく、土に埋もれてしまう。
ゴビンタ・ビータ寺院は丘の上に建てられたため、かろうじて現存している。
ゴビンタ・ビータ寺院
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モハスタンとは偉大なる地の意味で、ベンガル地方で最大級の都市に発展した。
しかし、その後の仏教はパーラ朝の衰退と時を同じくしてヒンドゥー教の侵入によって、この地における仏教は衰退していく。
ゴビンタ・ビータ寺院
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パーラ朝の衰退に代わって台頭してきたのがヒンドゥー教、ヒンドゥー美術を保護したセーナ朝。
セーナ朝支配の下、仏教寺院の僧侶達は周辺の仏教国へ逃避し、やむを得ず残った仏教徒はヒンドゥー教に強制的に改宗させられた。
ゴビンタ・ビータ寺院
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ゴビンタ・ビータ寺院も仏教寺院からヒンドゥー寺院へと改築され、ヒンドゥー教の神、クリシュナ神を祀る寺院となった。
今に残る基壇には、時代の異なるレンガが積み重なっている。
ゴビンタ・ビータ寺院
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13世紀、イスラム王朝ゴール朝はセーナ朝を滅ぼす。
モハスタンの地はセーナ朝の侵入を受け、イスラム化されて行く事となる。
ゴビンタ・ビータ寺院
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14世紀にイスラム教徒によってモハスタン、そしてゴビンタ・ビータ寺院は破壊され、建物はモスクの建築資材に充てられた。
モハスタン博物館
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ここはモハスタン考古学博物館。
ゴビンタ・ビータ寺院入り口から道を隔てて直ぐ対面、西側にある。
モハスタン博物館
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モハスタン博物館の庭園風景。
入り口から博物館の建物の間に綺麗に整備された庭園が造られていた。
モハスタン博物館
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今は廃墟跡しか残らないこの地では、かつて仏教、ヒンドゥー教、イスラム教へと支配者に翻弄され、時の流れと共に移り変わった信仰の変遷を知る事ができる。
モハスタン博物館
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モハスタン博物館の庭園風景。
美しく咲いていた花々。
所々に遺跡から発掘された遺物が置かれていた。
モハスタン博物館
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博物館の建物までの通路にも発掘された遺物が置かれていた。
写真の彫刻が残る石門は説明文によると18世紀のシェルプルの物らしい。
シェルプルはモハスタン北東の町でインド国境に近い。
モハスタン博物館
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現在、モハスタン仏教都市遺跡と認定されている範囲は南北2k、東西1.2kほどの長方形で、南東は幹線道路によって削られた形をしている。
その広大なエリア全体が保護されている訳では無い。
エリア内には人が住み、田畑などの農園が造られている。
特にエリアの南方は集落があり、村ができている。
モハスタン博物館
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近くにもいくつか別の遺跡が見つかっており、例えばモハスタン南端の城壁から南へ1kほどのゴクルの村にゴクル・メッド遺跡がある。
この遺跡には、ラクシュミンダラ・ベフラ寺院跡の遺構が辛うじて残っている。
モハスタン博物館
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博物館の庭園で見かけた女の子。
博物館の展示物は、古くは紀元前6世紀ごろ十六大国時代の石器から、マウリヤ朝・グプタ朝・パーラ朝時代の仏像などの仏教美術の数々、セーナ朝時代のテラコッタなどのヒンドゥー美術などを展示公開している。
モハスタン博物館
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現在のモハスタン遺跡、ゴビンタ・ビータ寺院跡は城壁と基壇などの遺構が残るだけ。
今も発掘が続いているらしいが、のどかな農村風景に飲み込まれている。
モハスタン博物館
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小綺麗に手入れしている博物館の庭園。
野外に置かれているオブジェの様な出土品。
レプリカかな。
モハスタン博物館
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博物館の入り口。
入り口前には石仏が置かれていた。
博物館の庭園は野外展示場にもなっている。
モハスタン
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モハスタン博物館の出入り口前、子牛を連れた地元の人。
モハスタンの草地で牛に食事をさせた帰りだろう。
モハスタン
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三輪リキシャの荷台一杯に野菜を積んで運んでいた。
何を載せているのかと思えば収穫したキャベツだった。
モハスタン
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ゴビンタ・ビータ寺院付近は少し小高い丘になっていて、道は坂になっている。
丁度、博物館の出入り口前が頂上の様で、そこに至るまではみんな重そうにリキシャを押していた。