バングラデシュ人民共和国(パハルプール)
パハルプール
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ここは仏教寺院遺跡群、パハルプール。
その寺院遺跡入り口の集落の風景。
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パハルプールの遺跡が見えてきました。
パハルプールは直線距離でモハスタンから西へ40k、ボグラからだと北西へ45kの所にある。
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パハルプール遺跡の東側にある入り口ゲート付近。
地元の子供たちが集まってきました。
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入り口ゲートから入り、西側、遺跡の中央に建つソマプーラ・ビハーラ。
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ソマプーラ・ヴィハーラの全景。
草地となっている寺院の広い境内は、雨季になり雨がたくさん降った後は池の様になりり、寺院が池の上に浮いているように見えるとのこと。
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古代インドでは紀元前6世紀ごろ、十六大国と呼ばれる小国が互いに覇権を争っていった。
インド十六大国の一つ、アンガ国がベンガル地方を支配下に置く。
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その後マガダ国シャイシュナーガ朝やその後のナンダ朝の支配下を経て紀元前4世紀、マウリヤ朝支配へと移る。
マウリヤ朝はナンダ朝を滅ぼした初代皇帝チャンドラグプタが興した王朝で、チャンドラグプタの孫のアショーカ王時代に最も栄え、インド亜大陸を支配した。
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8世紀頃、この辺りを含めベンガル地方から東インド一帯は仏教王国パーラ王朝の支配下となる。
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この地を治めていたパーラ朝の歴代の王は仏教を手厚く保護し、この地は仏教の全盛期となり、仏教文化が花開いた。
この事は7世紀にモハスタンを訪れた玄奘三蔵が大唐西域記に残している事からも窺い知る事ができる。
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仏塔、ストゥーパの基壇。
仏教発祥の地インドでは既に仏教は衰退し、ヒンドゥー教が主流となっていた。
ベンガル地方へもヒンドゥー教の侵入が始まっていた。
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正確に四角い区画が随分と続いている。
ここは僧坊跡。
修行僧が寝食する生活の場所だった。
ソマプーラ・ビハーラを囲むように一辺300mの四角形に、170余りの僧坊が配置されており、当時1000人もの僧が修業していた。
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パーラ王朝第2代王ダルマパーラは9世紀に掛けて、ヒンドゥー教から仏教を保護する目的でたくさんの仏教寺院を建立した。
パハルプールはその寺院の一つで、パーラ朝仏教美術の代表的な仏教寺院遺跡。
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遺跡の草地で草刈りをしていた親子。
飼っているヤギたちの食事用かな。
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ソマプーラ・ビハーラ。
ビハーラとは出家し修行する僧達が修業する寺院の事で、精舎とも言う。
つまりはソマプーラ寺院の事。
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ソマプーラ・ビハーラの伽藍(がらん)に近づく。
伽藍とは僧が修行する静寂な場所の事。
中央伽藍は3層になった基壇が残り、今は崩れ去って無いが、かつてはこの上にストゥーパ、大仏塔が建っていた。
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ソマプーラ・ビハーラの伽藍。
ベンガルでは良質の石は産出されない。
そのためほとんどがレンガ造り。
下部に装飾としてテラコッタが残る。
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テラコッタの残る伽藍の風景。
テラコッタとは粘土をこね、乾かない間に色々なモチーフに成形し、天日干しにした後、素焼きにした塑像彫刻の事。
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ソマプーラ・ビハーラに残るテラコッタは2000枚にも及ぶ。
ブッダやヒンドゥーの神、動物や人々などを描いている。
躍動感のあるしなやかな曲線で、踊っている姿を描いたものも多い。
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北面のテラコッタの中には湿っていてカビの生えたものもある。
雨が多いこの地では、テラコッタを始め、遺跡の建造物は風化が激しい。
崩壊の危機にさらされているが、遺跡の保護はまだまだ不十分。
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ソマプーラ・ビハーラの上に上ってきました。
中心にあるのがレンガを積み上げて造った大祠堂。
今は無いが、穴の空いている所には仏像が安置されていた。
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ソマプーラ・ビハーラの伽藍の中には数多くの部屋があったが、レンガ積みの遺構はもろくなっており、崩壊を防ぐために部屋は土で埋められ、入る事は出来ない。
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11世紀末、パーラ王朝を破り、この地を治めたセーナ朝により仏教は否定され、ヒンドゥー教国家となる。
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13世紀、セーナ朝を滅ぼしたイスラム教ゴール朝の侵攻にあい、パハルプールは破壊された。
仏教の聖地だったパハルプールは、仏教寺院としての役割は終わり、破棄された。
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観光に来ていたバングラデシュの人たち。
女性が着る民族衣装のサリーは、草とレンガの単調な色彩の遺跡の中で、一輪の花の様に華やいでいる。
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北側の正門。
観光客が出入りするゲートは東側なので、一般には通行しない。
通路を挟み、左右対称の建造物が対になっている。
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カメラを向けると手を振ってくれたバングラデシュの女性。
とってもチャーミングな方でした。
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洪水がもたらす土砂に埋もれ、小高い丘の様になり、人々からも忘れ去られ、この地をパハル:山、プール:中心、と呼ばれるだけの地となった。
20世紀中頃、本格的な発掘調査が始まり、外周を囲っていただろう城壁は失われていたが、ソマプーラ・ビハーラの伽藍や周囲の僧坊跡、建物の基壇の遺構が地上に現れた。
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ソマプーラ・ビハーラを背景に筆者近影。
ソマプーラ・ビハーラは中央に仏塔を配し、北を正門として東西南北の四方に開かれ、それぞれに仏像を安置し祀った、十字型四面堂形式の仏教寺院で、十字は100mもある。
この四面堂形式は後に東へと伝わり、ミャンマーのパガンやカンボジアのアンコール、インドネシアのボロブドゥールなどにも文化的な影響を与えた。
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出口近くで見かけたバングラデシュの家族。
パハルプールは、パハルプールの仏教寺院遺跡群としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
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白い建物はパハルプール博物館。
ソマプーラ・ビハーラの東側、入り口方向に建つ。
出土したテラコッタや仏像など、パーラ王朝仏教美術の数々を展示する。
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パハルプール博物館の南側に残るサティヤピル・ビタ仏教寺院跡。
ソマプーラ・ビハーラの大祠堂から東に300mほどにある小規模な遺跡。
サティヤピル・ビタはソマプーラ・ビハーラよりも後の時代に建立された。
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パハルプール、ソマプーラ・ビハーラの観光はおしまい。
入り口東側に続くお土産屋の風景。
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ここは写真立て、フォトフレームのお店。
バングラデシュは今ではイスラム教の国なので、写真などを飾る事は偶像崇拝禁止のはずだが。