バングラデシュ人民共和国(プティア)
プティア
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ここはプティア。
ボグラから南西へ行くと、インドとの国境近くに、ラジシャヒと言う国内でも四番目の都市がある。
そこへの途中、小さな村プティアがある。
プティア
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プティアの村はボグラから南西へ80kほどにある。
幹線道路からプティアの村まで道は南へ延びている。
村の入り口、北側の池のほとりに建つヒンドゥー寺院。
プティア
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小さい村だが、ここには王宮跡や大小数多くのヒンドゥー寺院が残っていて、観光地として見所が多い村だ。
右はシヴァ寺院、左の小さい寺院はロッド寺院。
シヴァ寺院
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シヴァ寺院に着きました。
19世紀に建立されたヒンドゥー教寺院。
200年も経つとは思えない。
シヴァ寺院
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レンガ造りの上に白い漆喰を塗っている。
多くの寺院がレンガの赤茶色だが、少し変わったヒンドゥー教寺院だ。
シヴァ寺院
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基壇はかなり高く、その上に本堂が建っている。
塔の部分は中央に高い塔と4隅に低い塔を配した5つの尖塔、パンチャ・ラトナ様式と呼ばれる様式。
シヴァ寺院
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本堂を囲む回廊の風景。
支える柱の間はアーチ状になっている。
アーチの上部は細かい彫刻が施されている。
シヴァ寺院
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左の壁にはレリーフが剥ぎ取られた跡が残っている。
イスラムに侵略された際に、偶像崇拝を嫌うイスラム教徒に剥がされた跡だ。
シヴァ寺院
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シヴァ寺院から、入って来た北側の風景。
プティアの村は周囲を池や堀に囲まれた、いわゆる環濠集落になっている。
ロッド寺院
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シヴァ寺院の直ぐ東に建つヒンドゥー教寺院のロッド寺院。
8角形の寺院で塔は1つ。
ロッド寺院
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大きくはない寺院だ。
ヒンドゥー教で最高神の一つヴィシュヌ神の化身、ジャガーノートを祀る。
プティア
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シヴァ寺院近くにいたプティアの子供達。
プティア
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池のほとりで遊んでいた子供達。
水草を使って、何かしていた。
シヴァ寺院
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プティアは外堀以外に中央に大きな池がある。
今に残る建造物群の内、池の西側と外堀の間を西群、池の東側と外堀の間を東群と呼んでいる。
中央池西側からのシヴァ寺院風景。
プティア
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シヴァ寺院を後に、中央の池の西側を南へ歩く。
写真は池の対岸、東群に残る建造物の一つ、ドルモンチョ。
後ほど訪れます。
プティア
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これも池の対岸、東群に残る建造物の一つ、王宮跡ラズバリ。
後ほど訪れます。
プティアは池と堀に囲まれた小さな村。
ゴパーラ寺院
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西群の寺院群へやって来ました。
これはゴパーラ寺院。
寺院群の北側に建つ、四角が基調の寺院。
小ゴビンダ寺院
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西群に残るヒンドゥー教寺院の一つ、小ゴビンダ寺院。
ゴパーラ寺院の西隣りに建つ。
東群にもゴビンダ寺院の名の寺院がある事から、小ゴビンダ寺院と呼ばれる。
小ゴビンダ寺院
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小ゴビンダ寺院。
このとんがり屋根のアンブレラ屋根と四隅が垂れた形が印象的なかわいい寺院。
この形をまねた住居をイギリス人がベンガル地方に適応する様に設計した事から、山小屋バンガローの語源となった。
小ゴビンダ寺院
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小ゴビンダ寺院と左隣は大アニク寺院。
小ゴビンダ寺院の正面にはテラコッタの装飾が残るが、側面は白色の漆喰で塗られている。
これはテラコッタが壊された後、修復した跡。
大アニク寺院
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小ゴビンダ寺院の左隣に建つ大アニク寺院。
3つの建物が並び、屋根がつながったレンガ色の寺院。
東群にあるアニク寺院と区別するため、こちらを大アニク寺院としている。
大アニク寺院
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丸みを持つ3つの屋根、ベンガル風の曲面屋根が独特。
雨の多いこの地にて、サイクロンなどの豪雨の雨水を流れやすくする工夫。
大アニク寺院
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テラコッタ装飾などベンガル建築の妙が詰まった寺院群。
だが、側面の壁はここも白色の漆喰で修復されている。
プティア
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寺院群の近くにいたプティアの子供達。
プティア
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大アニク寺院を背景に筆者近影。
ゴパーラ寺院、小ゴビンダ寺院、大アニク寺院は同じ敷地内に建ってる。
プティア
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西群の寺院群の南側に残る建造物群。
元は何か判らない、廃墟と化した建物。
シヴァ寺院
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西群の寺院群を後にして中央池の南を通り、東群へ。
池の南側から見た、池に映るシヴァ寺院の遠望。
シヴァ寺院
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プティアのヒンドゥー教寺院群は中央の池の周りを囲む様に建っている。
水面に映る逆さ寺院とも相まって、とても美しい風景を生み出している。
西群の寺院群
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池の東側から見た、ゴパーラ寺院、小ゴビンダ寺院の風景。
小アニク寺院
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東群の寺院群へ来ました。
ここはプティアのヒンドゥー寺院群の中でも奥ばった所にある寺院、小アニク寺院。
小アニク寺院
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丸みを持ったベンガル風曲面屋根。
大アニク寺院の両端を無くした形なので小アニク寺院なのかな。
小アニク寺院
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寺院の裏手に回ってみた。
所々のテラコッタ装飾は剝がれてはいるが、漆喰で修復していた他の寺院と比べ、きれいに残っている。
小アニク寺院
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小ぢんまりとした小さい寺院だがテラコッタのレリーフが美しい。
ヒンズー教の神々がモチーフ。
子供達
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先ほど、シヴァ寺院近くで出会った子供達が小アニク寺院まで来ていた。
廃墟跡
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小アニク寺院の東側、外堀に沿って建物の壁らしき建造物の一部が残っている。
この辺りにラジバリという、この地を治めていた領主の館の建物があった。
沐浴場
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小アニク寺院の東側に残っている、レンガ積みの沐浴場跡。
領主の人たちの沐浴場だった。
当時はレンガの壁に囲まれていて、外から見られない様になっていた。
沐浴場
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沐浴場跡だが、地元の人たちにとっては現役の沐浴場だ。
ただ、沐浴場と言うより、外堀の水はプティアの人々の生活用水、洗濯場やお風呂場になっている。
沐浴場
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沐浴場に来ていたきれいなお姉さん。
手にシャンプーかボディーソープらしき物を持っていたので、これから水浴びをするのだろう。
あまり、カメラを向けていると失礼なので退散しました。
沐浴場
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沐浴場のレンガ積みの外壁。
部分的に崩れてはいるが、19世紀ごろの建造物だとの事で、200年近くも経っている。
沐浴場
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沐浴場から北にある大ゴビンダ寺院へ向かいます。
東の外堀から振り返って沐浴場の風景。
大ゴビンダ寺院
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プティアに残るヒンドゥー寺院群の中でも、目玉とも言えるのが、小アニク寺院の北側に残る大ゴビンダ寺院。
大ゴビンダ寺院
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ゴビンダ寺院なのだが、西群の小ゴビンダ寺院に対して大ゴビンダ寺院と呼ばれる。
シヴァ寺院と同じく、5つの尖塔を持つパンチャ・ラトナ様式のヒンドゥー寺院。
大ゴビンダ寺院
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同じ敷地内には西側に領主の館ラジバリがあり、領主一族の寺院として建てられた。
これは領主は、なかなか外出が困難だったため専用の寺院を造ったと事。
大ゴビンダ寺院
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柱や塔には細かなテラコッタ装飾が残っている。
とても綺麗で、細工も細かい。
大ゴビンダ寺院
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大ゴビンダ寺院は、小ゴビンダ寺院同様にヒンドゥー教の神で広く信仰されている最高神の一つ、クリシュナ神を祀る。
ゴビンダとはクリシュナ神の異名でヴィシュヌ神の化身。
廃墟跡
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大ゴビンダ寺院の周囲に残る廃墟跡。
ムガール帝国は18世紀にはインドやベンガル地方など広く支配下に置いていた。
プティアの村はベンガル地方を任されていた代官、ベンガル太守が領主となった。
廃墟跡
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大ゴビンダ寺院の周囲に残る廃墟跡。
1858年、ムガール帝国は滅亡し、イギリス支配下の英領インドとなるが、ベンガル太守は存続しベンガル地方はその後もベンガル太守の治める地だった。
廃墟跡
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大ゴビンダ寺院の北側に残る廃墟跡。
随分と朽ち果てた建物だが、これらもラジバリ、領主の館の一部だったのだろう。
ラジバリ
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大ゴビンダ寺院の西側に残るラジバリ、領主の館。
ベンガル太守から任命された地方長官が住んでいた。
プティアのヒンドゥー寺院群もこの時代に建てられた。
ラジバリ
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バングラデシュは北東のインド国境と南東のミャンマー国境にわずかに山があるが、ほとんどの国土には山が無い。
これはブラマプトラ川とガンジス川が合流し、広大な三角洲、デルタ地帯を造っているから。
山が無いため、基本的に石材を産出しないので、建築材料はレンガが主。
ラジバリ
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ラジバリの東側、側面の風景。
多くのヒンズー建造物が破壊されているが、これはパキスタンとの独立戦争時に、反独立派だったイスラム組織によるもの。
ラジバリ
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ラジバリ周辺で見かけたプティアの子供たち。
ラジバリは学校として使われていた事もある。
部屋数は16室あるらしい。
ラジバリ
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ブラマプトラ川やガンジス川から流れて来て、堆積した土壌は鉄分を多く含む。
雨量が多いため鉄分は酸化し、ラテライト、紅土となる。
その色が赤茶色である。
ラジバリ
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ラジバリの西側、側面の風景。
日本語の色を表すレンガ色は、またの名を弁柄(べんがら)色と呼ぶが、これは良質のラテライトがベンガル地方で採掘された事による。
ラジバリ
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ラジバリの北側には芝生の広場があり、そこからのラジバリ正面の風景。
こうして見ると、中々立派な建物だ。
当時の領主は財力もあったのだろう。
広場
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ラジバリ北側広場の風景。
地元の人達の憩いの場となっている。
この日もむさ苦しい野郎達が、何をするでも無く集まっていた。
ドルモンチョ
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ラジバリ前広場の北側に建つ白いヒンズー教寺院跡ドルモンチョ。
ピラミッド状に積み重なった寺院でクリシュナ神を祀る。
現在は寺院としては使用していない。
マーケット
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ドルモンチョ周辺、北側にはマーケットができていて、小さな店屋が集まっていた。
ここは素焼きの土器、皿やツボを置いていた。
ラロンシャ橋
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プティアの観光はおしまい。
これから南下し、世界遺産のバゲルハットのモスク都市へ向かいます。
写真は途中に渡ったガンジス川(ポッダ川)掛かるラロンシャ橋からの風景。
ラロンシャ橋
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ラロンシャ橋はプティアから南東へ40kほどにある。
日本の政府開発援助ODAで2004年に建設された。
通行料が必要な有料の橋で、並んで鉄道橋も架けられている。