カンボジア王国(アンコール遺跡群)
タ・ケウ
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ここではアンコール・トム、アンコール・ワット以外のクメール王朝遺跡、アンコール遺跡群を訪れる。まずはタ・ケウ。
アンコール・トムの東門、勝利の門を出て東へ1Kほどにある。ピラミッド型をしているヒンドゥー寺院だが未完成のまま。
タ・プローム
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タ・ケウから南へ1Kほどにあるのがタ・プローム。
西にある西塔門をくぐり、入ってきた方向の風景。
タ・プローム
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タ・プロームは東西に1k、南北に0.6kと、とても広い。
西塔門から巨大なガジュマルが生い茂る密林のなか、東へと参道は延びる。
タ・プローム
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境内は3重の回廊で囲まれている。
これは2つ目の回廊の門、西門。
当時はかなり崩れていた。
タ・プローム
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さらに西へ。
3つ目の回廊の塔門。
タ・プローム
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タ・プロームはガジュマルの木に激しく浸食されている遺跡の一つ。
タ・プローム
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タ・プロームで有名な風景の一つ。
巨大なガジュマルの根が遺跡を飲み込んでいる様な姿。
タ・プローム
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タ・プロームはクメール王朝の国王、ジャヤーヴァルマン7世によって12世紀に建立された仏教寺院。
建立はジャヤーヴァルマン7世の母を弔うためとされる。
タ・プローム
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ガジュマルの根に絞めつけられている遺跡。
ガジュマルの種は鳥などによって運ばれ、他の木や岩の上などで発芽する。
成長するにつれて気根を下に伸ばす。
タ・プロームは後の治世の時代にヒンドゥー教寺院に変わっていった。
タ・プローム
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巨木の根によって押しつぶされている遺跡。
ガジュマルの若木が他の木に根付いた場合、その木を包み込みやがて枯れさせる。
このため、絞め殺しの木とも呼ばれる。
タ・プローム
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第三回廊の東側の建物。
巨大な樹木に呑み込まれる様に今に残るタ・プローム遺跡。
これを見ると崩壊の危機にさらされていると言う実感が確かにする。
タ・プローム
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一部の木々はあえて取り払わず、発見された当時のまま残されている。
これは保存活動をしないと遺産は無に帰する、と言う見本としている。
タ・プローム
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この朽ちた遺跡の魅力は成長の早い巨木群に覆われ、ジャングルの密林の中に埋もれて行く風景だ。
タ・プローム
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外には客待ちしているシクロやトゥクトゥクが並び、民芸品を並べる露店の店が続く。
タ・プローム
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「私のお土産、買ってくれないかなぁ。」大人達と一緒に民芸品を売り歩く女の子。
プレループ
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次はタ・プロームから東へ3kほどに残るプレループ。
最上部には中央祠堂が建つ。
手前下には石槽があり、死者をそこで火葬にした。
プレループ
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中央祠堂の風景。
プレループはほぼ正方形の基壇が三層に重なっており、四方に塔門を持つ。
プレ(変化)、ループ(体)の意味で、前述の火葬の地だった事から名付けられたヒンドゥー教寺院。
プレループ
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中央祠堂辺りからの風景。
プレループが残る周辺はジャングルから抜けていて平原が広がる。
小高い中央祠堂からは周辺の景色が良く見える。
東メボン
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プレループから真北へ行くと1kほどに東メボンがある。
真ん中に建つ中央祠堂への階段の風景。
東メボン
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東メボンの基壇は正方形で、3段に重ねられている。
それぞれの基壇には一周する壁が建てられている。
東メボン
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最上階の基壇の四隅に小塔が建ち、中央に中央祠堂が建つ。
大きさ、形などはほとんど前述のプレループとそっくり。
東メボン
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中央祠堂からの風景。
東メボンはヒンドゥー教の創造と破壊の神、シヴァに捧げるヒンドゥー寺院として10世紀に建立された。
東メボン
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四隅に建つ小塔の一つ。
東メボンの建つ地は、現在は干上がっているが、かつて東バライと言う貯水池があり、その中心にあった人工の島に建っている。
東バライは東西7k、南北2kもの人口の池。
東メボン
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東バライに対して西バライが残る。
西バライはアンコール・トムをはさみ、アンコール・トムの西側にある。
西バライは現在でも水を湛えているが、乾季には東側半分ほどが底を見せる。
東メボン
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西バライの中央にも人工島があり、西メボンと言うヒンドゥー寺院遺跡があるが、一部の小塔を除き大部分は失われている。
東バライ、西バライ共に灌漑用水用のため池とされている。しかし、両方共に中央に島を造り、ヒンドゥー寺院を建立している事から、宗教的な役割も併せ持つと考えられている。
東メボン
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基壇の角に建つゾウの立像。
高さは2mほどもある。
東メボン
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遺跡で楽器を演奏していた人達。
東メボン
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遺跡近くで民芸品を売る地元の人達。
ニャック・ポアン
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次は東メボンから北西へ3kほどにあるニャック・ポアン。
遺跡入り口の看板。
ニャック・ポアン
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ニャック・ポアンは後述するプリヤ・カーンの付帯施設の人口貯水池、バライの中心に造られた人工島。
プリヤ・カーンのバライは東西3.5k、南北1kほどの大きさ。
ニャック・ポアン
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ニャック・ポアンの人工島は300m四方の島で、中央に四角い池が造られている。
その池に更に島を造り、中央に円形に多段の基壇を重ね、塔の様な中央祠堂が建つ。
ニャック・ポアン
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池の四方、東西南北には四角形の池があり、その間を石造りの祠が建てられている。
祠の中には中央池から四方の池へと水を流す樋が設置されている。
ニャック・ポアン
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北側の祠の中の樋。
象の顔に作られており、口の部分から水が出る。
四方の祠で他では、東は人、南は獅子、西は馬の顔になっている。
ニャック・ポアン
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この石像はヴァラーハと言い、観音様が馬に化身した像。
中央祠堂の東側、池の中に中央祠堂を向いて建つ。
腹にしがみついているのは人食いの魔物ラークシャシーから逃げる人。
ニャック・ポアン
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筆者が訪れた時は四方の池の中で、北側の池だけが水が抜かれていて(写真30)、池の底から北側の祠の中を見る事ができた。
プリヤ・カーン
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ニャック・ポアンの2.5k西に位置するプリヤ・カーン。
東西900m、南北700mの長方形の堀で囲まれている。
北側の堀に架かる橋を渡ると直ぐの所に北塔門がある。
プリヤ・カーン
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北塔門から南へしばらく行くと、内側の門と回廊がある。
プリヤ・カーンはアンコール・トムの環濠の北東の北側、1.5kの所にある。
プリヤ・カーン
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壁の上や崩れて地面に置かれた遺物など、境内の至る所にレリーフが残る。
プリヤ・カーン
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中央祠堂へと続く参道。
中央祠堂には釣鐘の形をした小型の仏塔、ストゥーパが残る。
プリヤ・カーン
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中央祠堂周辺はいくつもの回廊でつながっている。
プリヤ・カーン
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中央祠堂を抜けて東側へ
タ・プローム以外にもプリヤ・カーンでも多くの遺構がガジュマルの巨木に浸食されていた。
プリヤ・カーン
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ここは踊り子のテラス。
東側の塔門を抜けた先にある。
古代インド神話に登場する天女、アプサラスが併せて13人踊っている美しいレリーフが、保存状態の良い形で残っている。
プリヤ・カーン
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踊り子のテラスの北側、広い中庭に出る。
プリヤ・カーンの残るこの地にはかつてクメール王朝の国王、ヤショヴァルマン2世の王宮があった。
プリヤ・カーン
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その後、王宮はチャンパ王国に支配される。
タ・プロームを建立したジャヤーヴァルマン7世はチャンパ王国との戦いに勝利し、この地を奪還する。
プリヤ・カーン
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プリヤ・カーンとは聖なる剣の意味で、境内の武器庫で見つかった金の聖剣から来ている。
プリヤ・カーン
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プリヤ・カーンの遺構の中でも有名な建造物が円柱の経蔵と呼ばれる遺構。
天井や壁は失われているが、二階建てで柱が円柱と言う、クメール文化のアンコール遺跡の中では他に例が無いほど、とても珍しい建築様式だ。
プリヤ・カーン
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円柱の経蔵の前から西側、中庭の風景。
プリヤ・カーンは仏教とヒンドゥー教の複合寺院。
バケン山
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夕刻が近くなりました。
ここはバケン山。
ここからの夕景がとても綺麗だとの事で出かけました。
バケン山
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バケン山からアンコール・ワットの全景を見る事ができる。
バケン山はアンコール・トム南大門から南西へ0.5kほどにある80m程度の小高い丘。
バケン山
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バケン山から夕日に照らされるアンコール・ワットの遠望。
バケン山の山頂にはプノン・バケン寺院が残る。
バケン山
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バケン山から遺跡が点在するアンコールの平原の風景。
他にも西バライの貯水池や遠くトンレサップ湖までも見る事ができる。
バケン山
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雲の下から夕日が顔を出しました。
夕日やアンコール・ワット全景を見るにはとても良いビューポイントとなっていて観光客もたくさん訪れる。
バケン山
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沈みゆく夕日。
バケン山には観光用の象に乗って登る事もでき、登り口には数頭の象がカゴを背負って客待ちをしていました。
プノン・バケン寺院
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プノン・バケン寺院は基壇が5段に積み重なったピラミッドの様なヒンドゥー寺院。
これらアンコール遺跡群はアンコール・トムやアンコール・ワットなどと共にユネスコ世界文化遺産に登録されている。