中華人民共和国(瀋陽市内)
瀋陽
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遼寧省瀋陽の旅は瀋陽空港から。
瀋陽空港着陸時の瀋陽の街の風景。
筆者が訪れたのは12月。
一面の雪景色だった。
瀋陽空港
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瀋陽空港に着陸。
飛行機の窓からの空港ターミナル・ビルの風景。
正式には瀋陽桃仙国際空港と呼ばれ、旧満州の中国東北部でも中心となる、大きな空港。
瀋陽空港
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入国手続きを終え、市内へ出る頃にはすっかり日が落ちていた。
現在は街までトラムが延びていて、地下鉄も乗り入れる予定。
瀋陽の夜景
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車の車窓から瀋陽の街の夜景。
ビルや街路樹がライトアップされていて、とても綺麗な街並みだ。
瀋陽北駅
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瀋陽北駅の夜景。
瀋陽には瀋陽駅、瀋陽北駅、瀋陽南駅が代表的なターミナル駅としてある。
瀋陽空港に最も近いのは瀋陽南駅で、北駅は最も遠い。
瀋陽北駅
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最初に駅ができたのは1911年だが、現在はモダンなビルが建つ。
瀋陽北駅は瀋陽の駅の中でも最も列車の発着本数の多い、大きい駅。
屋台通り
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まず、少し市内を散策。
ここは色々な屋台が店を出している通り。
瀋陽は清王朝時代には盛京、満州国時代には奉天と呼ばれた。
彩電塔夜市
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夕刻から通りに屋台を出して営業する形態を夜市と呼ぶ。
瀋陽の夜市はいくつもの通りで屋台街を作る。
ここの夜市はその中の彩電塔夜市。
彩電塔夜市
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串焼きなどの食べ物や衣類、財布などの小物の屋台が連なる。
それにしても12月の瀋陽の、しかも夜となると気温は氷点下。
夜市で耳あての付いた帽子を旅仲間は買っていた。
遼寧広播電視塔
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夜市の通りの突き当りにそびえる塔は遼寧広播電視塔。
テレビ塔で、上部には観光用の展望台が備えられ、市内と一望できる。
このテレビ塔を彩電塔とも呼び、ここの夜市、彩電塔夜市の名の興りとなっている。
サンザシ飴
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この屋台ではイチゴ飴などのフルーツ飴を売っていた。
赤いサクランボの様な果物は何だろうと思っているとガイドさんから、これはサンザシ飴だ、と教えてもらった。
中国のお菓子の一つに糖葫芦、タンフールと呼ばれる果物に飴を絡めて竹串で刺した、伝統的なお菓子がある。
旧満州地方では特に果物に山査子、サンザシの実を使うサンザシ飴が人気だとの事。
サンザシ飴
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サンザシとは中国原産で、実を付ける果樹の事。
古くから漢方薬に使われて来た。
黄色の実もサンザシで、キミノサンザシと呼ばれるサンザシの一種。
サンザシ飴などの糖葫芦、タンフールは寒くならないと露店では売らない、冬の風物詩と言えるお菓子。
中山広場
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この巨大な毛沢東の像が建つ広場は瀋陽中山広場。
遼寧広播電視塔、彩電塔より2.5kほど北西にある広場で、満州時代には奉天大広場と呼ばれていた。
広場の外周道路に面して瀋陽中山広場建築群と呼ばれる、満州時代に建てられた建物が数多く残る。
旧奉天警察署
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瀋陽中山広場建築群の一つ、旧奉天警察署の建物。
レンガ造りのどっしりとした建物で、現在は瀋陽市公安局が入っている。
旧奉天ヤマトホテル
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瀋陽中山広場建築群の一つ、旧奉天ヤマトホテル。
かつて満洲鉄道が経営していたホテルチェーンの一つ。
瀋陽中山広場建築群には他に旧横浜正金銀行や旧奉天三井、旧朝鮮銀行、旧東洋拓殖銀行などが残り、これらの建物の設計・建築は日本人によるもの。
旧奉天ヤマトホテル
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これから旧奉天ヤマトホテルの中へ入ります。
現在、旧奉天ヤマトホテルは客室を改装し、遼寧賓館と言うホテルとして営業されており、今では中国を代表するクラシック・ホテルの一つとなっている。
旧奉天ヤマトホテル
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リャオニン・ホテル、遼寧賓館。
回転トビラから中へ入った、エントランス・ロビーの風景。
中二階のクラシックなバルコニー席を見ると、なにかノスタルジーに包まれる。
旧奉天ヤマトホテル
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かつて満洲鉄道が走っていた頃、瀋陽駅は奉天駅と呼ばれていた。
この奉天駅に満洲鉄道のホテル、ヤマトホテルが併設されていた。
ただ部屋数は少なかったため、手狭になって来て奉天大広場に面する一等地に新築したのが旧奉天ヤマトホテル。
旧奉天ヤマトホテル
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遼寧賓館の館内には旧奉天ヤマトホテル時代の調度品が展示されている。
戦後も毛沢東や鄧小平などの指導者達が滞在した。
旧奉天ヤマトホテル
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餐廳とある。
餐廳とはレストランの事。
とてもクラシックな装いだ。
旧奉天ヤマトホテル
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餐廳の中へ入ります。
レトロな内装。
ここも現役で、今も使われている。
旧奉天ヤマトホテル
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ここはホール。
遼寧賓館となった現在でも、ホールでの宴会や会食、結婚式での披露宴などに利用されている。
朝の瀋陽北駅
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筆者の宿泊したホテルは瀋陽北駅の直ぐ前だった。
部屋の窓からの瀋陽北駅の風景。
ちなみに、瀋陽観光の後は長春へ行くのですが、この時利用した駅は瀋陽駅で、瀋陽北駅は利用しなかった。
撫近門
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車窓の風景で、この門は撫近門。
清王朝初代皇帝ヌルハチが盛京を都と定め、宮殿として沈阳故宮を建設した。
その際、沈阳故宮を囲む様に盛京の街の中に城壁を建設し、多くの見張りの塔や城門を設置した。
今の瀋陽には当時の城壁は残っておらず、城門も東の撫近門と西の懐遠門の2つだけが残っている。
八卦街
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沈阳故宮から西へ、大きな通り十一緯路を走っていると、一角に八卦街と書かれたゲートを持つ通りが見えた。
100年以上も前に造られた市場で、入り口のゲートや店舗の建物などアンティークな建造物が残るエリア。
だが近年、再開発が進み、古い建物は消えつつある。
瀋陽中山広場
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再び瀋陽中山広場に来ました。
前は夜で、夜景がきれいだったが、昼間の風景も楽しむ事に。
広大な円形の広場で、中央に毛沢東の巨大像が建つ。
公園の周りはローターの道路になっており、その外側に瀋陽中山広場建築群が建つ。
旧奉天ヤマトホテル
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瀋陽中山広場建築群の一つ、夜間に中の見学もした旧奉天ヤマトホテル、現ホテル遼寧賓館。
広場の西側に建つ。
外壁の白色のタイル張りが美しい。
旧奉天警察署
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瀋陽中山広場建築群の一つ、旧奉天警察署の建物で1925年に建てられた。
現在も建物は使われており、瀋陽市公安局が入っている。
広場の北西側に建つ。
旧横浜正金銀行奉天支店
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瀋陽中山広場建築群の一つ、旧奉天ヤマトホテルと旧奉天警察署の間に建つ
横浜正金銀行とは、かつて日本に存在した外国為替などを扱う政府の金融機関で、1880年に設立された。
戦後、GHQによって解散させられた。
現在は工商銀行となっている。
瀋陽駅
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これで瀋陽の観光はおしまい。
これから吉林省、長春へ向かいます。
これは瀋陽駅、駅舎の風景。
瀋陽駅
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これからプラットホームへ向かいます。
入場自動改札機の風景。
瀋陽駅は満洲国時代、満州鉄道の重要な駅で、当時は奉天駅と呼ばれていた。
瀋陽駅
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大きな時刻表電光掲示板のある広々とした待合室。
瀋陽駅の駅舎は東京駅と外観が似ていると言う。
これは瀋陽駅を設計したのが、東京駅を設計した建築家の弟子によるため。
瀋陽駅
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瀋陽駅のプラットホームの風景。
筆者は中国版新幹線、高速鉄道を利用したが、瀋陽駅は高速鉄道のホームと並んで、在来線の長距離列車のホームもあった。
瀋陽駅
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高速鉄道の列車がホームへ入ってきました。
これから乗り込みます。
降りる人と乗り込む人でごった返しているプラットホームの風景。
瀋陽駅
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出発です。
ゆっくりとホームを離れる高速鉄道の列車。
車窓からの瀋陽駅の風景。
瀋陽駅
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車窓からの瀋陽駅周辺の風景。
瀋陽駅の前身、奉天駅はロシア帝国によるシベリア鉄道の延長を清王朝へ求め、瀋陽まで路線建設された際に建築された。
初代の奉天駅は今の瀋陽駅より1kほど南だった。
旅客数が増え、手狭になった奉天駅を、今の瀋陽駅の場所に新しく建設した。
瀋陽北駅
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瀋陽駅を出発して間も無く、瀋陽北駅を通過していきます。
瀋陽北駅は前述した様に筆者が宿泊したホテルのすぐ前にあり、移動には瀋陽北駅が便利だったはずだが、高速鉄道のダイヤによって瀋陽北駅を止まらない列車もあっての瀋陽駅利用だった。
火力発電所
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車窓からの沿線風景。
遼寧省から吉林省にかけて、大規模な火力発電所があった。
开原西站
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長春への途中停車駅の一つ、开原西站。
开原西站は開原西駅の事で、ハルビンまでの高速鉄道、哈大旅客専用線の専用駅。
切符
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筆者が乗車した、哈大旅客専用線の瀋陽駅から長春駅までの切符。
瀋陽を沈阳と表している。
古代中国の思想、風水では全ての事柄を陰陽(阴阳)の2つに分類できる、とされた。
そして陽(阳)は成長し豊かになる事を表し、河の北にある街を阳と名付けた。
瀋陽を流れる渾河の古称を沈河と呼んだため、地名が沈阳となった。