中華人民共和国(沈阳故宮)
沈阳故宮
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次は清王朝時代の王宮跡、沈阳故宮へまいります。
ここは故宮の南西角、正阳街と沈阳路が交わる辺りの風景。
沈阳故宮は瀋陽中山広場から東へ4kほどにある。
沈阳故宮
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故宮の南西角に建つ沈阳故宮の世界遺産の石碑。
沈阳故宮は北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群の一つとしてるユネスコ世界文化遺産に登録されている。
もう一つの北京の皇宮とは紫禁城の事。
沈阳路
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故宮の南側を東西に走る道、沈阳路の風景。
通りの西と東の入り口にそれぞれ牌坊が建つ。
遠く先に故宮の東の門、撫近門が見える。
武功坊と文徳坊
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沈阳路の東西入り口に建つ2つの牌坊、武功坊とその奥、東側の文徳坊の風景。
武功坊と文徳坊の間に入り口の門、大清門がある。
大清門
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牌坊、武功坊をくぐり東へ。
ここは大清門で、沈阳故宮の中への入り口。
大清門の東手にチケット売り場がある。
沈阳故宮博物院
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沈阳路を挟み、大清門の対面、南側に建つ沈阳故宮博物院。
清朝宮廷の遺物や、清王朝時代の資料などを展示する博物館。
看板等では瀋陽を異なった字体の沈阳や沈陽とも表現している。
大清門
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沈阳故宮、宮殿の正門、大清門の風景。
北京の紫禁城では午門と呼ばれる門。
大清門も清王朝時代は午門と呼ばれた。
武功坊と懐遠門
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大清門前から、今来た沈阳路西側の風景。
武功坊と、その奥に故宮の西の門、懐遠門が見える。
太廟正門
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大清門前から大清門の直ぐ東側、チケット売り場の裏手にある太廟正門の風景。
中には太廟正殿が建つ。
祖先の霊を祭る霊廟の事で、清王朝初期には前述の撫近門よりも外に置かれていたが、清の第六代皇帝、乾隆帝の時代に宮殿に移された。
東大門
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大清門が故宮の正門に対して東と西にそれぞれ門があり、こちらの門は東大門。
沈阳故宮を取り囲む門や城壁は全て朱色に塗られている。
大清門
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これから沈阳故宮の中に入ります。
大清門に掲げられている門の額、扁額に沈阳故宮と書かれている。
崇政殿
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大清門をくぐり、正面北側に建つのが崇政殿。
沈阳故宮は大まかに3つのエリアに分かれており、東から東院、中院、西院と呼ばれる。
大清門から北のエリアは中院。
日晷儀
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崇政殿前の東側に置かれている石のオブジェは日晷儀と呼ばれる日時計。
乾隆帝の時代に設置され、標準時間を決め、中央集権の維持を図った。
脇には防火用水を溜めた陶器の瓶が置かれている。
嘉量
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こちらは西側に置かれている嘉量。
石灯籠の様に見えるが、容積の標準を示す器。
度量衡を制度として定める事は、日晷儀で標準時間を決める事と同様に中央集権の維持には必要だった。
崇政殿
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崇政殿は清の初代皇帝ヌルハチの末期に建築が始まり、第二代皇帝ホンタイジが完成させた宮殿。
ホンタイジが政務を執り、海外の大使がホンタイジへ結婚などを報告する朝見の儀式などが執り行われた。
崇政殿
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崇政殿の中へ入りました。
ここは玉座。
皇帝が座る座具の事で、黄金色の衝立をバックに両柱の上には龍が舞う。
床より数段高い位置に置かれている。
東掖門と東所
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崇政殿から東側の東院へ向かいます。
右の門は中院と東院を隔てる東掖門。
反対側には西院への西掖門がある。
左の門は東所と呼ばれる館への門。
東院
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この広々としたエリアは東院。
東院の中央辺りから見た北側の風景。
沈阳故宮では最も古いエリアで、ヌルハチ時代に利用されたが、ホンタイジ時代には祭祀などの行事以外は使われなくなった。
東掖門
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中院から東院へと来た東掖門の風景。
右の建物は正紅旗亭、左は鑲紅旗亭。
東大門と奏楽亭
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東院の中央辺りから見た南側の風景。
逆光になってますが、中央の門は前述の東大門。
通常は閉まったままになっている。
東大門の左右、東西に建つトンガリ屋根の建物は奏楽亭。
大政殿
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東院の北側正面に建つ東院の正殿、大政殿。
東院はもとより沈阳故宮を代表する建造物。
八角形と言う珍しい建築様式は遊牧民の組み立て式テントのゲルやパオ、ユルトの形から来ているとの事。
大政殿
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ヌルハチが式典を行ったり、皇帝の即位式も行われた大政殿は八角殿とも呼ばれる。
大政殿の中には玉座が置かれ、入り口正面の柱には黄金色の昇り龍が絡み付いている。
はっきりとしたカラフルな色合いは最近修復工事がなされたため。
左翼王亭
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大政殿前の広場には左右に5棟ずつ、計10棟の建物が建つ。
これらを十王亭と呼び、大政殿から南側を見て東の左手を左翼、西の右手を右翼と呼ぶ。
この建物は左翼王亭。
左翼王とは左大臣に当たる役職で、左翼王亭は執務室。
右翼王亭
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こちらは左翼王亭の正面、西側の右翼に建つ右翼王亭。
右翼王は右大臣に相当する役職。
王亭の南側には十王亭の内、左右4棟ずつの旗亭が建ち、それら8棟を八旗亭と呼ぶ。
鑲黄旗亭
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左翼王亭の南隣に建つ八旗亭の一つ鑲黄旗亭。
八旗とは清王朝時代に組織された軍隊の事で、ヌルハチにより八旗制度として制定された。
メンバーは、中国東北部やロシア極東部出身の少数民族、満洲族で構成されていた。
正黄旗亭
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右翼王亭の南隣に建つ八旗亭の一つ正黄旗亭。
皇帝のヌルハチの愛新覚羅一族も満洲族で、明王朝時代には満洲族は支配者階級だった。
八旗は8本の異なる色の旗の下に、旗人と称する満洲民族をそれぞれ配置し、軍を統率、市民の安全を守り、国を治めた。
正白旗亭
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鑲黄旗亭の南隣、左翼に建つ正白旗亭。
ヌルハチが制定した初期は黄、白、紅、藍の4組だったが、ヌルハチによる清王朝の支配地域拡大と共に旗人は不足して来た。
そのため、更に4本の旗を追加し、八旗となった。
追加となった旗の色は元の黄白紅藍の旗に鑲(じょう)と呼ばれる縁取りを施した鑲黄、鑲白、鑲紅、鑲藍とした。
元の黄白紅藍の旗の色はそれぞれ正黄、正白、正紅、正藍と改められた。
正紅旗亭
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正黄旗亭の南隣、右翼に建つ正紅旗亭。
旗人達は有事の無い、平常時は農耕などに就き、主要地の警備に従事した。
旗人達は王朝から優遇され、旗地と呼ばれる農地が与えられたりした。
八旗それぞれに八旗の長、旗王として清朝の皇族が就いていた。
特に正黄旗、鑲黄旗、正白旗の3本の旗王は皇帝自らが就いており、この3本を上三旗と呼ばれた。
鑲白旗亭
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正白旗亭の南隣、左翼に建つ鑲白旗亭。
八旗亭は八旗の旗王の詰め所。
これら以外にも南側に鑲紅旗亭、正藍旗亭、鑲藍旗亭が建つ。
八旗は清王朝末期には弱体化し、解体された。
奏楽亭
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東院の最も南に建つのは、前述の奏楽亭。
東大門の左翼、右翼に対で建つ。
式典の際に楽師による楽器の演奏を行う館。
音色が広がる様に壁は無く、柱のみの建造物となっている。
中院
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東院からの中院の風景。
東院の観光を終え、大政殿脇から再び中院へ参ります。
後苑
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ここは中院の最北にある後苑。
後で行く清寧宮と城壁に遮られて陽は届かない。
植え込みに雪が残る後苑の風景。
後苑
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後苑から城壁の階段を上り、南にある清寧宮へと向かう。
城壁の階段からの城壁の風景。
後苑の南側のエリアを後宮と呼ぶ。
後苑
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城壁の上から、今来た後苑の風景。
後苑とは宮殿の倉庫や宮廷に暮らす皇族達の食事を作る台所などが集まった所。
後苑の通路の両脇には溶岩をオブジェの様に置かれていた。
清寧宮
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後宮エリアの北に建つ清寧宮。
清寧宮は皇帝ホンタイジと孝端文皇后皇后の寝室。
清寧宮
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清寧宮の中へ入りました。
ここ西側の部屋では神や祖先をまつる場所にされ、寝室は東側にある。
中央壁際に置かれているのは神龕と呼ばれる位牌や仏像を安置する厨子。
関雎宮
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清寧宮の南東側に建つ関雎宮。
ここは皇帝ホンタイジの側室、宸妃ハルジョルが、お世話をする宮女と共に暮らした館。
入り口の説明板には关雎宮とあった。
関雎宮
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関雎宮の中へ入ってみました。
天井から吊られているのは、ゆりかご。
宸妃は一子を授かったが直ぐに亡くし、自身も33歳で亡くなった。
麟趾宮
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西宮殿とも呼ばれる麟趾宮は皇帝ホンタイジの側室、貴妃ナムジョンが、お世話をする宮女と共に暮らした館。
後宮とは、側室を含む皇帝の家族が暮らすエリアの事。
衍慶宮
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皇帝ホンタイジの側室、淑妃バトマゾーが、お世話をする宮女と共に暮らした館。
写真右手前に立っている細長い棒は索倫竿。
皇帝の愛新覚羅一族を救ったとされるカラスを神鳥として祀るため、立てた木の竿。
鳳凰楼
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この立派な、堂々たる三層屋根を持つ楼閣は鳳凰楼。
後宮の南に建つ、後宮の正門。
鳳凰楼から左右に城壁が延び、後宮全体を取り囲んでいる。
沈阳故宮
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沈阳故宮のプレート。
故宮とは昔の宮殿の意味で、沈阳故宮は初代皇帝ヌルハチと第二代皇帝ホンタイジの宮殿。
清王朝時代には当時の地名、盛京から盛京故宮と呼ばれた。
都が北京へ遷都されてからは北京の故宮、紫禁城が宮殿となり、第十二代皇帝宣統帝、ラストエンペラー愛新覚羅溥儀まで住まわれた。
沈阳故宮は離宮としての役割を担った。
沈阳故宮