中華人民共和国(陝西省)
西安空港
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陝西省では西安を観光します。
ここは西安の玄関口、西安空港。
西安空港
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正式には西安咸陽国際空港。
国内では中国全土の主な都市、海外ではヨーロッパや北米、東南アジアではタイ、韓国、日本でも成田や関空に乗り入れている。
西安市内
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西安市内、車窓からの風景。
動画は古く、1991年当時の映像です。
大慈恩寺
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ここは大慈恩寺。
唐の時代に建てられた仏教寺院。
写真は入り口に建つ正門。
大雁塔
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入り口の大門をくぐると正面には大雄宝殿が建ち、その奥に大慈恩寺の大塔、大雁塔が建つ。
大慈恩寺
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境内にはいくつものお堂が建つ。
これは雲水堂。
大慈恩寺は隋の時代の寺が戦乱で消失した跡地に建設された。
大慈恩寺
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大雄宝殿の風景。
1991年当時の写真と動画です。
大雄宝殿
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大雄宝殿とは中国寺院における本堂の事で、本尊の釈迦仏を安置する寺院の仏殿で、主要堂の位置づけになる。
大雄宝殿
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大雄宝殿に着きました。
開かれた扉から正面に本尊仏が見える。
大雄宝殿は日本では金堂に相当する。
大雄宝殿
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大雄宝殿の仏殿内部。
仏殿内に安置されている本尊仏。
大慈恩寺
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左手には先学堂、正面には大雁塔。
唐王朝の第三代皇帝、高宗皇帝が未だ即位前、無き母を供養するため建立した大慈恩寺。
大慈恩寺
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先学堂の内部。
書が展示されている。
大慈恩寺
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示現堂。
大慈恩寺の名は、高宗皇帝が母の大きな慈愛への恩徳から名付けられた。
大雁塔
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64mの7階建ての大雁塔は大慈恩寺境内に建つシンボル的な建物。
上まで登る事ができ、そこからは西安市内を見渡す事ができる。
大雁塔
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大雁塔の最上階からの市内風景。
1991年当時の写真と動画です。
かすんでいて遠くまでは見渡せないが、中々美しい風景だった。
大慈恩寺
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鼓楼。
鼓楼とは仏教寺院などに建てられている、太鼓を打ち鳴らし、周囲に時や異常事態を知らせる建造物。
釣鐘を打つ鐘楼と対になって建てられるケースが多い。
日本でも見られ、お城では太鼓櫓となり、城郭には必ず設置されている。
大雁塔
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大雁塔は大慈恩寺の建立当時から建っていたわけでは無い。
建立から4年後、インドへの巡礼の旅をした玄奘三蔵が帰国後、持ち帰った経典や仏像を保管するための建物を建ててもらう様に、即位前の高宗皇帝に願い出て建てられた。
大雁塔
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唐王朝の第二代皇帝、太宗皇帝の命を受け、経典の翻訳を行った玄奘三蔵は、亡くなる直前まで使命を果たしていたが、膨大な経典の数は余りにも多く、完成したのは全体の数の三分の一程度だった。
大雁塔
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香炉と大雁塔の風景。
玄奘三蔵の当時の大雁塔は5層の塔だった。
老巧化のため、女帝、則天武后によって建て替えられ、7層の塔となった。
その後も火災などに遭い、何度か修復されている。
現在は地盤沈下のため、少し傾いている。
大雁塔
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大慈恩寺にて経典の翻訳に没頭していた玄奘三蔵は、ある日ふと空を見上げた。そこには雁の群れが飛んでいた。その時、不意に空腹を感じた玄奘は、雁を食したいと言う思いが頭をよぎった。すると突然、群れの中から一羽が落ちて来て、目も前で死んでしまった。玄奘は、自分のあさましい思いを戒めるため、雁が菩薩の化身になったと考え、手厚く葬った。大雁塔の名の由来。
大雁塔
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重要文化財の表示がされている大雁塔の石碑。
大慈恩寺と大雁塔はシルクロード:長安−天山回廊の交易路網の一つとしてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
西安碑林博物館
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ここは碑林博物館。
中国各地から貴重な石碑を集めて保管している石碑専門の博物館。
西安碑林博物館
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石碑からは拓本を取り、掛け軸などにしている。
実際に拓本を取っている作業を見学できました。
西安碑林博物館
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博物館内には総数3000を超える石碑があると言う。
小雁塔
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大薦福寺の境内に建つ塔、小雁塔。
大雁塔より小さいため小雁塔と呼ばれている。当初は15層の塔だったが、地震で上部が壊れ、現在は先が欠けた13層の塔になっている。大薦福寺と小雁塔はシルクロード:長安−天山回廊の交易路網の一つとしてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
興慶宮公園
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ここは唐の時代の王宮、興慶宮があった所。
興慶宮自体は今は無いが、広い敷地を文化遺跡の公園として整備し、公開している。
興慶宮公園
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公園内には当時の建物をいくつか再建している。これはその一つ、沈香亭。この周囲には牡丹がたくさん植えられており、楊貴妃が春に咲き誇る花々をめでるために建てられた。他にも勤政務本楼や花萼相輝楼、長慶軒などが建てられている。
興慶宮公園
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池や橋も美しく配置されている。
公園内には大理石作りの阿倍仲麻呂の記念碑が建っていた。
阿倍仲麻呂は遣唐使に同行し、唐の都・長安に留学した。
市内風景
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市内の通りをぶらりと散策。
靴修理のお店。
市内風景
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小さな露店が並ぶ通りの風景。
市内風景
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石畳の小路が続く、通りの風景。
安定門
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次の観光は市内に残る城壁。
ここは西側に残る安定門の入り口。
安定門
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重要文化財の表示がされている石碑。
西安城壁、安定門とある。
安定門
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城壁の内部へと続く通路。
トンネルの様になっている。
これを見ると、壁の厚みがとても厚い事に気付く。
安定門
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城壁の内側です。
レンガを大量に積み上げて城壁としている。
安定門
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城門の上には楼閣が建つ。
レンガ積みの城壁の高さは12mにもなる。
安定門
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安定門の案内板。
安定門
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城壁の内側に残る当時の井戸の跡。
安定門
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城壁の上に登ってみました。
この建物は箭楼。
建物の壁に小さめの窓があるが、これは矢を射るための窓。
安定門
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城壁の上、北へと続く城壁。
城壁の厚みは13mもあり、一周14kを一回りする事ができる。
歩きはもちろんだが、南門近くにはレンタサイクルがあり、城壁の上を自転車で一周できる。
安定門
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西側に造られた安定門はシルクロードの出発点。
遥か西域へ延びる道路。
安定門
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南へと続く城壁。東西に4k、南北に3kの長方形の形をしている。城壁の上を走る乗り物は乗合いの電動カートが運行されている。東西南北のそれぞれの門が停留所となっている。
安定門
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楼閣の建つ安定門の南北には自動車が通り、北側には西行きの、南側には東行きの一方通行の広い道路が走る。
安定門
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西安市内に残る城壁は、唐の時代の長安城の城壁を基礎にして明の時代に築かれた。
その後度々修復され、現在でもほぼ完全な形で残っている。
安定門
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ここからは1991年の写真。
当時は柵が取り付けられており、城壁の上へは立ち入り禁止だった。
安定門
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城壁に造られている楼閣と箭楼は、この安定門以外には、北の安遠門、東の長楽門、南の明徳門にもそれぞれ建てられている。
安定門
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他にも城門があり、西には玉祥門、北には尚武門、尚徳門、尚勤門、東には朝陽門、中山門、南には建国門、和平門、文昌門、朱雀門、勿幕門、含光門が残る。
安定門
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安定門の城壁に登る長い石段。
この様な石段は安定門以外には安遠門、長楽門、明徳門にもそれぞれ設置されており、城壁に登る事ができる。
安定門
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城壁の外側はぐるりと外堀が囲んでいる。
一般道はこの城壁の下をくぐる。
鐘楼
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地下鉄、鐘楼駅の直ぐ、城壁の中心にある鐘楼。
初代の鐘は鳴らなくなり、一回り小さい二代目が時を告げている。
初代の鐘は前述の碑林博物館に保管されている。
秦始皇帝兵馬俑博物館
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街の郊外に出ます。
世界的にも有名な兵馬俑が発掘展示されている博物館、秦始皇帝兵馬俑博物館。
博物館は一号坑〜三号坑、文物陳列館などで構成されており、このドームの建物は一号坑。
一号坑
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1974年、干ばつに悩む近くの農民が井戸を掘っていた所、不思議な土器のかけらが出土した。
この偶然によって地下に坑道があり、そこに膨大な数の古代墳墓の副葬品が埋まっている事が判った。
一号坑
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副葬品は始皇帝を守る衛兵や歩兵、騎馬の俑が発見された。
俑とは死者と一緒に埋葬するために陶器で作った殉死品の事で、始皇帝の陵墓を守るために作られた。
一号坑
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兵馬俑とは、元々古代中国では死者を埋葬する際に副葬品として造られた兵士や馬をかたどった物を指すが、現在では秦の始皇帝の俑を示す。
一号坑
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一号坑では縦230m、横62m、深さ5mの坑道に約2000体の兵馬俑が発掘された。
二号坑
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次は二号坑。
入り口の風景。
二号坑
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二号坑は一号坑の北側にあり、縦96m、横84mの坑道。
二号坑
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ここの俑は、歩兵隊、戦車隊、騎馬隊などの組織化された部隊からなる。
三号坑
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次は三号坑。
入り口の風景。
三号坑
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縦22m、横18mの坑道である三号坑は最も小さい規模だが、最高指揮部隊と考えられている俑が発掘された。
三号坑
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兵馬俑坑で発掘された兵士像は等身大の身長で、顔の形や表情は同じものは無く、一体一体異なると言う凝った作りとなっている。
文物陳列館
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ここは文物陳列館。
発掘され、修復された兵馬俑をいくつか展示しており、間近に見る事ができる施設。
文物陳列館
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秦始皇帝兵馬俑は秦始皇帝陵の一部で、併せて秦の始皇陵としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
立射俑
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この俑は、二号坑の北東位置で見つかった、軽装の歩兵の一種。
正方形に布陣した弓矢隊で、計172体発掘された。
この俑には弓は欠落しているが、今まさに弓を引かんとする生き生きとした臨場感あふれる姿をしている。
跪射俑
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二号坑の北東位置の歩兵隊の中心に位置する、重装備の歩兵の一種。
弩(ど)と呼ばれる大型の弓、ボーガンに似たクロスボウを装備する俑。
膝撃ちする体勢で、計160体発掘された。
中級軍吏俑
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中級の軍吏の俑。
軍吏とは記録や兵士の管理を行う軍隊の役人の事。この種類の共通の特徴は、二枚の板状の長い冠を頭にのせ、丈の長い服の上に鎧をつけ、脚には揃った履物を履いている事。鎧には二種類の形がある。一つは花柄の図案で縁を飾る胸当て。これは背中には保護具は無い。二つは前と後ろが揃っている形で、彩色された魚のうろこ状の図案で縁を飾っている。
高級軍吏俑
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高級の軍吏の俑で、通称「将軍俑」と呼ばれる。兵馬俑の中でも最高級の俑で計7体発掘された。この種類の共通の特徴は、頭に二対のヤマドリの尾を飾った冠を被り、二重の服で短めの上着を着、揃った履物を履く。鎧は彩色された魚のうろこ状の図案で飾られ、縁は美しい花柄の図案で飾られている。比較的小さな鎧で、丈も短い。鎧の両面と両肩とは彩色され、束ねられた帯で固定されている。
騎兵俑
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二号坑で見つかった、騎兵と鞍を乗せた馬の俑で、計116組発掘された。
馬は河曲馬と呼ばれるチベット系の馬で、厳格に選び訓練されていた。
鞍のくらぼねは低く、腹帯と尻に付けるしりがいは有るが、胸帯とあぶみは無い。
騎兵の服には特徴があり、頭には円形の小さな帽子をかぶり、脚には短めの革靴を履き、体には丈の短い鎧を着け、腰には皮の帯を束ねる。
銅製馬車
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これは銅製馬車。
秦銅車馬陳列館では、縮尺1/2サイズで作られた四頭立ての馬車が展示されている。
細部まで細かなディテールが表現されていた。
秦の始皇帝陵
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この山の様な地形は秦の始皇帝陵。
全景を見るのは秦始皇帝兵馬俑博物館の近くからが良い。
市場
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ここからは1991年の写真。
兵馬俑坑の博物館近くにあった市場。
市場
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紙人形劇の人形かな。
市場
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骨董品の店。
市場
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毛皮の店。
頭つきの毛皮が多かった。
屋台村
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市場の隣には屋台村があった。
テントが張られたフードコート。
屋台村
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ここでは麺を打っていました。
屋台村
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平べったいパンの様な鉄板で焼いた、焼き饅頭。
果物市場
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露店の果物市場。
果物市場
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かごに入ったザクロや柿が売られていた。
華清池
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ここは華清池と呼ばれる、西安の東の郊外にある観光地。
池とは温泉の事で、春秋戦国時代から各時代の皇帝も保養に訪れた。
華清池
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華清池にある池は九竜湖。
浮かぶ様に建つ建物は舫石龍。
華清池
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皇帝の保養所として建てられた華清宮。
驪山と言う山のふもとに建てられている。
華清池
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唐の時代の皇帝、玄宗皇帝が寵愛した楊貴妃ゆかりの地でもある。
華清池
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現在残る華清宮の建物は清の西太后によって建てられたもの。
青龍寺
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次の訪問地は青龍寺。
青龍寺遺跡の石碑がある。
青龍寺
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青龍寺の入り口の鐘楼門。
空海、弘法大師ゆかりの寺院として日本でも知られている青龍寺。
古くは、隋王朝が成立した翌年に建立された霊感寺から始まる。
青龍寺
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唐王朝の中頃、青龍寺と改められた。
密教僧の恵果が住職となり青龍寺を守り、密教の普及に努めた。
遣唐使として日本から渡った留学僧の空海も恵果に弟子入りし、ここで密教を学んだ。
青龍寺
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青龍寺境内の風景。
巨石が配置されている。
後に日本に戻った空海は真言密教をもたらし、高野山にて真言宗を開いた事は書くまでも無い。
青龍寺
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奥へと続く竹林の小路。
青龍寺は唐王朝末期の戦乱による長安の都の衰退のあおりを受け、誰も住まなくなり滅びてしまった。
青龍寺
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池を配した庭園の風景。
近年になり、古文書等から青龍寺跡とされてきた周辺の発掘調査を行った。
すると唐王朝時代の遺物が多数出土し、塔の土台や殿堂跡も見つかった。
結果、ここが唐王朝時代に栄えた青龍寺の跡だと確かめられた。
青龍寺
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青龍寺の解説板。
青龍寺は復元され、門や本堂など再建された。
現在、境内には日本から贈られた桜の木々が植えられ、春には満開の桜の花で埋められる。
青龍寺
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空海記念碑。
再建の際、日本からも空海記念堂や空海紀念碑が寄贈された。
青龍寺
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空海ゆかりの文献や品々を展示している。
壁には空海と、空海の師匠、恵果和尚の肖像画が飾られていた。
青龍寺
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自然の木を彫り込んだ彫刻。
ここでは、四国霊場八十八箇所の零番札所と位置付けられ、納経帳に御朱印を頂く事ができる。
青龍寺
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美しい巨石の庭園と入り口の鐘楼門。
織物工場
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ここは織物工場。
カーペットやタペストリーなどを製造している。
唐代歌舞
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西安での演劇と言えば、唐代歌舞。
西安の夜は唐代歌舞のデイナーショーを楽しみます。
唐代歌舞
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まずは食事。
舞台では中国古琴の演奏をしていた。
唐代歌舞
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琵琶の演奏や羽衣を着た天女の舞など出し物は豊富。
唐代歌舞
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唐代歌舞のショーはいくつかの劇場で行われていて、それぞれ特色がある様です。
ここは日本人や西洋人が良く行く、西安歌舞大劇院。
夜景
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夕暮れ時、バスの窓からライトアップされた明代の城壁の風景。
明代城壁
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明代城壁は全てライトアップされており、上部はイルミネーションで縁取りされていた。
地下鉄
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夜景がきれいとの事で、地下鉄に乗って出かけました。
ここは筆者が泊まったホテルの最寄り駅、通化門駅。
地下鉄
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まずは朝陽門駅で降ります。
ここは明代の城壁の東側になる。
地下鉄
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朝陽門駅のプラットホーム風景。
西安の地下鉄は運行開始してまだ新しい。
明代城壁
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これは明代の城壁の東側の門、朝陽門。
交通量も増え、現在になって拡張工事した新しい造り。
明代城壁
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銘板の石板は当時の物だろう。
ここから城壁の沿って北へ向かいます。
明代城壁
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高さもあるので、夜空に浮かぶ様な幻想的な美しさを作っている。
城壁沿って公園も兼ねた遊歩道が続く。
明代城壁
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城壁の北東の角まで来ました。
ここには角楼と呼ばれる城壁の角に設けられる隅櫓が建つ。
角楼は四隅に建てられている。
明代城壁
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城壁の北側に来ました。
ここは尚勤門。
明代城壁
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尚勤門の北側には西安駅がある。
寄り道します。
西安駅
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西安駅の夜景。
高速列車を除く、主要都市への長距離列車、夜行列車が発着する。
明代城壁
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西安駅前広場から見た明代城壁の夜景。
地下鉄
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再び地下鉄の駅。
ここは北大街駅。
東西に走る1号線と南北に走る2号線の交わる乗換駅。
地下鉄
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ここは鐘楼駅。
前述した鐘楼の最寄り駅。
鐘楼
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鐘楼の夜景。
鐘楼の屋根は3層になっているが、中は2階建て。
重櫓複屋という造りとの事。
鼓楼
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鐘楼の西側に建つ鼓楼。
これもライトアップされていて美しい夜景だ。
鼓楼には大太鼓が吊るされていて、明の時代には叩いて時を知らせていた。
地下鉄
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次は永寧門駅。
通称南門と呼ばれる永寧門の最寄り駅。
永寧門
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永寧門の風景。
門自体はライトアップされていなかったが、霧雨降る道に周囲の灯りが映り、それなりの雰囲気は楽しめた。
地下鉄
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最後の駅は小寨駅。
大慈恩寺と大雁塔へ向かいます。
建設中の3号線が開通すればより近くに最寄り駅ができるのだが、この時は2kほど歩きました。
大慈恩寺
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大慈恩寺の入り口風景。
夜だったので、お寺は閉まっていて中には入れなかった。
入り口の外観と大雁塔の風景。
大雁塔
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ライトアップされた大雁塔の夜景。
旅行本などに大雁塔の夜景が掲載されており、一目見たいと思っていた。
西安空港
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夜の西安空港。
ホテル