中華人民共和国(大慈恩寺)
大慈恩寺
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ここは大慈恩寺。
唐の時代に建てられた仏教寺院。
写真は大慈恩寺の南側、入り口に建つ正門である山門。
大雁塔
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入り口の山門をくぐると、正面には大雄宝殿が建ち、その奥に大慈恩寺の大塔、大雁塔が建つ。
唐王朝の第三代皇帝、高宗皇帝がまだ即位前に、無き母を供養するため建立した大慈恩寺。
大雄宝殿と大雁塔
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山門から北へ進むと、広々とした寺の境内の広場に出る。
境内から見た大雄宝殿と大雁塔。
大雄宝殿
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望遠で大雄宝殿を覗く。
建物の上の方に看板である扁額が掲げられており、大雄宝殿、とある。
お堂の内部に、金色に輝く仏様が見える。
雲水堂
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境内にはいくつものお堂が建つ。
境内広場の西側に建つのは雲水堂。
修行僧の事を雲水と呼び、雲水たちが学ぶための僧堂。
雲水と呼ぶのは、雲に例えて一つの場所を決めず、水の流れに例えて一か所に留まらず、一心に修行に努める事から。
客堂
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雲水堂の対面、境内広場の東側に建つのは客堂。
来客をもてなし、面会する建物。
現在でも訪問者への観光案内所となっている。
鼓楼
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この建物は鼓楼。
境内広場の西側に建つ。
鼓楼とは仏教寺院などに建てられている、太鼓を打ち鳴らし、周囲に時や異常事態を知らせる建造物。
日本でも見られ、お城では太鼓櫓となり、城郭には必ず設置されている。
钟楼
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こちらは境内広場の東側に建つ、钟楼。
钟楼は鐘楼の事で、梵鐘、釣鐘を打ち鳴らす建造物。
前述の鼓楼と、対になって建てられるケースが多い。
大雄宝殿と大雁塔
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大慈恩寺は、隋の時代の寺が戦乱で消失した跡地に建設された。
大雁塔は、大慈恩寺の建立当時から建っていたわけでは無い。
大雄宝殿と大雁塔
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大雄宝殿に着きました。
開かれた扉から、正面に本尊仏が見える。
大雁塔は大慈恩寺の建立から4年後、インドへの巡礼の旅をした玄奘三蔵が帰国した後、持ち帰った経典や仏像を保管するための建物を建ててもらう様に、即位前の唐の高宗皇帝に願い出て建てられた。
大雄宝殿
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大雄宝殿の仏殿内部。
仏殿内に安置されている本尊仏。
大雄宝殿とは中国寺院における本堂の事で、本尊の釈迦仏を安置する寺院の仏殿で、主要堂の位置づけになる。
大慈恩寺
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大雄宝殿の西側から北側の風景。
左手のお堂は先覚堂、正面には大雁塔が建つ。
先覚堂
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入り口の上、扁額に先覚堂とある。
大慈恩寺の名は、唐の高宗皇帝が母の大きな慈愛への恩徳から名付けられた。
先覚堂
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先覚堂の内部。
書が展示されている。
示現堂
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先覚堂の右手に建つお堂、扁額に示現堂とある。
他にも甘露堂などのお堂が建つ。
大雁塔
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64mある7階建ての大雁塔は、大慈恩寺境内に建つシンボル的な建物。
玄奘三蔵の当時の大雁塔は5層の塔だった。
老巧化のため、女帝、則天武后によって建て替えられ、7層の塔となった。
兜率天宮と大雁塔
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扁額に兜率(とそつ)とある。
ここは兜率天宮。
兜率天とは仏教の世界観における天界の一つで、弥勒菩薩がいる所とされる。
極楽浄土と同じ解釈をされる。
人天歓喜
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人天歓喜の扁額が掲げられている。
般若経典である、大般若波羅蜜多経の翻訳が完成した時に唐の太宗皇帝が、人天の大寶なり合掌歓喜し給いき、と大喜びした言葉から。
大雄宝殿
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ここからは古いですが、1991年当時の写真と動画です。
南側入り口の山門を入った辺りからの、大雄宝殿の風景。
大雄宝殿は日本では金堂に相当する。
大雁塔
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香炉と大雁塔の風景。
大雁塔は火災などに遭い、何度か修復されている。
現在は地盤沈下のため、少し傾いている。
大雁塔
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大慈恩寺にて経典の翻訳に没頭していた玄奘三蔵は、ある日ふと空を見上げた。
そこには雁の群れが飛んでいた。
その時、不意に空腹を感じた玄奘は、雁を食したいと言う思いが頭をよぎった。
すると突然、群れの中から一羽が落ちて来て、目の前で死んでしまった。
玄奘は、自分のあさましい思いを戒めるため、雁が菩薩の化身になったと考え、手厚く葬った。
大雁塔の名の由来。
大雁塔
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大雁塔は上まで登る事ができ、そこからは西安市内を見渡す事ができる。
大雁塔の最上階からの市内風景。
かすんでいて遠くまでは見渡せないが、中々美しい風景だった。
大雁塔
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唐王朝の第二代皇帝、太宗皇帝の命を受け、経典の翻訳を行った玄奘三蔵は、亡くなる直前まで使命を果たしていた。
しかし膨大な経典の数は余りにも多く、完成したのは全体の数の三分の一程度で、残りは弟子たちが完成した。
大雁塔