中華人民共和国(西安郊外)
華清池
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ここは華清池と呼ばれる、西安の東30kほどの郊外にある観光地。
秦嶺山脈系の驪山(りざん)と言う、山の麓にある温泉が湧く保養地。
華清池
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驪山は古くから観光の名所で、関中八景の一つにされている。
国の国家級風景名勝区に指定されている。
華清池
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池と名前に着くが、この池とは温泉の事で、温泉保養地全体の名称。
3千年もの歴史があり、春秋戦国時代から各時代の皇帝も保養に訪れた。
九竜湖
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温泉保養地、華清池の敷地内にある池は九竜湖。
湖畔にて筆者近影。
九竜湖
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九竜湖に浮かぶ様に建つ建物は、舫石龍。
かつて唐の時代には、玄宗皇帝の保養所として建てられた、華清宮と呼ばれた離宮があった。
現在残る華清宮の建物は、清の西太后によって建てられたもの。
華清池
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唐の時代、楊玉環と言う女性がいた。
美女として知られ、才知があり、琵琶を弾き、歌や舞踊にも長けていた。
宮廷に入った後、玄宗皇帝に見初められ、愛妾となる。
華清池
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玄宗皇帝から寵愛を一身に受け、宮廷にて皇后に次ぐ、貴妃の地位となる。
この女性こそは、絶世の美女との伝説を持つ楊貴妃である。
華清池
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玄宗皇帝は楊貴妃と、ここ華清池に毎年冬の時期に訪れ、華清宮に滞在した。
その間、温泉に入り、宴を催すなど、歓楽に酔う日々を過ごした。
だが、この政務を疎かにした事が、安史の乱を引き起こしたとされ、後に楊貴妃は処刑された。
華清池
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華清池は唐の時代の皇帝、玄宗皇帝が寵愛した楊貴妃ゆかりの地でもある。
現在、華清池は復元され、かつて楊貴妃が入浴した浴室などが保存され、玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの栄華が偲ばれる様になり、この地を有名にしている。
青龍寺
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次の訪問地は青龍寺。
青龍寺遺跡の石碑がある。
青龍寺
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青龍寺の入り口の鐘楼門。
空海、弘法大師ゆかりの寺院として、日本でも知られている青龍寺。
古くは、隋王朝が成立した翌年に建立された、霊感寺から始まる。
青龍寺
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唐王朝の中頃、青龍寺と改められた。
密教僧の恵果が住職となり青龍寺を守り、密教の普及に努めた。
青龍寺
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青龍寺境内の風景。
巨石が配置されている。
遣唐使として日本から渡った、留学僧の空海も恵果に弟子入りし、ここで密教を学んだ。
青龍寺
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後に日本に戻った空海は真言密教をもたらし、高野山にて真言宗を開いた事は、書くまでも無い。
青龍寺のある場所は西安市内の東で、郊外と言う程でも無い。
青龍寺
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奥へと続く竹林の小路。
青龍寺は、唐王朝末期の戦乱による長安の都の衰退のあおりを受け、誰も住まなくなり滅びてしまった。
青龍寺
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池を配した庭園の風景。
近年になり、古文書等から青龍寺跡とされてきた周辺の発掘調査を行った。
すると唐王朝時代の遺物が多数出土し、塔の土台や殿堂跡も見つかった。
結果、ここが唐王朝時代に栄えた青龍寺の跡だと確かめられた。
青龍寺
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青龍寺の解説板。
青龍寺は復元され、門や本堂など再建された。
現在、境内には日本から贈られた桜の木々が植えられ、春には満開の桜の花で埋められる。
青龍寺
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空海記念碑。
再建の際、日本からも空海記念堂や空海紀念碑が寄贈された。
日本で若き修行僧だった空海は、中国語が堪能だった事や薬学の知識もあり、遣唐使の長期留学僧に推薦される。
青龍寺
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空海記念碑。
遣唐使船は4隻で大阪湾の港を出港したが、2隻は難破し、空海の乗った船も嵐で福建省へ漂着するなど、唐の長安にたどり着くのに大変な苦労をする。
青龍寺
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空海ゆかりの文献や品々を展示している。
壁には空海と、空海の師匠、恵果和尚の肖像画が飾られていた。
青龍寺
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自然の木を彫り込んだ彫刻。
ここでは、四国霊場八十八か所の零番札所と位置付けられ、納経帳に御朱印を頂く事ができる。
青龍寺
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美しい巨石の庭園と入り口の鐘楼門。
織物工場
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ここは織物工場。
カーペットやタペストリーなどを製造している。
デイナーショー
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音楽を聴きながらの夕食。
中国古琴の演奏を楽しみました。
西安空港
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ここは西安の玄関口、西安空港。
西安中心から50kほど郊外の咸陽市にあるので、正式には西安咸陽国際空港と呼ぶ。
西安空港