中華人民共和国(ウルムチ)
タクラマカン砂漠
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新疆ウイグル自治区への旅はウルムチから。
ウルムチへの飛行機からタクラマカン砂漠の風景。
ウルムチ空港
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ウルムチ地窩堡国際空港に到着。
西域においてハブ空港であり、重要な空港となっている。
ウルムチ空港
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国際空港でもあり、国内外から沢山の航空機がやって来る。
最も多いのが西安からで、週100便以上が就航している。
ウルムチ空港
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空港ターミナルビル近くの風景。
ウルムチ市内
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ウルムチ市内を散策。
烏魯木斉でウルムチと読む。
ウルムチ市内
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ウルムチは新疆ウイグル自治区の首府。
中国西域では最も大きい都市。
ウルムチ市内
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街中にはフルーツの屋台が多い。
リンゴの屋台。
東北あたりからの物流品だろう。
ウルムチ市内
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フルーツの屋台。
サクランボとドリアン。
ドリアンは東南アジアからの輸入品。
ウルムチ市内
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フルーツの屋台。
マンゴスチンやライチ、白ブドウが置かれている。
バザール
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市内の二道橋と言う所にある新疆国際大バザール。
その正面の風景。
バザール
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元々はイスラムのモスクである清真寺だったが、近代的に改装し、観光用のバザールとしてリニューアルした。
バザール
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イスラムの塔、ミナレット。
本来は塔の上から教徒に礼拝、サラートを呼びかけるアザーンを流していたが、現在は観光用の展望塔となっている。
バザール
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バザール入り口近くにあったモニュメント。
ラクダと、なぜかピラミッドがあった。
市内展望
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ミナレットの最上階の展望階まで登る事ができる。
展望階からの市内風景。
市内展望
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展望階からの新疆国際大バザールの風景。
左に延びるアーケードが見える。
市内展望
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展望階からは遠く、天山の山々を見る事ができる。
バザール
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バザールに建つ石碑。
安定し、調和のとれた繁栄を築くための軍事・民間の共同の努力を記念した友情記念碑。
バザール
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一画で人が集まっていた。
タカを腕に乗せて記念写真を撮らせる店だ。
バザール
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タカをバックに写真を撮る男の子。
おとなしくさせるために、タカには目隠しをしている。
バザール
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新疆国際大バザールの入り口風景。
これから中に入ります。
バザール
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バザールの中は長く続くアーケードとなっていて、新疆ウイグルや中央アジアの多民族の様々な商品が置かれている。
バザール
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ここは帽子屋さん。
ウイグル伝統のカラフルな帽子や中央アジアで良くかぶられるテュベテイカなどを置いている。
バザール
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アクセサリーの店。
カラフルな石をあしらった腕輪など、金色系の装飾品がたくさん置かれている。
バザール
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絨毯の店。
特にここはシルクロード西域南道のオアシス都市、ホータン(和田)特産の絨毯を扱っている。
バザール
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ナッツやドライフルーツの店。
左手前の赤茶色はナツメヤシの果実、デーツ。
中東や北アフリカの砂漠地帯ではおなじみの食べ物。
バザール
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バザールのアーケードに立つ筆者近影。
ウルムチ市内
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市内で見かけた馬踏飛燕の像。
飛んでいるツバメを踏みつけ、疾走する天馬の姿。
甘粛省の武威にある雷祖廟雷台漢墓の張将軍の墓から出土した、紀元前漢の時代の国宝級のお宝。
オリジナルは甘粛省博物館に保管されている。
市内の夜景
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夕食後、ぶらっと散歩に。
ここはウルムチ市人民広場。
中央に建つライトアップされた塔は中国人民解放軍新疆紀念碑。
市内の夜景
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元々、ここ新疆ウイグル自治区は中央アジア、テュルク系民族の土地、トルキスタンであり、特に東方を東トルキスタンと呼んだ。
中国はこの地に侵攻し、解放と称して中国に統一し、共産党支配下に置いた。
それを記念しての塔だ。
市内の夜景
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広場の石畳に大きな筆で、墨の代わりに水で文字を書く書道の達人。
水なのでしばらくすると蒸発して消えてしまいます。
市内の夜景
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大きなバス停の様だ。BRTとある。
バス・ラピッド・トランジットの事で、地下鉄や路面電車・トラムが走っていない都市に導入されている大量輸送システムの事。
中国だけで無く世界の都市に有り、多くは専用道路や車線を持ち、車体を連結した連節バスを運用している。
ウルムチでは地下鉄が建設中で、1号線開通は2019年の予定。
新疆ウイグル博物館
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ウルムチ観光で外せないのが新疆ウイグル博物館。
新疆ウイグル自治区の中で最も大きい博物館。
新疆ウイグル博物館
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新疆ウイグル博物館の建物。
建物自体は比較的新しく、モダンな造り。
新疆ウイグル博物館
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集合写真を撮る観光客。
修学旅行なのか、女子学生と先生のグループの様だった。
新疆ウイグル博物館
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西域歴史的記録とある。
このコーナーでは西域の歴史を展示している。
まずは歴史文物陳列庁。
石器時代から近代に到るまでの文化を展示する。
ジオラマ展示
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ジオラマの展示だ。
これは石器時代、狩猟採取していた頃を表現している。
ジオラマ展示
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青銅器時代のジオラマ展示。
原始的な溶鉱炉を表現している。
ジオラマ展示
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家畜を大切にしていた。
乳や肉はもちろん、皮や骨など、全てを無駄にせず利用した。
なめした革から服や帽子、靴などを手作りしている。
ジオラマ展示
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交河故城の再現ジオラマ。
交河故城はトルファンの郊外に残る、漢王朝時代に栄えた都市遺跡。
少数民族展示
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ここからは民族風情陳列庁。
新疆ウイグル自治区に暮らす少数民族の人達とその暮らし、衣装や住居、日用品などを紹介している。
とてもリアルな人形、ロウ人形だ。
モンゴル族
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楽しそうに跳ねる牛、羊、馬達。
青空の下には白いユルタが広がる。
新彊ウイグル自治区のモンゴル族の住む場所は青い山々、透明な水、緑の草、そして古来より馬の原産地であり、遊牧の民の楽園であった。
モンゴル族
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伝統的なモンゴル式移動式住居、ユルタは天空の縮図の様だ。
丁度、民謡に歌われた様にユルタは青空のもと丸く、羊毛のフェルトは白い。
ユルタ室内では、ストーブは窓に対して中央に、仏像を安置する壁の窪みは北西の角にある。
家長の木のベッドは西角、食器棚は南東、馬具は南西に配置される。
回族
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回族(フェイ族)の居住区の特徴は広い地域に小さなコミュニティを形成している事。田園地方に暮らす人々は主に農業に頼っており、都市や街に暮らす人々は主に配膳サービス業に従事している。回族はイスラム教徒で、イスラム寺院清真寺の特徴的な構造は漢民族の伝統的なスタイルの影響を受けている。それは上部の荷重を支える組木の仕組み、斗栱を持っている事。伝統的行事としては断食月のラマダンと犠牲祭がある。
カザフ族
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カザフ族は中央アジア西北部からモンゴル西部、新疆ウイグル自治区北西部に暮らす。彼らの文化の特徴はシャツやベスト、コート、帽子などに施す美しい幾何学模様の刺繍。これは身に着けるもの以外にも家の入り口の飾り物や室内の壁掛け、絨毯などにも施す。カザフ族は鷹狩りでも知られ、専らイヌワシが使われる。
キルギス族
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キルギス族の重厚な垂れ幕は麦わらを織って作られる。ラクダの皮で作られた革製の食器類など、日用品はただ実用的なだけではなく、巧妙に作られている。特に彼らの服、枕、布団カバー、バッグ、そしてユルタの壁に掛けられた織物、タペストリーは全て違った繊細な模様で刺繍される。生き物の鳥や獣、そしてカラフルで輝くような幾何学模様は素晴らしく美しく、人々はそれらにとても愛着を感じ、決して手放しはしないだろう。
キルギス族
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高原の西での牛と羊の放牧、白い雲の深い中にユルタは建つ。新彊ウイグル自治区のキルギス族の多くは天山山脈の南西に位置するクズルス・キルギス自治州に住んでいる。そこはパミール高原の東、崑崙山脈の北斜面、タリム盆地の北西の縁にあたり、標高5000m級の山々が16峰もあり、山間部は全体の90%以上を占めている。キルギスの遊牧民の産業は牧草地に依存し、ユルタは大草原に建てられる。
シベ族
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シベ族の故郷は、新彊ウイグル自治区の北東にある。シベ族は八旗出身の千人を超える兵士達の子孫。八旗とは清王朝中央政府から移管された満洲人の軍事組織のこと。彼らは自治区の警備を任され、軍隊を駐屯させ、荒れ野を開墾し、国境を守り、近代的な民族へと徐々に発展して行った。現在、多くはイリ・カザフ自治州チャプチャル・シベ自治県で農業を主な産業として暮らしている。シベ語やシベ文字はアルタイ諸語から派生した満州語に属している。
タジク族
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タジク族の人々は長くパミール高原に住み、まるで大空の王者、ワシの様だ。人々はワシ笛を吹き、ワシの様に踊る事でも有名。休日や結婚式の日の民族舞踊やその他の催しは、タジク人の才能と身体能力を披露する最も良い機会だ。ヤクの背に乗り仔羊を奪い合う催しはとても独特で個性的なものだ。それ以外に、競馬や射撃、馬上からの銀貨の拾い合い、山岳地帯のタジク人による素晴らしい乗馬技術、草原での放牧能力などがある。
少数民族展示
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それにしても、ロウ人形は全て良くできている。
筆者は最初、カメラで写真を撮っているのは観光客だと思ってしまった程だ。
ロシア民族
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多くのロシア人は高い基壇の上、スタイロベートに家を建てる。家は厚い壁で囲まれた四角形、屋根は緑色の鉄板を傾斜させ覆っている。ドアの前には中庭と防壁があり、部屋の中には通路、それに耐火煉瓦と大きな炉で建築された暖炉がある。暖炉は黒い油で塗られた鉄板で覆われ、一般にMaoluとして知られる非常に優秀な暖房設備。寝室では木製や鉄製のベッドを置き、女性達はベッドやテーブル、チェストのカバーの布を精巧に織る。
タタール人
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毎年6月21日はタタール人の伝統的な夏の収穫祭、サバントゥイが催される。古くはロシア、ヴォルガ川中流域での農民の祭であった。サバン祭は春の耕起完了と豊作祈願を祝して行う。祭りの場所は野原や原野の片隅で、学識高い長老主宰の下に行われる。祭りではレスリングや柱登り、歌、ダンス、レース、綱引き、競馬、木馬上での格闘などがある。勝者には若いお嬢さん達によるハンカチ、スカーフ、手織りの刺繍シャツが渡される。
ウズベク族
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ウズベク族は中央アジアからアフガン北部、中国、新疆ウイグル自治区に掛けて暮らしている。特にウズベキスタンでは国内の7割はウズベク族の人達。風習としては、女性の眉毛の間を黒色の化粧品で色を付けて、つながっている様に見せる事がある。ウズベク語は、アルタイ語族のトルコ語の一派に属し、文字はアラビア語をベースにしたアルファベットを用いている。ウズベク族は主に手工芸産業や園芸産業に従事しており、イスラム教を信仰している。
ジオラマ展示
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羊を飼い、毛を刈り取り、紡いで糸にしている。
古代ミイラ陳列庁
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ここからは博物館の目玉と言えるミイラの展示コーナー。
タクラマカン砂漠周辺を中心に新疆ウイグル自治区全域で発見されたミイラを展示している。
ミイラ
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この博物館を有名にしているのが、ローランの美女と呼ばれる、古代楼蘭王国の遺跡から発掘された女性のミイラ。
1980年に発掘され、年代測定の結果、紀元前19世紀と鑑定された新疆地域で見つかった最も古いミイラ。
ローランの美女
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推定年齢40歳過ぎのヨーロッパ系人種。
今は真黒だが、1980年に発掘された時は白かったと言う。
かつて、法医学により復顔した事があり、美人だった事から楼蘭の美女とも呼ばれている。
ミイラ
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古代楼蘭王国の成り立ちは余りにも古く、良く判っていない。
楼蘭はさまよえる湖、ロプノールが砂漠に移動したため、4世紀頃廃墟となった。
ミイラ
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楼蘭以外からの出土品もある。
1979年に孔雀河下流域の古代墳墓群から発見された子供のミイラ。
死亡時は4~5歳と推定されている。
丁寧に布で包まれている。
ミイラ
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当時の埋葬を立体的に再現している。
新疆地域で発見されるミイラはエジプトのミイラと異なり、ミイラ造りをしたのでは無い。
普通に土葬した結果、とてつもない乾燥地帯のため自然にミイラとなったのだ。
ミイラ
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新疆ウイグル自治区バインゴリン・モンゴル自治州チェルチェンに残る且末扎滚鲁克(ザグルック)古墓群で1985年に発見された。
古代ヨーロッパ人種の男性で身長176cm、死亡時は50歳と分析されている。
ミイラ
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これもザグルック古墓群で1985年に発見された。古代ヨーロッパ人とモンゴル人の混血人種の女性で身長159cm。死亡時は60歳と分析されている。変色はそれ程進んでおらず、長いまつ毛もそのままだ。
ミイラ
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これもザグルック古墓群で発見された、生まれて10ヶ月ほどの乳児のミイラ。
発見当時、枕元には麻布に入った麦が置かれていた。
あの世で麦を食べ、すくすくと育つ様にとの思いからか。
ミイラ
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アスターナ古墓群からの発掘されたミイラとその墓室に描かれていた絵の複製。
アスターナ古墓群はトルファン郊外に残る高昌国時代の墓地。
ミイラ
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これはトルファン郊外に残る高昌故城から発掘された张雄干尸のミイラと生前の復元像。
张雄干尸は麴氏一族の高昌王国時代、皇帝を守る左衛将軍であった。
亡くなった歳は57才とされている。
海のシルクロード
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海上丝绸之路精品文物展とある
海のシルクロード関連の展示室だ。
海のシルクロード
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いくつもの展示品があった。
美しい壺が展示されていた。
新疆ウイグル博物館
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西域出土文物展の展示室風景。
ここではシルクロードに関する美術品や遺跡からの発掘物が展示されている。
五星出東方利中国
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1995年、ニヤ遺跡の第1号墓から出土した。占星術の、五つの星が東方より出て中国に利益を与える、との言葉が織り込まれたシルク製の錦。ニヤ遺跡はシルクロード西域南道のニヤの町からタクラマカン砂漠へ100k程入った、かつて栄えた古代都市遺跡。
青銅武士俑
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天山山脈、伊犁草原の魚塘遺跡から発掘された青銅製の武士の俑。俑とは埋葬する際の副葬品で人形や動物をかたどっている。紀元前5世紀頃のもので、人物は彫りの深い容貌で、西方の遊牧民族。上半身は裸で腰には短いスカート状の衣類を身に着ける。カギ状に反った帽子が特徴。両手に持っていた武器か道具は欠損している。
彩絵男泥俑
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土を固め、形作られ、色を塗られた男の俑。
1972年にトルファン、アスターナ古墳群の第201号墓から出土した。
特徴的なのは、服の袖がゆったりと長く膝まである。
腕と合っていない。
彩繪天王踏鬼俑
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天王と天王に踏まれ、成敗される鬼の俑。
アスターナ古墳群第206号墓、将軍の墓から1973年に出土した。
個々に彫刻し、彩色された30個の部品を組み立てて作られている。
墓の守護神として墓室前に置かれていた。
唐代のもので木彫りの天王踏鬼俑では中国では唯一の珍品。
彩绘泥塑镇墓兽
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これもアスターナ古墳群の出土品で、第216号墓から出土した。唐の時代の彩色上絵技法を使った墓守の獣の像。頭はライオン、体はヒョウ、足は牛と言う想像上の獣で、毛は逆立ち、大きな目は怒りに燃えている。
天山山脈
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ウルムチを離れ、東へ向かいトルファンへ行きます。
トルファンへの移動中、車窓からは天山山脈の万年雪を望めます。
天山山脈
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ウルムチは天山山脈の北東に位置し、西へ行くシルクロード天山北路の重要な要地。
天山山脈
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新疆ウイグル自治区の天山山脈は新疆天山としてユネスコ世界自然遺産に登録されている。
風力発電
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ここは達坂城風力発電所。
その標示板。
国内風力発電の中でもトップクラスの発電力を持ち、遠く上海などへ送電されている。
風力発電
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延々と続く発電用風車。
一本一本が樹木の様に見え、真っ白な風車の群れは、あたかも砂漠に残る立ち枯れた林の様だ。
風力発電
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この辺りは強い風が一年中吹き、風力発電には最適な環境となっている。
風力発電
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中国も石炭を山ほど使う火力発電から、風力や太陽光などの再生可能エネルギーへの変換を図っている。
鉄道
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バスの車窓から貨物列車が見えた。
ウルムチ南駅からトルファン駅を経由して蘭州駅までの路線、蘭新線が通じている。
塩湖
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トルファンへの途中にあった湖。
白いのは塩で、その名も塩湖と言う名の塩湖。
ウルムチ空港
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再びウルムチ地窩堡国際空港。
国内線の搭乗手続きの列です。
ウルムチ空港
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離陸前、誘導路走行中の飛行機の窓からの空港ターミナルビルの風景。
これからシルクロード天山南路のオアシス都市、クチャへ向かいます。
天山山脈
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ウルムチ~クチャ路線は天山山脈の東側を越えるルート。
なかなか味わう事の出来ない、迫力のある山岳風景が楽しめる。
天山山脈
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天山山脈の最高峰は中国、キルギス国境にあるポベーダ山(中国ではトムール山)で標高は7,439m。
天山山脈の中で西に位置し、残念ながらクチャまでの航路では遭遇しない。
天山山脈
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この日はとても天気が良く、遠くまで見通せた。
雪を被ったいくつもの峰々がそそり立つ。
天山山脈
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天山山脈は東はモンゴルの南から西はキルギス、イシク・クル湖の南側まで到る2,500kの山脈。かつて天竺へ向かった玄奘三蔵は天山南路のクチャから天山山脈の山間を通る天山越えをし、キルギスのイシク・クル湖へたどり着いている。この山々を見ていると、よくそんな事ができたと思う。