中華人民共和国(トルファン)
トルファン市内
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トルファンに到着し、街を散策。
ここはトルファン博物館。
吐魯番でトルファンと読む。
夕刻で博物館はあいにく閉館していたので外観だけの写真です。
トルファン市内
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少し早目の夕食か、遅めの昼食か。
家族団らん、食事の風景。
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フルーツの屋台。
黄色の果物はハミウリ。
哈密の街の特産品だが、トルファンでも名物品になっている。
トルファン市内
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ハミウリは今回の旅では食べる機会が沢山あった。
甘くてとても美味しい。
トルファン市内
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トルファン市内の風景。
砂漠の中の都市の割には池など、水が結構豊富だった。
トルファン市内
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路上で書や画を書いている。
主人はどう見てもヨーロッパ人だった。
トルファン市内
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通りの一角に、にぎやかな広場があった。
购(ゴウ)物广場とある。
雨の降らないトルファンでは、食事は専ら風通しも良い屋外で行う様だ。
トルファン市内
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食べ物は全て屋台の店で買う。
これは内臓系のホルモン料理。
上海辺りでは豚のホルモンだが、イスラムの地では羊となる。
トルファン市内
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串焼き料理の店。
特に羊の串焼きはケバブーと言って、名物料理だ。
トルファンは砂漠の中にあって、天山山脈の雪解け水によって潤い、紀元前からオアシスの街として存在した。
トルファン市内
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ケバブー店のオヤジ。
一串一元(20円)ほどで、5串セット。
焼きたては本当に美味しい。
筆者の大好物。
トルファン市内
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市内にあった公園、麦西莱甫広場。
トルファンは、古くは遊牧騎馬民族の支配する地で、西域に国土を広げようとする漢民族との攻防の地であり、またシルクロード東西交易の街として発展したイスラム教の街である。
トルファン市内
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麦西莱甫広場の風景。
夏は熱気が盆地の底に溜まり猛烈に暑く、古来より火州の別名がある。
夏の平均気温は40度にもなり、過去の最高気温は50.2度の記録がある。
トルファン市内
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麦西莱甫広場の池のある風景は、江南地方の中国庭園の様だ。
トルファンでは空気が乾燥しているため汗でべたつく事は無く、日中、日陰に入れば心地良い。
トルファン市内
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ここは新拓商城の入り口ゲート。
新拓商城はいわゆるバザールで、個々の小さなお店が集まっている。
トルファン市内
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新拓商城の入り口近くで、荷車に乗せたナンと呼ばれる丸いパンを売っていた。
ナンはインド料理屋で見かける薄いヘラの形の物が有名だが、所変われば、である。
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新拓商城バザールの風景。
個々の小さなお店が集まっている。
トルファン市内
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新拓商城バザールの風景。
イスラム教徒がかぶる帽子の専門店。
トルファン市内
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様々な果物が売られている。
果物としてのバナナの主要生産国の3位が中国。
と言っても南の雲南省や台湾産。
トルファン市内
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新拓商城では中はもちろん、外も人であふれていた。
トルファン市内
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噴水が上がり、照明機器でモダンにライティングしているのは沈宏広場。
トルファンは西へのルートとして、前述のウルムチを経由し、天山山脈の北側を進みカザフスタン、キルギスに至る天山北路と、天山山脈の南側を進みカシュガルへ至る天山南路の分岐点。
トルファン市内
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周囲にはホテルやレストランが建つ沈宏広場の大きな池。
とても砂漠の街とは思えないが、トルファンは盆地の底に当たり、低地で海抜はマイナスとなる。
トルファン市内
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ここはウイグル料理の店。
ウイグル族の民族舞踊を観賞しながら、食事ができる。
トルファン市内
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ウイグル族の踊りを披露してくれたお姉さま方。
ステージでの踊りでは無く、ここでは個々の部屋に個別に訪れる。
カレーズ
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トルファン市内からシルクロードの遺跡観光で郊外に出ました。
車窓から砂漠を見ていると、平たい砂の小山が点在している。
これは井戸で、地下に天山山脈の裾野から井戸をいくつも掘り継いで造られた、カレーズと呼ばれる地下用水路がある。
盛り上がっているのは、メンテナンスとして溜まった土砂を汲み上げてできた盛り土。
カレーズ
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ここはカレーズを実際に見学できる施設。
園内には流水や滝が造られ、テーマパークとなっている。
カレーズ
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カレーズの地下水路への入り口。
入り口にはカレーズ・パラダイスとある。
カレーズ
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カレーズ・パラダイスの見取り図。
水は天山山脈の雪解け水を引っ張って来ている。
カレーズ
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カレーズの水路の一つ。
井戸の数は300個以上もある。
ここのカレーズはミイム・ハジのカレーズと言い、約800年前に掘られた。
カレーズ
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地下に水路を通す理由は、地上に水路を造っても蒸発して必要な地点まで水を送れない事と、水質が良いまま送れる事。
ぶどうのトンネル
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トルファンは西域最大のブドウの産地で特産品となっている。
ここは観光ぶどう農園。
ぶどうの枝が通路の天井を覆っていて、ぶどう棚のトンネルになっている。
ぶどうのトンネル
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たわわに実を付けたぶどうの房が垂れ下がる。
収穫まではまだ少し先。
ぶどう畑
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筆者はぶどうの品種までは判らないが、あまり見かけない細長い白ブドウの品種。
ぶどう畑
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こちらは小粒の丸い白ブドウ。
トルファンはワインも有名。
干しぶどう
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寄木細工の様な格子状の壁があるレンガ造りの建物は干しぶどうを作る小屋。
見本に少し吊るされていたが、最盛期には吊るされたぶどうで埋め尽くされる。
収穫されるブドウの半分は干しぶどうに加工される。
多くの種類の干しぶどうを始め、ハミウリなどのドライフルーツも特産品。
高昌故城
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シルクロードに残る古代王国の一つ、高昌国。
その都市遺跡、高昌故城。
入り口の標示板。
高昌故城
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城壁の一部の風景。
紀元前、漢の時代に王朝が西域への軍事基地として城壁をここに築き、軍隊を置いたのが始まり。
高昌故城
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漢が滅ぶと、戦乱の時代の5世紀北朝時代に漢民族による高昌国が成立する。
はるか西方の異国の地に誕生した仏教王国である。
高昌故城
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7世紀の唐の時代、国外への旅が厳しく禁じられていたが、長安をひそかに出発し、インドへ向かった玄奘三蔵は半年掛かって、ようやく高昌国へたどり着く。
玄奘が訪れた時代、高昌国は全盛期を迎えていた。
高昌故城
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国の法を破ってまで訪れた玄奘三蔵を、国王は手厚くもてなし、約二ヵ月間滞在した。
高昌故城
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玄奘三蔵は一か月にわたり仏の教えを説き、連日玄奘三蔵の説法を聞こうと、寺院の境内は大勢の人々でにぎわったと言う。
仏教以外にもゾロアスター教、マニ教、キリスト教なども信仰されていた。
高昌故城
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玄奘三蔵が高昌国を発ち、インドへ向かってから13年、再びこの地に戻って来た時には既に高昌国は滅びていた。
高昌故城
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唐が西域まで進出して来るのを恐れた高昌国の国王は、シルクロード交易の利益を唐へ流さないため、唐への道を封鎖した。
交易の利権の独占を狙った高昌国に騎馬隊数万もの唐の大群が攻め込み、高昌国討伐を行ったのである。
高昌故城
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写真はかつての城門跡。
高昌故城の遺跡は 高さ12mの城壁に囲まれ、大きさは1.5k四方にもなる。
高昌故城
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シルクロードに残る遺跡の中では最大の規模を誇る高昌故城。
今は日干しレンガの崩れた都の跡に1500年前の栄華の夢の跡を忍ばせる。
高昌故城
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インド式仏塔跡の風景。
途中で崩れているが、当時は堂々たる仏塔だった。
高昌故城
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インド式仏塔の内部風景、日干しレンガが高く積まれている。
玄奘三蔵は滞在中、ここで寝起きした。
高昌故城
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10世紀初頭、唐王朝が滅ぶとトルファンではチベット族やウイグル族などの民族による覇権争いが起こった。
高昌故城
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半世紀にわたる民族興亡の後、ウイグル族が制覇し、天山ウイグル王国を建てた。
高昌故城
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高昌故城は、シルクロード:長安-天山回廊の交易路網の一つとしてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
高昌故城
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高昌故城はとても広いので、電動カートでの移動になります。
動画では電動カートからの高昌故城風景を約15分間お送りします。
お時間の許す方はどうぞ。
火焔山
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トルファンから東へ10k。
走る道路から赤茶けた山々が見えだした。
火焔山である。
火焔山
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火焔山は一つの山を指すのでは無く、連なった山並みを総称して呼んでいる。
火焔山
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険しいむき出しの山肌が浸食され、幾筋もの深い溝が刻まれた奇観が広がっている。
昔からシルクロードを行き交う旅人が近づく事を恐れ避けたこの赤い山々は、燃え上がる炎の形に似ている事から炎の山、火焔山と呼ばれた。
火焔山
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玄奘三蔵も通った火焔山。
麓には深い渓谷が刻まれ、黄色く濁った川が流れている。
この断崖に石窟寺院が残る。
後述するべゼクリク千仏洞である。
火焔山
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火焔山は西遊記にも登場し、燃え盛る炎の山とされている。
その炎を消す事が出来るのは牛魔王の妻、羅刹女が持つ秘宝・芭蕉扇のみとされている。
べゼクリク千仏洞
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火焔山の渓谷を進むと、渓谷の岩肌をくり抜いた石窟寺院がある。
べゼクリク千仏洞である。
べゼクリク千仏洞
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渓谷の断崖に隠れる様に石窟寺院は残る。
シルクロードの交易商人達の隊商キャラバンには仏教の僧侶も同行し、この地に仏教寺院を作り、唐の時代から天山ウイグル王国の時代に掛けて栄えた。
べゼクリク千仏洞
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断崖の上からのべゼクリク千仏洞の寺院。
現存する石窟は10世紀以降のもの。
べゼクリク千仏洞
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千仏洞がある断崖中腹へ下りて行く、入り口風景。
べゼクリク千仏洞
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千仏洞への下り階段。
柏孜克里克でベゼクリクと読み、ウイグル語で「美しく飾られた所」を意味する。
それは77もの石窟内部に見事なベゼクリク壁画と呼ばれる、色鮮やかな仏教画、宗教画が描かれていた事から。
べゼクリク千仏洞
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沢山の石窟の入り口が見える。
現在ではそのベゼクリクの意味の「美しく飾られた所」の面影は余り残っていない。
壁画の損傷が激しいのだ。
べゼクリク千仏洞
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11世紀、西域に侵略して来たイスラムによって、偶像否定の信仰から壁画の顔や目、口が破壊された。
べゼクリク千仏洞
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20世紀初頭に入って来た各国の探検家、ヨーロッパ人探検隊や日本の大谷探検隊などが壁画をはがし、持ち帰った。
べゼクリク千仏洞
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ここは石窟の一つ、第39窟。
奥の壁画は各国外交使節絵図。
諸外国からトルファンにやって来た大使の姿が描かれている。
ビルマ人、モンゴル人、ターバンを巻いたアラビア人などが判別できる。
トルファン北駅
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ここは中国版新幹線、蘭新高速鉄道のトルファン北駅。
モダンな駅舎入り口風景。
トルファン北駅
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改札口上部にあった電光掲示板。
トルファン北駅
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ホームの風景。
2014年12月開業と言う、できたばっかりの、さらっぴんのホーム。
蘭新高速鉄道
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ホームに入って来た列車。
列車の愛称は和諧号とある。
蘭新高速鉄道
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これから乗り込みます。
蘭新高速鉄道はウルムチ南から蘭州西までの区間で、将来は西安と結ばれる計画。
蘭新高速鉄道
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蘭新高速鉄道、和諧号の車内風景。
二等普通車です。
蘭新高速鉄道
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蘭新高速鉄道の車内風景。
ビュッフェコーナー。
お弁当などが売っている。
蘭新高速鉄道
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筆者が頂いた弁当。
鶏肉のどんぶり。