中華人民共和国(タクラマカン砂漠)
タクラマカン砂漠
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クチャから、シルクロード西域南道で最大のオアシスの町、ホータンへ向かいます。
これからタクラマカン砂漠を縦断します。
どこまでも続く砂漠道路の風景。
タクラマカン砂漠
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タクラマカン砂漠は、かつてシルクロードの時代はラクダのキャラバン隊も越えるのが困難で、オアシスの町を結ぶ北回りの天山南路と南回りの西域南道を通るしか方法が無かった。
タクラマカン砂漠
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1980年代にタクラマカン砂漠に眠るタリム油田の発掘調査が始まり、その油田開発を目的に産業道路・軍事道路として砂漠を南北に縦断する道路、タクラマカン砂漠公路が1995年に開通した。
タクラマカン砂漠
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砂漠公路に設置されている検問所の風景。
ホータンまでの間に3か所ほどあります。
ここでは公安による厳しいチェックが有ります。
検問所によっては、車から降りてパスポートのチェックをされる所も有る。
タクラマカン砂漠
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砂漠公路には主道路は2本あり、最初に開通したのがクチャからニヤへの輪民公路。
次に開通したのがクチャからアラルを経由しホータンまでの阿和公路で2007年に開通した。
タクラマカン砂漠
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猛烈な日差しで陽炎が立ち、逃げ水が浮かぶ砂漠公路。
今回のホータンまでの道はこの阿和公路を走り抜けます。
タクラマカン砂漠
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このマス目状のものは、道路を砂漠の砂から守るために覆いをしているもの。
タクラマカン砂漠
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タマリンドの枝を束ねて格子状に砂に埋めて、砂が移動しない様にしている。
タクラマカン砂漠
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砂漠に生える胡楊の樹。
乾燥した気候に強く、長寿な上に保存に強く、古来よりタクラマカン砂漠に栄えた古代王国の家々も胡楊の木で建てられていた。
中国のことわざに、生きて千年枯れず、枯れて千年倒れず、倒れて千年朽ちず、とある。
タクラマカン砂漠
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北の天山山脈、南の崑崙山脈、西のパミール高原とその奥のカラコルム山脈に囲まれた盆地をタリム盆地と呼び、とても乾燥しており年間降水量は極めて少なく、大部分が砂漠となっており、タクラマカン砂漠を構成している。
タクラマカン砂漠
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防砂用のアシの束。
乾燥したアシの茎を1m程に切り揃え、束ねて砂に埋める。
全て人手で行っており、数百Kにも及ぶ砂漠公路の両脇に、ほとんど切れ目無く埋められていた。
恐るべし、中国の人海戦術。
タクラマカン砂漠
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大昔、タリム盆地は内陸の海だった。インドが大陸に衝突し、ヒマラヤを造った造山運動の際、崑崙山脈やカラコルム山脈もでき、天山山脈との間に大きな盆地が生まれた。氷河期の頃、大量の雪・氷が盆地を満たし、氷河期が終わり、温暖な気候が訪れると海となった。その後も温暖化は続き、水は失われ砂漠となった。
タクラマカン砂漠
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砂漠公路の道路脇に設置されていた新疆ウイグル自治区の道路網の看板。
タクラマカン砂漠
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周囲に高い山々はあるが、タリム盆地自体は高所では無い。
標高はとても低く、最も低い所は海抜マイナス130mにもなる。
タクラマカン砂漠
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タクラマカン砂漠に川は幾つか流れる。天山山脈からの孔雀河や崑崙山脈からの白玉川やK玉川など。それらが集まり、下流ではタリム川を作っている。その先には、かつてはさまよえる湖、ロプノールが有った。現在は干上がり、タクラマカンに流れる川の末端は 砂漠に消えている。
タクラマカン砂漠
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ひとたび砂漠に風が吹くと、防砂の覆いなど全く役に立たない。
天気は良いのに砂ぼこりで前が見えない。
日本にもやって来る黄砂は、タクラマカンの砂もその一つ。
タクラマカン砂漠
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砂漠に生きるラクダ。
牧草など有るはずも無く、わずかに残る枯草の残骸を探している。
タクラマカン砂漠
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食べ物を探すラクダ。
痩せて背中のコブも無くなっている。
タクラマカン砂漠
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タクラマカン砂漠では塩が採れる。
砂漠の地中に大量の塩が眠っている。
タクラマカン砂漠の、特に北側にはいくつかの塩田がある。
タクラマカン砂漠
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バイクに積まれていた不思議な植物。
現地ガイドさんによるとサバクニンジンだそうだ。
酒に漬け込み、薬用酒として飲むと言う。