中華人民共和国(ホータン)
ホータン
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ここはホータンの街。
タクラマカン砂漠の南西、崑崙山脈の北に位置するオアシスの街。
ホータン
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和田と書いてホータンと読みます。
車窓からのモスクのミナレット。
ホータン
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欣明・南国城と書かれている大きなゲート。
奥は広場になっている。
ホータン
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ホータン市内風景。
シルクロードの時代、古代ホータン王国は于寘(ウテン)と呼ばれ、シルクロードの交易によって栄えた。
ホータン
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街中に建っていたシルクロードの舞の像。
シルクロードのタクラマカン砂漠の南側を通るルートを西域南道と呼ぶ。
ホータン
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ホータン飛行場。
ウルムチとの路線だけある小さな地方空港。
街から数キロ離れていた。
ホータン
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市内より少し郊外の風景。
かつてのシルクロードを彷彿させる、真っ直ぐに伸びるポプラ並木の道。
ホータン
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現在の道は舗装され、三輪トラックが走る。
昔はラクダの隊商が行き交った事だろう。
ホータン
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街で見かけたホータンの少女。
ホータンの人は9割がウイグル族。
しかし、最近は漢民族も多くなってきている。
ホータン
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ホータンの女の子。
ウイグルの民だろう。
ホータン
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街を行く三輪トラックのおばちゃん。
どの街も三輪トラックが多い。
マリクワト遺跡
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少し郊外に出ます。
ここはマリクワト遺跡
买力克阿瓦提古城とある。
(最初の买は漢字では買です)
マリクワト遺跡
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入口から遺跡までのロバ車。
遺跡の道は悪く、荷台から落ちます。
マリクワト遺跡
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遠くに遺構が見える。
マリクワト遺跡はホータン市内から車で半時間程のマリクワト村にある。
マリクワト遺跡
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地元のマリクワト村の子供たち。
遺跡まで勝手に付いて来ました。
マリクワト遺跡
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かなり広い範囲に土でできた遺構が点在する。
全ての近くに行くには時間が掛かるので、主要な遺構に向かう。
マリクワト遺跡
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マリクワト遺跡は古城遺跡。
歴史によると紀元前3世紀頃、この地に于寘国が建国された。
マリクワト遺跡
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于寘国は後述する玉の産地で、良質の玉や西暦1世紀に入って来た絹で栄えた。
マリクワト遺跡
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マリクワトとは、マリ=女王、クワト=にぎやかな所、と言う意味だそうだ。
マリクワト遺跡
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これは仏塔跡と言われている。
仏教王国としても栄えた于寘国には古代インドより、いち早く仏教が伝来した。
マリクワト遺跡
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ここは主要な遺構の一つ。
住居跡とされている。
マリクワト遺跡
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唐の時代に玄奘三蔵がここを訪れ、詳細な王国の記録を残している。
マリクワト遺跡
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最近の研究では、王宮と言うより、仏教寺院だったと言う説がある。
今に残る遺構は伽藍や僧房だとの事。
マリクワト遺跡
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于寘国は建国以来、漢や遊牧騎馬民族の匈奴、チベットの吐蕃などの支配下になったが、王国としての体面は保ち続けた。
マリクワト遺跡
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今にも崩れ落ちそうな遺跡の上に建つ。
大丈夫かな。
マリクワト遺跡
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11世紀に入りイスラム王朝のカラハン朝の侵略を受けて仏教は衰退。
その後イスラム国家となり、数々の仏教寺院は破壊された。
マリクワト遺跡
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食糧庫の跡なのか、奥行きのある穴が開いている。
カラハン朝はこの王国を廃墟とした後、10k程離れた所に新しい町を作った。
現在のホータンの街である。
マリクワト遺跡
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遺跡は中国の文化財に指定されているが、風化も進み、見る限り保存管理はされていない。
マリクワト遺跡
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現在は見渡す限りの砂漠の中で、昔の栄華を偲ばせる遺構が残るばかり。
マリクワト遺跡
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遺跡の観光はおしまい。
ロバ車に乗るお姉ちゃんと、まだ小っちゃい男の子。
マリクワト遺跡
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マリクワト村の家族。
遺跡入口にて。
白玉川
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マリクワト遺跡から歩いて行ける所に白玉川が流れている。
車の車窓からの白玉川。
白玉川
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崑崙山脈から流れ出し、ホータンの街を潤す川は2つある。
西側にカラ・カシュ川:黒玉川、東側にユルン・カシュ川:白玉川。
それらが合流し、ホータン川となりタクラマカン砂漠に流れ出す。
白玉川
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この白玉川はホータンの玉が採れる事で有名。
筆者も川辺で探したが、見つかるはずもない。
白玉川
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ホータンの玉を売り歩く女性。
玉とはヒスイの事で、その中でもホータンの玉は希少な軟玉。
白玉川
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ホータンの玉を売る女の子。
崑崙山脈で産出される玉、ヒスイには、より多く採れる硬玉を崑崙玉、貴重で高級な軟玉をホータンの玉、和田玉とされる。
白玉川
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ホータンの玉を売る女の子。
古来より玉に対して神秘的な力を持つと信じられ、死後の世界も司る物とされ、王族の埋葬の際、副葬品として納められた。
アトラス・シルク手工房
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ここは絹製品の工房。
その入り口風景。
アトラス・シルク手工房
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入口から工房へと続く通路にはぶどう棚が作られていた。
アトラス・シルク手工房
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庭で見かけた子供たち。
ホータンは玉の他に名産品として絹が有り、主産業となっている。
アトラス・シルク手工房
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工房内の風景。
煮繭の工程。
互いにくっ付いている繭の糸を解き解すために接着を和らげる作業。
アトラス・シルク手工房
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生糸を紡いでいる。
古く、絹は遥か東の地でのみ生産されていた。
アトラス・シルク手工房
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ホータンの王は東の国より妃を迎える事になった。
国外に持ち出し禁止だった繭と桑を、東からの妃に密かに頼んだ。
アトラス・シルク手工房
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王妃は冠に繭と桑の種を隠し、嫁ぎ先のホータンに持ち出す事に成功する。
こうして中国以西の地で絹が初めて産出する事になり、ホータンは栄えた。
アトラス・シルク手工房
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ホータンの絹の起こりの伝承は玄奘三蔵の大唐西域記の中に書かれている。
また、20世紀初頭、タクラマカン砂漠に眠っていた都市遺跡ダンダン・ウィリクが発見され、玄奘が記した伝説を描いた板絵が出土した。
アトラス・シルク手工房
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織物をする職人の女性。
3500本もの糸を使って織る。
一日掛けて4~5センチしか織る事ができない。
アトラス・シルク手工房
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中庭で、お母さんと坊や。
この坊や、さっきベビーカーで泣いていた男の子だ。
アトラス・シルク手工房
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アトラス・シルクのアトラスとは絞り染めの事で、ウイグルの女性が織る製品は伝統的な織り方で作られ、とても人気が高い。
アトラス・シルク手工房
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出来上がったシルク製品。
絨毯やタペストリーなどが並べられている。
ヤルカンドへの道
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ホータンを後にして西へ。
ヤルカンドの街を目指します。
車窓からの風景。
荷崩れしそうなトラックが走っている。
カルギリク駅
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ヤルカンドへの道の途中、鉄道の駅、叶城站があった。
カシュガルからシルクロード西域南道に沿ってホータンまで開通している喀和線だ。
この路線を使えば、トルファンからの南疆線経由で、上海や北京まで鉄道で行く事ができる。