中華人民共和国(香妃墓)
香妃墓
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ここは香妃墓。
カシュガルの中心地から北東へ数kほどにある。
その入り口風景。
香妃墓
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ここは16世紀末期、この辺りを統治した支配者、マホメットの直系の子孫と称するアパク・ホジャとその一族が眠る陵墓。
写真左側は付属するモスク。
香妃墓
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入口にあった案内図。
正式名称は阿巴克霍加麻扎香妃墓。
香妃墓
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入口を入って直ぐ左にあるモスク。
石造りのモスクが多い中、このモスクは木造平屋の建物。
クラシックな雰囲気を残す。
香妃墓
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アパク・ホジャ一族の霊廟。
正面には美しいバラの花壇があった。
霊廟を飾る美しい緑のタイル。
カシュガルとは緑のタイルの街、の意味との事。
香妃墓
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そもそもアパク・ホジャ一族の墓なのに、なぜ香妃墓と呼ばれるのか。
ホジャ一族の墓所は一人の美女、香妃の伝説でも名高い。
香妃墓
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時は清王朝、6代皇帝乾隆帝の時代、清は新疆征服に出立し、アパク・ホジャ一族の国を陥落させた。
香妃の夫だったウイグルの長は討たれて戦死し、香妃は後家となる。
香妃墓
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霊廟内の風景。
霊廟には5世代に渡って75人の一族が眠る。
香妃墓
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香妃は美しく、その名は遠く清王朝にも届いていた。
香妃は捕えられ、乾隆帝のいる紫禁城へ連れていかれた。
香妃墓
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香妃は乾隆帝に自害を申し出るが、香妃の美しさに心を奪われた乾隆帝は死を許さず、あまつさえ妾妃にされる。
しかし香妃は乾隆帝の求愛を拒み続けた。
香妃墓
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花壇に美しく咲くバラの花。
香妃の名は、体からは何とも言えぬ、芳しく甘い香りが漂っていたためと言われている。
香妃墓
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イスラム様式のお墓が並び、地元のウイグルの人々が眠る。
ホジャ一族の墓所はカシュガルのイスラム教徒の聖地でもある。
その傍らに自分の墓を求める人が今なお後を絶たない。
香妃墓
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香妃墓の霊廟を背景に、筆者と添乗員のかわいいお嬢さん。
香妃は望郷の念を募らせ、宮殿の窓際に寄っては西の空を恋しがり、日々涙した。
香妃墓
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霊廟に隣接する神学校メドレッセ。
その入り口風景。
香妃墓
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神学校メドレッセの全景。
香妃に溺れ、政務を疎かにする乾隆帝を見、皇太后は香妃が破滅をもたらすとし、心憎く思った。
香妃墓
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霊廟に隣接する金曜モスク。
イスラム建築様式の多柱式で建てられていて、木造の柱はムハンマドの没年齢と同数の62本で構成されている。
香妃墓
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皇太后は乾隆帝が留守にした際に香妃に死を迫る。
香妃は従容として従い、死に就いたと言う。
香妃墓
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香妃の遺骸は総勢64人が3年掛けてカシュガルへ運び、ここの霊廟に安置した。
しかし、これらの話は清王朝の記録には存在せず、伝説となっている。
香妃墓
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金曜モスクの美しい天井と梁の装飾。
香妃墓
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香妃墓観光はおしまい。
出入り口のイワーンの風景。
香妃墓
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観光用のラクダ。
香妃墓
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ラクダに乗る小さな女の子。
ラクダの大きさに比べてちっちゃい。
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お土産屋の風景。
ホータンの玉を売っていた。
カシュガルとは玉の集まる所、玉の市場とも言われる。
香妃墓
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お茶を飲み、おしゃべりに一時を過ごすカシュガルのお姉さん方。
香妃墓の入り口にて。