中華人民共和国(莫爾仏塔)
莫尓仏塔遺跡
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カシュガルの街から郊外へ出ます。
北東へ数十キロ、ここは莫尓仏塔遺跡。
莫尓仏塔遺跡
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遺跡入口の石板。
莫尓はモールと読みます。
莫尓仏塔遺跡はカシュガルから車で一時間チョット、タクラマカン砂漠の真っただ中にある。
莫尓仏塔遺跡
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タクラマカン砂漠と言っても、とても広い。
場所によっては文字通りの砂が被っている所もあるが、この辺りは土の砂漠、いわゆる土漠だ。
しかも粘土質で粒子がとても細かい。
風が吹けば目に入り、充血します。
莫尓仏塔遺跡
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この辺りには唐の時代に栄えた疏勒国の都城ハンノイ故城の遺構が、東西10k、南北6kの広大なエリアに残る。
その仏教遺跡が莫尓仏塔遺跡で、中国では最西端の仏教遺跡となる。
莫尓仏塔遺跡
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仏塔。
仏塔とは釈迦の遺物である仏舎利を安置するため建造物で、インドでのストゥーパの事。
高さは15m程の日干しレンガを積み重ねて建てられている。
莫尓仏塔遺跡
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莫尓・モールとはウイグル語で煙の出る煙突、つまりは烽火台の意味を持つ。
これは仏教伽藍に疎かった人達が、塔の形を見て古来よりある狼煙台と思い、モールと呼ばれるようになった。
莫尓仏塔遺跡
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今に残る仏教伽藍の跡。
唐の時代の女帝、則天武后はそれまで重んじられていた道教より仏教を重んじ、熱心な仏教信者となった。
莫尓仏塔遺跡
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則天武后は各地に寺を建立し、土地・金品を奉納した。
そして、もはや自らを弥勒菩薩の生まれ変わりと信じる様になり、偽作の仏教経典、大雲経まで創り出した。
莫尓仏塔遺跡
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則天武后は大雲経を納める仏教寺院、大雲経寺を各国に建立させた。
今に残る莫尓仏塔遺跡は、その大雲経寺の伽藍の一部と言われている。
莫尓仏塔遺跡
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唐の時代に三蔵法師、玄奘三蔵が天竺からの帰り、疏勒国に立ち寄った。
帰国後に記した大唐西域記に当時の様子を、伽藍数百、僧万人余、と残しており、疏勒国での仏教信仰の繁栄さがうかがえる。
莫尓仏塔遺跡
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9世紀から12世紀ごろまで栄えた疏勒国だが、唐の滅亡後、カラハン朝の支配によってイスラム化し、大雲仏寺は焼失した。
莫尓仏塔遺跡