中華人民共和国(コロンス島)
フェリー
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これからコロンス島へ向かいます。
ここはアモイ港フェリー・ターミナルビル。
フェリー
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とてもモダンな、この新しいフェリー・ターミナルは最近できたもの。
フェリー
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飛行場の様な雰囲気のフェリー・ターミナル。
以前の乗り場は地元の人専用となり、観光客はここを使う。
フェリー
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フェリーの乗船口。
チケットをチェックされ、手荷物検査台を通し、金属検査ゲートをくぐる。
飛行場並だ。
フェリー
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フェリーの甲板から見た埠頭の風景。
フェリー
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フェリーから見たフェリー・ターミナルの全景。
フェリー
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フェリーからの風景。
磯の岩場で釣りを楽しむ市民。
フェリー
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フェリーからの風景。
高層ビルが立ち並ぶ、アモイの街の遠景。
フェリー
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船内の風景。
そろそろコロンス島に近づいて来た。
待ちきれなくて席を立ち、列を作る人々。
フェリー
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フェリーからのコロンス島の風景。
丸いドームの建物は八掛楼。
フェリー
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コロンス島に到着。
島へと続く桟橋の風景。
コロンス島
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島内はそれほど広くは無く、海岸線の遊歩道を景色を見ながら歩いて行きます。
疲れた方は島内を周遊する観光客向け電動カートを利用する。
コロンス島
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引き潮の時間帯だった、海岸線の風景。
コロンス島はアモイ島の西南に浮かぶ小島。
コロンス島
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花壇の手入れも行き届いている。
南京条約により開港した5港には各国の外国人居留地、いわゆる租界が設けられた。
コロンス島
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アモイにもアモイ租界が設けられ、コロンス島には各国の領事館が置かれた。
この建物は旧日本領事館。
他にはイギリス、フランス、ドイツ、オランダ、スペイン、ポルトガル、アメリカなど13カ国。
コロンス島
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この辺りの通りは鹿礁路。
教会は天主堂教会。
各国によって建てられた建物は領事館や教会以外にも学校、や病院、商業ビルなどがある。
コロンス島
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真っ白なタキシードとウェディングドレスを着ている新婚カップル。
コロンス島のあちこちで新婚さんを良く見かけた。
コロンス島
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こちらも新婚カップル。
花嫁さんは、この上ない幸せな表情をしていた。
コロンス島
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この辺りは福建路。
建物は紅磚楼。
島内に残る租界時代の面影。
コロンス島
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古い建物が残る通りの風景。
島内は道が細く、観光客への安全と環境問題のため、一般の車両の通行は禁止されている。
コロンス島
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この辺りは龍頭街。
お店が連なる、にぎやかな通り。
現在、島には2万数千人が暮らしている。
コロンス島
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租界時代には外国に交じり、中国華僑の富裕層の人達もこの地に住み、住宅や別荘を建てた。
この建物も中国らしい年代物の建物だ。
コロンス島
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フルーツの屋台。
イチゴやベリー、マンゴーなどのカップ入りを売っていた。
コロンス島
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広場に出た。
毓園とある。
コロンス島
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毓園に建てられていた石像。
この方は産婦人科医の偉い先生だとの事。
コロンス島
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赤ん坊を両手で持ち上げているモニュメント。
コロンス島
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アモイ市音楽学校。
コロンス島では音楽が盛んで、特にピアノの普及率が高く、著名なピアノ演奏家が世に出ているため、ピアノの島とも呼ばれている。
コロンス島
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華僑の人の別荘だった李家荘、現在はカフェ・レストラン。
コロンス島は中国語では鼓浪嶼と書く。
コロンス島
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李家荘の風景。
コロンス島、中国語表記の鼓浪嶼の由来は、海岸の断崖に開いた洞窟に波が打ち付け、つづみの様な音が響いた事から。
コロンス島
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大きな石板が立つ広場に出た。
石碑の様だ。
中央には「厦門籍体育明星簡介」と刻まれている。
ここにはアモイのスポーツ競技で活躍した選手が自筆のサインと共に紹介されている。
コロンス島
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広場には少年たちがサッカーをしている銅像が置かれていた。
コロンス島
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ここにも銅像が立っている。
後の壁には「為祖国健康工作五十年」とある。
スローガンの様で、「祖国のために健康に50年仕事します。」との意味。
コロンス島
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ここは人民運動場だ。
名前は「馬約翰体育場」とあった。
コロンス島
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高台に建つ洋風の建物はホテル。
租界時代、西洋人も多く暮らしており、1600もの別荘が建てられた。
コロンス島
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いろいろな柑橘類が売られていた。
菽荘花園
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島を散策した後、次は島の南部にある菽荘花園へ向かった。
その入り口の風景。
菽荘花園
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菽荘花園の銘文が彫られた石碑が建つ。
菽荘花園
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菽荘花園は海岸部の蔵海園と岩山の袖山園に大きく分かれている。
菽荘花園
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まずは海岸に造られた蔵海園を散策。
菽荘花園
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磯の岩をつなぐ様に橋が架けられている。
四十四橋と名付けられている。
菽荘花園
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四十四橋からの風景。
菽荘花園から続く浜辺は港仔後海水浴場。
綺麗な砂浜が広がり、多くの人達が海水浴を楽しんでいた。
菽荘花園
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四十四橋は海に浮かぶ様に架けられている。
この時は干潮だったが、満潮時には下を波が通り過ぎ、海の上を歩く様に見える。
菽荘花園
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四十四橋には所々に東屋が建てられており、美しい海岸を眺められる様にしている。
東屋は渡月亭、観釣台などがある。
菽荘花園
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海岸線や岩山などの自然を取り込み、庭園の風景が巧みに調和する設計がなされている菽荘花園。
菽荘花園
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高台からの風景。
四十四橋が手前に、右奥の岩山はこれから訪れる日光岩、左には港仔後海水浴場が広がる。
菽荘花園
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海岸の蔵海園を離れ、高台へ。
ピアノ博物館前の庭園風景。
菽荘花園
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園内にあるピアノ博物館。
コロンス島出身の著名なピアノ演奏家が収集した様々なピアノを展示している。
菽荘花園
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次は人工の岩山を中心にした庭園、袖山園。
菽荘花園
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袖山園には十二洞穴と呼ばれる沢山の洞窟がある。
菽荘花園
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上から見た袖山園。
迷路になっていて、洞窟をくぐって出た先は行き止まりだったり、階段を降りた先は今上った所だったり、大変だった。
菽荘花園
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小岩を積み重ねて造った袖山園は賽の河原を彷彿とさせる、殺伐とした雰囲気が漂う。
菽荘花園
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袖山園はこうして眺めると、香港にあったシュールで不思議なテーマパーク、タイガーバーム・ガーデンを思い出す。
菽荘花園
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日清戦争後にコロンス島へ移り住んだ、台湾出身の富豪が造園した庭園。
中国江南地方の様式をもつ、この庭園は元々、個人的な別荘だった。
菽荘花園
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アモイの観光スポットはいくつかあるが、とても風光明媚な菽荘花園も、その一つ。
日光岩
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次は日光岩を観光。
日光岩入口の風景。
日光岩
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ここは日光岩のふもとにある日光巌寺。
その入口、大門の風景。
蓮花寺院とも呼ばれる。
日光岩
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巨石の絶壁には清朝末期の台湾の政治家で、駐日大使にもなった許世英の書、「天風海涛」と「鼓浪洞天鷺江第一」が残っている。
日光岩
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更に奥に行くと円通禅寺がある。
円通禅寺境内の風景。
日光岩
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この巨大な岩には晃巌とある。
古くは日光岩は晃巌と記述されていたが、台湾の英雄、鄭成功は晃の字を上下に分解して日光とし、日光岩となった。
日光岩
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石碑には、日本語に直すと龍頭山寨遺址とあった。
龍頭山とは日光岩頂上の一番高い岩山。
日光岩
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今に残る砦の跡、龍頭山寨の大砲の残骸。
鄭成功は台湾を支配していたオランダ軍を討ち払うため、ここ日光岩を砦にして兵隊を集め攻撃した。
日光岩
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大砲の残骸で遊ぶ地元の子供たち。
鄭成功の父は福建省出身者で日本の平戸に住んでおり、母親は日本人。
日光岩
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龍頭山の山頂への登山道。
階段ばかりで結構険しい。
日光岩
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龍頭山の山頂の展望台。
展望台は狭く、登る人達で渋滞している。
日光岩
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展望台から今来た道沿いの風景。
日光岩は人気観光地で、とても大勢の人達だった。
日光岩
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展望台から北側の風景。
租界時代当時の洋館や教会などが今に残っている。
日光岩
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展望台から見た八掛楼。
この建物はコロンス島風琴博物館。
風琴とはオルガンの事で、古いものや小さいものから6mもの巨大なパイプオルガンまで様々なオルガンを展示している。
日光岩
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展望台から東側の風景。
遠くには霞んでいるが、アモイの高層ビル街が見える。
日光岩
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展望台から南側の風景。
右奥には港仔後海水浴場のビーチ、その左には先程訪れた、菽荘花園の四十四橋が見える。
日光岩
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日光岩の龍頭山はコロンス島で最も高い標高93mの位置にあり、島内のパノラマ風景が楽しめる。
日光岩
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ふもとから見た日光岩の頂上。
少し高さの違う大きな岩が二つ立つ。
山の名は龍頭山。
コロンス島
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コロンス島観光はおしまい。
アモイの街へ戻ります。
ここは帰りのフェリー乗船券売場。
フェリー
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コロンス島フェリー乗り場、三丘田フェリーターミナルの風景。
コロンス島は、鼓浪嶼:歴史的共同租界としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
フェリー
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帰りのフェリー甲板から眺めた、コロンス島海岸線の風景。
フェリー