中華人民共和国(福建土楼)
バナナ農園
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これから福建省での有名な観光地、福建土楼へ向かいます。
道中、車窓に広がるバナナの木の風景。
福建省
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車窓風景。
福建省は台湾海峡を挟み台湾の西に位置し、亜熱帯気候で、気候は暖かく雨が多いのが特徴。
福建省
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茶畑の風景。
福建省は烏龍茶の生産地として広く知られ、道路沿いにも沢山の茶畑が広がっていた。
華安大地土楼群景区
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朝アモイを発って3時間、ようやく到着。
ここは数ある福建土楼の中の大地土楼群、その入場券売り場がある入口風景。
ここから専用の電動カートに乗り換えて土楼観光へ向かいます。
華安大地土楼群景区
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この辺りの村に暮らす親子。
そこそこ山深い所まで来た。
華安大地土楼群景区
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この辺りの村の風景。
これは大きい方の家だ。
華安大地土楼群景区
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ちょっと失礼して民家の写真を撮らせてもらう。
土壁には薪が置かれ、土間がある家。
田舎の原風景だ。
華安大地土楼群景区
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更に失礼して家の中へ。
自然光を取り入れるシンプルな造り。
二宜楼
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華安大地土楼群には二宜楼、東陽楼、南陽楼の3つの土楼がある。
電動カートを下り、まず訪れたのは二宜楼。
のどかな田園風景が広がる中に、ドンと威風堂々たる姿を現した。
二宜楼
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二宜楼の側面からの全景。
福建土楼とは、福建省南西の山岳部に点在して残る独特の家屋の事で、集合住宅となっている。
二宜楼
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二宜楼の壁。
福建土楼の壁は、下部の基礎は石を積み石垣とし、その上は土を強く突き固め土壁とする版築と呼ばれる手法で、とても堅固に造られている。
二宜楼
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二宜楼の入り口の門。
これから中へ入ります。
通常、土楼では入り口は一つしか設置されていない。
しかも、破られにくい、とても頑丈な門となっている。
二宜楼
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二宜楼内側、門から中庭へと続く通路。
多くの円楼の壁の厚さ1m~1.5m程だが、石垣に花岡岩を用いている二宜楼は2.5mにもなる。
二宜楼
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二宜楼の中庭風景。
中庭にはパラソルが立ち並び、様々な民芸品や特産品を売っていた。
観光客も多く、住人達にとっては貴重な収入源になっているのだろう。
二宜楼
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二宜楼の中庭風景。
土壁は竹を編んだ格子を骨格にし、土に粘質の高い泥や黄土を用い、粘り気の強いもち米を混ぜて強度を出している。
土壁の内に木材を使い住居を組み立てている。
二宜楼
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土楼に暮らす客家(ハッカ)の伝統的な家屋の風景。
客家とは漢民族の一部をなす人達で、少数民族の分類には入らない。
二宜楼
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二宜楼に暮らす家族。
歴史を見ると客家の祖先は北方の黄河流域などに暮らしていた。
古代中国、戦国時代より戦乱を避け、南へ南へと逃れ、定住と移動を繰り返していった。
二宜楼
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二宜楼に暮らす婆さま。
移って来た先の人達にとっては客家は流れ者であり、招かれざる客と言えるだろう。
土地の人達との仲は悪く、もめ事が絶えなかった客家の人達は、より結束し、仲間が集まり暮らす様になる。
二宜楼
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これから上の階へ上ります。
木の階段の踊り場にはユネスコ世界文化遺産の登録証として福建の土楼・二宜楼のプレートが取り付けられていた。
二宜楼
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狭くて細い階段と通路の風景。
客家のそう言った境遇に適応するため、土楼は外部からの侵入、山賊からの襲撃を防ぐ目的で、独特の形を有した砦としての機能を持つ、堅固な集合住宅として建設された。
二宜楼
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三階から見た二宜楼。
二宜楼は外側が直径74m、四階建てで高さ16mもあり、円楼として美しい姿から円楼の至宝と呼ばれている。
二宜楼
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三階から見た一階の風景。
内側に一階建ての円楼が建つ二重円楼の構造で、外側の円楼と内側は屋根のある通路でつながっている。
二宜楼
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三階から見た二宜楼の全景。
全体がドーナツ型の綺麗な円形になっている事が判る。
二宜楼
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部屋の数は併せて192部屋があり、現在100人程の人達が暮らしている。
二宜楼の建設が始まったのは1740で、完成までに30年もの時間が掛かったとの事。
二宜楼
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階層の役割は、一階が台所と食堂、二階が貯蔵倉庫、三階と四階が住居になっている。
水源は専ら井戸で、2~3個の井戸を共用している。
二宜楼
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有名な逸話がある。人工衛星写真が今ほど高性能でも鮮明でも無かった時代の話。
アメリカ軍部が撮影した衛星写真を分析していた時、福建省に正確な円形をした、いくつもの建造物を発見した。大陸間弾道ミサイルの発射基地、ミサイルサイロと思い込んだアメリカはこの地へ偵察にやって来て、奇妙な形をした民家だったと納得をした、との事。
二宜楼
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ここは通路。
外壁と住居の間にとても狭くて細い通路が円楼を一周している。
この通路は発見されない様に隠し通路になっている。
二宜楼
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外壁には狭間と呼ばれる小さな窓が開き、外敵からの攻撃を防御しながら鉄砲や弓矢で攻撃できる様になっている。
この通路は攻撃場所の迅速な移動や武器弾薬の運搬に適した造りとなっている。
二宜楼
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漆喰で作った白壁に残されている年代物の書。
他にも壁画として山水画、水墨画も残っている。
二宜楼
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三階の一部は店舗になっていて民芸品を売っていた。
ウーロン茶も売っており、高級茶葉から庶民用のリーズナブルな茶葉まで様々な種類が売られていた。
二宜楼
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円形土楼の形をした灰皿。
他にも、民芸品として置物が売っていた。
大地村
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三階から見た、二宜楼の外側周辺の風景。
古い民家が立ち並び、田園風景が広がるここは、福建省華安県大地村と言う地名で、その地名のまま華安大地土楼群景区と指定されている。
大地村
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二宜楼の外側周辺の風景。
土楼の形は円形のドーナツ型が良く知られるが、四角形をした方楼と呼ばれる土楼もいくつか残る。
華安大地土楼群景区に残る3つの土楼の中で最も大きな土楼が二宜楼。
大地村
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二宜楼の外側周辺の風景。
客家の人達は方言の一種である客家語を話す。
研究者によると客家語には古代の言語が受け継がれているらしい。
大地村
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二宜楼の外側周辺の風景。
円形土楼の内側は中庭になっていたり、小さい円形土楼が建てられていたりする。
土楼の大きなものでは四重にもなるものもある。
大地村
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大地村の風景。
二宜楼を離れ、華安大地土楼群景区の2つ目の土楼、東陽楼と南陽楼へ向かう。
二つはほぼ並び建つ様に近くにある。
土楼は福建省南部に残る福建土楼以外にも、数こそ少ないが広東省にも残る。
大地村
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大地村の母子。
客家の人達は福建省から海を隔てて東にある台湾や海外に住む華僑の人達の中にも多くいる。
有名人にも客家の人がおり、孫文・鄧小平・李登輝など、そうそうたる顔ぶれだ。
大地村
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大地村の家屋の風景。
客家の人達が多く暮らす福建土楼は客家土楼とも呼ばれるが、現在の居住者がすべて客家の人達と言う訳では無く、福建省南部の人達も多く住んでいる。
大地村
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大地村の風景。
最大の土楼、高北土楼群景区の承啓楼には60家族、300人以上が暮らす。
最古の土楼は下板村裕昌楼で1300年代に造られたもの。
大地村
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現在に残る土楼は大小2万を超え、その内の華安大地土楼群や初渓土楼群、田螺坑土楼群など46棟が福建の土楼としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
大地村
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周囲に広がる茶畑の風景。
茶畑の小路を10分ほど歩くと南陽楼の入り口へ着く。
南陽楼
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茶畑越しに見る南陽楼の全景。
1810年に建てられた。
侵入するのに困難で、何日でも籠城が可能な土楼には、大人数の山賊団であっても、わざわざ襲撃する事は無かったと言う。
南陽楼
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南陽楼は二宜楼より小さい土楼で、三階建ての二重円楼。
下部基礎部分、岩石を積んだ石垣の高さは、洪水が発生した場合、土壁に被害が出ない事を想定した高さ。
また基礎は地下2mもあり、侵入者が地面を掘って入り込む事を防いでいる。
南陽楼
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ため池の前に建つ南陽楼の風景。
下層部には窓は無く、最上部に小さな窓、狭間が開く。
現在、全体が土楼博物館として管理されており人は住んでいない。
南陽楼
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南陽楼の入り口風景。
どの土楼も入口は大きな石を使って堅固に造られている。
木製の門扉の場合、敵の火責めに備え、門の上部には水桶が置かれていた。
南陽楼
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南陽楼の中庭風景。
冠婚葬祭などの儀式一般は土楼の中で執り行われる。
2m程の大きい軒先は土壁に水が垂れて削れるのを防止するため。
東陽楼
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東陽楼の石碑が建つ入り口の風景。
南陽楼から歩いて直ぐの所に残る。
東陽楼
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東陽楼の正面風景。
この土楼は方楼と呼ばれる四角形をした二階建ての造り。
東陽楼
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東陽楼の入り口の風景。
小型の土楼でも入り口の門は堅固に造られている。
東陽楼
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東陽楼の二階から眺めた内側の風景。
中庭を囲み、二階建ての部屋が四方に並ぶ。
下町の長屋の雰囲気だ。
東陽楼
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ここに暮らす人達は二十数名ほどと小さい土楼。
全ての土楼を見た場合、小型の土楼の方が多く、その多くは方楼である。
南陽楼と同じ時期の1810年に建てられた。
東陽楼