エストニア共和国(ナルヴァ)
エストニア-ロシア国境
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ここはエストニア共和国の北東部の街ナルヴァ。
ロシアとの国境にある街。
写真はロシア側の入出国ゲート。
筆者もロシアから陸路国境越えをしてきました。
ナルヴァ川
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ここはナルヴァ城。
流れる川は国境線を意味しているナルヴァ川。
川に架かる橋はエストニアとロシアを結ぶ友好橋。
ロシアへと延びるペテルブルグ街道上にある。
筆者もここを渡って入国しました。
ナルヴァ城
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ナルヴァ城。
ロシアとの国境を守る砦として建てられた要塞、ナルヴァ城。
ナルヴァの街はエストニアの都市で、首都タリン、大学の街タルトゥに次いで3番目に大きな街。
ナルヴァ城
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ナルヴァ城の風景。
白い四角の塔はヘルマンの塔。
右手奥はナルヴァ川をはさみ、対岸のロシア側に建つイワンゴロド城。
ナルヴァ城
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ナルヴァ城に残るかつての城壁の跡。
角に建つのは見張り塔。
エストニアは13世紀にデンマーク王国の支配下になり、エストニア人が暮らす町に城塞を建設して行った。
ナルヴァの街もその一つで、ナルヴァ城はデンマークが建設した城塞。
ナルヴァ城
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ナルヴァ城の中庭の風景。
周囲の建物はかつての修道院跡。
中庭の広場ではコンサートなど、イベントが度々開催されている。
ナルヴァ城
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中庭に残る砲台。
ナルヴァ城、最初の城は木造だったが、14世紀に石造の城に建て替えられた。
白い城の塔、ヘルマンの塔は15世紀末に対岸のイワンゴロド城が築城され、対抗するために建てられた。
ナルヴァ城
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ナルヴァ城の中の博物館。
ナルヴァの歴史や遺物が展示されている。
またショップもあり、お土産や飲食物を買える。
ナルヴァ城
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ナルヴァはロシアと国境を接していたため、国境を守る城塞都市となった。
また、バルト海にも近かったため、海運交易の拠点として発展して行った。
地理的にも要衝の地であり、何度も戦場となる。
イワンゴロド城
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ナルヴァ城から見たロシア側のイワンゴロド城の風景。
ナルヴァは18世紀、スウェーデンとロシアの大北方戦争や第二次大戦のナチス・ドイツとソ連の戦闘、ナルヴァの戦いなどの戦場となる。特に第二次大戦では激戦地となり、かつてはバルト海の真珠とも言われた歴史的で美しい街並みは戦火に遭い、失われた。旧ソ連から独立後に街は復興されたが、現在の街並みは再建されたもの。
ナルヴァ川
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ナルヴァ川の風景。
ナルヴァ川には細長い中州ができていて、島状になっているため橋が架けられている。
ナルヴァ川は北西に流れ、15kほどでバルト海に流れ込む。
イワンゴロド城
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イワンゴロド城はナルヴァの東、ロシアのイワンゴロドの街に建つ城塞。
15世紀末にモスクワ大公国のイワン3世の命により要塞として建てられた。
城と街の名はイワン3世に因んでいる。
ナルヴァ城
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イワンゴロド城を背景に筆者近影。
ナルヴァ城観光はおしまい、これからナルヴァの町を後にラクヴェレ城のあるラクヴェレの町へ向かいます。