エストニア共和国(ラクヴェレ)
車窓風景
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ナルヴァの街を離れ、西へ。
ラクヴェレと言う街へ向かう。
途中、車窓からの風景。
車窓風景
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車窓からの風景。
一面、穀倉地帯が広がる。
筆者が訪れたのは9月だったが、夏が短いエストニアでは既に収穫の時期になっていた。
車窓風景
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車窓からの風景。
エストニアは農業以外にも酪農も盛ん。
農業にしても酪農にしても、エストニアの国自体が小さいので、他の国に比べて生産量はそれほど高くない。
車窓風景
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海が見える。
この辺りは丁度、フィンランドとの間にあるフィンランド湾の南側だ。
フィンランド湾はバルト海の一部で、バルト海東側に位置する、東西に長い湾。
東の端にはロシア、サンクトペテルブルクがある。
車窓風景
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牧歌的な風景が続くエストニア北部の風景。
ナルヴァから次のラクヴェレまでは、直線距離で100kちょっと。
ラクヴェレ城
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ラクヴェレの街に到着。
ここは小高い丘に残るラクヴェレ城の跡。
早速、登ってみます。
ラクヴェレ城
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5世紀ごろエストニア人がこの丘に木造の簡単な要塞を建てた事が始まりとされる。
この地は13世紀にデンマーク王国の支配下になり、エストニア人の要塞の跡に石造りの城塞を築いた。
ラクヴェレ城
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城塞跡からの周辺の風景。
これは風車の様だ。
城塞は丘の上には建っているが、それほど高くないので、あまり見通しは良くない。
ラクヴェレ城
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城塞跡からの風景。
この塔のある教会はラクヴェレ三位一体教会。
17世紀末に建てられた、エストニア福音ルーテル教会に属する教会。
ラクヴェレ城
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ラクヴェレ城は城塞として増築されて行ったが、スウェーデンによるエストニア公国としての支配時などに戦乱が度重なり、城塞は破壊された。
その後は修復されず、17世紀には廃墟となる。
現在は古代の遺跡の様な風貌だ。
車窓風景
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ラクヴェレの街の郊外の風景。
ちなみにラクヴェレの街の出身者に、元大相撲力士で大関までなった把瑠都がいる。
四股名はバルト海から。
現在は帰国し、政治家になっているらしい。
車窓風景
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ラクヴェレの街を後にして、エストニアの首都タリンへ向かいます。
車窓から風車のある風景。
風車にも色々な形がある様だ。
車窓風景
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風車のある風景。
フィンランド湾に面したこの辺りは風が良く吹くのだろう、至る所に風車が建っていた。
石造りのこれらの風車は、穀倉地帯で収穫できる穀物を製粉するのに使われる。