フランス共和国(モン・サン・ミッシェル)
車窓
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パリを離れ西のノルマンディー地方へ向かう。
途中の車窓からの風景。
車窓
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車窓からの風景。
北フランスの牧歌的な風景が続く。
車窓
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春らしい、黄色一面の菜の花畑が丘陵地帯を覆っている。
車窓
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そろそろ到着。
遠くにモン・サン・ミッシェルが見えてきた。
モン・サン・ミッシェル
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北フランスの代表的観光地、モン・サン・ミッシェル。
その全景。
モン・サン・ミッシェル
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羊が草をはむ、のどかなモン・サン・ミッシェル遠景。
ここの羊はサン・マロ湾の潮風にさらされ、塩気を含む牧草を食べて育ったプレサレ羊。
とても美味しく、名物料理となっている。
モン・サン・ミッシェル
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モン・サン・ミッシェルはノルマンディー地方のコタンタン半島とブルターニュ地方のブルターニュ半島に挟まれたサン・マロ湾の湾奥部に浮かぶ小島に建つ修道院。
モン・サン・ミッシェル
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モン・サン・ミッシェルは周囲1kほどの小島の岩盤の上に、中世の修道院建築物が城砦の様にように高くそびえ建つ。
サン・マロ湾は英仏海峡に向けて口を開け、潮の干満の差がとても大きい所。
モン・サン・ミッシェル
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モン・サン・ミッシェルで見かけたフランスの女の子達。
モン・サン・ミッシェル
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波打ち際の城壁風景。
城壁に突き出た塔はガブリエルの塔。
百年戦争時代には大砲が置かれていた。
モン・サン・ミッシェル
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モン・サン・ミッシェルの観光馬車。
モン・サン・ミッシェルは、モン・サン・ミッシェルとその湾としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
モン・サン・ミッシェル
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大潮の日の干満の差は十数mにもなる。
モン・サン・ミッシェルは満ち潮時には海に浮かぶ島となり、引き潮時には砂地の海底が姿を現すトンボロ現象によって陸繋島となる。
モン・サン・ミッシェル
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モン・サン・ミッシェルで見かけたお嬢さんたち。
モン・サン・ミッシェル
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中に入る最初の門を通り城壁の内側へ行きます。
ノルマンディー、マンシュの町アブランシュの司教が夢の中で大天使ミカエル(ミッシェル)から、この島の岩山に聖堂を建てよ、とお告げを受け、708年に礼拝堂を造った。
モン・サン・ミッシェルは聖ミカエルの山の意味。
モン・サン・ミッシェル
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メインストリートは曲がりくねった細い坂道。
多くの観光客が行き来する道沿いにはレストランやホテル、お土産物の店が軒を連ねる。
モン・サン・ミッシェル
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巡礼者達は引き潮時に現れた砂州の道を通り島に渡ったが、運悪く満ち潮になってしまい、猛烈なスピードで一気に押し寄せる潮流に飲まれて命を落とした者も多くいたと言う。
モン・サン・ミッシェル
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中世、カトリックの聖地となったモン・サン・ミッシェルには多くの信者が巡礼に訪れた。
モン・サン・ミッシェル
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大修道院教会の大聖堂ファサード風景。
現在は陸地と島の間で橋が掛かり、いつでも島に渡る事ができる。
モン・サン・ミッシェル
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大聖堂ファサード前、展望テラスからの湾内風景。
最初の橋は橋脚が無い堤防状の道路だった。
この堤防道路は以前に流れていた潮流をせき止めてしまった。
モン・サン・ミッシェル
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修道院の中庭風景。
周囲の建造物は列柱回廊。
モン・サン・ミッシェル
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修道院内のサン・ティエンヌ礼拝堂の祭壇。
十字架が立つ台座にはギリシャ文字のアルファとオメガのレリーフが残されている。
全ての始まりと終わりの事で、アルファは生をオメガは死を意味する。
モン・サン・ミッシェル
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堤防道路のせいで島の周辺には海砂が堆積し、ここ100年間で2mも積もってしまい、陸地化が進み、島の間際まで海水が来る事が無くなってしまった。
モン・サン・ミッシェル
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フランスは国家事業として、潮流をせき止めていた堤防道路を撤去し、潮流を邪魔しない橋脚のある橋を建設し、昔の様な自然の景観を取り戻す工事を行った。
モン・サン・ミッシェル