ホンジュラス共和国
国境
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ホンジュラスへの入国はグァテマラから陸路国境越え。
ここは国境の町エル・フロリド。
国境
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ググァテマラ〜ホンジュラス国境の入国審査場風景。
ホンジュラスは、グアテマラ、エル・サルバドル、ニカラグアと国境を接している。
国境
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グァテマラからの入国審査カウンター風景。
大きなリュックを背負ったバックパッカーが沢山いた。
テグシガルパ
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ホンジュラスは他の中米諸国同様、スペインによる侵略、植民地化の歴史を経て、独立、内戦、軍部クーデターによる独裁政権、それによる貧困など国民には辛い時代が続く。ここはホンジュラスの首都、テグシガルパ。一国の首都と呼ぶにはあまりにも小さな町。
サン・イシドロ市場
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テグシガルパ旧市街にある大きな市場。
ホンジュラス国内では規模において有数の市場。
サン・イシドロ市場
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たくさんの買い物客でにぎわうサン・イシドロ市場。
日用品から食料品まで何でもそろいます。
サン・イシドロ市場
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生鮮食料品が多く置いていた。
特に肉類は豊富で、内臓も多種多様の部位が生々しく置かれていました。
サン・イシドロ市場
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市場で働くお母さんと子供達。
サン・イシドロ市場
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動き回っていた、生きのいいカニ。
サン・イシドロ市場
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市場にいたホンジュラスの女の子。
サンミゲル教会
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街の中心にある中央広場。
ここにサンミゲル教会が建っている。
他にもスペイン統治時代の様式の教会がいくつか残っている。
ラリオナ公園からの風景
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街には坂が多く、高台からは市内の風景が一望できる。
急な坂を上った所にラリオナ公園があり、そこからの市内風景。
ラリオナ公園からの風景
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茶色の家々が立ち並ぶテグシガルパの市内展望。
ラリオナ公園より。
ラリオナ公園からの風景
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1998年秋に中米諸国を襲った巨大ハリケーン、ミッチー。ホンジュラス各地でも甚大な被害を被った。テグシガルパの外れなどではその傷跡が今でも残っていた。
テグシガルパ夜景
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テグシガルパの街はすり鉢状の盆地になっていて、段々に家々が立ち並ぶ。
特に夜景はきれいで、電球の赤みのある光が無数に灯っていた。
テグシガルパ夜景
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ホテルから見たテグシガルパ夜景。
ヨホア湖
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ホンジュラス第二位の都市、サン・ペドロ・スーラ郊外にある国内で最も広い湖、ヨホア湖。
ヨホア湖
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湖と周辺一帯は国立公園になっていて、数多くの鳥類が住む豊かな自然が残されている。
ヨホア湖
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この日はあいにくの霧雨で美しい湖の風景は灰色の中だった。
もやに煙る湖畔の風景。
魚の露天商
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ヨホア湖近くの道路沿いでは漁師達が湖で捕れた魚を売っていた。
魚の露天商
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魚はきれいに内蔵を取って縄で吊され、干物の様な状態で売られていた。
ランチ
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ランチの白身魚のグリル。
フルーツの露天商
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道路沿いに軒を並べる、バナナやパイナップルの露天商。
十数軒も連なっている。
フルーツの露天商
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この国はバナナやパイナップルなどのフルーツの一大産地となっている。これはかつてアメリカのフルーツ関連企業がホンジュラスに巨大なプランテーションを造った事から。そしてアメリカはそれらの運搬や海外輸出のためのインフラ、つまり道路、造船、電力といった多くの社会基盤を整備した。
コパン遺跡
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ホンジュラス観光のハイライト、コパン遺跡。
グァテマラ国境の町、エル・フロリドから近い所にある。
コパン遺跡の入り口風景。
国鳥パパガヨ
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遺跡入り口にいたホンジュラスの国鳥パパガヨ。
日本名では金剛インコで知られる。
逃げずに放し飼いにされていた。
11号神殿
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コパン遺跡の西広場にある人工の小高い丘アクロポリスの11号神殿。一説では天文台とも、王が広場に整列した兵士を見下ろす場とも言われている。
11号神殿
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階段の上、神殿中央にイークの彫像がある。イークは暗黒神で体に蛇がまとわり付き、松明か斧の様な物を持っている。神殿の守り神とされる。
筆者が訪れた時には無かったが、現在は彫像の上に雨よけのひさしが作られている。
16号神殿
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西広場にある16号神殿。
近年になって大学などの発掘調査が入り、この辺りの地下を掘った所、神殿の下にさらに古い神殿がいくつもある事が判った。
16号神殿
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16号神殿の前に彫刻された石碑が置かれている。祭壇Qと呼ばれるこの石碑の表面にはコパンを治めた全ての王が刻まれている。これら彫刻類にはマヤ文字が刻まれ、古代マヤ文明の謎を解く貴重な資料となっている。
ステラ
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石碑はステラと呼ばれ、各代の王や神をかたどっている。
これは西広場にある石碑P。
これ以外にもコパンには数多くのステラが立っている。
コパン遺跡
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グァテマラのティカルと並んで、中米の古代マヤ文明の代表的な遺跡コパン。この辺りの谷では紀元前14世紀頃には集落ができ、人々が暮らし始めた。西暦5世紀中頃コパン王朝が形成される。
居住地域
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当時の指導者や貴族達が暮らしていた居住跡とされている。
中米の密林の中、埋もれる様に残る貴重な古代遺跡は「コパンのマヤ遺跡」としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
居住地域
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コパンが最も栄えたのは7世紀の13代王朝の頃。
浮き彫りが美しいコパン独特の石像彫刻を施した数々のステラ(石碑)が作られる。
都市としても大きくなり、地方の王国も従えた大王国となった。
東側広場
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アクロポリス東広場の風景。人口3万人以上を超える王国となったコパンは高度な文明をも持っていた。例えば天文学は高度に発達し、暦において一年の長さは現在と比較しても、わずか数十秒の誤差と言う精度だった。
南側広場
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コパン遺跡全体の広さは東西300M、南北600Mと南北に長い。
22号神殿
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東広場に建つ22号神殿。
13代王による建造。
22号神殿
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巨木の根が遺跡の石の間に入り込んで、少しずつ崩壊させている。
球戯場跡
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13代王により建設された球戯場。
古代マヤ遺跡の球戯場では最大級の規模。
球戯場跡
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当時サッカーの様な球技が行われていた。
スポーツとして行われた訳ではなく、農作物の豊作を祈願し、天候や天文を占うためと言われている。
球戯場跡
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階段の様なデコボコが無い、滑らかな斜面はコートの両面にあり、その上の壁にあるゲートがゴール。
神聖文字の階段
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球戯場跡にある神聖文字の階段と呼ばれるコパン遺跡を代表する遺物。高さ30Mにもなる72段の階段には2500ものマヤ文字が刻まれていて、考古学の解読によるとコパン王朝の繁栄と栄光の歴史が書かれている。風化や雨による浸食を防ぐため幅の広いテントに被われていた。
コパン遺跡
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王国の中の王国として栄えたコパンに事件が発生する。従属の王国だったキリグアが反乱を起こした。キリグアはグァテマラに残る古代マヤ遺跡でコパンとは国境を挟んで50k位の近さにある。
大広場
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遺跡北側には広々とした、第7代コパン王によって造られたグレートプラザと呼ばれる巨大建造物が建つ大広場が広がる。これはグレートプラザに残るピラミッド、4号神殿。他にもここには多くの石碑や祭壇が建つ。
大広場
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キリグアの反乱は成功し、当時の13代コパン王を捕らえて処刑した。
アルターG
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グレートプラザにあるアルターGと呼ばれる祭壇。
後期に作られ、比較的新しい遺物。
ステラH
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グレートプラザに立つステラH。
トウモロコシの神を彫刻している。
コパン遺跡
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キリグアの反乱後、コパン王国は急速に衰退して行く。
その後幾度か王国復興に力を注ぐが叶わず、17代王が即位するのを最後に滅亡した。
9世紀中頃の事である。
コパン遺跡
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アルターとステラ。
グレートプラザにて。
ペスピーラ村
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ニカラグア国境へと向かう途中、立ち寄った小さな村、ペスピーラ村の風景。
ペスピーラ村
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村で出会ったホンジュラスの子供たち。
ペスピーラ村
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村の風景。
国境