イラン・イスラム共和国(パサルガダエ)
パサルガダエ
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ここはパサルガダエ、アケメネス朝ペルシアの最初の首都の遺跡。
シーラーズから北東へ90k、ペルセポリスからは北東40kに位置する。
パサルガダエ
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パサルガダエがあるイラン南西部は高地で、イランの北西から南東へ走るザグロス山脈系の雪山が間近に見える。
パサルガダエ
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ここはパサルガダエの宮殿の跡。
パサルガダエは紀元前6世紀中頃、古代ペルシャ帝国アケメネス王朝を建てた初代国王キュロス2世の首都の跡。
パサルガダエ
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高い石柱が残る宮殿の区画。
遺跡内は北東から南西に3kもあり広く、一部は徒歩で移動するが、小型のバスでも移動する。
パサルガダエ
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パサルガダエに残るキュロス2世の言葉と伝わる文字が刻まれた石碑。
古代のペルシア文字と言われている。
貴重なもので、風化から守るために屋根が設置されていた。
パサルガダエ
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宮殿跡には崩れた石柱の残骸が転がっていた。
修復し復元工事は行わない方針なのか。
パサルガダエ
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少し北東へ行くとキュロス2世の王宮跡の区画がある。
キュロス2世の出生の年は正確には判っていないが、紀元前6世紀ごろとされている。
古代メディア王朝の属国だったペルシア王国の7代目の国王に即位すると、メディア王国やリュディア王国、バビロニア王国、古代オリエント国家エラムなどを征服し、アケメネス朝ペルシアを打ち立てた。
パサルガダエ
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キュロス2世の王宮跡。
キュロス2世は、またキュロス大王とも称され、統治していた各地域では、他宗教に寛大で、バビロニアから捕らえられていたユダヤ人や諸民族を開放した事から、理想的な国王と評価された。
現在、イランの国民はキュロス2世をイラン建国の父として讃えている。
パサルガダエ
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キュロス2世の王宮から少し北東へ行くとゾロアスター教である拝火教の神殿アテシュガー跡が残る。
入り口の壁だけが残り、倒れない様に裏側には沢山のつっかえ棒で支えている。
パサルガダエ
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最も奥ばった北東のエリアに来ました。
小高い丘の上にはタレ・タフト要塞が残る。
宝物庫も兼ねていたらしい。
パサルガダエはユネスコ世界文化遺産に登録されている。
パサルガダエ
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逆方向の南西のエリアに来ました。
少し離れた所に残るキュロス2世の墳墓。
6段の石段の上に墓室がある。
キュロス2世は都市パサルガダエの完成を見る事無く戦死する。
パサルガダエ
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キュロス2世の墳墓はソロモン王の母の墓とも呼ばれる。
アラブ人による侵略時、墳墓を破壊されるのを免れるため、キュロス2世の墓では無くソロモン王の母の墓であると言って免れた事から。
パサルガダエ
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キュロス2世の墳墓。
パサルガダエは後の帝王ダレイオス1世によって引き継がれ、完成された。
しかしダレイオス1世はキュロス2世が亡くなった後、パサルガダエの南西40kの地に新しい都、ペルセポリスを築き、都はパサルガダエから遷都された。
雪山
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パサルガダエを離れ、一路北西へ310k、イスファハンへ向かいます。
途中、車窓から見た雪山の風景。
雪山
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ザグロス山脈系の高い山々が続き、冬は雪山風景が見る事ができる。
車窓
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車窓の風景。
所々に日干しレンガ造りの建物が残る。
廃墟跡
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途中に立ち寄った、日干しレンガ造りの廃墟跡。
キャラバンサライ、隊商宿の廃墟だ。
廃墟跡
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今では使われなくなり、人も住まない集落跡。
廃墟跡
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地層がむき出しの断崖の上に風化し、崩れた日干しレンガの建造物。
廃墟跡