イラン・イスラム共和国(イスファハン)
イマーム広場
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イスファハンの街に来ました。
街の中心にはイマーム広場がある。
左は広場の西に建つアーリー・カープー宮殿。
アーリー・カープー宮殿
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イマーム広場を建造したサファヴィー朝の王シャー・アッバース1世が建築した宮殿で、西側の王宮の門でもある。
6階建て構造になっている宮殿は、当時は国内で初めての高層建築物だった。
3階部分がテラスになっていて、広場を見渡す事ができる。
イマーム広場
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イマーム広場の周囲は門やモスク、王宮の間を2階層のマーチ状のアーケードに囲まれている。
その内、1階部分が店舗になっている。
イマーム広場
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アーケードの店舗はアーチ1つ分毎の区画で1店舗、商売人に貸し出され、様々なお店が営業している。
紀元前アケメネス朝時代に町は形成され、西暦3世紀サーサーン朝の支配下時代から交易で発展を始める。
イマーム広場
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このお店では彫刻が美しい絵皿や壺、水差しなどの金属製の工芸品を売っている。
この広場は、イスファハンのイマーム広場としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
イマーム・モスク
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イマーム広場の南側に建つ大寺院イマーム・モスク。
広場に面して建つのは、高い天井を持つ開放的ホールの様なイーワーン。
シェイフ・ロトフォッラー・モスク
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イマーム広場の西側、アーリー・カープー宮殿の前まで来ました。
ここから見た、東側に建つモスク、シェイフ・ロトフォッラー・モスクの風景。
これからアーリー・カープー宮殿に入り、テラスに上ります。
イマーム・モスク
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アーリー・カープー宮殿の3階テラスから見た南側の風景。
左がイマーム・モスクのイーワーン、右にはモスクのドームが見える。
イマーム広場
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ここはイランの特産物、ペルシア絨毯の店。
小さなものから大きいサイズまで、図柄も様々な幾何学模様で織られている。
イマーム広場
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アーケードの店舗では沢山のショップが並ぶ。
様々な民芸品、手作りの手芸品を売るクラフト・ショップの陳列物は、通りから見ているだけでも楽しい。
シェイフ・ロトフォッラー・モスク
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イマーム広場の西側に来ました。
写真はシェイフ・ロトフォッラー・モスクの入り口、イーワーンの風景。
このモスクは王族の専用モスクとして建てられた。
シェイフ・ロトフォッラー・モスク
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礼拝堂への通路の風景。
イーワーンの外壁やドーム、内装を覆う、紺色の美しいタイル模様はアラベスクと呼ばれる、イスラム美術の幾何学的文様。
イマーム・モスク
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イマーム広場の南側へ移動。
これからイマーム・モスクを観光します。
ここは広場に面して建つイマーム・モスクのイーワーン。
モスクへの入り口でもある。
イマーム・モスク
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イーワーンから続く、モスク中庭まではアーケードとなっていて、お店が出ていた。
イスファハンは様々な王朝の支配を受けながら、文化、交通、商業において東西交易の要、シルクロードの中継都市として繁栄して行く。
イマーム・モスク
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中庭に出ました。
左が中庭の南西面に建つ中央礼拝堂、右が北西面に建つイワーン。
イマーム広場の4面をほぼ東西南北に面しているのに対し、イマーム・モスクの中庭は45度傾いている。
イマーム・モスク
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北西面に建つイワーンを背景に筆者近影。
メッカの方向がイマーム・モスクから南西方角であるため、中央礼拝堂の面を南西に傾け建築した。
イマーム・モスク
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北西面のイワーンから見た、南西面の中央礼拝堂の風景。
まともに逆光になってしまった。
イマーム・モスク
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イマーム広場の南側へと続く、北東面に建つイーワーンの風景。
左奥のイーワーンやミナレットと45度傾いている事が判る。
イマーム・モスク
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礼拝堂の風景。
紺色のアラベスク模様が美しいこのモスクは、イスラム建築を代表する建築物。
イマーム・モスク
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礼拝堂の風景。
イマーム広場を建造したサファヴィー朝の王シャー・アッバース1世は、イマーム広場やアーリー・カープー宮殿に続き、この荘厳なモスクを建てたが、完成までに20年近く掛かり、完成を見る事無く世を去った。
バザール
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イマーム広場の北側に向かう。
北にはバザールの入り口、バザール門があり、ここから北側に大きなバザールが広がる。
ここは錫や白銅などの金属工芸品の店。
バザール
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カーペットや服、布袋など刺繍を施した品々が置かれている。
絨毯も床の敷物だけでは無く、壁掛けなどの室内装飾用、タペストリーも多く売っている。
バザール
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様々な香辛料、スパイス類が並んでいる。
むせる様な香りが漂う。
このイマーム広場北側に広がるバザールはとても広く、迷路の様になっていて、筆者は迷子になってしまいました。
アバシ・ホテル
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筆者が宿泊したホテル、アバシ・ホテル。
イマーム広場からも近くて観光には便利。
アバシ・ホテル
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アバシ・ホテルの中庭風景。
このホテル、古くは隊商宿、キャラバン・サライであった。
それをそのままに改修してホテルにしている。
イマーム・モスク
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朝、宿泊したホテルの部屋から見た、朝日に当たるイマーム・モスクの風景。
交易により栄えたイスファハンだが、利権を巡った争いが起こり、15世紀にはティムール朝により破壊された。
チャハル・バーグ・メドレッセ
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部屋から見た、ホテルの隣に建つチャハル・バーグ・メドレッセ。
メドレッセとは神学校の事。
朝日に当たるミナレットの塔とドームが美しい。
チェヘル・ソトゥーン宮殿
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イマーム広場の真西すぐの所にチェヘル・ソトゥーン宮殿がある。
宮殿内は宮殿の東側に池のある庭が広がり、緑が多い。
チェヘル・ソトゥーン庭園はペルシャ式庭園の一つとしてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
チェヘル・ソトゥーン宮殿
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宮殿内に来ました。
この宮殿はサファヴィー朝第7第の王、シャー・アッバース2世の宮殿。
奥ばった所にイーワーンが有り、黄金色に輝いていた。
チェヘル・ソトゥーン宮殿
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宮殿内のイーワーンから東に広がる庭園方向の風景。
宮殿は沢山の柱で支えられており、40の柱宮殿とも呼ばれる。
ザーヤンデ・ルード川
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イスファハンの市内を西から東へ流れるザーヤンデ・ルード川。
水鳥が羽を休めている。
イスファハンはザーヤンデ・ルード川の賜物と言えるほど、この川に沿って栄えたオアシス都市で、古代より重宝されてきた。
スィー・オ・セ橋
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ザーヤンデ・ルード川に架かる橋の一つ、スィー・オ・セ橋。
イマーム広場から南へ2k程の所にある。
スィー・オ・セ橋
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サファヴィー朝の王シャー・アッバース1世によって建設されたこの橋は、橋げたのアーチが33個ある事から、33アーチ橋とも呼ばれる。
スィー・オ・セ橋
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橋の下のアーチではお店も出ていて、ここはチャイハネ。
お茶と一緒に水タバコを吸っていた。
スィー・オ・セ橋
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チャイハネに置いていた水タバコの器具。
ガリヤーンと呼ぶそうだ。
ヴァーンク教会
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スィー・オ・セ橋から南西へ2k程にアルメニア使徒教会の聖堂、ヴァーンク教会が建つ。
ヴァーンク教会
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当時、アルメニア人は東西シルクロードの交易商で潤っていた。
敵対するオスマン帝国へアルメニアの資金が流出しない様にシャー・アッバース1世は、イラン国内に移住させた。
また、行っていたイスファハンの街づくりには人手が必要で、アルメニア人が動員された。
ヴァーンク教会
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シャー・アッバース1世はアルメニア人に特権を与えるなど手厚く保護し、彼らの信仰のためアルメニア正教教会を建築した。
その後、サファヴィー朝歴代の王達も教会の修復や保存に力を尽くした。
イスファハンのアルメニア正教教会は複数残るが、17世紀に建てられたこのヴァーンク教会が名高い。
ハージュ橋
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この橋はハージュ橋。
スィー・オ・セ橋から南東2k程下流の所に掛かる。
ハージュ橋
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規則正しく並ぶアーチの橋げたで造られているハージュ橋は2層になっている。
川を渡るための一般の通行は上層部で、下層部は川の流れを眺めたり、水辺まで下りたりと憩いのスペースとして使われている。
ハージュ橋
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上層部の下、アーチの橋げた。
アーチの間の溝にそって川の水は流れる。
この流水路に板をはめ込むと、せきになり、簡易のダムになり水量の調整ができる。
ハージュ橋
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ハージュ橋の上流側の風景。
右奥の出っ張った構造物は、橋の中央に造られた八角形のテラスで、シャー・アッバース2世が納涼として使用した。
ハージュ橋
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橋の上、歩道部分です。
イスファハンの街を統治したサファヴィー朝の君主達はザーヤンデ・ルード川に石橋をいくつか掛けたが、今に残る橋の中では、第7代の王シャー・アッバース2世が建設したこのハージュ橋が最も壮観で華麗な橋だ。
ハージュ橋
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歩道の両サイドに建つアーチの壁。
アーチからは流れるザーヤンデ・ルード川や街の風景を望む事ができる。
ザーヤンデ・ルード川
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筆者が訪れた時は豊かな川の流れがあったが、現在は異常気象による干ばつや、農工業での過剰使用で渇水し、涸れ川ワジとなった。
そのため、イスファハンの市民は水不足に悩まされている。
西に流れるイラン最大の川、カールーン川からトンネルを掘って水を引き込むなど、ザーヤンデ・ルード川再生計画がある。
シャフレスターン橋
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ハージュ橋から南東へ4k程の下流に来ました。
この橋はシャフレスターン橋。
正確にはザーヤンデ・ルード川には掛かっていない。
川の流れが変わり、取り残された池に架かっている。
シャフレスターン橋
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イスファハンに残る橋の中で最も古い橋との事。
アーチ状の橋脚が美しいこの橋は文化的価値がある。
国際見本市
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シャフレスターン橋を渡った北側に国際見本市会場がある。
見学に大勢の女子学生が訪れていた。
国際見本市
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見本市会場内の風景。
この日は農作物や農機具など、農業関連の展示会が開催されていた。
国際見本市
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タマネギやジャガイモなど、野菜を使ったアート作品。
16世紀末、サファヴィー朝の第5代の王シャー・アッバース1世はティムール朝により破壊されたイスファハンの街を復興する。
国際見本市
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見本市会場にて。
訪れていた女の子達。
ジャーメ・モスク
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イスファハンの街にあるも言う一つの世界遺産、ジャーメ・モスク。
イマーム広場の北東2k程に建つ。
写真は中庭の風景。
中央には清めの泉が設置されている。
ジャーメ・モスク
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北東面に建つイーワーン。
ジャーメ・モスクのジャーメとは金曜日の意味で、金曜モスクの事。
ジャーメ・モスクは一つの特定モスクを指す名前ではなく、それぞれの街にある最も大きなモスクを言う。
よって、ここのモスクはイスファハンのジャーメ・モスクとなる。
ジャーメ・モスク
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北東面のイーワーン内部から中庭をはさみ、南西面に建つドームとミナレットの風景。
イーワーンの中の床にはじゅうたんが敷かれ、信者達はメッカの方向の南西方角の中庭に向かってお祈りをする。
ジャーメ・モスク
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北東面に建つイーワーン。
このモスクは古く、7世紀頃から歴史に登場する。
その後、増改築を繰り返し、セルジューク朝の12世紀頃にほぼ現在の形になる。
ジャーメ・モスク
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南西面に建つイーワーン、奥にはモスクのドームとミナレットが建つ。
これら中庭に面して建つイーワーンも古いものから新しいものを比べると100年の差があり、それぞれ個性のある様式となっている。
ジャーメ・モスク
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絶え間無い増築と争いや戦争などで壊されては修復を行った結果、正確にはどの部分がいつの時代かは判っていない。
聖堂内の風景。
ジャーメ・モスク
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四方のイーワーンはそれぞれ中庭を囲み、回廊でつながっている。
写真中央は説教壇ミンバル。
その両脇には信者が礼拝を行う方向を示すくぼみ、ミフラーブが建つ。
バザール
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ジャーメ・モスクにつながるバザール。
ジャーメ・モスクはイスファハンのジャーメ・モスクとしてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
スィー・オ・セ橋
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イスファハンは夜景も美しい。
ライトアップされたスィー・オ・セ橋の風景。
モスクの夜景
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街中にあったモスクの夜景。
シャー・アッバース1世はイスファハンの街の復興として、新しい都市計画の設計の基、大規模な新市街を旧市街の南西に建設した。
モスクの夜景
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入り口、イーワーンの風景。
シャー・アッバース1世はそれまでのサファヴィー朝の首都をガズヴィーンからイスファハンへ移した。
新しい街の中心に造られたのがイマーム広場だ。
クシュティー
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モスクの観光を終えて街を散策していると、ごつい男ばかり集まって、何やら練習していた。
ここはクシュティーの道場。
イランから東の地域、インド、パキスタン、バングラデシュなどに伝わる伝統武術で格闘技の一種。
トレーニング方法は様々で、有名なのは太いこん棒を持ち上げ、振り回して腕力を鍛錬する方法。
ザーヤンデ・ルード川
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これからイスファハンの少し郊外へ出かけます。
車窓からのザーヤンデ・ルード川の風景。
真ん中で噴水が上がっていた。
メナーレ・ジョンバーン
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イマーム広場から西へ8k、メナーレ・ジョンバーンと呼ばれる建物がある。
サファヴィー朝の16世紀頃の霊廟。
9世紀後半の宣教師アブー・アブドゥッラーが没後、聖人となりここに眠る。
メナーレ・ジョンバーン
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屋上に上ってみた。
2本の塔、ミナレットがある。
このミナレットの片方の壁をゆっくり、何回か押すと塔全体が揺れ出し、その揺れが反対側のミナレットに移り、2本共揺れる。
メナーレ・ジョンバーンは別名シェイキング・ミナレットと呼ばれている。
拝火神殿アテシュガー
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この岩山はカルメラ山。
メナーレ・ジョンバーンからザーヤンデ・ルード川を挟んで直線距離で3k南にある。
この岩山の上に残る遺跡は拝火教:ゾロアスター教の神殿アテシュガー。
拝火神殿アテシュガー
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アテシュガーとは拝火教:ゾロアスター教の火炎崇拝を行う神殿の事。
イスファハンへではイスラム教が入って来る以前の宗教はソロアスター教だった。
拝火神殿アテシュガー
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さてこれから上まで上ります。
と言っても、整備された登山道や階段などは一切ありません。
人が歩いた跡が付いている岩を上っていきます。
しかも結構な急斜面です。
拝火神殿アテシュガー
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ようやく頂上が見えて来ました。
これらゾロアスター教の神殿は3~7世紀のササン朝時代の日干しレンガの建物だと言われている。
拝火神殿アテシュガー
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頂上に到着。
この建物は聖火台跡。
拝火教の名の通り、火を崇拝していた。
聖火台跡の前で筆者近影。
神殿跡と言っても岩場ばかりで平らな所は有りません。
拝火神殿アテシュガー
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頂上からの風景。
イスファハンの南側には山岳地帯が続く。
拝火神殿アテシュガー
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頂上からの風景。
周辺の町が広がる。
拝火神殿アテシュガー
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朽ちてほとんど原形をとどめない寺院跡。
拝火神殿アテシュガーの前は紀元前30世紀、古代オリエントのエラムの遺跡があったとされる。
拝火神殿アテシュガー
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さて帰りです。
かなりの急斜面を下ります。
上りと同様、道らしき道はありません。
靴のゴム底がすり減って平らな方、必ず滑り、とても危険です。
筆者も滑っておしりを打ちました。
ハトの塔
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ホテルへの帰り道の途中、畑の中に不思議な塔が建っていた。
これはハトの塔と呼ばれる建造物。
ハトの塔