イタリア共和国(オルビエート)
オルビエート
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ここはオルビエートの町。
丘の上にある城塞都市。
旧市街には中世の町並みが残る。
オルビエート
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オルビエート旧市街の風景。
オルビエートへはフィレンツェからイタリア国鉄の列車で2時間弱で着く。
オルビエート駅から丘の上の旧市街へは駅西側にあるフニクラー、ケーブルカーが延びていて、アクセスには便利だ。
オルビエート
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オルビエート旧市街の風景。
オルビエートの周辺、イタリア中部には古くから人が住み、先住民族のエトルリア人による都市国家が紀元前8世紀にはできていた。
オルビエート
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オルビエート旧市街の風景。
紀元前1世紀ごろ、古代ローマの侵略に遭い、エトルリア人は離散。
エトルリア人はやがてローマ人と同化し滅亡した。
オルビエート
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オルビエート旧市街の風景。
オルビエートは隆起した凝灰岩の岩盤の上に町を築いた。
隆起した岩盤の崖、ルーペは自然の要塞としての機能を果たし、更に縁に城壁を建て外敵からの侵入を防いだ。
旧市街の建物は凝灰岩、トゥーフォを石材に建てられており、茶色を帯びた乳白色の町並み風景を作っている。
オルビエート
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オルビエート旧市街の風景。
独特の地形のオルビエートの旧市街には古代ローマ時代からの遺跡が数多く残り、中世ヨーロッパの面影が色濃く残る。
地下には未だに数多くの考古学的価値の高い遺物が発見され、古くはエトルリア文明時代にまで遡る。
オルビエート大聖堂
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旧市街真ん中南に建つオルビエート大聖堂、ドゥオーモ。
岩盤の上の小さな町オルビエートに多くの観光客が訪れるのは、この大聖堂が目的の一つ。
オルビエート大聖堂
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オルビエート大聖堂はイタリアでのゴシック建築の大聖堂の内、ミラノ大聖堂、シエナ大聖堂と並び、3大大聖堂の一つとされる。
オルビエート大聖堂
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オルビエート大聖堂が観光の目玉になっている一つの理由は、この入り口ファサード上の壁に残る見事なモザイク画。
オルビエート大聖堂
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このファサードに残るモザイク画は聖母の戴冠。
聖母マリアが生涯を終え、天国にてキリストから頭に冠をいただく場面。
オルビエート大聖堂
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ファサードのモザイク画はファサードに立体的な飾りとして、屋根の破風に見せた装飾がされており、その下部に残されている。
オルビエート大聖堂
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大聖堂の正面から北側へ回って側面の風景。
大聖堂の建築は13世紀末、古い教会の跡地に建てられた。
大聖堂が建てられるキッカケとなった出来事がある。
オルビエート大聖堂
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大聖堂の北面は白黒の横縞模様、ボーダー柄が特徴的。
ある日、オルビエートの近く南西にあるボルセーナ湖のほとりの町、ボルセーナにて町の守護聖人、聖クリスティーナの名を持つカトリック教会でミサが開かれた。
日頃、神を疑っていた神父がミサを執り行っていた。
祭壇には聖餐として置かれていたパンとワインが聖餐布の上に載っている。
オルビエート大聖堂
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ミサの最中突然、聖体のパンから血が滴って、敷いていた聖餐布を血で染めた。
この時、偶然に近くのオルビエートに滞在していた法王がこの話を聞き、この出来事をボルセーナの奇跡とし、血に染まった聖餐布を聖宝としてオルビエートに安置するため、聖堂を建てる様に命じた。
オルビエート大聖堂
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オルビエート大聖堂、その入り口正面ファサードの風景。
これから中に入ります。
オルビエート大聖堂
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オルビエート大聖堂、礼拝堂の風景。
シエナ大聖堂を建築した建築家が設計・建築したためシエナの大聖堂と良く似ているとされる。
オルビエート大聖堂
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ボーダー柄が美しいオルビエート大聖堂の聖堂内の風景。
大聖堂完成には17世紀初頭まで掛かった。
オルビエート大聖堂
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この窓をバラ窓と呼ぶ。
バラ窓は聖母マリアを示すため、ゴシック建築において円形の窓のステンドグラスを指す。
オルビエート大聖堂
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聖母マリアの事を奇しき薔薇の聖母とも呼ばれる。
これはモンティキアーリの町の病院で看護婦の前に聖母が出現し、自分は奇しき薔薇の聖母と名乗った事から。
オルビエート大聖堂