イタリア共和国(ローマ)
ローマ
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ここはイタリアの首都ローマ。
ローマへは南から入りました。
この建造物は古代ローマを取り囲っていた城壁、アウレリアヌスの城壁の門の一つ、アルディアティナ門。
中心にあるコロッセオから南へ2kほどにある。
パラティーノの丘
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戦車競技場チルコ・マッシモの東側、サン・グレゴーリオ通りを北上中、左手西側に見えてきたのはパラティーノの丘に残る宮殿跡のセベリア・アーチ。
レンガの柱に支えられた2階層のアーチ型構造物。
城壁の門
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更にサン・グレゴーリオ通りを北上。
途中にあった城壁の門。
アウレリアヌス城壁以前のセルウィウスの城壁の一部。
パラティーノの丘
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このゲートはパラティーノの丘への入場ゲート、及びチケット売り場。
パラティーノの丘は戦車競技場チルコ・マッシモとコロッセオの間にある、古代ローマを形作った7つの丘の一つ。
エラガバリウム
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パラティーノの丘の北東に残る神殿跡。
ローマ皇帝エラガバルスが3世紀に建てた。
奥の塔はマリアノヴァ修道院の塔。
コロッセオ
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サン・グレゴーリオ通りを北へ突き当たる。
名高いコロッセオが見えてきた。
中に入るのは後にして、コロッセオから北西へ延びるフォリ・インペリアリ通りを進む。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂
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フォロ・ロマーノの北西に建つのはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂。
北西正面、中央にあるのは無名戦士の墓、第一次大戦での戦士が眠る。
兵士2名が立哨している。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂
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側面からのヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂。
ヴェネツィア広場に面して建つ記念堂は1925年に完成した建物で、古代ローマ時代の遺跡が残る首都ローマにおいては比較的新しいとも言える建造物。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂
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イタリア北部産出の大理石で建てられた白亜の殿堂は、イタリア統一を成し遂げ、イタリア王国建国の父と呼ばれたヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を讃えるために息子が1885年に建築を始めた。
フォロ・ロマーノ
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ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の直ぐ南に広がる広場に点在する古代ローマ遺跡群、フォロ・ロマーノ。
フォリ・インペリアリ通り沿いにある見晴らし台より南側に広がるフォロ・ロマーノの風景。
フォロ・ロマーノ
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フォロ・ロマーノとはローマ市民の広場の意味で、紀元前6世紀ごろから古代ローマ帝国において政治・宗教・経済の中心地としてローマ帝国分裂まで栄えた広場。
当時は議会場や神殿、神官の館などが建ち、中心を大通りが延びていた。
発掘後の現在では柱や建物の基礎部分しか残っていない。
フォロ・ロマーノ
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フォロ・ロマーノの風景。
左の建物はアントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿。
古代ローマ帝国代15代皇帝アントニヌス・ピウスが愛妻ファウスティナを亡くした後、女神として祀るために建てた。
自身の死後、共に祀られた。
コロッセオ
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車窓からコロッセオの外観。
古代ローマの円形闘技場。
ローマに残る遺跡の中でも、最も有名な遺跡であり、ローマの象徴とも言えるコロッセオ。
コロッセオはフォロ・ロマーノなど、ローマに残る多くの遺跡と共に「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
コロッセオ
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コロッセオの中に入ってみました。
各地に建築された円形闘技場を広くアンフィテアトルムと呼ぶ。
その中でも古代ローマの円形闘技場を特にコロッセオと呼ばれ、そこから闘技場一般を指す名称となる。
競技場やコンサート会場となるスタジアムの名前にコロシアムが付く建造物があるが、コロッセオの英語読みコロッセウムがコロシアムの語源。
コロッセオ
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コロッセオの正式名称はフラウィウス円形闘技場。
コロッセオは西暦70年に建築が建築が始まり、完成までには10年掛かった。
4階建ての観覧席には8万人もの観客が収容できた。
コロッセオ
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当時ローマは街を襲った火事や内乱の余波で民衆は不満を持ち、王政への信頼・忠誠は薄れていた。
ローマ帝国の皇帝ウェスパシアヌス帝は斬新な娯楽を民衆に与える事で、人気を得て、民衆の不満を抑える事ができると考えた。
そこで、当時人気が出てきた剣闘士の戦いを見世物とするために専用の闘技場を建築する事となった。
コロッセオ
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敵の捕虜や奴隷をグラディエイターと呼ばれる剣闘士として鍛え、剣闘士同士、あるいは猛獣相手に命を懸けて戦わせたコロッセオ。
初期の頃、舞台に水を引き込み人口の池を作り、船での戦い、ナウマキアと呼ばれる催しも行われた。
コロッセオ
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コロッセオは真上から見れば楕円形をしており、当時の地面に当たる床は崩れて地下通路がむき出しとなっている。
当時、地下通路では剣闘士や猛獣が出番を待っていた。
筆者が訪れた当時は、地下通路は上から眺めるだけだったが、現在は入れる様になっている。
チルコ・マッシモ
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広い原っぱの様な遺跡はチルコ・マッシモ。
パラティーノの丘の南側、北西-南東に620m、北東-南西に120mに広がる戦車競走の競技場キルクスの跡。
南側からの風景。
チルコ・マッシモ
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古代ローマ時代、戦いには戦闘用の馬車チャリオットが活躍した。
チャリオットとは馬2頭が2輪の車を引く、二輪戦車の事で当時の戦の主力となっていた。
この二輪戦車を娯楽の一つとして戦車レースが行われていた。
チャリオットによる戦車レースは映画ベンハーに登場する事で知られる。
パラティーノの丘の宮殿跡
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チルコ・マッシモ南側から北側の風景。
パラティーノの丘に宮殿跡が残る。
貴族階級や支配者階級の人々の邸宅、宮殿の跡。
チルコ・マッシモの遺跡自体には目立った建造物は残っていない。
トレビの泉
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ここはトレビの泉。
コロッセオの北西1.5ほど、古い建物が密集している中にある池。
ローマの観光名所の中でも有数の観光スポットとなっていて、いつも大変賑わっている。
トレビの泉
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紀元前1世紀、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの時代に街に水を引き込む水道、ローマ水道の一つヴィルゴ水道が建設された。
その出口の一つが古代のトレビの泉で、後に今の場所に移された。
トレビの泉
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トレビの泉の中央、水の吹き出し口に建つのはローマ神話に登場する海の神、ネプチューンの像。
ネプチューンは水を司る神とされる。
ネプチューンの左隣には女神ケレース、右隣りには女神サルースが建つ。
トレビの泉
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元々この辺りはポーリ広場と呼ばれ、トレビの泉の北側にポーリ宮殿が建つ。
元々トレビの泉はポーリ宮殿の付属施設として宮殿の正面に造られた。
トレビの泉
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青々とした水をたたえるトレビの泉。
泉に背を向けてコインを投げ入れると幸福になる言い伝えがある。
コインは慈善事業に寄付されている、との事。
スペイン広場
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ここはスペイン広場、トレビの泉から北へ500mほどにある広場。
東に向かって高台になっていて大階段、スペイン階段が延びる。
奥の2つの塔のある建物はトリニタ・ディ・モンティ教会。
コンドッティ通り
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スペイン広場から反対側、西へ延びる繁華街コンドッティ通りの風景。
高級ショッピング街として知られ、グッチやカルティエ、ブルガリ、プラダなど名高いブランドの店舗が並ぶ。
コンドッティ通り
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コンドッティ通りに建つカフェ。
アンティコ・カフェ・グレコと言う店で、開店したのが1760年と言うとても古く、歴史のあるカフェ。
詩人ゲーテや童話作家アンデルセンも訪れたという。
スペイン広場
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スペイン階段の上り口にはバルカッチャの泉と呼ばれる、舟の形の噴水がある。
バルカッチャの意味は小舟の意味で17世紀に造られた。
この池にもトレビの泉と同様にコインを投げ入れる風習がある。
スペイン広場
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バルカッチャの泉の風景。
スペイン広場と名の付く広場はスペインはもちろん、スペインが支配した中南米の国にもいくつかある。
ローマのスペイン広場の名の由来は近くにスペイン大使館がある事から。
スペイン広場
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スペイン広場は映画、ローマの休日で有名。
スペイン階段でオードリー・ヘプバーンが演じたアン王女がアイスクリームを食べるシーンがあるが、現在はスペイン広場での飲食は禁じられており、アイスクリームは食べられない。
スペイン広場
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スペイン階段の中ほどまで上って来ました。
階段の上には記念碑サルスティアーノ・オベリスク、その奥にはトリニタ・ディ・モンティ教会が建つ。
教会は16世紀初頭、ヴァロワ王朝ルイ12世によって建てられた。
スペイン広場
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スペイン階段の上まで上って来ました。
上からの広場の風景。
真っ直ぐに西へと延びる通りは高級ショッピング街コンドッティ通り。
スペイン広場
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スペイン階段にて、似顔絵描きの人たちの風景。
画家の卵が腕を磨くためにアルバイト的に行う事が多い。
似顔絵師の腕によって似ていたり、そうでも無かったりする。
スペイン広場
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スペイン広場、バルカッチャの噴水から北へ行った辺りから振り返ってスペイン階段辺りの風景。
筆者が訪れた当時は無かったが、現在は階段を上らずともエレベータで上れるとの事。
バチカンへ
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ローマの観光はこれでおしまい。
これからバチカン市国へ向かいます。
ここはスペイン広場から南西へ1.5kほどにある、ローマ市内を流れるテヴェレ川に架かる橋、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世橋の欄干の風景。