ヨルダン・ハシミテ王国
ジェラシュ
1/107
ヨルダンの観光は北部の都市、ジェラシュから。
ここには古代ローマ時代の都市遺跡がある。
写真は入り口の凱旋門。
最近の写真を見ると、当時からはずいぶんと修復されて三角形の屋根ができている。
ジェラシュ
2/107
凱旋門から北へ歩くと南門にでる。
古代都市は城壁が街を囲む城塞都市だった。
南門の周囲に城壁の遺構が残る。
ジェラシュ
3/107
南門を正面から。
城壁が取り囲む街の南側入り口だった。
ジェラシュ
4/107
南門をくぐるとフォーラムと呼ばれる列柱に囲まれた楕円形の広場がある。
当時の集会場の跡。
ジェラシュ
5/107
フォーラムから北へ真っ直ぐ延びる列柱通り。
古代都市のメイン道路だった。
道幅も広く、馬車がすれ違う事が可能だった。
ジェラシュ
6/107
メイン道路の列柱通りに建つ列柱。
道路の西側にはマチェッルムと呼ばれる市場があった。
ジェラシュ
7/107
さらに北に向かうとニンフの泉と呼ばれる神殿がある。。
ニンフとはギリシア神話に登場する女神。
ジェラシュ
8/107
ニンフの泉から少し北へ行くと列柱通りから西へ入る道がある。
そこに残るアルテミス神殿。
ジェラシュ
9/107
アルテミス神殿は高台にあり、そこからジェラシュ遺跡が見渡せる。
アルテミス神殿からの風景。
ジェラシュ
10/107
アルテミス神殿裏手の風景。
ジェラシュには紀元前1世紀に古代都市ゲラサが栄えていて、その街の廃墟が遺跡として残っている。
ジェラシュ
11/107
アルテミス神殿からの列柱通りの風景。
古代都市ゲラサは砂漠を行き交うキャラバン隊の隊商都市、キャラバン・サライとして繁栄した。
ジェラシュ
12/107
アルテミス神殿からフォーラムまで戻って来ました。
列柱に囲まれた楕円形のフォーラムの全景が見れる。
ジェラシュ
13/107
フォーラムの向こうには南門が見える。
右手はゼウス神殿。
ジェラシュ
14/107
ゼウス神殿の西には円形劇場の南劇場が残る。
ジェラシュ遺跡は廃墟となってから砂に埋もれていたため、保存状態が良い。
劇場の舞台もきれいに残っている。
ジェラシュ
15/107
南劇場の観覧席上部からの風景。
隣接するフォーラムが見え、その向こうには現在のジェラシュの街が広がる。
パン屋
16/107
ここはジェラシュの街にあったパン屋。
このパンはホブスと呼ばれる丸く平らなアラビアパン。
パン屋
17/107
筆者も一枚買い求め食してみたが、ピザの様に石窯で焼かれた、熱々の焼きたてホブスは何とも美味しかった。
死海
18/107
死海へと向かう途中、道路脇に看板がありバスストップして記念撮影。
死海湖面の海抜はマイナス420m近くでかなり低い。
その湖面を説明している標識も置いていた。
死海
19/107
ヨルダン側の死海。
泳ぐと言うより浮遊する感覚。
全身が沈む事は決してない。
塩分濃度が20%以上と海水の数倍の濃さがある死海の水は薬品みたいで、塩っ辛いよりむしろにがい!
ペトラ
20/107
ここはペトラの入り口に近い所にあるホテル、ペトラフォーラム。
このホテルのテラスからの風景。
ペトラ
21/107
入り口までの遊歩道は馬に乗って行きました。
ペトラ
22/107
終点の降り口です。
ペトラ
23/107
ヨルダン最大の観光の目玉、ペトラ。
ヨルダン最大と言うより世界屈指の観光地として知られる。
これからペトラ遺跡へ向かいます。
シク
24/107
ナバテア人の都、ぺトラ。
ぺトラは紀元前2世紀頃に栄えたナバテア人の王国、ナバテア王国の都。
シク
25/107
この薄暗く狭い渓谷はシクと呼ばれるペトラへの入口の道。
入り口から宝物殿であるエル・ハズネまでの1.5k程の曲がりくねった道。
シク
26/107
シクを行く筆者近影。
縞模様の地層が美しい。
シク
27/107
シクの風景。
この辺りはほとんど日が差し込まない。
ぺトラは自然の岩山と渓谷を利用した自然の要塞の機能を持つ。
シク
28/107
シクの風景。
最も細い所では幅がわずか3m程度しかない。
この道は地層の柔らかい部分が雨水の流れに浸食されてできた渓谷で、両側が岩壁でできた自然の細い通路。
シク
29/107
ペトラでは乗り物は禁止されている。
唯一、馬車はOKなので、狭いシクの中をヒヅメの音を響かせながら走っていた。
シク
30/107
シクの風景。
深い所では200m近くもある深い渓谷。
岩と砂のこの地では水を確保する事が最重要だった。
シク
31/107
ナバテアの民は元々、アラビア半島から北アフリカのサハラ砂漠まで広範囲に暮らしていた遊牧民族ベドウィンの一部族だった。
ナバテア人はこの地で繁栄していき、人口が増え、結果遊牧を止めて定住するようになり、ナバテア王国が誕生した。
シク
32/107
ナバテア王国の古代都市ぺトラはシルクロードの交易都市として繁栄した。
主に絹や香辛料などの交易を行っていた。
シク
33/107
シクの風景。
両方の壁が真っ直ぐ切り立ったシクの内部。
ペトラでは雨季には洪水に度々見舞われ、治水のため大きなダムも造られていた。
シク
34/107
交易都市として栄えていた当時、このシクはキャラバンが出入りする大切な道だった。
現在は我々観光客が通り、自然が造った造形に目を奪われている。
シク
35/107
水を行き渡らせるためにシクに水路が掘られていた。
現在もその跡を見る事ができる。
移り変わる岩壁の形と色を楽しみながら、ペトラの遺跡まで続くこのアプローチが心地良い。
ペトラ
36/107
いよいよシクの終点、それは突然訪れた。
シクの渓谷の細い切れ目から黄金に輝くエル・ハズネの一部が姿を現したのだ。
ぺトラ
37/107
エル・ハズネ目前の筆者近影。
ぺトラ
38/107
狭かったシクを出た刹那、目に飛び込んで来る巨大な建造物、エル・ハズネ。
その瞬間は、ただ息を呑む事しかできなかった。
エル・ハズネ
39/107
ペトラ遺跡における最も有名で、ペトラ遺跡そのものを指すが如くの建造物エル・ハズネ。
岩山の岩盤を削って建造した巨大な建物。
エル・ハズネ
40/107
岩盤を削って建造したとは到底思えない様な細やかな細工。
古代ギリシア建築様式で造られている。
エル・ハズネ
41/107
エル・ハズネと観光用ラクダ。
エル・ハズネの高さは43m。
エル・ハズネ
42/107
エル・ハズネの中に入ります。
今は何も無い、空間だけの部屋が残る。
エル・ハズネ
43/107
エル・ハズネ入り口から見た、到着したシクの出口の風景。
エル・ハズネは映画、インディー・ジョーンズ最後の聖戦の舞台にもなった。
エル・ハズネ
44/107
エル・ハズネ入り口を見上げた風景。
エル・ハズネはナバテアの王の墓として使われていたが、紀元前1
エル・ハズネ
45/107
アラビアの盗賊がエル・ハズネの部屋に有った石壺の中に、自分が略奪したお宝を隠したという言い伝えから、エル・ハズネを宝物殿と呼ぶ。
ファサードの道
46/107
エル・ハズネの次はさらに奥のペトラ中心地部へ。
エル・ハズネから伸びるこの道はファサードの道と呼ばれる。
ネクロポリス
47/107
西へと続くファサードの道の岩山の下部に洞穴が沢山開いている。
ここはネクロポリスと呼ばれる墳墓群。
ネクロポリス
48/107
ネクロポリスはナバテアの民の墓地で、ペトラの遺跡の中でも古い時代のもの。
ウナイシュの墓
49/107
ネクロポリスを過ぎ、エル・ハズネから西へ500m程進むと、ウナイシュの墓に着く。
ウナイシュの墓
50/107
ウナイシュの墓のアップ。
古代都市ペトラの遺跡で残る建造物のほとんど多くは、この様に岩盤を削って造っている。
ショップ
51/107
岩盤に開いた洞穴をそのままショップにしていた。
中は涼しい。
ボトルアート
52/107
ショップで売っていたボトルアート。
砂漠の観光地でよく見かける、砂で作る砂絵。
自分の名前が入ったオリジナルも作ってくれる。
住居跡
53/107
ナバテアの民が暮らしていた住居跡。
結構広い。
まだら岩
54/107
地層の様に模様が浮き出ているまだら岩。
まだら岩からのぞく筆者近影。
ローマ円形劇場
55/107
ここはローマ円形劇場。
西暦1世紀頃のもの。
5千人近く収容できたと言う。
ローマ円形劇場
56/107
元々この辺りはネクロポリスの様な墳墓群で、その墓がある岩山を削って造った。
後ろの壁の穴はお墓の跡。
王家の墳墓群
57/107
ローマ円形劇場から北へ0.5k程進むと大きな岩山、アルフブサ山が現れる。
その岩山に壮大な墓が4基掘られている。
ここは王家の墳墓群。
王家の墳墓群
58/107
4基の王家の墳墓の一つ、アーンの墓。
アーンとは壺の事で、壺の様な彫刻がある所から名付けられた。
王家の墳墓群
59/107
王家の墳墓群。
左が宮殿式の墓。
右が古代ギリシアの建築様式に造られたコリント式の墓。
王家の墳墓群
60/107
ナバテア王国の都市遺跡として他には、シリアの南部に残るユネスコ世界文化遺産にも登録されている古代都市ボスラがある。
アル・ビント城
61/107
王家の墳墓群から西へ500m程進むとローマ様式の神殿が残る。
カスール・アル・ビントと呼ばれるナバテア時代の神殿でナバティアの神を祀る。
神殿が城の様に見えるのでアル・ビント城とも呼ばれる。
凱旋門
62/107
神殿の凱旋門。
ラクダが休んでいた。
まだらの墳墓
63/107
まだら色の地層が美しい、沢山の岩窟がある墳墓群。
ヤギ
64/107
高い岩場の上にいたヤギ。
岩場の多いペトラでは豊かな土地は無く、農業には不適だったが、それでも乾燥に強い果実が栽培されていた。
エド・ディルへの道
65/107
さて、ここから登山の始まりです。
日本のお寺で言う所の奥の院の様な、奥深い山に秘殿が建つと言う。
エド・ディルへの道
66/107
奥山にあるエド・ディルへと続くこの登りの山道、結構キツイ!
一時間ほどで登り切れるとの事で、ゼイゼイ言いながら進みます。
エド・ディルへの道
67/107
はるか彼方に王家の墳墓群や神殿跡が見える。
ぺトラには古くは紀元前12〜13世紀に古代パレスチナの民、聖書に登場するエドム人が暮らしていた。
ライオンの墳墓
68/107
山道の途中にあったライオンの墳墓。
壁にはライオンの浮き彫りの彫刻がある。
エド・ディルへの道
69/107
風化してボロボロになった岩場を縫う様に道は続く。
ナバテア王国は古代ローマ帝国によって西暦2世紀初頭に滅亡した。
エド・ディルへの道
70/107
その後古代都市ぺトラはローマ帝国の下でしばらく隊商都市として体面を保っていたが、地震など災害に見舞われ、都市として成り立たなくなり、シリアのパルミラに取って代わられ、廃墟となる。
エド・ディルへの道
71/107
ナバテアの民は居住地を切り立った岩山を削る事で確保し、多くの洞窟住居で構成された他に例を見ない都市をつくった。
エド・ディルへの道
72/107
深い谷が口を開けるエド・ディルへの道。
ガードレールなどあるはずもなく、自然のままの道を行きます。
エド・ディルへの道
73/107
ユネスコ世界文化遺産に登録されているペトラ。
世界遺産の中でもトップクラスの遺産だ。
エド・ディル
74/107
やっと着きました。
これはエド・ディルと呼ばれるナバテア人の神殿跡。
素晴らしい光景に疲れも汗も吹っ飛ぶ。
エド・ディル
75/107
エド・ディルの大きさはエル・ハズネよりも大きい。
エド・ディルとは修道院の事。
ナバテア王国滅亡の後、ローマ帝国時代に修道士が住んでいた。
アラバ渓谷
76/107
更に高台へと登る。
ここにはビューポイントがあり、アラバ渓谷を見渡せる。
アラバ渓谷
77/107
左上の奥に頂上が見える山はホル山。
この頂上には、旧約聖書に登場するモーセの兄のアロンが眠るという白いドームがある。
アロンはモーセと共に奴隷となっていたヘブライ人をエジプトから脱出させた古代イスラエルの民。
アラバ渓谷
78/107
眼下に広がるアラバ渓谷と、ビューポイントの断崖に立つ筆者。
エド・ディル
79/107
ビューポイントから戻って、再度エド・ディルを見る。
まさにペトラ遺跡における奥の院と言ったたたずまい。
エド・ディルからの帰り道
80/107
エド・ディルの観光はおしまい。
帰り道を改めて見てみると、深い谷が口を開けた登山道を歩いていた事に気づく。
エド・ディルからの帰り道
81/107
深い谷がいくつもあるエド・ディルへの道。
エド・ディルからの帰り道
82/107
岩盤のいたる所に洞穴が開いている。
王家の墳墓群
83/107
ようやく王家の墳墓群が見える所まで下ってきました。
日は傾き、遺跡に影を作っていた。
ペトラ
84/107
手前は神殿跡。
正面奥は王家の墳墓のアーンの墓。
列柱道路
85/107
神殿跡に残っていた列柱道路。
王家の墳墓群
86/107
列柱道路側から見た王家の墳墓群です。
左から宮殿式の墓、コリント式の墓、シルクの墓、アーンの墓。
宮殿の墓
87/107
宮殿式の墓。
ローマのバロック式宮殿の様式で建てられた。
三階建てになっている。
シルクの墓
88/107
王家の墳墓群の一つ、シルクの墓。
小ぶりの建物だが、正面ファサードのまだら模様が美しい。
アーンの墓
89/107
王家の墳墓群の一つ、アーンの墓。
これから中に入ります。
アーンの墓からの風景
90/107
アーンの墓の内部を見た後、入り口から見たペトラ遺跡。
アーンの華は高台にあり、見晴らしが良い。
正面にはアル・ビント城が見える。
まだら岩
91/107
まだら岩の洞穴の中にたたずむロバ。
ペトラの意味はギリシア語の岩なのだそうだ。
エル・ハズネ
92/107
ペトラの観光はこれでおしまい。
残惜しく感じながら、シクの間から振り返ってのエル・ハズネの風景。
ネボ山
93/107
ペトラを後に次の訪問地はネボ山。
山頂にはモーゼの記念碑が立ち、キリスト教の聖地と記されている。
モーセ記念教会
94/107
山頂にある教会。
この地で旧約聖書に出てくるモーセが亡くなった。
ネボ山
95/107
ネボ山から望むヨルダン渓谷の眺め。
ネボ山
96/107
教会の礼拝堂へ向かいます。
教会入り口ファサードの風景。
ネボ山
97/107
美しいステンドグラス。
モダンなイメージなので最近の作品かな。
ネボ山
98/107
ステンドグラス。
モチーフはもちろんキリスト。
モーセ記念教会
99/107
礼拝堂の祭壇風景。
教会の上部は新しいコンクリート造りの様だが、下の部分は当時から残る石造りの建造物をそのまま使っている様だ。
モザイク画
100/107
床に残るモザイク画。
ビザンチン時代の物。
マダバ
101/107
ネボ山を下りふもとの街へ。
ここはマダバという小さな街。
マダバの街角風景。
聖ジョージ教会
102/107
この街には床に画かれたモザイク画で名高い、ギリシア正教会の聖ジョージ教会がある。
教会入り口ファサードの風景。
床に画かれたモザイク画
聖ジョージ教会
103/107
教会の礼拝堂風景。
祭壇前に人が集まっている床にエルサレムとパレスチナの地図のモザイク画がある。
マダバ
104/107
マダバの街角風景。
国境
105/107
ヨルダンとシリアの国境風景。
国境