ヨルダン・ハシミテ王国(ペトラ)
ペトラ
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これから世界遺産ペトラへ向かいます。
ここはペトラの入り口に近い所にあるホテル、ペトラフォーラム。
このホテルのテラスからの風景。
ペトラ
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ペトラ入り口までの遊歩道は徒歩でも、もちろん行けますが今回は馬に乗って行きました。
ペトラ
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遊歩道の終点、降り口です。
馬から降りやすい様に石積みの台、プラットフォームが設置されていた。
ペトラ
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ヨルダン最大の観光の目玉、ペトラ。
ヨルダン最大と言うより世界屈指の観光地として知られる。
これからペトラ遺跡へ向かいます。
シク
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古代ナバテア人の都、ぺトラ。
ぺトラは紀元前2世紀頃に栄えたナバテア人の王国、ナバテア王国の都の跡。
シク
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この薄暗く狭い渓谷はシクと呼ばれる、ペトラへの入り口の道。
入り口から宝物殿であるエル・カズネまで、1.5k程の曲がりくねった道が続く。
シク
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シクを行く筆者近影。
シクの切り立った崖の縞模様の地層がとても美しい。
シク
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シクの風景。
シクの崖はかなり高く、この辺りはほとんど日が差し込まなく、薄暗い。
ぺトラは自然の岩山と渓谷を利用した自然の要塞の機能を持つ。
シク
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シクの風景。
最も細い所では幅がわずか3m程度しかない。
この道は地層の柔らかい部分が雨水の流れに浸食されてできた渓谷で、両側が岩壁でできた自然の細い通路。
シク
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ペトラでは乗り物は禁止されている。
唯一、馬車はOKなので、狭いシクの中をヒヅメの音を響かせながら走っていた。
シク
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シクの風景。
深い所では200m近くもある深い渓谷。
岩と砂のこの地では水を確保する事が最重要だった。
シク
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ナバテアの民は元々、アラビア半島から北アフリカのサハラ砂漠まで広範囲に暮らしていた遊牧民族ベドウィンの一部族だった。
ナバテア人はこの地で繁栄していき、人口が増え、結果遊牧を止めて定住するようになり、ナバテア王国が誕生した。
シク
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ナバテア王国の古代都市ぺトラはシルクロードの交易都市として繁栄した。
主に絹や香辛料などの交易を行っていた。
シク
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シクの風景。
両方の壁が真っ直ぐ切り立ったシクの内部。
古代ペトラでは雨季には洪水に度々見舞われ、治水のため大きなダムも造られていた。
シク
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交易都市として栄えていた当時、このシクはキャラバン隊が出入りする大切な道だった。
現在は我々観光客が通り、自然が造った造形に目を奪われている。
シク
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水を行き渡らせるためにシクに水路が掘られていた。
現在もその跡を見る事ができる。
移り変わる岩壁の形と色を楽しみながら、ペトラの遺跡まで続くこのアプローチが心地良い。
ペトラ
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いよいよシクの終点、それは突然訪れた。
シクの渓谷の細い切れ目から、黄金に輝くエル・カズネの一部が姿を現したのだ。
ぺトラ
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シクの終点、エル・ハズネ目前にて筆者近影。
シクやエル・ハズネなどを構成している岩盤は砂岩で、比較的削りやすい。
ぺトラ
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狭かったシクを出た刹那、目に飛び込んで来る巨大な建造物、エル・カズネ。
その瞬間は、ただ息を呑む事しかできなかった。
エル・ハズネ
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ペトラ遺跡における最も有名で、ペトラ遺跡そのものを指すが如くの建造物エル・カズネ。
岩山の岩盤を削って建造した、巨大な建物。
エル・ハズネ
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岩盤を削って建造したとは到底思えない様な、細やかな細工。
古代ギリシア建築様式を真似て造られている。
エル・ハズネ
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エル・カズネと観光用ラクダ。
エル・カズネの高さは43m。
エル・ハズネ
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エル・カズネの中に入ります。
今は何も無い、空間だけの部屋が残る。
エル・ハズネ
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エル・カズネ入り口から見た、到着したシクの出口の風景。
エル・ハズネは映画、インディー・ジョーンズ最後の聖戦の舞台にもなった。
エル・ハズネ
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エル・カズネ入り口を見上げた風景。
古代都市ペトラにて、なぜエル・ハズネが造られたのかは良く判っていない。
エル・カズネはナバテアの王の墓とされている。
エル・ハズネ
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アラビアの盗賊がエル・カズネの部屋に有った石壺の中に、自分が略奪したお宝を隠した、という言い伝えから、エル・カズネを宝物殿とも呼ぶ。
ファサードの道
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エル・ハズネの次は、さらに奥のペトラ中心部へ。
エル・ハズネから伸びるこの道はファサードの道と呼ばれる。
ネクロポリス
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西へと続く、ファサードの道の岩山の下部には洞穴が沢山開いている。
ここはネクロポリスと呼ばれる墳墓群。
ネクロポリス
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ネクロポリスはナバテアの民の墓地で、ペトラの遺跡の中でも古い時代のもの。
ウナイシュの墓
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ネクロポリスを過ぎ、エル・ハズネから西へ500m程進むと、ウナイシュの墓に着く。
ウナイシュの墓
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ウナイシュの墓のアップ。
古代都市ペトラの遺跡で残る建造物のほとんど多くは、この様に岩盤を削って造っている。
ショップ
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岩盤に開いた洞穴をそのままショップにしていた。
中はとても涼しかった。
ボトルアート
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ショップで売っていたボトルアート。
砂漠の観光地でよく見かける、砂で作る砂絵。
自分の名前が入ったオリジナル・ボトルアートも作ってくれる。
住居跡
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ナバテアの民が暮らしていた住居跡。
結構広い。
岩盤は砂岩で出来ているので、削りやすく、住居にするのに適してた様だ。
まだら岩
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地層の様に模様が浮き出ているまだら岩。
まだら岩に開いた穴からのぞく、筆者近影。
ローマ円形劇場
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ここはローマ円形劇場。
西暦1世紀頃のもの。
5千人近く収容できたと言う。
ローマ円形劇場
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元々この辺りはネクロポリスの様な墳墓群で、その墓がある岩山を削って造った。
後ろの壁の穴はお墓の跡。
王家の墳墓群
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ローマ円形劇場から北へ0.5k程進むと大きな岩山、アルフブサ山が現れる。
その岩山に壮大な墓が4基掘られている。
ここは王家の墳墓群。
王家の墳墓群
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4基の王家の墳墓の一つ、アーンの墓。
アーンとは壺の事で、墓の上の方に壺の様な彫刻が残されていた事から名付けられた。
王家の墳墓群
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王家の墳墓群。
左が宮殿式の墓。
右が古代ギリシアの建築様式に造られたコリント式の墓。
王家の墳墓群
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ナバテア王国の都市遺跡として他には、シリアの南部に残るユネスコ世界文化遺産にも登録されている古代都市ボスラがある。
アル・ビント城
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王家の墳墓群から西へ500m程進むと、ローマ様式の神殿が残る。
カスール・アル・ビントと呼ばれるナバテア時代の神殿でナバテアの神を祀る。
神殿が城の様に見えるのでアル・ビント城とも呼ばれる。
凱旋門
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神殿の凱旋門。
近くでは観光用ラクダが休んでいた。
まだらの墳墓
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まだら色の地層が美しい、沢山の岩窟がある墳墓群。
ヤギ
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高い岩場の上にいたヤギ。
岩場の多いペトラでは豊かな土地は無く、農業には不適だったが、それでも乾燥に強い果実などが栽培されていた。
エド・ディルへの道
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さて、ここから登山の始まりです。
日本のお寺で言う所の奥の院の様な、奥深い山に秘殿が建つと言う事で行ってみる事に。
エド・ディルへの道
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奥山にあるエド・ディルへと続くこの登りの山道、結構キツイ!
一時間ほどで登り切れるとの事で、ゼイゼイ言いながら進みます。
エド・ディルへの道
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はるか彼方に王家の墳墓群や神殿跡が見える。
ぺトラには古くは紀元前12~13世紀に古代パレスチナの民、聖書に登場するエドム人が暮らしていた。
ライオンの墳墓
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山道の途中にあったライオンの墳墓。
壁にはライオンの浮き彫りの彫刻がある事から、こう呼ばれている。
エド・ディルへの道
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風化してボロボロになった岩場を、縫う様に道は続く。
ナバテア王国は古代ローマ帝国によって西暦2世紀初頭に滅亡した。
エド・ディルへの道
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ナバテアの民は居住地を、切り立った岩山を削る事で確保し、多くの洞窟住居で構成された、他に例を見ない都市をつくった。
エド・ディルへの道
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古代都市ぺトラはローマ帝国の下でしばらく隊商都市として体面を保っていたが、イスラム王朝アッバース朝に征服されてからはシルクロードの交易路から外れ、次第に衰退して行く。
エド・ディルへの道
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深い谷が口を開けるエド・ディルへの道。
ガードレールなどあろうはずもない、自然のままの道を行く。
エド・ディルへの道
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ユネスコ世界文化遺産に登録されているペトラ。
世界遺産の中でもトップクラスの遺産だ。
エド・ディル
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やっと着きました。
これはエド・ディルと呼ばれるナバテア人の神殿跡。
素晴らしい光景に疲れも汗も吹っ飛ぶ。
エド・ディル
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エド・ディルの大きさはエル・ハズネよりも大きい。
エド・ディルとは修道院の事。
ナバテア王国滅亡の後、ローマ帝国時代には修道士たちが住んでいた。
アラバ渓谷
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更に高台へと登る。
ここにはビューポイントがあり、アラバ渓谷を見渡せる。
アラバ渓谷
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左上の奥に頂上が見える山はホル山。
この頂上には、旧約聖書に登場するモーゼの兄のアロンが眠るという、白いドームがある。
アロンはモーゼと共に奴隷となっていたヘブライ人を、エジプトから脱出させた古代イスラエルの民。
アラバ渓谷
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眼下に広がるアラバ渓谷と、ビューポイントの断崖に立つ筆者。
落っこちません様に。
エド・ディル
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ビューポイントから戻って、再度エド・ディルを見る。
まさにペトラ遺跡における奥の院と言った、たたずまいだ。
エド・ディルからの帰り道
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エド・ディルの観光はおしまい。
帰り道を改めて見てみると、深い谷が口を開けた登山道を歩いていた事に気づく。
踏み外すと、あの世へ行きます。
エド・ディルからの帰り道
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深い谷がいくつもあるエド・ディルへの道。
隊商都市ぺトラはシルクロードの交易路としては、シリアのパルミラに取って代わられた。
8世紀中頃、大地震によりぺトラは壊滅、都市として成り立たなくなり、ナバテアの民はぺトラを放棄、廃墟となる。
エド・ディルからの帰り道
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岩盤のいたる所に洞穴が開いている。
19世紀、この地を探検したスイス人によりぺトラは再発見され、20世紀以降発掘調査が始められた。
現在でも発掘は進められているが、大部分は未だに手を付けられていない。
王家の墳墓群
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ようやく王家の墳墓群が見える所まで下ってきました。
日は傾き、遺跡に影を作っていた。
ペトラ
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手前は神殿跡。
正面奥は王家の墳墓のアーンの墓。
列柱道路
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神殿跡に残っていた列柱道路。
これらは古代ローマ帝国時代の様式だ。
王家の墳墓群
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列柱道路側から見た王家の墳墓群です。
左から宮殿式の墓、コリント式の墓、シルクの墓、アーンの墓。
宮殿の墓
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宮殿式の墓。
ローマのバロック式宮殿の様式で建てられた。
三階建てになっている。
シルクの墓
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王家の墳墓群の一つ、シルクの墓。
小ぶりの建物だが、正面ファサードのまだら模様が美しい。
アーンの墓
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王家の墳墓群の一つ、アーンの墓。
これから中に入ります。
アーンの墓からの風景
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アーンの墓の内部を見た後、入り口から見たペトラ遺跡。
アーンの墓は高台にあり、見晴らしが良い。
正面には前述のアル・ビント城が見える。
まだら岩
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まだら岩の洞穴の中にたたずむロバ。
ペトラの意味はギリシア語での岩・崖なのだそうだ。
エル・ハズネ