大韓民国(済州島)
済州島への旅
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済州島への旅は関空から。
航空会社は韓国のLCC、ティーウェイ航空を利用。
ティーウェイ航空
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搭乗したティーウェイ航空の飛行機。
ティーウェイ航空は韓国では最初のLCC会社。
済州国際空港
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済州国際空港へ到着。
飛行機からの空港ターミナルビルの風景。
済州国際空港
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空港ターミナルビル出入口の風景。
済州島には鉄道やトラム、地下鉄が無いため、市内へはバス、車しか方法はない。
済州国際空港
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空港ターミナルビル周辺の風景。
済州国際空港は済州島で唯一の空港で、島の北側にある。
漢拏山
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空港駐車場からは漢拏山、ハルラサンの雪景色が見渡せた。
漢拏山は済州島の中心にそびえる火山で、韓国の本土も含めての最高峰。
龍頭巌
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最初に訪れたのは龍頭巌。
ここは空港の近く、空港ターミナルから北東へ2kほどの海岸。
海岸への遊歩入り口にあった石碑。
龍頭巌
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龍頭巌の海岸風景。
済州島は火山島で、島の中心にある漢拏山は約180万年前から火山活動を始める。
龍頭巌
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龍頭巌の海岸風景。
済州島の周囲の海岸は漢拏山や、島にできた数百もの火山から流れ出した溶岩の岩で覆われている。
龍頭巌
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この岩が龍頭巌。
流れ出した溶岩の岩が波によって削られ、この様な形となる。
漢拏山の竜が岩に変えられた姿だとの事。
龍頭巌
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遊歩道の一角に人だかりができていた。
近づくと岩場に魚介類を食べさせる露店の簡易食堂があった。
採れたてのナマコ、サザエ、アワビ、タコなどを活き造りにしていた。
龍頭巌
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龍頭巌の海岸風景。
海岸は流れ出した溶岩が海水に触れて固まり、長い間の波の浸食による海食崖となっており、奇岩が続く景勝地となっている。
龍頭巌
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岩に上で休んでいたウミウ。
魚を獲物にするため、たくさんのウミウが岩礁にいた。
レストラン
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龍頭巌近くの海岸にはいくつかの海鮮レストランが建つ。
これは活きタコの活き造り。
サンナクチと呼ぶ代表的な海鮮料理で、テナガダコをぶつ切りにする。
ウネウネ動いていて、奥歯でよく噛み砕かないと口や喉に吸盤で吸い付きます。
レストラン
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刺身の盛り合わせ。
白身はタイとヒラメ、貝はアワビ。
レストラン
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ご飯ものはアワビの釜飯。
大変美味しかった。
龍淵渓谷
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ここは龍頭巌から南東へ200m、歩いていける距離にある龍淵渓谷。
今回の済州島の観光は空港から島内を右に時計回りに移動していきます。
龍淵渓谷
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龍淵渓谷に架かる細い吊り橋はクルム橋。
渓谷の下流は直ぐ海。
今は海流で運ばれた砂で塞がれ、直接海とはつながっていなかった。
大雨などで洪水になれば海とつながるらしい。
龍淵渓谷
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吊り橋、クルム橋からの龍淵渓谷の風景。
渓谷の青い水と東屋の朱色のコントラストが美しい。
龍淵渓谷
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東屋からの渓谷風景。
漢拏山の竜が水浴びをした、との事。
古く、朝鮮王朝時代には、この東屋からの風景を地方官の守令や判官などが楽しんだ。
龍淵渓谷
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にわか雨が上がり、渓谷の空には虹が出ていた。
龍淵渓谷は地元では翠屏潭とも呼ばれていた。
済州牧官衙
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ここは龍淵渓谷から東へ0.7kほどにある済州牧官衙。
朝鮮半島に存在した王朝、李氏朝鮮の第四代皇帝、世宗の時代に建てられた役所。
済州島最古の木造建築物だったが、現存する建物は近年になって復元されたもの。
観徳亭
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これは済州牧官衙に隣接する観徳亭。
武術訓練場で兵士の訓練などに使用された、道場の様な建物。
これも近年に修復されたもの。
済州郷校
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済州初の学校、済州郷校。
李氏朝鮮王朝元年に建てられた儒教の学校で、今でも人間育成の教育を行っている。
東門在来市場
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東門在来市場。
観徳亭から東へ0.5kほどにある。
とても長く広い市場で、一般車道といくつも交差しており、それぞれにゲート番号が振られている。
東門在来市場
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ここは果物のお店。
特にみかんの類はとても多い。
温暖な済州島での特産品となっている。
東門在来市場
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トウガラシのお店。
トウガラシも沢山の種類があった。
東門在来市場
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こちらは粉に挽いたトウガラシ。
韓国の食文化においてトウガラシは欠かせない。
東門在来市場
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数々のキムチが並ぶ。
韓国と言えばキムチだ。
東門在来市場
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東門在来市場は飛行場のある島の北側の、空港から東へ3kほどの所にある。
東門在来市場
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済州島は海に囲まれており、漁港も多い。
新鮮な魚が多く水揚げされるのだろう。
東門在来市場
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東門在来市場は歴史も古く、終戦で日本植民地から開放された後に形作られた。
お店の数は今では300以上にもなる。
東門在来市場
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民芸品のお店。
上段の黒い人形は守り神の石像、トルハルバン。
東門在来市場
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市場の一角にホットクのお店が並ぶ、ホットク通りがある。
そのお店の風景。
ホットクとは小麦粉生地を鉄板で焼き、具に黒砂糖をいれたスイーツの事。
筆者も一つ頂いた。
甘くて美味しいが、焼きたてなので熱い具が飛び出し、口の中をやけどしました。
川
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東門在来市場の外れに出ました。
川が流れていた。
済州島は火山島で、台地は全て火山岩。
川底も火山岩なので水は直ぐに地下に浸みていく。
そのため、島内の川はほとんど涸れた水無川が多い。
街の風景
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東門在来市場出口辺りの風景。
民俗自然史博物館
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次の訪問地は民俗自然史博物館。
入口チケット売り場とゲートの風景。
民俗自然史博物館
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博物館入口の風景。
博物館は東門在来市場から南東へ1kほどにある。
民俗自然史博物館
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入口に置かれていた守り神の石像、トルハルバン。
特に子宝の御利益があるらしい。
島内の至る所で見かけた。
島の人達にとっては地蔵様の様な存在かな。
民俗自然史博物館
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水を汲むオモニの像。
オモニとはお母さんの事で、昔は水汲みは女性の仕事だったらしい。
この像も島内の至る所で見かけ、多くは背負った水瓶から水を流す、池の噴水になっている。
民俗自然史博物館
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館内に入ると直ぐの所に陳列されているのがリュウグウノツカイの剥製標本。
ニュースでたまに網にかかった姿を見る位だったが、剥製は初めてだった。
大型の深海魚で、最長で10mにもなるらしい。
民俗自然史博物館
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ここは民俗展示室。
済州島独特の民俗風習について展示されている。
博物館の中央に展示されていた昔の漁船。
藁葺きの家萱
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済州の民家はほとんど藁葺きの家であった。
強い風の影響で屋根は低かった。
出入りは道から家まで続く路地、オルレを利用していた。
オルレはS字の形をしていて、荷物を背負った馬牛が歩きやすい程度の幅があった。
婚礼
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済州島の婚礼は、朝に新郎が新婦の家に行って新婦を連れて新郎の家に戻り、そこで結婚式を挙げた。
新婦は次の日の朝から台所に入り、家事を始めた。
男の部屋
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家の中で一番大事な場所。
家の重要行事である祭祀や祝祭日を行う神々しい空間であり、客を迎えるところでもある。
男性の空間である。
へっついさん
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大抵は出入り口の右側の隅に釜を3、4個おいてある。
ここは女性固有の空間である。
裁縫部屋
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昔は女性の立場は高くなく、労働も女性が行っていた。
働き者の女性に対して男は何もせず、食って酒飲んで寝るだけ。
産神様
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息子を産み、跡を継がせるのは女性の義務であった。
息子の懐妊をサムスンハルマン(産神)堂を訪ね、祈願した。
揺り籠
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エギクドクは長方形の竹かごで、底が深い。
仕事場に持って行ける子ども用ベッドである。
おもちゃ
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子どもは成長とともに様々な遊びをした。
男の子はチャチギ(短い木の遊び)、ペンイチギ(コマ回し)、コヌ遊び(駒ゲーム)をした。
女の子は小石を集めてコンギノリ(お手玉遊び)をしたりシルトゥギ(あや取り)をしていた。
還暦祝い
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60歳の誕生日を還甲、または還暦と言う。
配偶者が生きていて、子どもがみんな無事に元気であれば還暦祝いを行うことができたという。
祭祀
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祭祀は、忌日の前日の夕方にお膳に供え物を取りそろえておき、子の刻になったら祭祀を行う。
家ごとに特有の家法が伝えられている。
済州道の祭祀の特異点は門前床、ムンジョンサンがあるということ。
済州神話から由来した家中を守る門前神、ムンジョンシンのための御膳を特別に設け本祭祀の前に行う。
葬儀
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人が亡くなると親族はもちろん、村の人々と知人が集まり葬儀を行う。
通常三日葬、五日葬、七日葬が行われる。
この期間に喪主は弔問客を出迎える一方で、葬儀日、葬地などを決める。
母親か父親かによって喪主の服装が異なる。
衣服
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済州島は朝鮮後期までは主に動物の革衣と麻で作った衣服を着ていた。
絹は一番高級な生地であり、綿花を栽培できるようになってから木綿が製織された。
作業着
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カルオッ(済州の伝統服)は済州の風土に合わせ、工夫して作られた作業着である。
8月に採った青柿を細かく砕き、そこから出てきた汁を木綿の布に染み込ませ、日光に当てて4~5日間干す。
着れば着るほど柔らかくなり、丈夫である。
また、水に濡れてもすぐ乾き、汚れもつきにくい。
水汲み
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河川や湖が少なく、水に乏しい済州では海辺に湧き出るわき水、または奉天水(水溜まり)を飲み水として利用していた。
水を汲み、運ぶ方法は瓶をムルクドク(籠)に入れ背負って運んだ。
とても重く、重労働だった。
巫俗祭儀
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村の女性たちだけが集まり、農耕の女神であるクムベクジュに村の和睦と穀物の豊饒を祈願するクッ(巫俗祭儀)を行う。
この村の祭儀は済州巫俗の本家とされている。
海女
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海女は、チャムニョ(潜女)、チャムス(潜嫂)とも言う。
海女は、四季を問わず天気と潮に問題さえなければ、海に出て海産物をとり、暮らしを立てていた。
彼女たちは韓半島の全域はもちろん、日本、中国、ロシアにまで進出していた。
そんな海女たちが創り上げた海女文化はユネスコ無形文化遺産の候補リスト入りされている。
墓
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ここは野外展示場。
重要人物の墓の前には霊験あらたかな学者像が設置されるのが普通である。
また、墓に建てられた石像には死者の付き添いの役割の意味があるものと考えられている。
城山日出峰
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島の東へ向かいます。
済州島北側の済州市中心から直線距離にして40kほど、島の真東にある城山日出峰。
城山日出峰
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城山日出峰の入り口にあった石碑。
これから山に登ります。
城山日出峰
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登山道から今来た麓の地区、城山里の風景。
城山日出峰は、海底での火山活動による海底噴火でできた火山が海面まで成長した山で、5千年前には形成された。
城山日出峰
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登山道の脇にあった燈檠石と名付けられた奇岩。
燈檠とは昔、油でともし火を灯した油皿を載せる台の事。
里の村人はこの岩の前で祭祀を行い、村の繁栄と家族の幸せを願ったそうだ。
城山日出峰
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登山道の脇にあった溶岩洞窟。
城山日出峰の城山とは海に浮かぶ城塞の様に見えた事、日出峰とは山が東にそびえ、その背に朝日が昇る事から名付けられた。
城山日出峰
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城山日出峰の登山道周辺には、垂直にそそり立つ数々の岩があり燈檠石のその一つである。
城山日出峰で火山活動が発生していた当時、火山体周辺には固まらないまま積もった火山灰が、急な斜面を形成した。
城山日出峰
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この岩は灯台岩。
火山灰層の上に雨が降ると、その雨水は斜面を流れながら火山灰層を侵食するが、その浸食は下に行くにつれて深まる。
城山日出峰
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熊の岩と呼ばれる奇岩。
一方で、相対的に浸食が浅い地層は垂直に立つ様な形のまま残される。
この様にして垂直にそびえる岩々が残された。
城山日出峰
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城山日出峰の登山道。
城山日出峰は山頂の噴火口が陥没したカルデラで、外輪山はとても急峻。
登山道はほとんどが階段だが、ゆっくり登っても40分くらいで着く。
城山日出峰
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ゼーゼー言いながら外輪山の山頂へ到着。
展望台から東側外輪山の風景。
城山日出峰
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展望台から見た、麓の城山里の風景。
城山日出峰と城山里は海に飛び出た島で、済州島とは橋や細い砂州でつながっている。
城山里は城山日出峰観光の拠点としてにぎわう。
また、後述する牛島へのフェリーの発着する港がある。
城山日出峰
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城山日出峰は漢拏山などと共に済州火山島と溶岩洞窟群の一つとしてユネスコ世界自然遺産に登録されている。
韓国での世界遺産の内、現在の所、唯一の自然遺産。
城山日出峰
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山頂のカルデラの風景。
多くのカルデラでは雨水が溜まりカルデラ湖を形成するが、ここは水が直ぐに浸み込むのだろう、草原が広がっていた。
城山日出峰
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山頂の外輪山とカルデラの風景。
飛行機など空からでないと全体の形は判りにくいが、全体が王冠の様な形をしている。
動画では着陸前の飛行機からの城山日出峰の風景を掲載します。
城山日出峰
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下山します。
上からの登山道の風景。
ジグザグの急な階段が続く。
城山日出峰
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ようやく裾野まで下りてきました。
裾野には豊かな草地が広がっている。
城山日出峰
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城山日出峰の外輪の縁は海に鋭く落ち込んでおり、磯場が多い。
磯の海産物が豊富で、海女たちの漁場ともなっている。
城山日出峰
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城山日出峰裾野の北側。
入江があり、海水浴などレジャーが楽しめる様だ。
奥の島影は牛島。
城山日出峰
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望遠で撮った牛島。
牛島灯台が建つこの山は牛島峰。
裾野に平地が広がり、島民が暮らす。
城山日出峰
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振り返って今登った城山日出峰の風景。
なだらかな裾野から城山日出峰の外輪山がいきなり壁の様にそびえている。
東岩寺
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城山日出峰の麓に建っていたお寺、東岩寺の風景。
城邑民俗村
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次の訪問地は、城山日出峰から南西へ15kほどにある城邑民俗村。
写真はその西門の風景。
城邑民俗村
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菜の花が満開の城邑民俗村、南門周辺の風景。
城邑民俗村
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南門入り口近くに置かれていた守り神、トルハルバンの石像。
火山岩を彫って作られた、とても古いトルハルバン。
城邑民俗村
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南門と周囲を囲む城壁。
城邑民俗村は東西300m、南北360mの長方形の中にあり、周囲を城壁で囲って城塞にしている。
城邑民俗村
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城壁の石垣の上からの内側集落の風景。
城壁の石垣は全て火山岩で築いていて、その上を歩いたのだが、デコボコが多すぎて、とても歩きにくかった。
城邑民俗村
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城邑民俗村の風景。
済州島には李氏朝鮮、朝鮮王朝時代から続く、昔ながらの朝鮮民族の暮らしが残され、守られている民俗村がいくつかあり、城邑民俗村もその一つ。
城邑民俗村
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一つの民家の門が開いており、少しだけ中へ入ってみました。
門の土台や民家の塀などは全て火山岩を加工して利用している。
城邑民俗村
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城壁の外にも集落は残る。
北の城壁から100mほど北にあった集落。
入り口の名板には古家とあった、
城邑民俗村
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集落の広場に建っていたオモニの像。
民俗村は観光として開放はしているが、集落として実際に人が住んで生活している。
城邑民俗村
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集落の隅にあったブタ小屋。
家畜臭がひどく、観光客に不評だった事から現在は使われておらず、解説用にブタの置物が飾られていた。
城邑民俗村
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ブタ小屋を反対方向、入り口方向の風景。
民家の塀は火山岩を積み重ね、屋根は藁葺き、強風に耐えるため低い屋根になっている。
城邑民俗村
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ブタ小屋の入り口のアップ。
石橋の様に二枚の石板が平行に置かれている。
実はこれは村人たちのトイレ、トットンシ。
昔、人糞はブタの餌にも利用していた。
城邑民俗村
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火山岩や火山灰土壌のため、水は地中に染み込み、飲料水に困っていた。
今は上水道があるが、昔は木に降った雨水が幹を伝って流れ落ちて来るのを藁の束を使って水瓶に貯めていた。
城邑民俗村
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右はオモニが背負って運んだ水瓶と籠。
左は赤ちゃんを寝かす子ども用ベッド、エギクドク。
城邑民俗村は宮廷女官チャングムの誓いなど、朝鮮王朝時代のドラマのロケ地となった。
城邑民俗村
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マメやソバ、麦などの穀物を挽いた石臼。
巨大な石のローラーを回した。
昼食
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昼食のメニューは黒豚のプルコギとアマダイの一夜干し。
とっても美味しかった。
サングムブリ
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内陸へ入ります。
漢拏山の東の裾野、城邑民俗村から10kほど北西へ向かった所に、済州島に数多く残る寄生火山跡の一つサングムブリがある。
入り口ゲート、英鳳門の風景。
サングムブリ
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英鳳門からサングムブリの噴火口までは火山の裾野を登っていく。
裾野の平原には見渡す限りのススキの群生が見られる。
サングムブリ
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サングムブリ噴火口跡を火口の縁からの風景。
済州島には360余りの寄生火山が分布している。
寄生火山とは中央火山、ここの場合は漢拏山の山腹からの割れ目噴火によって生まれた火山で、中央火山に数多くの寄生火山がある済州島は非常に珍しい。
サングムブリ
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鋭く落ち込んでいる火口の縁の風景。
一般には、殆どの寄生火山には噴火口が無く、噴火口があるものはお椀を伏せたような形、或いは馬蹄形をしている。
サングムブリ
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一面がすすきに覆われたサングムブリの裾野。
サングムブリは、溶岩や火山灰の噴出を伴わずに噴火したため、穴だけのマール型噴火口になっており、これは韓国だけでなく世界的にもとても珍しい形である。
漢拏山
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サングムブリから少し行った所に漢拏山を一望できる展望台があった。
そこからの漢拏山の風景。
この日は霞んでいて漢拏山は良く見えなかった。
西歸浦オルレ市場
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空港から時計回りに済州島を半周してきました。
ここは島の南、西歸浦の街。
サングムブリから直線距離で25kほど南西にある。
西歸浦オルレ市場
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ここは西歸浦の街の中心にある市場、オルレ市場。
沢山の市民や観光客でとてもにぎわっていた。
西歸浦オルレ市場
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新鮮な魚や特産のみかんの類がたくさん置かれていた。
島の南側は温暖なために特にみかん栽培が盛ん。
西歸浦オルレ市場
106/130
豚足や豚の内臓の煮物。
オルレ市場は済州島での代表的な市場で、北の東門在来市場と双璧をなす。
イ・ジュンソプの家
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画家イ・ジュンソプ、李仲燮が日本人妻、山本方子と晩年のわずかな間、暮らした家を再現している。
李仲燮は北朝鮮で生まれ、画家を目指して日本に留学、山本方子と出会い、戦時中に結婚する。
二人は北朝鮮に移住し子供もできたが、朝鮮戦争が勃発、戦火を避け、ここ西歸浦に疎開した。
イ・ジュンソプの銅像
108/130
イ・ジュンソプの家の近く、広場に銅像が置かれていた。
左の果実は夏橙。
戦況悪化に伴う食糧・医療不足から方子と子供たちは健康を損ね、やむなく日本へ脱出する。
その後、一人創作に打ち込んだが栄養不足などで衰弱し、39歳の若さで世を去った。
子どもと孫は日本で暮らしている。
西歸浦港
109/130
ここは西歸浦港。
宿泊したホテルの南側にあり、食事前の夕暮れ時、港の見える高台に遊歩道があったので、散歩にと立ち寄りました。
奥、左に吊り橋のセヨン橋があり、ケーブルを支える塔はテウと呼ばれる木船の形をしている。
レストラン街
110/130
ホテルの近くの食堂街。
色々な韓国料理、焼き肉店や海鮮料理店などが建ち並んでいた。
西歸浦港
111/130
夕食後にまた散歩。
西歸浦港の夜景。
セヨン橋と塔がライトアップされていた。
吊り橋とつながる左の島は小さなセソム島。
漢拏山
112/130
ホテルの部屋の窓から漢拏山がきれいに見えた。
済州島は東西には長いが南北には短い。
地図で見るとホテルから漢拏山山頂は13k程しか離れていない。
涯月トロク分校
113/130
再び済州島北側へ。
漢拏山西側を時計回りに島の北西にある涯月、エウォル地区へやって来ました。
ここは涯月小学校のトロク分校。
涯月トロク分校
114/130
校舎がカラフルに色塗られ、とても可愛い小学校。
有名になったきっかけはサムスン電子がコマーシャルでこの小学校をロケ地にした事らしい。
涯月トロク分校
115/130
日曜日だったので子供たちの姿は無く、観光客ばかり。
女子高生などに受けそうな、インスタ映えする可愛い校舎でした。
涯月ハンダム海岸
116/130
トロク分校から西へ3kほど、海に出ました。
ここは涯月ハンダム海岸。
涯月とは崖の上に上った月の事で、溶岩の海岸線が続く景勝地。
涯月ハンダム海岸
117/130
海岸には涯月カフェ通りと呼ばれる、海が見えるオシャレなカフェが集まる通りがあり、美しい夕景を楽しむ人達に人気。
波が直ぐ近くまで打ち付ける遊歩道が続く。
涯月ハンダム海岸
118/130
ここから少し済州島に付いて。
済州島は韓国では最も南に位置し、東西80k、南北30kほどの横に長い楕円形をした火山島。
面積は日本で最も狭い香川県よりも小さい。
人口は70万人。
涯月ハンダム海岸
119/130
観光地として人気で、韓国本土からはもちろん、中国や日本からも沢山の人が訪れる。
LCCのティーウェイ航空を使った格安ツアーなら3日間、食事・観光付きで4万円でいけた。
涯月ハンダム海岸
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チェジュ島とも呼ばれ親しまれるこの島は、漢拏山の噴火による、とても流れやすい溶岩の広がりによって形成された。
石器時代から人が住み着いた痕跡が残っており、遺跡からは紀元前8千年前の土器も発見されている。
涯月ハンダム海岸
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済州島に伝わる神話、三姓神話によると、まだ人が住んでいなかった済州島に三人の神が現れた。
漢拏山から海を見ていた神は大きな木の箱が漂着したのを見つける。
涯月ハンダム海岸
122/130
箱の中には東の国(日本)から来たと言う三人の姫と使者、家畜と穀物が乗っていた。
三人の神はそれぞれの姫と一緒になり、子孫たちは家畜と穀物を育て集落を作った。
千年後に民衆の中から選ばれた王の下、王国タクラを建国した。
涯月ハンダム海岸
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歴史に登場するのは3世紀、中国の歴史書、三国志に朝鮮半島の西にある島、州胡として登場する。
その後、朝鮮の歴史書に5世紀には耽羅国があり、百済と外交がある、との記述がある。
涯月ハンダム海岸
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9世紀に入り海上貿易が盛んになると日本や中国、朝鮮半島との交易の拠点となり栄えた。
10世紀、新羅が高麗に征服され朝鮮半島を統一すると耽羅国も属国となる。
涯月ハンダム海岸
125/130
11世紀、高麗の下、済州と名を改められ耽羅国は歴史から消える。
14世紀、高麗から次の王朝、李氏朝鮮の支配下に置かれ、現在までもその時代の独自の文化が残っている。
涯月ハンダム海岸
126/130