キルギス共和国
国境
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カザフスタン、アルマトイから南東へ。
カザフとキルギスの国境風景。
キルギス側税関と入国審査場。
カラコル
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イシク・クル湖の東、カラコルの街へ到着。
ここは戦勝記念公園。
その入り口風景。
戦勝記念碑
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公園奥に建っていた、第二次世界大戦のドイツとの戦いに勝利した事を記念する戦勝記念碑。
ドゥンガン・モスク
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ここはドゥンガン・モスクの入り口。
入り口にはイスラム教の礼拝サラートの5回の時間を示す、礼拝時刻表が設置されている。
ドゥンガン・モスク
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中へ入る。
行き届いた花壇とカラフルなチェックの壁が印象的。
ドゥンガン・モスク
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バラの花とドゥンガン・モスクの聖堂。
季節的にバラの花が満開だった。
ドゥンガン・モスク
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カラコルの街はロシア人やウクライナ人が築いた。
その後、中国からウイグル人や中国系イスラム教徒である回教徒がやって来た。
その回教徒の事をドゥンガン人と呼び、彼らが建てたここのモスクをドゥンガン・モスクと呼ぶ。
ドゥンガン・モスク
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ドゥンガン・モスクは木造で、木材はドングリの木だとの事。
ここのミナレットも木造と言う、珍しいモスク。
ドゥンガン・モスク
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聖堂内の風景。
異教徒は中まで立ち入れなかったので、扉からの写真です。
中央に礼拝所ミフラーブがある。
ドゥンガン・モスク
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モスクに訪れていた人達。
カラコルの市内
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カラコルの街には公園が多い。
どれも広々とした公園で、きれいに整備されている。
カラコルの市内
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旧ソ連時代の公園だろうか。
やたらと銅像が建つ。
モスク
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カラコルの街を散歩していた所、出会ったモスク。
銀色のドームとミナレットだ。
モスク
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モスクの正面風景。
異教徒の筆者だが、モスクの辺りに人がいなかったので、失敬して入ってみました。
モスクの礼拝堂
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中央にはメッカの方向を示すミフラーブがあり、一人のイスラム教徒が静かに祈りをささげていた。
聖三位一体教会
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ロシア正教の大聖堂、聖三位一体教会。
地震で倒壊した前教会を木造にて1895年に再建した。
120年も経つ古い教会だ。
聖三位一体教会
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木の茶色の壁、緑色の屋根、屋根の上には金色の十字架が建つ。
味わいのある、きれいな教会。
聖三位一体教会
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聖堂内の風景。
イコンが並び立つ。
聖三位一体教会
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美しい花壇のお花畑と聖堂の風景。
プルジェワルスキー公園
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ここはプルジェワルスキー記念公園。
プルジェワルスキーはロシア帝国時代の末に活躍した、ロシアの探検家であり、動植物学者。
ゴビ砂漠を横断したり、4度も中央アジアの探検旅行を行ったりした。
しかし、チベット・ラサへ向かう途中、ここカラコルの街で病に倒れ亡くなった。
プルジェワルスキー記念碑
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大きな記念碑。
上には青銅の大鷲が翼を広げていた。
彼が目指したラサの方角に向いて建てられている。
プルジェワルスキー博物館
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博物館入り口の風景。
館内では探検に関わる品々や収集した動植物の標本が展示されている。
プルジェワルスキー公園
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彼の死後、墓は遺言に従ってイシク・クル湖が見渡せる、この高台に造られた。
公園からはイシク・クル湖の東岸が見渡せる。
プルジェワルスキー公園
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公園内に建つ、小さな礼拝堂。
プルジェワルスキー公園
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公園内に建つ、カラコル出身の作家カラサイフ・フサインの像。
カラサイフ博物館
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作家カラサイフ・フサインの博物館。
ホテル
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カラコルで宿泊したホテル、アミール。
家畜のバザール
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カラコルでは日曜日の午前中のみ開催される、家畜のバザールがある。
後ろには天山山脈の峰々が見える野外のバザール会場。
家畜のバザール
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動物は羊、山羊、牛、馬など。
値段は買い手・売り手が互いに交渉して決める。
家畜のバザール
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可愛い顔した、まだ子牛の此の子も売られて行きます。
ドナドナの歌の世界です。
家畜のバザール
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地元ガイドさんが売主に値段を聞いた所、日本円で牛が4万、馬は貴重な事から18万だそうです。
家畜のバザール
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干し草も大量に売られていた。
天山山脈
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カラコルから南の少し郊外へ出かけました。
道中、南には天山山脈の峰々が連なっていた。
天山山脈
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万年雪と氷河が残る天山山脈の峰々。
ブロークン・ハート
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この岩はブロークン・ハートと呼ばれる、一枚岩がパックリ割れた奇岩。
養蜂
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この辺りは花が多いのか、養蜂が盛んらしく、養蜂家の巣箱を良く目にする。
ハチミツ
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産地直売のハチミツ。
ユルタ
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近くに建っていた、遊牧民の伝統的な移動式住居ユルタ。
モンゴルのゲル、中国のパオのカザフ・キルギス版。
ユルタ
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ちょいと失礼して中を覗かせて頂きました。
カラフルなじゅうたん類が置いてありました。
ユルタ
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別のユルタの中。
テーブルがあり、食堂になっているのだろう。
女の子
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ユルタにいた女の子。
ドリーナ・スベトフ
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ここはドリーナ・スベトフ、花の盆地と呼ばれる所。
初夏には一面がお花畑になるのだそうだ。
ドリーナ・スベトフ
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ジェティ・オグス渓谷から雪解け水が流れ下るジェティ・オグス川の風景。
ドリーナ・スベトフ
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猛毒のトリカブト。
花はきれいな紫色だが、馬や牛が間違えて食べると死んでしまう。
ドリーナ・スベトフ
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白色の忘れな草。
ドリーナ・スベトフ
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真っ赤に実るベリーの仲間。
ユルタ
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遊牧の人達の住み処、ユルタ。
筆者もお昼ご飯はこの中で頂きました。
特に馬の乳で造ったお酒、馬乳酒のクムスは珍味でした。
ユルタ
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豊かな草原に家畜を放牧させている。
ユルタはヒツジの毛でつくったフェルトでできている。
放牧
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ユルタで生活をしている人々。
草を求めて遊牧をする。
放牧
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丁度、お昼の頃。
支度をしていた女性たち。
親子
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お母さんと男の子。
ジェティ・オグズ
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ドリーナ・スベトフからの帰り道、赤色の砂岩の岩が続く奇観が現れた。
7頭の牛と呼ばれるジェティ・オグズの岩山。
鷹狩り
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キルギス伝統の鷹狩りの実演を見物する。
鷹匠のおじいさんは何と80歳。
かぶっている帽子はカルパックと呼ばれる、キルギス伝統のフェルトで作った帽子。
鷹狩り
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ウサギを放ち、お腹を空かせたタカに狩りをさせます。
逃げるウサギをあっという間に捕まえるタカ。
鷹狩り
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捕まえたウサギの首根っこを押さえ付ける、どや顔のタカ君。
鷹狩り
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生きたまま、鋭い口ばしで皮を引き裂かれ、食べられるウサギ。
残酷ですが、遊牧の民の狩りの方法の一つ。
肉も内臓もきれいに平らげてしまい、最後は頭と皮だけになってしまいました。
地元の子
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一緒に鷹狩りを見ました。
地元の子らしく、食べられるウサギを見ていても平気でした。
干し草
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移動途中、草を刈る人たち。
干し草にするのだろう。
騎馬ゲーム
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キルギスの青年達による騎馬ゲームを観戦しました。
これはコイン拾い合戦。
コインが入った皮の袋を、疾走する馬上から拾う競技。
騎馬ゲーム
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馬上レスリング。
1対1のタイマンで争います。
馬から落とされたら負け。
騎馬ゲーム
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サッカーゲーム。
ただ、ボールの代わりに死んだ山羊をゴールに入れる。
10kもある山羊の体を片手で持ち上げ振り回し、馬同士をぶつけ合ったりと、迫力のあるゲーム。
騎馬ゲーム
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オーソドックスな競馬。
コートの直線を砂煙を上げながら駆け抜けます。
騎馬ゲーム
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最後の挨拶はサーカスの様に馬の背に立って。
とても楽しいひと時でした。
シャシリク
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街では定番の料理、シャシリクが焼かれていた。
中東ではシシカバブーと呼ばれる、羊の串焼き。
とても美味しそうな匂いが立ち込める。
シャシリク
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シャシリクを焼く、店主のオヤジ二人組。
カメラを向けると肩を組みました。
チョルポン・アタ
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カラコルから北西へ。
ここはイシク・クル湖北岸の避暑地チョルポン・アタ。
街には歴史文化博物館がある。
その入り口風景。
歴史文化博物館
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イシク・クル湖周辺から出土した遺物。
歴史文化博物館
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ギネスにも登録されている世界最長の叙事詩マナス。
その主人公マナス大王に関する展示物も興味深い。
歴史文化博物館
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イシク・クル湖のジオラマ模型。
手前が北で、今いる辺り。
奥が南で、天山山脈の西の端。
ホテル・キャラバン
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ここはチョルポン・アタで宿泊した、リゾートホテル・キャラバン。
イシク・クル湖畔に建っていて、ホテルのプライベート・ビーチもある。
ホテル・キャラバン
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リッチな気分にさせてくれる、広々とした美しい花壇とホテル・キャラバンのエントランスの建物。
ホテル・キャラバン
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筆者が宿泊した棟。
非常に広い敷地内は、個々のコテージ風の棟に分かれて建っていて、母屋やビーチへは自転車や電動カートを使用する。
リッチでは無い筆者は歩きでの移動ですが。
イシク・クル湖のビーチ
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早速ビーチへ向かいました。
沢山の人が来ていた、イシク・クル湖のビーチ風景。
イシク・クル湖のビーチ
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筆者も泳いでみました。
波打ち際は砂ですが、その先は丸い石が数メートル続く。
足つぼマッサージの様でとっても痛い。
イシク・クル湖のビーチ
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イシク・クル湖は淡水の湖ではない。
ほんの少し塩分が含まれている塩湖だ。
泳いだ際に舐めてみたが、塩味は感じなかった。
女の子
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ホテルに泊まっていた、おしゃまな女の子。
各自の客室にはビーチから直接戻れるので、水着のまま歩く人も多くいた。
食事
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ジュージューとおいしそうな音を立てている、熱々の鉄板焼き。
夕景
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リゾートホテルらしく部屋にはベランダがありチェアーが置かれている。
夕食後、ゆったりとベランダから夕景を眺める。
イシク・クル湖クルーズ
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イシク・クル湖の船でのクルーズを楽しみました。
湖水の透明度が高いヨットハーバーの風景。
ロシアのバイカル湖に次ぐ透明度を誇る。
イシク・クル湖クルーズ
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観光船が発着する湖畔はヨットなども数多く停泊し、レストランやお土産屋も並ぶマリーナとなっている。
チョルポン・アタなどのイシク・クル湖の北側はシルクロードの天山北路が通っており、唐の時代に三蔵法師もイシク・クル湖に訪れている。
イシク・クル湖クルーズ
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観光船からのビーチの風景。
旧ソ連時代、イシク・クル湖は外国人には解放されていなかった。
キルギス独立後に今の様なリゾート開発が行われた。
イシク・クル湖クルーズ
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観光船からの南の方向、天山山脈の雪山が遠くかすんで見える。
ペルーのチチカカ湖に次ぐ世界第二の高地にあるイシク・クル湖だが、真冬でも湖面は凍結しない。
反対に夏期でも水温は低く、クルーズの時には湖を渡る風がとても心地良かった。
イシク・クル湖クルーズ
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こちらは北の方向、街並みの先にはカザフとの国境、アラタウ山脈の雪山。
現在はシルクロードの時代よりも湖面は上がり、湖岸は広がっていると言う。
湖底の調査を行った際に古代の集落跡や水没した遺跡が見つかっている。
ブラナの塔
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チョルポン・アタを後にイシク・クル湖北岸を西へ。
バラサグン遺跡が残る。
この塔はブラナの塔。
バラサグン遺跡
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バラサグン遺跡の地図。
バラサグンはテュルク民族が築いたイスラム国家のカラハン朝の首都。
9世紀中頃から13世紀初頭まで栄えた。
ブラナの塔
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これから塔の上へ登ってみます。
入り口は小さく、螺旋状の階段も狭く、すれ違う事は難しい。
何よりも窓が無いので、ほぼ真っ暗。
懐中電灯が必需品です。
ブラナの塔からの風景
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ブラナの塔からの風景。
カラハン朝はモンゴル帝国によって滅亡し、首都バラサグンも廃墟となる。
現在の名残は遺跡より東に数kの所にあるバラサグン村。
ブラナの塔からの風景
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ブラナの塔からの風景。
この点々と立つ物は石人と呼ばれる石の像。
石人とはキルギス各地に残るカラハン朝時代の戦士の墓。
ブラナの塔からの風景
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バラサグン遺跡の遺構の風景。
土が盛られた様な小高い丘に人工的な穴が開いている。
考古学的な発掘はなされていない。
バラサグン遺跡
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塔を下りて遺跡に向かいます。
日干しレンガの遺跡は風化が激しく、原形をとどめていません。
墓や礼拝堂の跡があるらしいが、全く判らない。
ブラナの塔
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小高くなった遺跡の上から見たブラナの塔。
バラサグン遺跡に残るブラナの塔は11世紀頃のモスクのミナレット。
当初は先が尖った円錐形だったが、地震により上部が壊れ、その後に修復され、現在の様な円錐台の形となる。
石人
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石人の立つ広場へ向かう。
石人をキルギス各地から集めてきて、野外博物館の様に展示している。
様々な表情の石人達。
日本の野仏の様な雰囲気。
ブラナの塔
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筆者とブラナの塔。
バラサグン遺跡は天山北路に位置し、シルクロード:長安=天山回廊の交易路網としてユネスコの世界文化遺産に登録されている。
村の子供達
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バラサグン遺跡近くの村の子供達。
みんな人なつっこい。
昼食
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近くの村での昼食。
これはビシュバルマックと言うキルギス風パスタ料理。
村人
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お祖父ちゃんとお孫さん。
カメラを向けるとニッコリしてくれました。
アク・ベシム遺跡
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バラサグン遺跡から北西に数k行くと、アク・ベシム遺跡がある。
この地には6世紀頃テュルク民族が築いた王国、突厥の都、砕葉城スイアーブがあった。
9世紀終わり頃には前述のカラハン朝の都バラサグンに取って代わられ、衰退して行く。
アク・ベシム遺跡
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現在、見る事の出来るアク・ベシム遺跡はカラハン朝時代の10世紀末の物と考えられており、仏教寺院跡が発掘され、仏像や貨幣が出土した。
今では日干しレンガの遺構が残る程度。
アク・ベシム遺跡
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アク・ベシム遺跡は前述のバラサグン遺跡と同様に、天山北路に位置する。
唐の時代、三蔵法師もここに訪れている。
シルクロード:長安=天山回廊の交易路網としてユネスコの世界文化遺産に登録されている。
ビシュケク
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最後の観光地は、首都ビシュケク。
ここは国立歴史博物館の入り口。
国立歴史博物館
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入り口エントランス・ホール。
キルギスは中央アジア諸国の一つで、ロシアの独立国家共同体の一国。
かつて正式な国名はキルギスタンで、現地ガイドさんなど、国内では今でもキルギスタンと呼称している。
国立歴史博物館
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2階のフロアーではレーニン像や共産主義思想など、旧ソ連時代の展示物が置かれている。
3階フロアーにはキルギスの歴史や民族、自然などの展示がされている。
アラトー広場
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国立歴史博物館の前には噴水が美しいアラトー広場がある。
キルギスの国土は天山山脈やパミール高原など、多くは山岳地帯や高地となっている。
アラトー広場
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広場にはキルギスの英雄、叙事詩マナスの主人公、マナス大王の騎馬像が立ち、国旗掲揚台では衛兵が国旗を守る。
衛兵の交代式
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丁度正午、衛兵の交代式が始まりました。
一糸乱れず行進する様は美しさを感じさせる。
アラトー広場
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ビシュケクは80万都市。
新潟市位の都市だ。
古くはシルクロードの時代、天山北路を行き交うキャラバン隊が立ち寄った地。
ソ連時代に計画都市として整備され、都市としては新しく、歴史的な遺構は残っていない。
昼食
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昼食では串焼きシャシリクを頂きました。
チキンの丸焼きです。
昼食
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デザートはフルーツ盛り合わせ。
美しく盛られている。
オシュ・バザール
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ビシュケクで最大のバザール、オシュ・バザール。
ここはパンのお店。
オシュ・バザール
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色とりどりのドライフルーツ、ナッツ類のお店。
オシュ・バザール
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お肉のお店。
女性店員達はみんなお揃いの帽子、エプロンをしている。
冷蔵庫を使わず常温のままないので、少々心配。
オシュ・バザール
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新鮮な野菜類もたっぷり。
食料以外にも衣類、日用雑貨、玩具など、有りと有らゆる物を置いてある。
オシュ・バザール
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乳製品のコーナー。
おつまみになる、小さく丸めた乾燥チーズのクルトなど、見た事のない品々が並んでいた。
オシュ・バザール
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果物ではスイカやハミウリが定番。
それ以外でもブドウやリンゴ、ブラックベリーやラズベリーなど、見た目もカラフルなフルーツがてんこ盛りです。
オシュ・バザール
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米や麦、豆類など穀物の店。
他には馴染みの無い、素朴だが美味しいお菓子も沢山売っていた。
国境