キルギス共和国(バラサグン)
バラサグン遺跡
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チョルポン・アタを後に、イシク・クル湖北岸を西へ。
バラサグン遺跡が残る。
遺跡入り口に置かれていた、バラサグン遺跡の地図。
バラサグン遺跡
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バラサグン遺跡はチョルポン・アタから西へ150kほどにある。
遺跡への入り口辺りの風景。
奥に建つのはブラナの塔。
ブラナの塔
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バラサグン遺跡に残るこの塔は、ブラナの塔。
バラサグン遺跡はカザフスタンとの国境の町、トクマクの南に位置する。
ブラナの塔
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ブラナの塔の風景。
塔の内部へ入る、らせんの鉄階段があった。
ブラナの塔は11世紀頃に建てられた、イスラム教の礼拝堂モスクに付属するミナレット。
モスクの建物は失われたが、ミナレットだけ残った。
建築当初は先が尖った円錐形で、45mの高さがあったが、15世紀の地震により上部が壊れた。
その後に修復され、25mの高さの、現在の様な円錐台の形となる。
ブラナの塔
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これから塔の上へ登ってみます。
入り口は小さく、螺旋状の階段も狭く、すれ違う事は難しい。
何よりも窓が無いので、塔の中は殆ど真っ暗。
懐中電灯が必需品です。
ブラナの塔からの風景
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ブラナの塔の上からのバラサグン遺跡の風景。
こちらは南側の風景。
7世紀、天山山脈の北から西の中央アジアの広大な高地に、ペルシア系農耕民族のソグド人が暮らしていた。
ソグド人は商業にも長けていて、古代シルクロードを行き来しており、各地に入植地を作り繁栄した。
ブラナの塔からの風景
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ブラナの塔の上からの北側の風景。
バラサグン遺跡にわずかな遺構が残っている。
他にはっきりと判る建造物は無い。
所々に土が盛られた様な、小高い丘に人工的な穴が開いている。
考古学的な発掘は、ほとんどなされていないのが現状。
ブラナの塔からの風景
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ソグド人の宗教は多くはゾロアスター教で、地域により仏教やユダヤ教、少数だがマニ教を信仰する人々もいた。9世紀中頃、テュルク系遊牧民族がイスラム国家のカラハン朝を中央アジアに勃興する。10世紀、カラハン朝はソグド人の街であったバラサグンを首都に定め、バラサグンはイスラム化して行く。バラサグンでは歴史によると住民はテュルク語とソグド語の両方を話した事から、テュルク系民族とソグド人が混ざって都市を構成していた様だ。
ブラナの塔からの風景
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古代都市バラサグンは13世紀ごろまで栄えた。
13世紀、カラハン朝はモンゴル帝国によって滅亡、首都バラサグンも降伏しモンゴル帝国の領土となる。
14世紀には度重なる戦乱により廃墟となり、歴史から消える。
現在の名残は、遺跡より東に数kの所にあるバラサグン村のみ。
ブラナの塔からの風景
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ブラナの塔から北東の風景。
何やら、歩道脇や草地に点々と石が立っている。
この立つ物は石人と呼ばれる、石の像。
ブラナの塔からの風景
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遺跡内の草地に立つ石人。
石人とは、キルギス各地に残る、カラハン朝時代の戦士の墓と言われている石碑。
バラサグン遺跡
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塔を下りて遺跡に向かいます。
日干しレンガの遺跡は風化が激しく、土塁の跡らしき残骸はあるものの、原形をとどめていません。
他にも墓や礼拝堂の跡があるらしいが、どれがどれだか、全く判らない。
石人
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石人の立つ広場へ向かう。
石人をキルギス各地から集めてきて、野外博物館の様に展示している。
様々な表情の石人達。
日本の野仏の様な雰囲気だ。
石人
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バラサグン遺跡に置かれている石人は、元々ここに有った物では無い。
キルギスのイシククル湖周辺や、天山山脈西部から流れ出るチュイ川のチュイ渓谷沿い、天山山脈北西から流れ出るタラス川のタラス渓谷沿いなどで見つかったもの。
石人
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チュイ渓谷やタラス渓谷には、テュルク系遊牧民族が多く暮らしていた場所。
石人は大きな石を削って作る石の彫刻で、ここでの古い物は6世紀ごろの物。
石人
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石人を良く見ると、胸の前で手に何か持っている。
しかも、ほとんどの石人の像に。
これは、盃の杯と言われている。
つまり、葬られた死者自身を石人として擬人化し、葬儀で酒食を振る舞う、お清めをしている姿だとの事。
石人
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石人はキルギスだけでは無く、モンゴルから西側、ユーラシアの草原、中央アジア一帯に見つかっている。
また、東ヨーロッパからコーカサス地方にも似た様な、擬人化された石碑が残っている。
石人
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石人はいつ、どこで生まれたのか、起源に付いては定説が無く、あまり解明されていない。
見つかった最も古い石人は青銅器時代初期で、その頃までには既に作られていた様だ。
いずれも、埋葬地付近で発見されている事から、死者を擬人化した碑であると考えられている。
ブラナの塔
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小高くなった遺跡の上から見たブラナの塔。
現在に残された、古代都市バラサグンでの唯一の建造物。
バラサグン遺跡は天山北路に位置し、シルクロード:長安=天山回廊の交易路網、としてユネスコの世界文化遺産に登録されている。
ブラナの塔
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ブラナの塔には悲しい伝説が残る。
昔、この地にハーンがいた。ハーンとは中央アジアなどで国を統治する君主の称号。
ハーンに娘が誕生した際、老賢者に娘の運勢を見てもらった。
ところが不吉にも、16歳の誕生日に毒蜘蛛に噛まれて死ぬ、と予言に出た。
ハーンは毒蜘蛛から守るため、高い塔を建て娘をそこに住まわせた。
ブラナの塔
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筆者とブラナの塔。
ハーンの娘が16歳の誕生日を迎えた日、娘に祝いの果物の籠を届けた。だが、果物の隙間に毒蜘蛛が隠れていた事に気付かなかった。
娘は果物を食べる際に、毒蜘蛛に噛まれて死んでしまった。
ハーンは悲しみ、大声で泣いたため、塔の先端が崩れ落ちた。