ラオス人民民主共和国(ルアン・パバーン)
ルアン・パバーン空港
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ビエンチャンから北へ220k、ここはルアン・パバーン空港。
夜の便で入りました。
ルアン・パバーン空港ターミナルの夜景。
托鉢通り
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次の日の早朝、ルアン・パバーン観光の一つ、早朝の僧侶による托鉢風景を見に寺院が集まる通りへ出かけました。
まだ暗い中、通りを走る三輪タクシー。
托鉢
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早朝、ほんの少し空が白んできた時、たくさんの僧たちが寺院から出てきた。
托鉢僧だ。
通りを整然と一列になり歩いて行く。
托鉢
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信仰心の高いラオスでは仏教を信仰し、男は一度は出家をして僧となると言う。
僧となる期間は人によってまちまちらしい。
多くは子どもの頃に出家をするので、小坊主たちも多くいた。
托鉢
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托鉢場所近くでは喜捨を行う信者たち用の品々を売っていた。
喜捨とは元々仏教用語で、私財に固執せず、物欲を無くす意味があり、僧侶に惜しまず金品財物を差し出す事。
托鉢
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売っている品々。
左はカティップと呼ばれる蒸し米を入れるカゴの様な器。
お菓子類や紙パックのジュース類なども置いていた。
托鉢
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少し周りが明るくなってきた。
喜捨は観光客でも行う事ができる。
西洋の人たちも托鉢僧に喜捨していた。
托鉢
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托鉢風景を背景に筆者近影。
夜も明け切れぬ早朝にオレンジ色の袈裟を着た僧侶の列は何とも幻想的。
托鉢は雨季の間を除き、毎日行われる。
托鉢
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托鉢とは出家者が行う修行の1つ。
信者の間を廻って食糧などをもらう。
信者はカティップに入れた米を一つまみずつ、托鉢僧が肩から下げているツボに入れる。
托鉢
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そもそも、どうして人々は僧侶に喜捨するのか。
僧侶は世俗を捨て出家し、ブッダの教えに身をささげる。
そうして僧侶自身が聖なる者となり、人々に尊敬される事となる。
人々はそうした聖者に食事や金品を振る舞う事で善行を積み、仏の功徳が現れ、来世で幸せになれる。
朝市
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ルアン・パバーン、朝のタラート風景。
タラートとは市場の事。
この竹竿の様なのはサトウキビ。
とても長い。
朝市
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トマトやトウガラシ、新鮮な緑黄色野菜を置いている。
ルアン・パバーンにタラートはいくつかあるが、ここはタラート・ポーシー。
ルアン・パバーンで最も大きいタラート。
朝市
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こちらは青物系の葉物野菜を置いていた。
ここのタラートは観光客が買い物をする市場では無く、地元の人たちが利用する庶民の市場。
観光客向けでは無いが、物珍しい風景は観光にはもってこい。
朝市
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器に入った黄色の物はタケノコの小さい形をしている。
日本ではヒメタケとか根曲がり竹とか呼ばれているが。
朝市
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ニワトリの卵の店。
笑顔がカワイイ、店員のお嬢さん。
売り場はテント張りのほぼ屋外路上の青空市場だ。
国立王宮博物館
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ここは国立王宮博物館。
ルアン・パバーンのメインストリート、シーサワンウォン通りに面して建つ。
シーサワンウォンとは、かつて存在したルアン・パバーン王国の国王の名前。
国立王宮博物館
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王宮博物館の入り口右手に建つのはホー・パバーンと呼ばれるパバーン仏を安置する社。
緑の下地に金で彫刻している美しい社。
国立王宮博物館
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博物館への通路左手に置かれているシーサワンウォン王の銅像。
王宮博物館はシーサワンウォン王と王の一族の王宮の跡。
国立王宮博物館
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国立王宮博物館はルアン・パバーンの観光地の中でも名高い所で、たくさんの観光客が訪れていた。
現在、その当時の王室の装飾品や家具、仏像などを展示する博物館として一般公開している。
当時の栄華がうかがえる。
国立王宮博物館
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王宮博物館の正面入り口の風景。
館内は写真撮影が禁止で、カメラ・ビデオは並びにあったロッカーにしまわないと入れなかった。
国立王宮博物館
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王宮博物館に遊びに来ていた女の子。
カメラに向かって可愛くポーズをとっていた。
国立王宮博物館
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王宮博物館前から入り口方向に建つパバーン仏の社、ホー・パバーン。
パバーン仏はラーンサーン王朝初代国王のファー・グム王が建国の際、アンコール王朝から贈られた秘仏。
国立王宮博物館
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王宮博物館の敷地内、南側には円形の池があり、丁度、睡蓮の花が咲いていた。
シーサワンウォン王のルアン・パバーン王国はフランス領インドシナとなり消滅。
その後、ラオス王国が建国された。
国立王宮博物館
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王宮博物館の睡蓮池の風景。
ラーンサーン王朝時代から王国の守護本尊として大切にされたパバーン仏。
ルアン・パバーンの街の名の由来も、パバーン仏の置かれている都と言う意味で名付けられた。
ワット・マイ
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シーサワンウォン通りに面して、国立王宮博物館の南西隣に隣接して建つ仏教寺院ワット・マイ。
18世紀末、ルアン・パバーン王国時代に建立された。
その後も歴代の王によって増改築がなされ、現在の形になるのに70年掛かっている。
ワット・マイ
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ワット・マイ入り口右手に建つ、仏塔と祠。
ワット・マイの正式名称はワット・マイ・スワンナプームアハームといい、意味は美しい黄金の国の新しい寺院、だそうだ。
ワット・マイ
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ワット・マイの本堂。
ルアン・パバーン伝統的な5層に重なる屋根をもつ建築様式で建てられ、ルアン・パバーンの寺院では最も大きい。
赤茶色の屋根に白色の縁取りが印象的。
ワット・マイ
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ワット・マイの本堂を正面からの風景。
ワット・マイはルアン・パバーン王国の王室寺院として建てられ、ラオス仏教界の法王の住居としても使われた格式の高い寺院。
これから堂内へ入ります。
ワット・マイ
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本堂の入り口と正面壁面一面に飾られていた精巧な黄金の浮き彫り、レリーフ。
ワット・マイの見所の中でも一番と言って良いほどの見事な彫刻。
ワット・マイ
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レリーフのモチーフはお釈迦様が誕生する前の前世物語、ジャータカや古代インドの叙情詩であり、ヒンドゥー教の聖典でもあるラーマーヤナの場面などを描いている。
ワット・マイ
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黄金色に輝くワット・マイの御本尊。
ワット・マイは前述のパバーン仏が王宮博物館のホー・パバーンに安置される前はここワット・マイに安置されていた。
ワット・マイ
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ワット・マイ本堂内の風景。
今でも新年祭にはパバーン仏はワット・マイに戻され、水かけ地蔵の様に、仏像にお水をかけて清める伝統行事が参拝者たちによって行われるため、たくさんの参拝者が訪れる。
プーシーの丘
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これからルアン・パバーンの町を一望できるビューポイント、プーシーの丘に上ります。
登り口近くの民家の様子。
子どもたちが遊んでいた。
プーシーの丘
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民家の子どもたち。
プーシーの丘の登り口は国立王宮博物館の向かいにあり、頂上まで続く階段を上る。
プーシーの丘
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道の路肩で仏像や仏塔に御供えする花束を売っていた。
バナナの葉っぱで仏塔の形に作り、周囲に花を付ける。
オレンジの花はマリーゴールド。
プーシーの丘
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少し上まで上ってきました。
丘の中腹から東側の風景。
この川はナムカーン川
増水時に直ぐに流される様な貧弱な橋が架かっていた。
プーシーの丘
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ナムカーン川の風景。
河原には広い砂州ができていて、野菜などを作る畑にしている。
プーシーの丘
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ナムカーン川の風景。
右の建物はどうやら大衆食堂の様だ。
河原に建てられていて、いくつかの屋根付きのテーブルが設置されている。
プーシーの丘
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プーシーの丘の中腹、岩場の窪みに仏道を安置していた。
仏像の上には岩場を利用して屋根が取り付けられている。
プーシーの丘
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更に上へ上る。
ここにも仏像が安置している。
この辺りは岩が場多く、その岩の上に置かれていた。
プーシーの丘
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やっと頂上にたどり着きました。
この塔は頂上に建てられているタート・チョムシーと呼ばれる金色の仏塔。
プーシーの丘
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プーシーの丘の頂上、タート・チョムシーからは周囲を見渡せ、絶好の展望台となっている。
ルアン・パバーンの町の北側、メコン川の風景。
プーシーの丘
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ルアン・パバーンの町の西側風景。
写真下側には前述したワット・マイが見える。
プーシーの丘
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車も通れないほど道を占領して店が出ている。
これはルアン・パバーン名物の夜市の風景。
夕方から開かれ、筆者もこの後に訪れます。
プーシーの丘
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ルアン・パバーンの町の反対側、東の風景。
見える河はナムカーン川でメコン河の支流。
ルアン・パバーンの町はメコン河とナムカーン川との合流する町。
プーシーの丘
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プーシーの丘から東側の風景。
この寺院はワット・パーポンパオ。
夕日に照らされ黄金に輝く八角形の寺院。
プーシーの丘
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プーシーの丘から北東方向の風景。
ここはルアン・パバーン空港。
長く伸びる滑走路が見える。
プーシーの丘
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夕刻になりました。
ここはとても綺麗な夕日とメコン河が見る事の出来る展望風景が人気で、たくさんの人が訪れていた。
プーシーの丘
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茜色に染まる夕景。
ルアン・パバーン王国の古都は町全体がルアン・パバーンの町としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
プーシーの丘はその世界遺産の町を見渡せる展望台。
国立王宮博物館
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プーシーの丘を後に、町まで下りてきました。
空は濃い紫色、国立王宮博物館の尖塔にライトが当たり、元々金色の塔が緑色に見えている。
夜市
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ルアン・パバーンのタラート夜市の風景。
裸電球のかき色がよく似合う。
特に日没直後の空に少し紺色が残っている時が、電球の色調と相反して幻想的な風景となる。
夜市
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小さな区画にシートやテーブルを置いて、即席の露店を作っている。
ここは色取り取りの手芸品や生地を置いている。
夜市
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ここは人形の店。
ラオスのいくつかの民族の衣装を着せた人形だ。
とても可愛い。
夜市
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ルアン・パバーンの夜市は、王宮博物館の横手の通りとシーサワンウォン通りの一部を封鎖して、歩行者専用の通りとして開かれている。
夜市
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ここはアクセサリーの店。
ブレスレットやネックレス、ピアスなど様々。
裸電球の黄色がかった色が金色の品々をより光らせていた。
夜市
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アクセサリー屋でお店番をする子どもたち。
大人の客引きたちが多くいる訳では無いルアン・パバーンの夜市ではゆっくりと見て回る事ができる。
夜市
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絵を売っている。
モチーフは仏様やルアン・パバーン名物のメコン河と夕日を描いたものが多かった。
夜市
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お店を出していたルアン・パバーンの親子。
日暮れ前から店を出し、夜深くまでは開かれていないようだ。
夜の9時には片付けが始まっていた。
夜市
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夜市では観光客用のお土産屋以外にも簡単な飲食の屋台がたくさん出ていた。
これは、何か練り物を串にさして、炭火焼きにしている。
夜市
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ここはフランスパン、バゲットを売っている。
中に具を挟みサンドイッチにしている様だ。
フランス植民地時代に根付いたのだろう。
ただ、具材に用いられている物の中には見慣れないものもあったが。
夜市
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炭火焼きのお店。
子どもたちも手伝っている。
左は焼きバナナかな。
夜市
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ドリアンを置いている。
完熟とまではいかなかったようで、それほどの強烈な臭いはしなかったが。
一度マレーシアで食した事があったが、自分のゲップで目まいがした。
ジャックフルーツと形が似ているが、ジャックフルーツはトゲトゲがもっと小さい。
夜市
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バックの店。
たくさんの商品を吊るしている。
商品を見せての声掛けはしてくるが、しつこくは無く、何より何を言っているか判らない。
夜市
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ライトアップされたプーシーの丘のタート・チョムシーの風景。
ぶらっと小一時間ほど見て回るのには最適な夜市でした。
ガラディナー
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さて、今宵は大晦日。
レストランでガラディナーを頂きます。
ガラディナーとはクリスマスイブや大晦日のスペシャル・ディナーのこと。
ガラディナー
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中々の高級なレストランで、ガラディナーの雰囲気を高めるため、照明も凝っていて、暗闇にライトアップされて美しかった。
ガラディナー
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美味しく頂いたラオス料理。
左のカゴに入っているのは赤飯ではなく古代の赤米。
ガラディナー
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レストランは屋外のテーブルで、サラダ・バイキングを初め、ローストビーフ、ローストチキンなど、たくさんのメニューがあった。
ガラディナー
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ここではバーベキューを焼いている。
ガラディナーは特に東南アジアの国々で盛んに行われる。
ガラディナー
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野外レストランにはステージも設置されており、民族舞踊のライブが行われていた。
ガラとは祭儀やお祝いの意味で、欧米から伝わった風習。
ガラディナー
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民族衣装の腰巻きスカート、シンをまとった女性スタッフと筆者近影。
本来、お客も服装はフォーマルなのだが、ここはラフな格好でもよかった。
ホテル
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筆者が宿泊したホテルはグランド・ルアン・パバーン。
早朝の中庭の風景。
この朝は霧が立ち込めていた。
ホテル
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ホテルはメコン河の岸辺に建っており、中庭からメコンの流れを見渡せた。
ルアン・パバーンでは朝、冷え込む時があり、暖かいメコン河からたくさんの霧が発生する。
ルアン・パバーン空港
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さてこれでルアン・パバーンの観光はおしまい。
ビエンチャンへ向かいます。
ルアン・パバーン空港ビルの風景。
飛行機からの風景
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ルアン・パバーンからビエンチャンまでの途中、山岳地帯を飛んだ。
切り立った峰々が続く。
ルアン・パバーン空港へは熊本とのラオス国営航空直行便が就航予定だとの事。
今後楽しみだ。