社会主義人民リビア・アラブ国
トリポリ
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リビア共和国の首部、トリポリ。
写真は旧市街入り口にある、マルクス・アウレリウス門。
ローマ帝国が古代パルティア王国を破った戦勝記念に建てた凱旋門。
当時のローマ帝国は強大な力を付け、カルタゴを滅ぼし、トリポリにも侵攻して来た。
トリポリ
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マルクス・アウレリウス門。
門自体は風化されて朽ちている。
しかし戦争や都市の再建からも逃れて、当時の姿を残している。
後ろの塔はグルジ・モスクのミナレット。
トリポリ
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カダフィ大佐が倒され、社会主義国家から共和制国家になったリビア。筆者が渡航した当時はカダフィ大佐の独裁国家で、テロ支援国家として経済制裁を受けていた。そのためトリポリ空港への航空機乗り入れも制限されていて、空路でリビアへは入国できなかった。入国にはチュニジアから陸路国境越えしか方法は無かった。写真は旧市街メディナの風景。
トリポリ
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旧市街メディナの路地風景。
現在は内戦も終結し、今後産油国の経済力で急成長して行く事だろう。
トリポリ
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路地から見たグルジ・モスク。
マルクス・アウレリウス門の近く旧市街にある。
トリポリ
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旧市街メディナの一角、雑貨屋風景。
トリポリは古代フェニキア人の都市で、紀元前にカルタゴによって造られた。
その後ローマ帝国、イスラム教徒などによって都市が造られ、交易で栄えてきた。
トリポリ
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古代フェニキア人がこの地に入ってきた時に3つの都市を築いた。
サブラータ、レプティス・マグナとオエア(現在のトリポリ)。
それらをトリポリス(3つの都市国家)を呼び、トリポリの由来となった。
旧市街メディナの路地風景。
トリポリ
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旧市街の住居。
テラスからのぞくリビアの子供達。
トリポリ
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時計塔、エッ・サーア。
オスマン帝国時代、港の監視用として造られた。
当時は土色の外壁だったが、現在は修復されて真っ白だとの事。
時計塔へ続く商店街はスークと呼ばれる。
トリポリ
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エッ・サーア(時計塔)前の広場に建つモスク。
トリポリ
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緑の広場から旧市街へ入るゲート。
ゲートの先、直ぐ左にあるのがアハメド・パシャ・カラマンリー・モスク。カラマンリー朝によって建てられた。八角形のトルコ様式のミナレットが特徴で、旧市街では最大のモスク。
突き当たりの塔は時計塔、エッ・サーア。
トリポリ
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セント・マリア教会。
旧市街に建つキリスト教会。
トリポリ
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セント・マリア教会。
トリポリ城
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アッ・サラーイ・ル・ハムラ城。通称トリポリ城。
ハムラとは赤い、と言う意味で、外壁が赤っぽいのが特徴の城。赤い宮殿、赤壁城とも呼ばれる。トリポリが何代もの統治者によって歴史が変わって行くに従い、この城も様々な用途に作り替えられた。緑の広場よりジャマーヒリーヤ博物館入り口方面の風景。
トリポリ城
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アッ・サラーイ・ル・ハムラ城。
高い城壁に囲まれた要塞の城。
時計塔前の広場から見た風景。
トリポリ城
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アッ・サラーイ・ル・ハムラ城の外壁。
現在は裁判所や刑務所など公的機関として利用されている。
国立博物館
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ジャマーヒリーヤ博物館入り口。
アッ・サラーイ・ル・ハムラ城の一部を博物館として一般に開放している。
国立博物館
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ジャマーヒリーヤ博物館。
中はきれいで近代的な造りの国立博物館。
サブラータなどリビア各地の古代文明の遺物を展示していた。
国立博物館
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ジャマーヒリーヤ博物館内の展示品。
見事な大理石の彫像。
他にはレリーフなどの文化財が展示していた。
トリポリ城
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緑の広場から見たアッ・サラーイ・ル・ハムラ城。
緑の広場は旧市街近く、街の中心地にある。
リビアの色、緑色に塗られている事から緑の広場となっている。
高い柱は緑の広場に立つモニュメント。
トリポリ城
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緑の広場から見たアッ・サラーイ・ル・ハムラ城。
トリポリ
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街の至る所にカダフィ大佐の肖像があった。
トリポリ港
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トリポリは地中海に面した港町。
魚も良く捕れる様なので、港には魚のマーケットがありました。
新鮮でピチピチの地中海産魚介類が山と売られていました。
トリポリ港
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夕刻のトリポリ港風景。
子供達
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リビアの子供達
レプティス・マグナ
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レプティス・マグナ。
レプティス・マグナの古代遺跡としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
首都トリポリより東へ車で2時間ほどの所にある古代ローマ時代の都市遺跡。
写真は入り口ゲートから直ぐの所にあるセプティミウス・セウェルス門。
セウェルス門
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レプティス・マグナは古代フェニキア人が築いた3つの都市、トリポリスの一つ。
良質の港を有していたためローマ帝国時代、地中海交易などで商業都市として栄えた。
セウェルス門の風景。
セウェルス門
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ここはローマ帝国の皇帝の一人、ルキウス・セプティミウス・セウェルスの出身地。それゆえに彼は資金を投じて建設を行い、この街を拡張して行った。結果、北アフリカにて最大級の大都市になり、ローマ帝国の諸都市と同格となる。この門は彼が郷里に帰った際、彼を称え記念するため建てられたため、セウェルス帝の凱旋門とも言う。
レプティス・マグナ
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セウェルス門からは真っ直ぐの道と、横に延びる道があった。
まず、右に進む。
沢山の立柱が立ち並ぶ。
運動場跡
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広場に出る。
ここはパレストラという運動場跡。
正面奥くの建物はセウェルス帝のニンフの神殿。
右手にはこの後行くハドリアヌス帝の大浴場がある。
ニンフの神殿
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運動場跡を進むと突き当たりにあるのがセウェルス帝のニンフの神殿、ニンファエウム。ニンフとはギリシャ神話に登場する若くて美しい女性の精霊の事で、ここでは水の女神を意味する。神殿には当時、大きな噴水や泉があった。
ニンフの神殿
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セウェルス帝のニンフの神殿の裏から運動場跡、ハドリアヌス帝の大浴場方面の風景。
ハドリアヌス帝の大浴場
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運動場跡に面してあるここはハドリアヌス帝の大浴場。レプティス・マグナの中でも見所の一つの巨大な古代ローマ浴場跡。正面アーチ前の広場はフリジダリウムと呼ばれる冷浴室で、高温室に入った後クールダウンするためのホール。
ハドリアヌス帝の大浴場
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ハドリアヌス帝の大浴場。
高温浴室、低温浴室、サウナ、冷水プールなどの設備が整っていて、部屋数の十数あったと言う。
ハドリアヌス帝の大浴場
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ハドリアヌス帝の大浴場。
保存状態は良く、かなり原型を残している。
ハドリアヌス帝の大浴場
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数ある古代ローマ都市遺跡の中でも有数の、北アフリカ地域ではトップクラスの遺跡、レプティス・マグナ。
リビアの代表的な世界遺産。
レプティス・マグナ
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運動場跡から列柱大通りを進む。
右がニンフの神殿に連なるゲート。
列柱大通りの両側には商店が建ち並び、アーケードがあった。
今は瓦礫の道。
左はセウェルス神殿。
レプティス・マグナ
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栄耀栄華を極めたレプティス・マグナも世の常、やがて衰退し凋落して行く。
これは南部との交易減少による経済的なダメージと4世紀中頃の大地震による破壊が原因と考えられている。
セウェルス帝のフォーラム
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列柱大通りを進むと広い広場が左手に現れる。
ここはセプティミウス・セウェルス帝のフォーラム。
フォーラムとは古代ローマ様式の集会用広場の事。
セウェルス帝のフォーラム
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セウェルス帝のフォーラムは幅60m、奥行き100mもの広大な敷地がある。セウェルス帝が2〜3世紀頃に、それまでのフォーラム(オールド・フォーラム。後に記述)を新しくするため、ここに造った。青空に突き刺す様にそびえる巨大な列柱は圧巻。
セウェルス帝のフォーラム
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フォーラムの中はほとんどガレキの山。
建築物の残骸や何本もの列柱が短く折れて、所かまわず散乱し転がっている。
歩ける所を作るために取り合えず寄せたと言う感じ。
セウェルス帝のフォーラム
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フォーラムの東側回廊。
崩れたアーチが沢山あった。
人の首の様な彫刻はメデューサ。
メデューサの像
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ギリシア神話に登場する魔物メデューサ。髪の毛は毒蛇で、姿を見たものは石になる。美しい女神アテナによってこの様な魔物にされたが、元々は美しく、海の神ポセイドンの愛人で、その間に天馬ペガサスがいる。最高神ゼウスの息子、英雄ペルセウスによって退治された。
メデューサの像
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地面に無惨に転がるメデューサの首の彫刻。
世界遺産でもある貴重な美術品を粗末にしている。
もったいない。
セウェルス帝のフォーラム
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レプティス・マグナは衰退した後も何度か都市再興が行われはした。
しかし衰退に歯止めは効かず、やがて都市は廃れてしまう。
写真は比較的保存状態の良いフォーラム東側回廊風景。
セウェルス帝のフォーラム
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セウェルス帝のフォーラムの門と、そこから続く通りの風景。
セウェルス帝のバシリカ
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フォーラムの最も奥にあるセプティミウス・セウェルス帝のバシリカ。
バシリカとは古代ローマ様式での建築物の一つで、裁判所や公会堂などに使われた。
セウェルス帝のバシリカ
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セウェルス帝のバシリカ。
中央の巨大な2本の立柱が特徴。
セウェルス帝のバシリカ
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打ち捨てられ、廃墟と化したレプティス・マグナは、やがてサハラの砂に埋もれてしまう。
20世紀に入り再発見されるまで長い間、人々から忘れ去られる事となる。
セウェルス帝のバシリカの立ち並ぶ見事な石柱群。
レプティス・マグナ
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セウェルス帝のバシリカを北に進むと、入り口セウェルス門から北東にあるオールド・フォーラムへ真っ直ぐ続く道に出る。
この通りの道にあるティベリウス帝の凱旋門とトラヤヌス帝の凱旋門の風景。
オールド・フォーラム
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道の突き当たりに位置するのがレプティス・マグナの中でも最も古い時代の遺跡、旧集会場オールド・フォーラム。
当時、広場の周囲にはアーケードが建ち並び、セプティミウス・セウェルス帝が新しくフォーラムを建てるまで都市の中心となっていた。
リベル・パテル神殿
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オールド・フォーラム北側にはいくつかの神殿が建てられていた。
これはリベル・パテル神殿。
アウグストゥス神殿
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オールド・フォーラムから見たアウグストゥス神殿とリベル・パテル神殿。
オールド・フォーラム
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オールド・フォーラムの広場の敷石には円形の魔法陣の様な不思議な切り込みが残っていた。
これは小石を使いビー玉遊びの様なゲームをした盤だとの事。
ヘラクレスの神殿
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オールド・フォーラムに面しているヘラクレスの神殿。
灯台の遺跡
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オールド・フォーラムをさらに進むと、とうとう地中海に出る。
レプティス・マグナには自然の地形を生かした港があった。
写真の方向には灯台の遺跡があり旧港がある。
レプティス・マグナ
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レプティス・マグナは長い間、砂の中に埋もれていた。しかし、そのため風化や浸食が少なく、極めて保存状態の良い屈指の都市遺跡となる。今、往事の繁栄や壮大な都市を偲ぶ事ができる。海辺から見たレプティス・マグナの風景。
レプティス・マグナ
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元来た道を戻る。
旧集会場オールド・フォーラムから市場跡へと続く石畳の道。
マーケット跡
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ここは市場、マーケット跡。
当時ここにはレプティス・マグナやその周辺で採れた農作物や魚介類、また交易品などが山と並んでいたのだろう。
マーケット跡
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市場跡。
中央にはアーチ状の出入り口の円形の建物がある。
その外側には八角形の列柱があり、さらにその外には何本もの列柱が四角に囲んでいる。
マーケット跡
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市場跡の中央円形の建物と旅の仲間達。
レプティス・マグナ
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市場跡を後にして西へ進みローマ劇場へと向かう。
その途中の風景。
野外劇場
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レプティス・マグナの野外劇場。保存状態がよく、すり鉢状に建造された劇場の原型がきれいに残っている。一番上から見下ろすと、周囲は観覧席、中央に舞台、その先に宮殿跡の石柱群、そして真っ青の地中海が背景に。当時の活気あふれる演劇風景がよみがえる。
野外劇場
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野外劇場に立つ筆者。
野外劇場
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野外劇場の舞台へ下りてみた。
想像以上に広い。
数千人分もの観客が入れたと言う。
ローマ浴場跡
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ローマ劇場からさらに西へ行き、海沿いに進むと、海岸に不思議な建造物が現れた。
これはローマ浴場跡。
ローマ浴場跡
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ドーム状に造られたローマ浴場跡。
説明が無いと何か判らない建物。
ローマ浴場跡
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ローマ浴場跡の中に入る。
外観とは一変、壁に美しいフレスコ画が描かれていて、貴重な遺跡で有る事を再確認した。
ローマ浴場跡
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ローマ浴場跡のフレスコ画。
フレスコ画には狩猟の様子が描かれているものが多く、ここはハンティング・バス(狩猟浴場)とも呼ばれている。
猟師が狩猟した後、町に入る前に汗で汚れた体を清めた。
ローマ浴場跡
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ハンティング・バス管理人のじい様。
フレスコ画の保護のため。
円形闘技場
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お昼休憩の後は東へ向かう。
レプティス・マグナの中心部から外れた所に円形闘技場がある。
円形闘技場
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地面をすり鉢状の円形に掘って観覧席と闘技場を造った。
収容人数は1万数千人。
円形闘技場
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円形闘技場の観覧席下には、外から闘技場内へ続くトンネル状の通路がある。
レプティス・マグナ
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地面に無惨に転がる遺跡の彫刻。
なんとかならないかな。
レプティス・マグナ博物館
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レプティス・マグナの最後の観光は博物館。
遺跡への出入り口近くに併設されていた。
割とモダンできれいな博物館。
レプティス・マグナ博物館
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レプティス・マグナ博物館の展示物。
レプティス・マグナ博物館
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レプティス・マグナ博物館の展示物。
ローマ時代の彫刻などの出土物。
レプティス・マグナ博物館
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博物館の中央部に置かれていたカダフィ大佐の大きなパネル。
サブラータ
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3つの都市トリポリスの最後の一つ、サブラータの遺跡。
レプティス・マグナより少し小規模な遺跡。
だが、円形劇場跡などはレプティス・マグナのものより大きい。
サブラータ入口風景。
サブラータ博物館
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サブラータ博物館のエントランスにある噴水。
博物館は遺跡に隣接して建つ。
サブラータ博物館
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サブラータ博物館内風景。
サブラータは、サブラータの古代遺跡としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
サブラータ博物館
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サブラータ出土の彫刻。
その他出土品の多くはトリポリの国立ジャマヒリーヤ博物館に展示されている。
サブラータ博物館
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サブラータ博物館。
サブラータ遺跡の神殿跡で発掘された巨大なモザイクの床をそのまま博物館の床として保存、公開している。
サブラータ遺跡
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遺跡の中心部の風景。
サブラータはトリポリの西80k位の所にある。
と言うより、チュニジア国境にほど近くに位置する。
そのため我々はチュニジア国境の町ラスジェディールから入国後、トリポリに行く途中に観光した。
フェニキア人墓地
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北へ向かって行くと西方向に、高い三角錐の塔が建っている。
フェニキア人の葬祭を行なった所で、この辺りはフェニキア人墓地となっていた。
サブラータ遺跡
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サブラータは古代フェニキア人が入植し、天然の港があった事から貿易港として交易の拠点となり繁栄した。
サブラータ遺跡
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リビアの女の子。
アントニヌス神殿
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アントニヌス神殿。
アントニヌス神殿
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アントニヌス神殿。
サブラータは紀元4世紀頃、侵略を受けて衰退が始まり、紀元7世紀頃、イスラム勢力に征服された後、滅亡した。
リーベルバテル神殿
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フォーラムからリーベルバテル神殿。
一番高い石柱で遠くからでも目立つ。
元老院
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元老院。
サブラータは未だ砂に埋もれた未発掘の部分が多く残ると言う。
浴場跡
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海に面して浴場がありヴィーナスの像が残っていた。
イシス神殿
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入り江を挟んで丘の上に立つイシス神殿の遠望。
ローマ円形劇場
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ローマ円形劇場。
極めて保存状態が良い。
ローマ円形劇場
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劇場の楽屋は三階建ての構造になっている。
ローマ円形劇場
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サブラータ観光の目玉、円形劇場。
圧倒される迫力です。
ローマ円形劇場
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円形劇場の外壁。
ローマ円形劇場
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円形劇場の全景。
この劇場、舞台部が修復されていて、今でも現役で野外劇場として使用されているとの事。
ローマ円形劇場