リトアニア共和国(シャウレイ)
十字架の丘
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ヨニシュキスから南西へ40kほどにシャウレイの街がある。
ここはシャウレイの街の郊外、北東へ19kほどにある十字架の丘。
十字架の丘
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最初に見た時は少し異様な風景に思えた十字架の丘。
ここには大小無数の十字架がびっしりと立ち並び、その様は圧巻。
十字架の丘
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こんもりとした丘全体に十字架が建てられており、丘の上への道の入り口に救世主、イエス・キリストの大きな像が建つ。
周囲に何もない原野が広がる中、突然現れるおびただしい数の十字架群が創る奇景には圧倒されてしまう。
十字架の丘
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置かれている十字架は巨大なものから、首にかけるロザリオまで多種多様。
この地に十字架が建て始められた最初はよく判っていない。
十字架の丘
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キリスト像を背景に、筆者近影。
かつてロシア帝国の支配下にあったリトアニアでは、当時何度も反乱・蜂起が発生していた。
その度に多くの戦死者を出していた。
十字架の丘
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ロシア帝国との戦いで戦死した反乱軍兵士の家族が鎮魂のため、この丘に十字架を建てた、と言うのが通説。
ロシア帝国から独立したものの、ソビエト連邦の統治下になった時代、カトリック教徒たちはカトリックの巡礼地として信仰の対象となった。
十字架の丘
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ソビエト連邦は、この地が聖地となる事を嫌い、何度もブルドーザーで破壊した。
しかし市民たちはその度に十字架を持ち寄り、再度十字架の丘を建てた。
十字架の丘
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リトアニア語でクリージュ・カァルナスと呼ばれる十字架の丘、訪れた人が自由に十字架を置いて行って良い事から、置かれている正確な十字架の数は把握されていない。
5万とも10万とも言われている。
十字架の丘
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十字架の丘の頂上には大きなマリア様の像が建っていた。
現在でも十字架の丘は巡礼地として、また観光地として大勢の人々が訪れる地となっている。
十字架の丘
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マリア像の足元には花束などのお供え物が置かれていた。
この十字架の丘は、リトアニアの十字架の手工芸とその象徴として、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。