リトアニア共和国(カウナス)
車窓風景
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十字架の丘を後に南のカウナスへ向かう。
途中休憩した牧草地帯の風景。
カウナス
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ここはカウナスの街。
十字架の丘から130kほど南にある。
リトアニア第2の都市で、ビリニュスがロシアやポーランドに併合されている間、首都機能を持った街。
カウナス
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カウナスの街は第二次大戦中にユダヤ難民に「命のビザ」を発給し続け、東洋のシンドラーと呼ばれた外交官、杉原千畝でも名高い。
ここは千畝が赴任した旧カウナス日本領事館、現杉原記念館の前の建物で、地元の子どもたちのスナップ写真。
どこへ行ったのか、杉原記念館の写真は見つからなかった。
杉原千畝の切手
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筆者コレクションのリトアニアの記念切手。
杉原千畝と桜が描かれている。
杉原千畝はナチスの迫害を受け、難民となっていた多くのユダヤ人の惨状を黙って傍観できなくなっていた。日本は同盟国ドイツに敵対する行為である、ユダヤ人へのビザの発給を禁じた。千畝はそれを破り、ビザの発給を続け、数千人の命を守った。ゲシュタポに追われる中、脱出する列車の中、出発まで手書きのビザを発給し続けた。
杉原千畝の切手
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筆者コレクションの日本の記念切手。
西暦2000年発行の20世紀デザイン切手シリーズ第9集の切手。
杉原千畝とイスラエルから頂いたヤド・バシェム賞のメダルが描かれている。
ヤド・バシェム賞は、ナチス・ドイツによるユダヤ迫害からユダヤの民を守った外国人、「諸国民の中の正義の人」に与えられる賞の事。
杉原千畝の切手
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杉原千畝が描かれた筆者コレクションの記念切手。
この切手の詳細はよく判らない。
千畝は帰国してみると、国に背いた国賊呼ばわれされ、外務省を去る事になる。現在は名誉回復し、リトアニアはもちろん、日本でも英雄となった杉原千畝。しかし、未だにユダヤ人を助けた事よりも、国の命に背いた事を重要視し、悪口を言う人がいる。筆者の知り合いのオヤジもその一人、ヒーローが嫌いで、千畝の事を売国奴と言っている。