メキシコ合衆国(チチェン・イッツァ)
チチェン・イッツァ
1/33
ここは古代都市遺跡チチェン・イッツァ。
写真はカスティーヨ。
チチェン・イッツァの象徴的な建造物で、ククルカンの神殿とも呼ばれる。
カスティーヨ
2/33
メリダから東へ120kほどに残るチチェン・イッツァはパレンケやウシュマルと並び、マヤ文明の代表的な遺跡。
遺跡の西側にあるメイン・ゲートから入ると中央にそびえる様に建つ。
カスティーヨを背景に筆者近影。
戦士の神殿
3/33
カスティーヨの東側に残る、戦士の神殿の遺構。
後ほど、ここに上ります。
チチェン・イッツァは大別して、北側に残る10世紀以降トルテカ時代の新チチェンと、南側に残る6世紀頃マヤ古典期の遺跡群、旧チチェンに分かれる。
ジャガーの神殿
4/33
チチェン・イッツァのまずは北側、新チチェンのエリアから見ていきます。
チチェン・イッツァはマヤ遺跡としては最大級の規模を誇る。
写真はカスティーヨ北西にあるジャガーの神殿。
ククルカンの石像
5/33
ジャガーの神殿の角、球戯場へ向かう所にククルカンの石像が置かれていた。
ククルカンとはマヤの最高神の事で、姿は羽毛のある蛇の形をしている。
ジャガーの神殿
6/33
ジャガーの神殿の中に入ってみました。
マヤ・アーチで造られた簡素な造り。
チチェン・イッツァの遺跡は古代都市チチェン・イッツァとしてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
ジャガーの神殿
7/33
ジャガーの神殿と右側のカスティーヨ。
ジャガーの神殿は正面に密林の王、ジャガーの像が置かれていた事から名付けられた。
古代マヤの人々にとって中南米最強のジャガーは雨の神であると共に力の象徴でもあった。
球戯場
8/33
ジャガーの神殿に隣接する球戯場。
その西側の壁。
壁の左に見える突起物は石の輪で、ゴム製のボールをここに通せば得点になった。
勝敗で雨乞いの儀式での、神に捧げる生贄を決めたと言う、古の球技が行われた球戯場。
北の神殿
9/33
球戯場は南北に長いコートを持ち、東西に壁がある。
コートの北の端には北の神殿が建つ。
南の神殿
10/33
球戯場の南の端に建つ南の神殿。
球戯場は古代マヤ遺跡のほとんどで見つかっているが、ここチチェン・イッツァの球戯場は長さ150mもあり、特に広い。
頭骸骨の台座
11/33
球戯場の東側に残る頭骸骨の台座。
壁一面にはドクロの石彫りが残る。
生贄にされた生首を置いた場所とされる。
ジャガーと鷹の台座
12/33
頭骸骨の台座の東側には、ジャガーと鷹の台座がある。
ジャガーと鷹の彫刻が残る。
舞台では雨乞いの儀式を行なったとされる。
左端は前述の頭骸骨の台座。
カスティーヨからの風景
13/33
新チチェンの中央にあるカスティーヨ、その頂上に登ってみました。
筆者の背景に見えるのが戦士の神殿。
その右側、立ち並ぶ石柱がある所が千本柱の間。
大テーブルの神殿
14/33
戦士の神殿の北側にあるのが大テーブルの神殿。
最上部の祭壇には天井を支えただろう大きな柱が残る。
ジャガーの神殿
15/33
カスティーヨから見た北東にあるャガーの神殿と球戯場、南の神殿。
右手には頭骸骨の台座とジャガーと鷹の台座が見える。
旧チチェンの遺跡群
16/33
カスティーヨ頂上からの風景。
密林に埋もれる様の残る南のエリア、旧チチェンの遺跡群。
頭の部分だけが密林から出している。
旧チチェンの遺跡
17/33
カスティーヨから見た南側、旧チチェンの遺跡。
手前は高僧の墓、奥は鹿の家。
高僧の墓ではお宝と人骨が見つかった。
鹿の家では発見当時、鹿の壁画が残っていた。
旧チチェンの遺跡
18/33
鹿の家の東側に残る赤い家。
発見当時、基壇と屋根飾りが赤く彩色されていた。
旧チチェンで最も古い建物だと言われている。
旧チチェンの遺跡
19/33
赤い家の南側に残る遺跡。
望遠で撮ったので遠近感が分かり辛いですが、中央の階段のある建物は尼僧院。
左の円筒形の建物は尼僧院の北側に建つ天文台。
この後に行きます。
戦士の神殿
20/33
カスティーヨ頂上から一旦下りて東へ向かう。
ここは戦士の神殿。
前述の球戯場での競技で勝った戦士が、生贄にされた所。
カスティーヨ
21/33
戦士の神殿からカスティーヨの風景。
左手前の石像は旗持ち兵士。
カスティーヨでは春分と秋分の日、太陽の光が階段に羽の形の影を作る。
一階の蛇の頭の石像と一体となり、羽毛の蛇の神ククルカンが現れる。
ククルカンはアステカのケツァルコアトルと同一神。
チャック・モール像
22/33
戦士の神殿の階段を上った中央に鎮座する雨の神チャック・モール像。
この像のおなかの台に、生贄にされた戦士の心臓を置いた。
千本柱の間
23/33
戦士の神殿の階段から南側を望む。
ここには石柱だらけのエリアがある。
沢山の石柱がある事から千本柱の間と呼ばれている。
千本柱の間
24/33
千本柱の間の風景。
一直線に整然と建ち並ぶ石柱群は美しい。
ローマ遺跡の円柱とは異なり、四角柱でできており、当時、上に屋根が有った言う。
戦士の神殿
25/33
千本柱の間から戦士の神殿の風景。
神殿の周りを囲む千本柱の石柱には、戦士の姿が掘られている事から戦士の神殿、または千本柱の神殿と名付けられた。
聖なる泉
26/33
新チチェンの最も北側に聖なる泉と呼ばれるセノーテがある。
雨の神チャック・モールが住んでいると信じられた。
当時、干ばつが起きると、この聖なる泉に生贄を投げ入れたと言う。
聖なる泉
27/33
セノーテとはユカタンの大地にできた陥没した穴で、底に地下水が流れる泉の事を指す。
石灰岩大地では河や湖ができないため、貴重な水源となっていた。
いくつかのセノーテは底から鍾乳洞へとつながっていて、水中洞窟をダイビングする観光もある。
エル・カラコル
28/33
南へ向かいます。
ここは旧チチェンと呼ばれるエリアにある天文台、エル・カラコル。
ドームは半分崩れているが、特徴的な円筒形の壁に丸いドームがのる。
天文観測台
29/33
丸いドームは天文観測台で、太陽や月、星々を細かく観察を行い、極めて正確なマヤ暦を作った。
天文台は周囲より高くなっており、旧チチェンを見渡せるとの事で、これから上ります。
尼僧院
30/33
天文台から南の方向、尼僧院が見渡せる。
大きな2段の階段があり、下の基壇部分と上の神殿部分に分かれる。
名前は尼僧院だが、実際には何に使われたかは解っていない。
壁面彫刻の神殿
31/33
天文台からの風景。
尼僧院の東隣に建つ、壁面彫刻の神殿。
神殿の壁に残る彫刻から名前が付いたのだが、あまり修復されていない。
これから尼僧院へ向かいます。
尼僧院
32/33
尼僧院の西側風景。
正面の大きな穴は19世紀に盗掘者が無謀にもダイナマイトで開けた穴。
金に目が眩んだ、遺跡の価値を判らない人は昔から居た様だ。
尼僧院の上からの風景も良い。
東別院と教会