モンゴル国(ウランバートル)
関西国際空港
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モンゴル、ウランバートルへは関空から。
利用した飛行機はフンヌ・エアのチャーター便で。
以前、フンヌ・エアはモンゴリアン・エアラインズの名称だった。
関西国際空港離陸
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関空を飛び立つフンヌ・エアの飛行機。
丁度、夕日が沈んで行く時刻だった。
境港上空
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飛行機は鳥取県と島根県の県境を、日本海へと進んでいる。
上は島根半島、中ほどには弓ヶ浜半島にある境港、左には中海と大根島が見える。
中国上空の夜景
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日本海から中国へと進路をとる。
いくつかの中国の都市の上を通過。
街の夜景が綺麗だった。
ウランバートル空港着陸
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ウランバートルの空港に着陸。
ここはチンギスハーン国際空港。
空港の夜景。
ウランバートル空港
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ウランバートル、チンギスハーン国際空港のターミナルビル。
モンゴルの玄関口となる空港。
車窓からのウランバートル夜景
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ウランバートル市内の夜景。
ここは街の中心にある、スフバートル広場の南西角に建つ時計台。
ホテルからの市内風景
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ホテルからの早朝の市内風景。
ウランバートルは高層ビルが建ち並ぶ、近代的な都市。
フラワーホテル
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筆者が宿泊したホテルはフラワーホテル。
街の中心から東へ、少し外れた所にある。
ザイサン・トルゴイの丘
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これからザイサン・トルゴイの丘へ登ります。
入り口広場の風景。
手前に建つ像は、銀の木の像。
天使がラッパを吹いている。
ザイサン・トルゴイの丘
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下から見上げたザイサン・トルゴイの丘。
丘の頂上にはモニュメントが建つ。
ザイサン・トルゴイの丘
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入り口から途中まではエレベーターで登れるのだが、そこからはひたすら階段を上がる。
資料によると約300段ある、との事。
足が重くなる。
ザイサン・トルゴイの丘
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ヘロヘロになりながら、やっと頂上にたどり着きました。
モンゴル国がモンゴル人民共和国だった第二次世界大戦末に、ソ連と共に大日本帝国、満州国と戦争し、勝利する。
このモニュメントは、その戦勝記念碑。
ザイサン・トルゴイの丘
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リング状のモニュメントは、戦争に勝利した様子を描いた、モザイク画になっている。
頂上広場の中央にあるのは、トルガと呼ばれる永遠の炎。
ザイサン・トルゴイの丘
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丘の頂上は展望台にもなっていて、そこから街のパノラマ風景を展望できる。
ザイサン・トルゴイの丘は、市の中心地から南に行った外れにある。
南側の風景で、この山はボグド・ハーン山。
ザイサン・トルゴイの丘
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こちらは北側、市内中心地方向の風景。
上がって来た、エレベーターのある施設は複合商業施設、ザイサンヒル・コンプレックスとなっていて、沢山の市民が訪れていた。
ザイサン・トルゴイの丘
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モニュメントのある丘から下りて来ました。
入り口広場には大戦時に活躍した、ソ連製のT-34戦車が記念として置かれている。
近くには戦争の英雄、イッサ・プリエフ将軍の記念碑も建つ。
ボグド・ハーン宮殿博物館
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バスの車窓からの風景を少し。
ここはボグド・ハーン宮殿博物館。
モンゴル帝国最後の君主、ハーンだったボグド・ハーン冬の宮殿跡。
ボグド・ハーン宮殿博物館
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ボグド・ハーンの銅像と宮殿跡。
チベット仏教、ラマ教様式の建物となっている。
ボグド・ハーンの宮殿跡は改修され、現在はボグド・ハーンゆかりの品々を展示する博物館となっている。
ラクダのキャラバン像
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ボグド・ハーン宮殿博物館の北側交差点に、ラクダのキャラバン像がモニュメントとして置かれていた。
10体位のラクダが、キャラバン隊を組んでいる様子を表している。
平和橋
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ここは鉄道の線路を跨ぐ平和橋。
その橋にあった東屋の様な建物。
平和橋は中国の援助で建設された。
ツェデンバル広場公園
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ツェデンバルの銅像が建つこの広場は、ユムジャーギィン・ツェデンバルの記念広場。
ツェデンバルはモンゴル人民共和国時代にモンゴル人民革命党の党書記長であり、共和国元帥であった人物。
モンゴル証券取引所
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ここはモンゴル証券取引所。
モンゴルで唯一の証券取引。
かつて証券取引になる前、この建物はこども映画館だった。
ゴロムト銀行
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モンゴルを代表する、大手銀行のゴロムト銀行。
国内に70以上の支店があり、行員は2,300人、顧客は100万人ほど。
ウランバートル市役所庁舎
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ウランバートル市役所庁舎の建物。
横幅が長い建物には、他に銀行の支店やレストラン、スーパー・マーケットなども入っている。
モンゴル労働組合連合
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モンゴル労働組合連合の建物。
モンゴルでは社会主義の時代に支配者階級、いわゆるブルジョワジーに対する排除意識が興る。
社会主義を脱し、民主化には成功したが、代わりに貧富の差が拡大した。
労働者階級、いわゆるプロレタリアートの人々は労働組合を組織し、労働者の権利と利益を守る運動を行っている。
チンギス・ハーン国立博物館
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この巨大な建物はチンギス・ハーン国立博物館。
チンギス・ハーンに関する博物館で、かつてこの場所にはモンゴル自然史博物館の旧館があった。
9階建てで、建物最上階は遊牧民族の住居、ゲルの丸い形になっている。
スフバートル広場
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ここはスフバートル広場。
先ほど車窓から見た、市役所庁舎の東に位置する、ウランバートルの代表的な中央広場。
広場と広場周辺を散策します。
議会議事堂
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スフバートル広場に面して、北側に建つのは議会議事堂。
中央に鎮座するのはチンギス・ハーンの像。
写真では見えないですが、左右にオゴデイ・ハーンとフビライ・ハーンの像も建つ。
スフバートル広場
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議会議事堂を東側から。
この建物は社会主義国のモンゴル人民共和国だった時代に政府宮殿として建設された。
民主化運動の後、共和制へと移行、モンゴル国となった時に政府宮殿は改修され、現在の建物となる。
チンギス・ハーン像
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議会議事堂の中央正面にはチンギス・ハーンの像が。
言わずと知れたモンゴルの英雄。
遊牧の諸民族を統一、モンゴル帝国を打立て、初代皇帝として君臨した。
しかし、中央アジアなどの諸外国にとっては侵略者。
スフバートル広場
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スフバートル広場の南側からの風景。
広場の名となっているスフバートルとは、モンゴル革命の英雄、ダムディン・スフバートルの事。
広場の周囲には証券取引所、銀行、中央郵便局、国立オペラ劇場などが建ち並ぶ。
スフバートル広場
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元々、この広場はモンゴル帝国最後の君主、ボグド・ハーンの宮殿があった。
モンゴル人民共和国誕生の時に宮殿は壊され、その後広場北側にモンゴル国家政府宮殿が建てられる。
英雄スフバートルの霊廟も建てられた。
スフバートル広場
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スフバートル広場中央に建つダムディン・スフバートルの騎馬像。
スフバートルは、中国からのモンゴル独立を指揮した革命家。
モンゴル人民共和国成立前に死去した。
スフバートル広場
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スフバートル広場、今日では国家式典や祭事、パレードなど国事行為が行われる。
また民間では、コンサート、展示会、イベントなどが行われている。
この日はゲルに似せたテント張りの商店が、いくつも出店していた。
スフバートル広場
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スフバートル広場西側からの、議会議事堂の風景。
議事堂両端には大きな列柱記念碑が建つ。
モンゴル人民共和国の社会主義が崩壊した後、ここのスフバートルの霊廟は取り壊された。
チンギス・ハーン国立博物館
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スフバートル広場西側からの、北側の風景。
この建物はチンギス・ハーン国立博物館。
車窓からも見えたが、最上階のゲルの形にしている、丸い形がはっきりと判る。
国立民族歴史博物館
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スフバートル広場から北西へ進むと、国立民族歴史博物館がある。
入り口の風景。
ここではモンゴルの歴史に関する物や、各地で出土した文化財などが展示されている
国立民族歴史博物館
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チンギス・ハーンが興したモンゴル帝国時代の軍事物。
騎馬戦での兵士がまとった軍用甲冑や木製の投石機、ウルヴルなどが展示されている。
国立民族歴史博物館
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モンゴル帝国の皇帝。
左はチンギス・ハーンの三男、第2代皇帝のオゴデイ・ハーン。
中央は初代皇帝、チンギス・ハーン。
右はチンギス・ハーンの孫、第5代皇帝のフビライ・ハーン。
国立民族歴史博物館
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モンゴルのゲルに住む人々が信仰した、仏教の守護神ジャムスラン。
ゲルの神聖な場所、北西の角に置かれた。
国立民族歴史博物館
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この石碑は突厥碑文。
突厥とは6世紀、モンゴルや中国から西、中央アジアにてシルクロードの交易で栄えた、テュルク系の遊牧騎馬民族。
突厥碑文は突厥文字で書かれた石碑で、特にこれはキョル・テギン碑文と呼ばれる碑文。
国立民族歴史博物館
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文化財となっている仏像。
モンゴルは仏教国で、チベット仏教が入って来てからは支配的な宗教となった。
国立民族歴史博物館
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多羅菩薩像。
観音菩薩の流した涙から生まれたとされる。
チベット仏教では珍しい、女性の菩薩。
国立民族歴史博物館
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大威徳夜叉明王像。
五大明王の中の西の守護者。
五大明王とは大日大聖不動明王、降三世夜叉明王、軍荼利夜叉明王、大威徳夜叉明王、金剛夜叉明王。
国立民族歴史博物館
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観音菩薩像。
チベット仏教では観音さまは、衆生を教え導く、仏道修行者の化身ラマとされる。
性別は定められていないが、インドでは男性として、日本では女性の姿として描かれている。
国立民族歴史博物館
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阿弥陀如来像。
如来さまの一尊で、極楽浄土にて衆生を救済する仏。
諸仏の中で、最も衆生を救える如来とされる。
国立民族歴史博物館
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モンゴル帝国時代、チンギス・ハーンは千人の騎馬軍団の軍隊を持つ千人隊、ミンガンを組織した。
これはミンガンの軍司令官の印。
国立民族歴史博物館
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これはチベッタン・ホルン、ガドゥン。
チベット発祥のラッパで、仏教寺院で演奏される法具。
普通の形のガドゥン以外に、龍の形になっているドラゴン・ホーンと言うのもある。
国立民族歴史博物館
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高貴な夫人が身に着けた首飾り、胸飾り。
他にも国立民族歴史博物館では、モンゴル帝国の古都カラコルムからの出土品や古文書、遊牧民族が使用していた農機具や馬具、ゲルの中で使う日用品、モンゴルの楽器やチベット仏教の法具など、多種多様の文化財が展示されていた。
ウランバートル駅へ
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ここはウランバートル駅。
これから野生馬タヒが生息するホスタイ国立公園へ、列車を利用して向かいます。
ウランバートル駅
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ウランバートル駅の駅舎と、列車が停車するプラットホームの風景。
駅の東側、少し離れた所に数台の鉄道車両が展示されている、屋外の博物館がある。
ウランバートル駅
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ウランバートル駅の駅舎正面の風景。
これから中へ入ります。
ウランバートル駅
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ウランバートル駅の駅舎、待合室の風景。
首都の中央駅にしては、とても狭くて小さい。
ウランバートル駅
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プラットホームに出ました。
ホームからの駅舎の風景。
ロシアの駅の風情がする。
ウランバートル駅
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出発まで少し時間があったので、駅構内を散策。
駅の東側、積み荷のさばき場の風景。
ウランバートル駅
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大きな、大出力の様なディーゼル機関車。
モンゴルの鉄道は電化されておらず、全てディーゼルの列車。
ウランバートル駅
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長距離の寝台列車が停まっていた。
行先表示板を見ると、ザミン・ウード~ウランバートル、となっていた。
ザミン・ウード駅はモンゴルの南東、中国との国境の駅で、鉄道は中国の内モンゴル自治区へと続いている。
ウランバートル駅
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ザミン・ウード駅行きの客車を引っ張るディーゼル機関車。
この路線はモンゴル縦貫鉄道と呼ばれる、ロシア~モンゴル~中国を結ぶ国際鉄道の一部。
モンゴル縦貫鉄道では、モスクワ~北京を直通する列車が運行されており、約130時間、6日間の旅ができる。
ウランバートル駅
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駅構内を進むディーゼル機関車の風景。
筆者はウランバートル駅から北、ロシア国境のスクバートル駅行きの列車に乗り、ダワーニー駅まで参ります。
これから先のホスタイ国立公園はホスタイのページをご覧下さい。
ウランバートル空港へ
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モンゴルの観光もおしまい。
これから空港へ参ります。
空港ターミナルビルの風景。
ウランバートル空港
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チンギスハーン国際空港のターミナル内の風景。
空港は2021年に開港された新しい空港。
ウランバートル空港
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空港内、フンヌ・エアの搭乗ゲートの風景。
関西国際空港行き。
現在、市内から空港へは高速道路だけだが、連絡鉄道建設が予定されている。
ウランバートル空港離陸
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搭乗機の車窓からの空港ターミナルの風景。
以前は、市内からそれ程遠くでは無い、ボグド・ハーン山の西にボヤント・オハー国際空港があり、ウランバートルの主空港だった。
手狭になり市内から南西へ50k程の所に新空港を建設した。
ウランバートル空港離陸
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空港からの離陸中。
眼下にはモンゴルの赤茶けた、荒涼たる大地が広がる。
入出国スタンプ
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モンゴルの入出国スタンプ。