パキスタン・イスラム共和国(カラチ)
カラチ空港
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パキスタンの旅はカラチから。
ここはジンナー国際空港。
写真は駐機していたパキスタン国際航空のプロペラ機。
国立博物館
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ここはパキスタン国立博物館の入り口。
モヘンジョダロ遺跡からの古代インダス文明の出土品などを展示している。
国立博物館
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パキスタンはイギリスの植民地だったイギリス領インド帝国の一部を形成していた。
国立博物館近くから見えたイギリス統治時代の古い建築物。
子供達
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遠足かな?
国立博物館近くの広場で、にぎやかにお弁当を広げていた子供達。
ディフェンス・モスク
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ここはディフェンス・モスク。
その入り口の風景。
国立博物館から南東へ4kほどにある。
トゥーバモスクとも呼ばれる。
ディフェンス・モスク
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このモスクの特徴はドーム屋根を持つ斬新な形の建物。
モスクの典型的なタマネギ型のドームや、塔であるミナレットが無い。
白色の大理石で建てられている。
ディフェンス・モスク
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ディフェンス・モスクの中、礼拝堂、祈りのホールに入ってみました。
ドーム球場の様に柱がない構造でとても広い。
カラチ最大のモスクで、同時に5千人が礼拝を行う事ができる。
ジンナー廟
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ここはジンナー廟。
ディフェンス・モスクから北西へ4kほどにある。
この石棺にはムハンマド・アリー・ジンナーが眠る。
石棺は大理石で、廟の中央に置かれている。
ジンナー廟
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霊廟は棺を守る衛兵が詰めており、内部や外部を規則正しく巡回している。
パキスタン建国の父として尊敬を集めるムハンマド・アリー・ジンナーが眠る霊廟。
ジンナーはパキスタン独立の指導者であり、独立後の初代総督。
ジンナー廟
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衛兵の横で筆者近影。
ジンナー廟は高さ30mにもなる、大理石で建てられた巨大建造物。
マザーレカーイドとも呼ばれる。
ジンナー廟
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ジンナー廟は高台に建っており、市内を一望できる。
周囲には多くのモスクがあるのだろう、ミナレットがたくさん建っていた。
ジンナー廟
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ジンナー廟のある敷地内は広大な公園になっている。
芝生が敷き詰められた公園は市民の憩いの場となっており、家族連れなどがお弁当を持ち込んでピクニックを楽しんでいた。
カラチ市内
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車窓から。
鉄道の上の橋からの風景。
カラチの鉄道駅は主要駅としてシティ駅とカント駅があり、旅客のほとんどはカント駅からの発着。
カラチ市内
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橋の上を渡るラクダの荷物車。
とても遅いので交通渋滞の原因になる。
洗濯場
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この一風変わった所は野外にある広大な洗濯場。
ドビー・ガートと呼ばれる。
とても広い敷地に洗い場や干場がある。
洗濯場
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ここは洗い場。
マス目状にコンクリの水槽が並ぶ。
市内にこの様なドビー・ガートは複数ある。
洗濯場
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誰でも自由に衣類を持ち込んで洗濯できるのではなく、職業にしている洗濯屋が共同で利用している。
業者はロバの引く大きなリヤカーで街中を廻り、洗濯物を請け負い、各地のドビー・ガートへ持ち込む。
洗濯場
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洗い方は大胆だ。
洗い物を振り上げ、コンクリにひたすら打ち付けている。
絶対に生地は傷むだろうな。
洗濯場
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洗濯槽を見てみると泥の色。
知らない人が見ると、生地に染色しているかと見紛うだろう。
浸けると余計に汚くなりそうでした。
洗濯場
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ここは干場。
洗い終わった洗濯物を広げて干す工程へ。
家電製品が行き渡り、クリーニング店が町中にある我々の世界では、中々想像できない場所だ。
洗濯場
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干場の風景。
インドと文化が似ていて、ムンバイにも同じ様な野外の洗濯場があり、同じくドビー・ガートと呼ばれており、観光地ともなっている。
クリフトン・ビーチ
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海辺に来ました。
ここはクリフトン・ビーチ。
カラチはアラビア海に面しており、遠浅のビーチが広がる。
クリフトン・ビーチ
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ラクダのいるビーチ。
ラクダや馬の背に揺られてビーチを散歩できます。
クリフトン・ビーチ
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この辺りはイギリス統治時代から保養地として知られ、現在では整備された公園やショッピングモールが建ち、賑わいを見せている。
クリフトン・ビーチ
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ビーチ近くに建っていた白亜のモスク。
クリフトン・ビーチでは海が南西に広がるので、夕日がとても綺麗だとの事。
モハッタパレス
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再び市内へ。
奥の建物はモハッタパレス。
初代総督ジンナーの妹の宮殿。
現在は宮殿博物館として一般に公開している。
カラチ市内
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イスラム寺院モスク。
大小様々なモスクが市内には建つ。
カラチ市内
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モスク近くにあった、花束のお店。
カラチ市内
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モスクの近くだけあって宗教的なイスラムグッズのお店があり、礼拝に必要なのだろう、様々な品を置いていた。
ろうけつ染め
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市内にあった、ろうけつ染めの実演販売所。
何も付けていない所を色染めする。
カラチ旧市街
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カラチの旧市街を散策。
様々な店舗が立ち並び、人も多く、ごちゃごちゃした通りだ。
カラチ旧市街
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夕刻が近づく旧市街の風景。
カラチの街はインダス川河口から100kほど北に位置する。
カラチ旧市街
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旧市街の路地裏、細い通りを荷台を押していた。
カラチの街の北西をライアリ川とその北西にハブ川が、東側をマリル川が流れる。
その川の間に堆積物が形成した河口デルタが平坦な地形を作り、カラチの街ができている。
バザール
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イスラムの国々ではおなじみのバザール。
中東地域では特にスークと呼ばれる、商店が密集している市場の事。
屋根の付いたアーケード様式になっている。
バザール
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ここのバザールは装飾品のお店の隣にフルーツの店が有り、その隣に衣類の店がある。
全く統一感が無い様だ。
バザール
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金ピカの店だ。
ブレスレットの専門店。
パキスタンではチューリヤーンと呼ぶのだそうだ。
一つでは無く、束ねて身に着ける。
バザール
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特に何か買い物をする訳では無いが、地元の人達の生活を感じるバザールの散策はとても楽しい。
バザールのアーケードにて筆者近影。
バザール
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カラフルな装飾品が並ぶバザールのお店。
カラチは5月と6月が最も暑い。
7月~9月はモンスーンにより雨季となる。
冬でも最高気温は25°にもなる。
バザール
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生地の専門店。
民族衣装はサルワール・カミーズと呼ばれるらしい。
イギリスの植民地時代、インダス流域の物産品の輸出港としてカラチは発展して行く。
バザール
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スイーツの立ち売りのじい様。
女の子が買っていました。
1947年にイギリス領インド帝国からパキスタンは独立し、首都をカラチに定められ、栄えて行く。
バザール
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絨毯、カーペット、マットのお店。
14年間、カラチは首都だったが、ラーワルピンディーの暫定首都を経てイスラマバードへ遷都された。
遷都の理由はカラチが海に面していて防衛的に不安な事と他国との領土問題のあるカシミール地方から遠い事。
そのため、北のイスラマバードが遷都地に選ばれた。
カラチ旧市街
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バザールのアーケードを抜けて外へ。
色々な小さなお店が並ぶ旧市街。
カラチ旧市街
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この店には活字を打つタイプライターがたくさん置いていた。
タイプの学校なのか代書屋なのか。
車窓風景
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カラチの市内、車窓からの風景。
リキシャーと呼ばれるオート三輪タクシーが道路を自由奔放に行き交っている。
遷都された現在でもカラチは経済、金融・産業・ビジネスの中心地としてパキスタン最大の都市となっている。
車窓風景
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車窓風景。
道路の中央に三本の剣を形取った、ティン・タルワールと呼ばれるモニュメントが建っている。
これはジンナーが大切にしていた標語である忠誠、秩序、団結を意味し、それを表現している。