パキスタン・イスラム共和国(ペシャワール)
鉄道
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イスラマバードから北西へ150k、ペシャワールの町へ向かう。
途中で見かけたカイバル鉄道の列車。
かつてカイバル鉄道はペシャワールとアフガニスタンの首都カブールを結んでいたが、カイバル峠で線路は破壊されている。
カイバルゲート
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寄り道して、アフガニスタンとの国境にあるカイバル峠へ向かいます。
ここはカイバル峠への途中にあるカイバル・ゲート。
カイバル峠
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この辺りからはパキスタン政府の管轄が届かない治外法権自治区で、無法地帯となっている連邦直轄部族地域トライバル・エリア。
峠までは自治区の兵士が銃を携え同行する。
カイバル峠
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筆者は1994年にパキスタンに入国し、カイバル峠にも訪れる事ができた。
2018年、自治地域だったトライバル・エリアは廃止され、ペシャワールを州都とする州に編入されている。
現在、外国人はカイバル峠はもちろん、旧トライバル・エリアにも立ち入る事はできなくなっている。
カイバル峠
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カイバル峠に到着。
峠にあった標識の前で筆者近影。
カイバル峠はペシャワールの町から西へ50kほどにある峠で、直ぐ西にはアフガニスタンとの国境がある。
カイバル峠
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カイバル峠からアフガニスタン方向の風景
カイバル峠は周辺を大きな山脈が通っており、この峠以外からは行き来は難しい。
そのため、古来より他国や多民族の侵入の道ともなっている。
カイバル峠
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アフガニスタンのVISAを持たなければ、これ以上進めない最後の地点ミチニ・チェックポスト。
眼下には国境の町トルハムがあり、その先はアフガン。
カイバル峠は古来シルクロードの時代から、その支線として東西交易の重要な交通路だった。
カイバル峠
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カイバル峠から辺りの眺望。
かつて唐の時代、玄奘三蔵も越えた東西文化圏を結ぶ交易路だったカイバル峠。
そのカイバル峠周辺には、城塞の跡や集落などが遺跡の様に残っている。
現在ではアジア・ハイウェイの一部になっている。
カイバル峠
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廃墟が残る、カイバル峠の風景。
周囲の岩山には数字が書かれていて、それを結んだ線が国境を意味している。
カイバル峠
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写真を撮っていると、突然ライフルの銃声が轟いた。
ビックリして振り返ると、ガイドさんがライフルを撃っている。
ここでは同行の兵士にチップを払えば、誰でも銃を撃たせてくれる。
写真はライフル銃を撃つグループのメンバー。
女性だったので、兵士二人掛かりでサポートしている。
カイバル峠
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イギリス植民地時代、イギリス軍が築いた要塞跡、シャーガイ・フォート。
現在はパキスタンの軍部が使用している。
カイバル峠
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かつてのイギリス領インド帝国軍はいくつかの部隊に分かれており、それぞれ固有の紋章エンブレムを持っていた。
カイバル峠は、時代により数々の軍部の管轄下に置かれ、その度に支配の証明として紋章を飾るようになった。
カイバル峠
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峠越えをするデコレーション・バス。
現在でもカイバル峠はパキスタンとアフガンとの間で、人と物との行き来がとても多い。
筆者が訪れた時もバスやトラックがやたらと峠越えをしていた。
密輸貿易も多いのだそうだ。
ペシャワール
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ここはペシャワールの町。
ガンダーラ地域の山岳仏教寺院遺跡観光の拠点となる町。
ペシャワール
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遺跡観光の前の予習としてペシャワール博物館を訪問。
ここは博物館入り口の風景。
ペシャワール博物館
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ガンダーラ地域の山岳仏教寺院遺跡から出土した美術品が多くコレクションされている。
紀元前6世紀ごろはペルシア、アケメネス朝に、紀元前4世紀ごろはアレキサンダー大王で知られるアレクサンドロス3世によってガンダーラは支配される。
ペシャワール博物館
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その後、クシャーナ朝カニシカ王によって仏教がガンダーラ地域に花開く。
支配されていた歴史から、ガンダーラ美術は西方のペルシアやギリシャの影響を受けた独自の仏教美術に発展して行った。
ペシャワール博物館
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1階入り口にあった、大きなガンダーラ地域の地図の絵。
ガンダーラとはかつて存在した古代王国の名前で、アフガン東部からペシャワールなどパキスタンの北部、インド北西部インダス川上流に掛けての地域を指す。
ペシャワール博物館
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二階から見た博物館内部の風景。
現在は州立の博物館として利用されているが、イギリス統治時代では宴会場だったらしい。
ペシャワール
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ペシャワールの町を散策。
街中で見かけたドライフルーツの露天商。
ペシャワール
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商店街近くで見かけた地元の子どもたち。
姉妹かな。
ペシャワール
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巨大な円形の、フライパンの様な鉄製の調理器具に油を浸し、何かを揚げている。
これはミンチ状の肉を平たくして揚げた、見た目はハンバーグの様なチャッパル・ケバブ。
ナンや米と一緒に食べたり、ハンバーガーの様にパンにはさんで食べる。
ペシャワール
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巨大なかまどに置かれたフライパン。
チャッパル・ケバブはケバブの一種で、代表的なケバブには焼き鳥の様に肉を串にさして炭火で焼く、串焼きケバブがある。
日本でもなじみのケバブは、薄切り肉を重ねて固まりにして、回転させながら横からあぶり焼くドネル・ケバブがある。
ペシャワール
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ここは別のチャッパル・ケバブの店。
チャッパル・ケバブは名物料理で、街中にいくつもあった。
筆者もレストランで頂いたが、とてもスパイスが効いている美味しい料理だった。
ペシャワール
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街中で見かけた女の子達。
シャイな子が多い。
ペシャワール旧市街
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この辺りは旧市街。
路地の先に見える塔はマハバット・ハーンモスクのミナレット。
ムガール帝国時代、ペシャワールの支配者マハバット・ハーンが建築した。
ペシャワール旧市街
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旧市街にあるバザール。
新鮮な野菜をたくさん置いていた。
ペシャワール旧市街
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旧市街のバザール。
帽子や衣類の店。
ペシャワール旧市街
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バザールのある、細く薄暗い路地の風景。
ペシャワール旧市街
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旧市街のバザール。
チャイの店。
チャイとはインド式の甘いミルクティーの事。
一般的なインド式チャイは、茶葉をミルクで煮出し、砂糖で甘くした紅茶で、筆者も頂いたが、とてもとても甘かった。
ペシャワール旧市街
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カルダモンやシナモンなどのスパイスを加えたチャイをマサーラー・チャイを言う。
ミルクで煮出すチャイが発達したのは、イギリス植民地時代に紅茶はイギリス本国へ輸出され、売り物にならないB級茶葉しか残らず、この茶をいかに美味しく飲む方法がないか、庶民の間で考えられ、一般的に広まった。
ペシャワール旧市街
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旧市街のバザール。
お菓子の店。
ペシャワール旧市街
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バザールのアーケード。
この辺りには貴金属、アクセサリーを扱っている店が並んでいる。
ペシャワール
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ド派手なギンギラギンに飾り立てた長距離デコレーション・バス。
バスのオーナーが自分の趣味で飾り立てるとの事。
バラ・ヒサール要塞
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これはバラ・ヒサール要塞。
6世紀ごろの城塞跡を、ムガール帝国を建国した初代皇帝、バーブルによって改築された。
バラ・ヒサール要塞
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ペシャワールはクシャーナ朝カニシカ王支配の下、仏教都市となり、その後のインド、ムガール帝国支配下になるとイスラム文化が根付いていった。
バーブルの孫のアクバルの時代に都市として発展した。