パキスタン・イスラム共和国(ガンダーラ)
ガンダーラ
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ペシャワールから北東へ45k程、山岳地帯へと向かう。
この辺りは山岳仏教寺院が残るガンダーラ地域だ。
タフテ・バヒー
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ここはタフテ・バヒー遺跡。
ガンダーラ山岳仏教寺院群の一つ。
遺構は山の中腹にあり、川や平地を見下ろす事ができる。
この事からタフテ(玉座)、バヒー(泉)、玉座の泉と呼ばれている。
タフテ・バヒー
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ガンダーラ地域に仏教が伝わり、寺院が建ち始めたのは紀元前1世紀頃。
タフテ・バヒー寺院は2世紀頃、クシャーナ王朝の第四代皇帝カニシカ一世により建設された。
タフテ・バヒー
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遺跡内部には、天井部分は残っていないが、石積みの遺構はそこそこ残っている。
クシャーナ王朝は、北は中央アジアから南は北インドにかけて存在した王国。
1世紀頃に王朝は成立し、200年間続いた。
タフテ・バヒー
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ここは多塔院と呼ばれる、仏塔がたくさん建っていた所。
タフテ・バヒーの仏教寺院にはかつて、たくさんの仏塔ストゥーパが建っていた。
今は仏塔の台座のみ残っている。
タフテ・バヒー
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ここは主塔院と呼ばれる、最も大きい、中心となる仏塔が建っていた場所。
タフテ・バヒーは7世紀ごろまで仏教寺院として栄えていた。
タフテ・バヒー
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クシャーナ王朝はカニシカ王の時代に最も栄え、国土もネパールやベンガル地方にかけて広がった。
カニシカ王の時代の都はペシャワールだった。
タフテ・バヒー
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ガンダーラとはかつて存在した古代王国。
西はアフガニスタン東部、東はカシミール地方までの地域に達したが、時代によって領域は変化した。
古く紀元前6世紀ごろアケメネス朝ペルシャの支配下になり、紀元前4世紀ごろはアレキサンダー大王やマウリヤ朝の支配下になる。
タフテ・バヒー
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山の高台から見下ろしたタフテ・バヒー遺跡全体の風景。
四角形の形が残る寺院の敷地。
タフテ・バヒー
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タフテ・バヒーの仏教遺跡は近郊の仏教寺院遺跡サリ・バロールと併せて、タフテ・バヒーの仏教遺跡群とサリ・バロールの近隣都市遺跡郡として、ユネスコ世界文化遺産に登録されている。
タフテ・バヒー
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山の中腹にあるタフテ・バヒー寺院跡から見下ろした。
乾いた土地が広がる山の麓の風景。
中国歴史書に漢の時代、クシャーナ王朝に属する罽賓(けいひん)国があり、唐の時代まで栄えた、とある。
ガンダーラの事と考えられている。
タフテ・バヒー
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ウリヤ朝の支配下の後、前述のクシャーナ朝支配の下で仏教王国として栄えた。
ササン朝ペルシア支配の後、イスラム王朝のガズナ朝に征服され、ガンダーラの地名は忘れられていった。
マラカンド峠
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これからさらに北上し、スワート地域の町、サイドシャリフへ向かいます。
ここはマラカンド峠。
谷間から遠くまで見通せる。
マラカンド峠
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峠を上っていた、ど派手なデコレーション・トラックの前で記念写真。
サイドシャリフへ
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サイドシャリフへの道。
山と山の間の谷間の地は豊かな穀倉地帯となっている。