パキスタン・イスラム共和国(サイドシャリフ)
サイドシャリフ
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ここはサイドシャリフの町にあるスワート博物館。
その入り口の風景。
小さいながらも、スワート渓谷の遺跡から出土した仏教美術品を展示している。
サイドシャリフ
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筆者が宿泊したホテル、スワート・セレナ・ホテルの中庭風景。
サイドシャリフはスワート渓谷地方の中心となる町。
スワート渓谷地方にもガンダーラ遺跡が点在し、遺跡巡りの拠点となる。
サイドシャリフ
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ホテルの周辺の風景。
サイドシャリフの北側にミンゴラと言う町がある。
この町の出身者に、女性の人権を守る運動を行い、パキスタン・タリバンに銃撃されたノーベル平和賞受賞者、マララ・ユスフザイさんがいる。
サイドシャリフ
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サイドシャリフの町の風景。
衣類や民芸品を売る店。
スワート刺繍もお土産品として有名。
サイドシャリフ
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サイドシャリフの町で見かけた女の子達。
サイドシャリフの町はペシャワールから北東へ110kにある
サイドシャリフ
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町を散策。
美味しそうな香りがしてきた。
カバブーの店だ。
まだ若い男の子が調理していた。
ブトカラ仏教遺跡
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サイドシャリフを出て北に流れるスワート川へ。
ここはスワート渓谷に残るガンダーラ仏教遺跡の代表的な遺跡、ブトカラ仏教遺跡。
紀元前3世紀頃の遺跡で、マウリヤ王朝の第三代皇帝アショカ王の時代に建てられた。
ブトカラ仏教遺跡
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中央奥に残るのがブトカラのメインの大ストゥーパ。
ブトカラはこの大きな仏舎利塔ストゥーパが有名だが、ほぼ崩れてしまっている。
ブトカラ仏教遺跡
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残っている基礎は全てストゥーパが建っていた跡。
基礎の一つの脇に仏像が置かれていて、その基礎が撮影スポットらしい。
筆者も仏像の隣に座って一枚。
ブトカラ仏教遺跡
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うわ!崩れ落ちた遺物に犬が押しつぶされている!
よく見ると、暑い日差しから逃げるために、わずかな隙間に潜り込んでいた。
それ程、この辺りは暑かった。
ブトカラ仏教遺跡
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ブトカラ仏教遺跡からの周辺の風景。
岩山の中腹に家が数軒建っている。
崖を崩して平らにし、その狭い土地に建てている。
すごい暮らしだ。
ブトカラ仏教遺跡
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岩山の中腹に建つ家。
マウリヤ王朝はアショカ王の時代に最も栄え、インド亜大陸のほぼ全域を支配した。
支配地の最も北の地域がスワート地域。
ワート川
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さらに進むとスワート川に出ました。
ここからはスワート川に沿って北上します。
流れは速く、岸辺では川の水が渦巻いていた。
スワート川
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何かが対岸から渡って来た。
人を乗せたリフトの籠だ。
流れも速く、度々増水して洪水が起きるのか、橋はあまり無く、川を渡るには専らリフトの様だ。
スワート川
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スワート川に架かる簡易ロープウェイのリフトで川を渡る人達の風景。
スワート川はカラコルム山脈からの流れを集めて水量も多い。
夏を迎えるこの時期は、氷河の雪解け水も多くなる。
スワート川
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さらに北上すると雪山が見えてきた。
カラコルム山脈系の山々だ。
サイドシャリフからスワート川沿いに50kほどさかのぼるとカラコルム山脈系の南端に出る。
スワート川
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いくつかの峠を越えて北へ。
車窓から雪を頂くカラコルム山脈系の山々を見渡せる、スワート川の風景が美しい。
スワート川
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美しい風景のスワート川。
川沿い、渓谷沿いには素朴な村々がある。
これからその村の一つに向かう。
スワート川
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とても平和そうに見えるスワート川流域の村々。
事実、筆者が訪れた1994年には何の問題も無く訪れる事ができた。
しかし現在、スワート地域は過激派武装勢力パキスタン・タリバンのテロ組織が暗躍しており、近づく事も出来ない地域となってしまった。
雪山
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これからスワート渓谷にある村の一つ、バーレーン村に立ち寄る。
村に入る道路の沿道から見た風景。
カラコルム山脈系の雪山が迫力のある姿を見せている。
ン村
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ここはバーレーン村。
村の中心に建つのは素朴なモスク。
礼拝堂は石を積んで壁とし、屋根はトタン屋根。
ミナレットの塔は木造で建てている。
バーレーン村
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村を流れるスワート川と吊り橋の風景。
上流特有の大きな岩と激流が迫力満点の風景を見せてくれる。
バーレーン村
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情勢不安、治安の悪化により、今は訪れる事ができなくなったスワート地域。
渓谷美を始め、美しい自然やガンダーラ仏教遺跡など歴史のある観光地で、日本人も含め外国人に人気があったのに、とても残念な事だ。
スワート渓谷
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近くで出会った、地元の子供達。
エキゾチックな、イランの方の様な顔立ちの女の子たち。
スワート渓谷
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バーレーン村を離れ、再びスワート川沿いを行く。
観光以外は山間部のため牧畜が多く、牛、山羊、羊の放牧を良く見かけた。
農業も山肌に張り付く様に段々畑が造られていた。
スワート渓谷
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ゴツゴツとした岩が多くなってきたスワート渓谷。
後50kも行くと山岳地帯のギルギット地方に入り、その先は中国との国境をなすフンザ。
ギルギットは領土問題で揺れるカシミール地域の西側。
スワート渓谷
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車を止めて休憩。
ガイドさんがケシがある、と教えてくれた。
園芸種のポピー、ヒナゲシでは無く、アヘンが穫れるケシだ。
普通に自生している様だ。
スワート渓谷
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こちらには大麻が生い茂っていた。
芸能人がベランダで栽培していて、つかまっている大麻だ。
そう言えば、アフガン北部との国境地帯を黄金の三日月地帯と言い、東南アジアの黄金の三角地帯と並ぶ麻薬の密造地帯だと、聞いた事があった。
スワート渓谷
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イスラマバードを目指して南下を始める。
道はやがてカラコルム・ハイウェイと呼ばれる、中国の新疆ウイグル自治区とパキスタンの北部を結ぶ国際道路に入った。
中パ国境をなすカラコルム山脈を超えるこのルートの歴史は、古代シルクロードの交易路から始まる。
スワート渓谷
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川に下りて一休み。
北へ来たと言えどもパキスタンは暑い。
みんなでパンツ一丁になって川へ飛び込む。
メッチャ気持ちイイ!!
カラコルム・ハイウェイ
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カラコルム・ハイウェイを走っていると、峠に差し掛かった時、何やら標識が建っていた。
ここからの各地への距離を示したキロポストだ。
国内のイスラマバードやカラチは元より、カラコルム・ハイウェイ中国側終点のカシュガルKASHGHARや遥か北京BEIJINGまで載っていた。
スワート渓谷