パプア・ニューギニア独立国(セピック河流域)
ポートモレスビー
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パプア・ニューギニアの玄関口、首都ポートモレスビーにあるポートモレスビー・ジャクソン国際空港に到着。
筆者が搭乗したニューギニア航空の飛行機。
ポートモレスビー空港
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これからラエ・ナザブ空港経由でウエワクへ向かう。
ポートモレスビーはパプア・ニューギニアの南方、オーストラリアとの間にある珊瑚海に面しているが、ウエワクは北に位置し、太平洋に面している。
ポートモレスビー空港
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ウエワク行きの小型ジェット機を背景に筆者近影。
エアニューギニー、ニューギニア航空はパプア・ニューギニアの国営航空会社。
尾翼にはパプア・ニューギニアで国鳥とされているゴクラクチョウが描かれている。
ラエ・ナザブ空港
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ここはラエ・ナザブ空港。
ウエワクへの途中、トランジットで着陸しました。
周りには何も無い、小さな空港。
ラエの町は東へ40kほどの海辺にある。
飛行機からの風景
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飛行機からはニューギニアのジャングルの風景を楽しめる。
ヘビの様に曲がりくねった、まさに斗折蛇行の川の流れだ。
ウエワク空港
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ここはウエワク国際空港。
国際空港と名は付いているが、国内線だけの小さな空港。
ウエワク空港
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これから6人乗りのプロペラ機で次の目的地、アンブニイッティへ向かいます。
クルーが出発準備で、荷物を積み込んでいます。
傍らでは地元の子どもたちが遊びに来ていた。
飛行機からの風景
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飛行機からの風景
アンブニイッティはセピック河流域の村。
アンブニイッティの空港はとても小さな空港らしく、グループ移動では全員が乗れる飛行機は使えない。
飛行機からの風景
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飛行機から、セピック河流域に広がる湿地帯の風景。
ウエワクからセピック河流域に行くのに、一応道はあるらしいが、所々寸断されており、四輪駆動車クラスでないと無理とか。
飛行機からの風景
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ジャングルの密林の上を飛ぶセスナ機。
所々にポツリポツリと家らしき建物が見える。
飛行機からの風景
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高度が随分と下がって来て、そろそろ空港が見えて来てもよさそうなものだが。
眼下には相変わらずのジャングルが広がっている。
アンブニイッティ空港
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目を疑うのだが、明らかに飛行機は着陸態勢に入っている。
ジャングルを切り開いた、原っぱの滑走路だ!
こんな飛行場は初体験。
この様な空港を簡易空港、エアストリップと呼ばれるらしい。
車輪を草に引っかけて、つんのめりません様に(祈り)。
アンブニイッティ村
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ここはアンブニイッティ村。
原っぱの飛行場の直ぐそばにある、小さな集落。
アンブニイッティ村
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アンブニイッティ村の集会場らしき建物の周りで、村人が集まって民芸品などを売っている。
民芸品と言っても、彫刻された木の盾の様な物や槍など。
僅かに訪問する観光客相手だろう。
アンブニイッティ村
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村の前にはセピック河が悠々と流れている。
対岸にも集落があり、セピック河が増水した時に備える様、高床式の家屋が建つ。
アンブニイッティ村
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アンブニイッティ村の元気な子供たち。
アンブニイッティ村
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この辺りでは車は見かけなかった。
村との間の歩道はあるのだろうが、道路はまず無い。
セピック河には橋も架けられておらず、対岸へ渡るのに、丸太の木船を漕いでいた。
アンブニイッティ村
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観光客用のロッジの風景。
ロッジと言っても電気もガスも無い。
ディーゼルの小型の発電機が日暮れから2・3時間稼働していた。
虫、特に蚊が多いので、幼い頃に良く使った蚊帳が必需品。
アンブニイッティ村
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筆者が宿泊したロッジの前で筆者近影。
今回のパプア・ニューギニアの観光は、この様なロッジを基地にしてセピック河流域の小さな村々の訪問と、マウント・ハーゲンを拠点にハイランド地方を回ります。
アンブニイッティ村
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セピック河の風景。
セピック河では良く獲れるのだろう、ナマズなどの川魚を獲っている。
熱帯なので生魚は直ぐ傷んでしまうので、村などで良く見かけるのは燻製された魚だ。
アンブニイッティ村
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とても暑く、湿気も高いニューギニアでは入道雲が良くできる。
入道雲が崩れて、突然のスコールが何度もあります。
アンブニイッティ村
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ここは村の船着き場。
細長いカヌーが主流だ。
対岸へは手漕ぎのカヌーで、観光客用のカヌーにはエンジンで走る船外機付きとなっている様だ。
アンブニイッティ村
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さて、これからエンジン付きカヌーに乗ってセピック河流域をクルーズする。
カヌーを操るクルーの方々と筆者近影。
ニューギニアの方々はみんな少し背が低い。
セピック河クルーズ
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セピック河クルーズに出発です。
岸辺では村人たちがお見送りです。
セピック河クルーズ
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エンジン付きカヌーは細長く、縦にしか乗れない。
観光客はせいぜい6~7人くらいしか乗船できない。
セピック河クルーズ
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セピック河流域には小さな村々が点在する。
今回の旅は、セピック河を使わないと、陸路では行けない村々を回ります。
セピック河クルーズ
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別のグループのカヌー。
横から見ると結構長い。
ただ細いので転覆しないのかな。
救命胴衣を着けていないのに。
セピック河クルーズ
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セピック河の中流域は河幅が広い箇所もある。
先頭には船頭さんの役目をしている方が陣取る。
セピック河クルーズ
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セピック河の所々に、湿地に生えるアシなどが生い茂った湿原がある。
高低差が余り無いセピック河の流域は雨季には大湿原となる。
セピック河クルーズ
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アシの小島は水鳥たちの憩いの場だ。
首の長いシラサギの仲間かな。
セピック河クルーズ
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比較的大きな高床式の家屋。
これでもセピック河が増水すれば床まで浸水するのだろう。
セピック河クルーズ
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そろそろ最初の訪問する村が近づいて来た。
今回の旅ではワグレイク村、ヤンボン村、メノー村などを訪れます。
セピック河クルーズ
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棒を使って丸太カヌーを操り、河を渡る地元の人。
セピック河流域の小さな村
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セピック河流域の村の風景。
中央に広場があり、周囲に高床式の家屋が建つ。
セピック河流域の小さな村
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お宅訪問。
家屋の建材は周囲に豊富にあるヤシの木や広葉樹の木。
葉っぱや茎も茅葺の様に利用する。
結構歪んでいて、傾いている。
セピック河流域の小さな村
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嵐が来たら、ひとたまりもない家だと思ったが、パプア・ニューギニアには台風などの発達した熱帯性低気圧はまず来ない。
そもそも赤道に近いこの地では熱帯性低気圧は生まれない。
赤道に近すぎると自転の力で発生する、大気の渦を巻く力が弱いため。
セピック河流域の小さな村
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家の入り口でまどろんでいる村人と、カモかな、鳥のヒナがジャレていた。
一軒には複数の家族が暮らすのだそうだ。
セピック河流域の小さな村
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高床式の家屋。
まだ新しそうな家だ。
集会場か学校の様だ。
セピック河流域の小さな村
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村を離れて再びセピック河クルーズ。
見送ってくれた村人たち。
セピック河クルーズ
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大木をくり貫いただけの手作りカヌーに乗る子供たち。
笑い声が河面を渡る。
セピック河クルーズ
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セピック河は中流域でも、とても川幅は広い。
ニューギニアのジャングルを蛇行し、広大な湿地帯をゆっくり流れる大河セピック。
セピック河クルーズ
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根元まで水に浸かっている木々。
筆者は1月に訪れ、丁度雨季が始まった頃で、セピック河の水位も上がっていた。
この様な増水時に水に浸かる浸水林をバルゼアと呼ばれ、アマゾン河流域が世界的に有名。
セピック河クルーズ
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蛇行しているセピック河をショートカットするかの様に、アシが生える湿原を突っ切る。
水位が上がっている雨季にしかできない。
しかし、この行為が翌日には一大事になるとは。
セピック河クルーズ
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一日の観光が終わり、再びロッジへ戻る。
セピック河の夕景。
夕焼けは空気が澄んでいると、あまり綺麗な赤色にならない。
水蒸気や塵などで、空気が程よく濁っていると光の散乱が起きて綺麗な夕焼けになる。
月とヤシの木
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快晴の夜空だった。
ヤシの木の上に月が出ていた。
もっとも満月では無かったですが。
セピック河クルーズ
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再びセピック河クルーズ開始です。
アシの原っぱを静かに進む。
水鳥が隠れていて、船頭さんがゴムひもで石ころを飛ばすパチンコ、スリングショットで狙っていた。
とても当たるとは思えないのだが。
セピック河クルーズ
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村に到着。
筆者は秘境と呼ばれる国・地域がとても好きで、ニューギニアや隣のイリアンジャヤには憧れ的な思いを持っていたものだ。
セピック河流域の小さな村
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子どもたちがお出迎え。
どこの村にも子供たちは多く、外国の客が珍しい様で、直ぐに大勢の子供たちに囲まれてしまう。
一人の女性が出産する子供は7~8人と言う。
少子化の日本では考えられない。
セピック河流域の小さな村
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削った丸太で何かを作っていた。
これはサゴと言うデンプン作り。
木の幹からデンプンが採れるヤシの木、サゴヤシを砕いて、水を掛けながらデンプンを絞り出す。
この地方では主食で、水で煮ておかゆの様にしたり、平たく伸ばしてパンの様に焼いたりする。
セピック河流域の小さな村
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この鳥はカンムリバト。
頭に扇型に羽を付ける。
ニューギニアやインドネシアに生息する。
食用にしたり羽毛を利用したりする。
セピック河クルーズ
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舟が座礁した。
と言っても、水草が水面まで生い茂っている所に突っ込んで行って、身動きできなくなったもの。
でも、これは計画的だったようで、蛇行するセピック河をショートカットするため、無数にある細い支流を行く方法だ。
クルーたちが協力してカヌーを押していた。
セピック河流域の小さな村
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次に訪れた村です。
秘境の地も、実際に訪問してみると結構大変だ。
ロッジでは電気は発電機だけで、シャワーも河の水を溜めたものらしきタンクがあっただけ。
セピック河流域の小さな村
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村の子どもたち。
セピック河流域の旅は、筆者の様に内陸まで軽飛行機で移動し、そこからカヌーでセピック河を移動し、村々を訪ねる方法がある。
セピック河流域の小さな村
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バナナの実が生っていた。
バナナの原産地はマレーシアなどの東南アジアで、収穫を目的に農耕として栽培を始めたのはパプア・ニューギニアの先住民が世界で最初だと言われている。
村の教会
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村の奥に行く。
ジャングルを切り開いた広場に教会が建っていた。
十字架にJESUSとある。
明らかにキリスト教の教会だ。
村の教会
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パプア・ニューギニアの少数部族たちの信仰は自然の全ての物に霊が宿ると言う精霊信仰だった。
19世紀にヨーロッパの国の植民地支配になってからはキリスト教が入って来た。
村の教会
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教会の中へ入ってみました。
祭壇にはキリストとおぼしき人物と、羽を持った、どう見てもオッサンの様な、可愛く無い天使の肖像画が掛かっていた。
村の教会
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教会の外壁には独特の感性を持ったアートが飾られていた。
キリスト教に改宗されたからとしても、先祖からの精霊信仰は生き残り、キリスト教と融合した独自の宗教になっている様だ。
セピック河流域の小さな村
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次の村です。
セピック河流域の旅、他の方法には、セピック河の下流域を宿泊施設を整えた大型客船での旅がある。
セピック河流域の小さな村
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この村では密林の中、奥へ奥へと招かれて行った。
客船で旅の方法だと、セピック河中流域以上へは行けない。
せいぜい、中流域にある大きな湖、チャンブリ湖付近までしか行けない。
精霊の社
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ジャングルの奥、広場に不思議な形の建造物が建っていた。
これは精霊を祭る社、ハウス・タンバラン。
村の中心となる広場に建つ。
シンシン
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顔にペイントをし、木の葉などを身にまとった村人が集まって来た。
これからシンシンの踊りが始まる。
シンシン
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シンシンとは昔、他の部族との戦闘の際、士気を高めるために行われた、ときの声をあげて踊る儀式の事。
現在では民族舞踊の位置付けとなっており、部族ごとに異なり、様々なシンシンが行われる。
シンシン
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シンシンを踊る村人たちと筆者近影。
シンシンには老人も若者も、男も女もみんな出ている。
子どもたちは外から見学かな。
シンシン
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語源が英語のシング・シングから来ているシンシンは歌と踊りの意味を持つ。
観光客用のフェスティバルとして行われる事が多くなったシンシンだが、部族に根差した儀式として冠婚葬祭や祝日、記念日等で演じられる。
シンシン
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シンシンはそれぞれの部族が伝統文化を守り、長年に渡って伝承してきた
シンシンの際の音源は、手作りの太鼓やハウス・タンバランの中に置かれた丸太を叩いてリズムを刻む。
シンシン
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仮面を付け、独特の衣装をまとっているのは森の精霊に扮した村人。
古来からの精霊信仰に基づいてシンシンの中心に置かれる。
シンシン
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魚をモチーフにしたオブジェを持ち上げ、練り歩く。
セピック河の恵みに感謝し、魚の精霊に扮したオブジェだ。
シンシン
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まだ小さい子供を持つお母さん。
顔だけでなく、体中にカラフルなペイントしている人が鳥の羽やヤシの葉、貝殻のアクセサリーを身にまとい、槍や太鼓を持って飛び跳ね、練り歩く。
シンシン
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シンシンを踊っていた村人と筆者近影。
セピック河流域は湿地帯なので虫が多く、特に蚊は厄介。
虫よけスプレーと腰から吊り下げる蚊取り線香は必須品。
ロッジでは蚊帳が重宝しました。
セピック河クルーズ
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次の村へ向かいます。
向かっている途中のセピック河は、流れが止まり、水草に覆われた湿地帯になっている。
余り水草が多いと、スクリューが壊れるので手漕きで進みます。
セピック河クルーズ
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ここまで水が無くなると、ほとんど草原の様だ。
これでも進んで行きます。
クルーの方々は汗だくで対応していた。
精霊の社
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次に訪れた村の精霊の社、ハウス・タンバラン。
部族ごとに異なる、独自のハウス・タンバランを持つ。
広く開かれている面にメインの柱が建つ。
精霊の社とシンシン
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この村でもシンシンを見せてくれた。
セピック河流域には小さな集落が点在し、マナブ族やコマ族など、異なった部族に分かれて暮らし、それぞれの土着の文化・宗教がその地に根付いている。
精霊の社
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ハウス・タンバランの中へ入ってみました。
タンバランとは儀式の意味で、文字通り、儀式を行う家。
地面にはシンシンで使う物などが置かれていた。
シンシン
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シンシンを踊る村人。
村人の中には胸に突起状の模様が入っている人がいた。
これは成人の儀式で、男だけに定められた通過儀礼を行われた跡。
シンシン
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シンシンを踊る村人。
成人の儀式はハウス・タンバランにて体に模様の傷をつける。
傷はやがて突起状の傷跡となって体に刻まれる。
とてつも無く痛く、血まみれになるらしい。
シンシン
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シンシンを踊る村人。
熱帯雨林のパプア・ニューギニアの、しかも湿地帯のセピック河流域はマラリヤの高度流行地になっており、出発前に旅行社からはマラリヤ予防の薬を服用する様にとの注意があった。
シンシン
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シンシンの後、村人たちと筆者近影。
蚊に刺されてからでは遅いので、抗マラリア薬を到着後に直ぐに飲みました。
これがまたキツイ薬だったようで、しばらくフラフラしました。
セピック河クルーズ
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これでセピック河流域の観光はおしまい。
飛行場があるアンブニイッティ村まで戻ります。
カヌーはとうとう、にっちもさっちも行かなくなった。
男性陣はズボンをまくり上げて河に入り、一緒に押す羽目に。
ヒルに吸い付かれません様に。
アンブニイッティ空港
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来る時に着陸したアンブニイッティ空港。
プロペラ機でウエワク空港まで行きます。
改めて滑走路を見ると、ゴルフ場のフェアウェイの様だ。
ウエワク空港