パプア・ニューギニア独立国(ハイランド地方)
マウントハーゲン
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ここはパプア・ニューギニアのマウントハーゲン。
街の市場へやって来ました。
市場は屋根のある建物も少しはあったが、ほとんどが露店で、それぞれ個人個人が思い思いに商品を広げている様だ。
マウントハーゲン市場
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柑橘系の果実の様な果物を並べている。
マウントハーゲンは、パプア・ニューギニアの4つの地方の一つ、中部に位置するハイランド地方の都市。
マウントハーゲン市場
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こちらはウリの種類を売っていた。
パプア・ニューギニアの4つの地方とはハイランド地方以外には、北東の島々からなるアイランド地方、セピック河流域を含むモマセ地方、南側のパプア地方を言う。
マウントハーゲン市場
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瑞々しい葉物野菜。
レタスや白菜、ネギなどだが、おそらく日本で目にする野菜とは種類が違うのだろう。
マウントハーゲン市場
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これはサツマイモだ。
パプア・ニューギニアの主食の一つで、セピック河流域ではサゴヤシから採れるサゴと言うデンプンが主食だったが、ハイランド地方ではサゴヤシが少ないのでサツマイモが主食になっている。
マウントハーゲン市場
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中央の緑の野菜は日本で見るインゲンマメの様な、さやごと食べる細長いサヤインゲンに似ている。
マウントハーゲンは、ハイランド地方の中の西部山岳州と言う州の州都になっていて、パプア・ニューギニアでも5番目の大きな都市。
マウントハーゲン市場
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手前はトウモロコシ、中央は殻付きの落花生。
生の落花生は茹でて食べると美味しいらしい。
好きな人はビールには枝豆よりもゆで落花生だ、と言う人もいる。
マウントハーゲン市場
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何か良く判らなかったが、タバコの葉っぱらしい。
植物のタバコは熱帯地方が原産なので、パプア・ニューギニアでも栽培されているのだろう。
葉っぱのまま売られているので、巻いて葉巻にするのかな。
マウントハーゲン市場
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衣類の店。
土の地べたにシートを引き、直置きしている。
古着のフリーマーケットの様だ。
茶畑
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これは茶畑。
どこまでも広がる茶畑の風景。
パプア・ニューギニアは赤道を中心にしたコーヒーの栽培環境が適しているコーヒーベルトに含まれ、コーヒーの産地となっているが、ハイランド地方では紅茶の産地となっている。
紅茶工場
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紅茶工場を見学。
入り口に収穫したお茶の葉が山積みされていた。
紅茶工場
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茶葉を細かくするローラーの行程かな。
工場内は操業中で、機械がとても賑やかで、葉の粉塵が飛び交っていた。
紅茶工場
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紅茶を作るのに、広い茶畑を管理運用し、機械や人手で葉の摘み取りを行う。
摘み取った茶葉は揉んで発酵させ乾燥し、製品にする。
紅茶工場
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お茶の葉を発酵させ、茶色の紅茶になる。
紅茶を作るのにとても多くの工程が必要で、農場も大きなプランテーションを持ち、大規模な工場が必要。
大勢の働き手が必要で、地元の雇用に一役買っている。
紅茶工場
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選り分ける機械で選別され、袋詰めにされる。
ただ、残念な事にパプア・ニューギニアの紅茶は高級品では無く、低いグレードの扱いとなっている。
クスクス
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街でカゴに入った動物がいた。
これはクスクス。
カンガルーに近い種で、子供を育てる袋を持つ有袋類。
クスクス
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イモをもらって食べている。
クスクスは草食動物。
なお、クスクスにはいくつかの種があるが、これは何クスクスなのか、判りません。
サイチョウ
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こちらはサイチョウ。
それもニューギニア島に生息する、パプアシワコブサイチョウだ。
サイチョウの名は頭のトサカがサイの角の様な形から。
高地の民
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マウントハーゲンの街の郊外に出ました。
山岳地方の少数部族が暮らす村を訪問。
我々のために部族特有の装飾をして民族舞踊、シンシンを見せてくれた。
高地の民
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村人と一緒に筆者近影。
シンシンとは元々、他の部族との抗争の際、自らの力を誇示し戦闘の士気を高めるために行った。
ラグビーでニュージーランド代表が行うハカと同じ舞。
精霊の社
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ここは精霊の社、ハウス・タンバラン。
タンバランとは儀式の意味で、部族での儀式を行う神聖な建物。
少数部族ごとにハウス・タンバランは異なる造りをしている。
高地の民
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極彩色に色塗られた村人。
シンシンの時の正装。
彼らは先祖の霊や全ての物に精霊が宿ると言う、独自の文化意識、精霊信仰を持つ。
高地の民
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笛を吹く村人。
現在はシンシンは観光的な要素を持つ伝統舞踊になっている。
特に毎年夏には各地域の部族が集まり、シンシンを競うハイランドショーが行われ、観光の目玉になっている。
村
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イノシシの子どもだ。
生まれたばかりだと、縞模様のあるウリ坊だが、縞が消えているので少し成長した子どもだろう。
村の中をウロウロしていたので、野生では無く飼われているイノシシだ。
村
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村の民家。
木造で屋根はヤシの葉などの繊維で茅葺屋根の様にしている。
マウントハーゲンの名の由来はハーゲン山が街の南東に実在し、そこから街の名前になった。
マウントハーゲン空港
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マウントハーゲンの観光はおしまい。
ここはマウントハーゲン・カガムガ国際空港。
これから東へ140kほどにあるゴロカへ向かいます。
プロペラ機で30分ほど。
村
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ゴロカの街の郊外、少数部族が暮らす村に来た。
魔境とも称されるパプア・ニューギニアの奥地、自給自足の様な暮らし、電気・ガス・水道も無い暮らし、大自然と共に生きる暮らしがここにはある。
村
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筆者が訪れてから30年近く、ニューギニアの奥地は今でも変わっていないのだろうか。
時代は移り、自家発電やスマホも生活に入って来ているのかもしれない。
村
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子どもたちも伝統衣装に身を包み、筆者たちを歓迎。
ニューギニアやイリアンジャヤの奥地に暮らす先住民族たちを、昔は土人と言い、文化的にも劣る未開の原始的な人々と見ていた。
村
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インコや国鳥の極楽鳥の羽、ビーズなどを沢山使って着飾り、極彩色で化粧をし、伝統衣装をまとった高地民族の村人たち。
確かに、今はいないのだろうが、かつては敵と争そった後、敵の首を干し首にする首狩り族の話や人食い人種の話などを聞いたものだ。
村
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村人と筆者近影。
都市伝説がある。
大富豪ロックフェラー財閥の一員だったマイケル・ロックフェラーがニューギニアで消息を絶った。
ロックフェラー一族をあげて大掛かりな捜索が行われたが、未だに行方不明となっている。
後に、マイケルは現地の首狩り族や人食い族に殺され食べられたとの報道があった。
村
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とてもシンプルな民家、壁はヤシの葉を編んで作っている。
奥地ではまだ、ほぼ裸で暮らしており、男性はコテカと呼ばれるペニスケースを身に着ける。
科学的な根拠の無い迷信が横行しており、悪魔祓いや黒魔術、魔女狩りなどの風習が一部の部族で残っている。
ここの方々は違うのだろうが、これらの話はそれ程、この地は未知の領域で、永らく外界、他文明から隔絶されて来た事を意味する。
アサロ渓谷
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ゴロカからハイランド・ハイウェイを走る。
ここはポイントダウロ峠。
ここはアサロ渓谷が一望できるビューポイントになっている。
アサロ渓谷
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アサロ渓谷にいくつかの少数部族の村があり、訪れたのはアサロア村。
ここの村では一風変わったシンシンを見る事ができる。
マッドマン
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一風変わったシンシンとはマッドマンの事で、今まで見て来たシンシンは奇抜に装飾する事でユニークさを出していたが、ここのシンシンは泥で作った仮面をかぶるものだった。
マッドマン
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マッドマンと呼ばれる全身を泥で白く塗り、大きな仮面をかぶる踊り手たち。
シンシンが始まると、まず少数が先鋒として先陣を切って現れる。
侵入したのを気付かれない様に、ソロリソロリと静かにやって来る。
マッドマン
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マッドマンのシンシンの由来は、戦いで負けて土地を奪われた部族が、取り返す方法を考えた。
そこで全身に泥を塗り、変装に仮面をかぶり、弓矢やヤリを携え、見つからない様に抜き足差し足忍び足で攻め入った。
敵の村人は侵入してきた異形の物を見て、倒した敵の亡霊が帰って来たと恐れおののき、逃げ出したと言う。
マッドマン
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敵を驚かすマッドマンのシンシンはゆっくりした動きが特徴。
静かに侵入した事から音楽も無い。
不気味でグロテスクだがユーモラスなシンシンでした。
民家
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マッドマンの村の民家。
村ごとに建物は違う建て方をしている。
ハイランド地方は名の通り高地にあり、熱帯にありながら気温はとても心地よい。
お土産屋
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シンシンが終わった後、お土産屋が出ていた。
マッドマンのフィギュアの人形や仮面のレプリカ、弓矢などが置かれていた。
大きいので、持って帰るのは苦労する。
ホテル
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筆者が宿泊したホテルの中庭の風景。
ハイランド地方では熱帯雨林のセピック河流域とは違い、マラリヤの高度流行地にはなっていないので、感染の恐れは少ない。
ハイランド・ハイウェイ
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ハイランド地方を結ぶ、パプア・ニューギニアの高度なインフラ、ハイランド・ハイウェイを進む。
ハイウェイと言っても普通の2車線道路。
車窓からのハイランド地方の風景。
ダム湖
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ハイランド・ハイウェイ走行中、大きな貯水池が見えて来た。
これはヨンキ・ダムのダム湖の上流だ。
これからヨンキ・ダムに寄ります。
ダム湖
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ゆったりと水を貯めるヨンキ・ダムのダム湖。
ヨンキ・ダムはラム川をせき止めたパプア・ニューギニアで最大規模を誇る水力発電所。
ヨンキ・ダム
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パプア・ニューギニアは電力事情が悪く、安定的な電力供給がなされず、停電が度々発生している。
発電所の不足だけでは無く、変電所や送電線の保守メンテナンスが行き届かない事も要因。
ヨンキ・ダム
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ヨンキ・ダムの建設には日本のゼネコンも加わっており、パプア・ニューギニアの電力インフラの構築と維持に日本の国際協力機構、JICAが協力している。
これでハイランド地方の観光はおしまい。
ラエ
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ハイランド地方を後に南東へ。
ここは港町ラエ。
ラエ経由ポートモレスビーへ向かい、帰国です。
ハイランド地方とは違うが、経由したラエとポートモレスビーも少し掲載します。
ラエの街の入り口の小さなマーケットの風景。
ラエ
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ラエのマーケットで、ヤシの実のお店。
ラエは太平洋戦争にて日本軍が占領した地。
戦前ニューギニアの首都だった街で、今は国内2番目の都市。
ラエ植物園
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ここはラエ植物園。
ポートモレスビーまでのフライトまで少し時間があったので立ち寄りました。
植物園は戦後の1949年に国立として、植物学の研究を目的に設立された。
ラエ植物園
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この鳥はズグロオトメインコ。
植物園と言いながら園内にはたくさんの鳥類が放し飼いにされており、カラフルな鳥たちに出会えた。
パプア・ニューギニアは赤道に近い熱帯に位置するが、中央部の高地から熱帯雨林まで様々な植物の種が生育している。
ラエ植物園
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サイチョウとは二度目の対面。
飼育員にとても慣れていて、くちばしを掴まれても全然逃げない。
パプア・ニューギニアは特にランの種が多く、世界のランの7割がニューギニアにあると言われる。
ラエ植物園
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パプア・ニューギニアの正式名称はパプア・ニューギニア独立国。
ニューギニア島の東半分を領土とし、西はインドネシアのイリアンジャヤ地方。
ニューギニア島は世界の島の中でグリーンランドに次ぐいで広い島で、日本の倍はある。
ラエ植物園
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これはベニインコ。
ニューギニア島に初めて人類の祖先が渡って来たのは、氷河期の頃、東南アジアと地続きになり、そこから渡って来た。
後年、ポリネシアなどの海洋民族が海を渡ってたどり着いた。
ラエ植物園
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カンムリバト、セピック河流域では食用にしていた。
ニューギニアの先住民族はパプア人と呼ばれ、オーストラリアのアボリジニーと同じか、近い血筋の人たちと言われている。
ちなみにパプアとは、周辺の島々に暮らす他民族の人たちが、先住民族のパプアの人達の髪の毛が縮れ毛だった事を指した言葉の様だ。
ラエ植物園
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オナガパプアインコ。
パプア・ニューギニアの南側をパプアと呼ばれ、イギリスが統治。
北側をニューギニアと呼ばれ、ドイツが統治していた。
第二次大戦後、パプアとニューギニアが合併・統合して独立、パプア・ニューギニア独立国が誕生した。
ラエ植物園
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熱帯のジャングルを思わせる様な、園内の風景。
ニューギニアの名前の由来は、植民地としたイギリスが熱帯の暑さと、黒人に似た先住民族を見て、アフリカのギニアの様だと思い、新しいギニア、ニューギニアと呼んだ。
ラエ植物園
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ハシブトルリハシインコ。
ニューギニア島は左を向いた鳥の形をしていると言われる。
それもパプア・ニューギニアの国鳥、極楽鳥と言われる。
ラエ植物園
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園内にはコウモリもいた。
種類は判らないが、目が大きく耳は普通なので、超音波を出して飛び回る種とは違う様だ。
大航海時代の終わりごろ、ヨーロッパ人がニューギニア島にやって来たが、密林と湿地帯ばかりで、得る物は無いと思われ、長く手付かずだった。
19世紀植民地時代に入ると、ニューギニア島はオランダ、ドイツ、イギリスで分割統治された。
ラエ植物園
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最後はワニ。
ニューギニアは太平洋戦争では一時期に日本軍がラバウルの戦いなどで北側を占領したが、激戦の末、生還者は1割ほどと言う惨敗をした戦場でも知られる。
パプア・ニューギニアとして1975年に独立、現在はイギリス連邦王国の一つとして国家元首はエリザベス女王となっている。
ラエ・ナザブ空港
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ラエ・ナザブ空港からポートモレスビーへのフライトです。
この空港はラエの街には無く、ラエから内陸へ40kほどにあるナザブの町にある。
ポートモレスビー
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首都ポートモレスビーにある国会議事堂。
少数部族の村、特にセピック河流域の村に建てられている精霊の社、ハウス・タンバランを模倣して建てられている。
お土産屋
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パプア・ニューギニアの少数部族の間に伝わる精霊信仰に基づいた原始的な美術品、精霊の像や仮面などをお土産として置いていた。
パプア・ニューギニアの産業は鉱物資源に恵まれ、輸出の中心となっている。
農業ではヤシの実から産出されるパーム油、コーヒーなどが主産物だが、熱帯のため稲作や畑作は不向き。
ホウオウボク
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ポートモレスビーの空港の周辺に咲いていたホウオウボク。
原産地はアフリカだが、多くの熱帯地方や亜熱帯地方で街路樹や公園に植えられている。
日本でも沖縄で見られる。
ポートモレスビー空港
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これから帰国です。
ポートモレスビー・ジャクソン国際空港の待合室で、壮行のセレモニーが催された。
パプア・ニューギニアでは林業も盛んで、多くの木材は輸出されている。
半面、森林伐採による熱帯雨林の消失が深刻化している。
ポートモレスビー空港
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搭乗機の前でも見送りが。
今でも壮行のセレモニーは行われているのか、判らないが、筆者が訪れた当時は、日本からそれ程多くの人が観光に来ていなかったのかな。
ポートモレスビー空港
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これでパプア・ニューギニアの観光はおしまい。
最後まで伝統衣装で見送ってくれたパプア・ニューギニアの人々。
また逢う日まで。
入国ビザと入出国スタンプ
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パプア・ニューギニアの入国ビザと入出国スタンプ。