ペルー共和国
ミラフローレス地区
1/113
ペルーの首都、リマの海岸地区ミラフローレス。
ビーチが続き、日光浴の人たちが多く訪れていた。
海上レストラン
2/113
丁度、お昼時。
海に突き出したように建てられているレストラン、ロサ・ナウティカへ向かう。
写真は崖の上の海岸公園からの眺め。
なかなかシャレたレストランだった。
海岸公園
3/113
ミラフローレンスの崖の上には海を見渡せる海岸公園があった。
花々が咲く美しい花壇もある。
ミラフローレス地区は海に面した高層マンションも建つ高級住宅地で、リマの新しい中心地となりつつある。
海岸公園
4/113
恋人達の公園とも呼ばれるここは、カップルが多く、中央に建てられた彫刻の像は男女の情熱的な姿をモチーフにしていた。
ミラフローレス地区は外観もオシャレな高級店が入る商店街があり、親子連れや若者達に人気のスポット。
アルマス広場
5/113
リマの旧市街へ。
ここはセントロと呼ばれる旧市街の中心地、アルマス広場。
ここを含むリマの旧市街は、リマ歴史地区としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
アーケード
6/113
ここはアーケード街。
近くに中央郵便局があるので、通称郵便局通り。
様々な商品を置いていた。
カテドラル
7/113
南米有数の都市、リマの街はインカ帝国を滅ぼし征服したスペイン人、フランシスコ・ピサロによって造られた。
ここは旧市街、アルマス広場の正面にある大聖堂カテドラル。
その聖堂内の風景。
カテドラル
8/113
カテドラルは約20年を費やして建てられたが、度重なる大地震に見舞われ、何度も修復された。
金箔に装飾された見事な祭壇が置かれている聖堂内には、フランシスコ・ピサロが眠る棺が安置されている。
ナスカへ
9/113
ペルーは有名な観光地が沢山ある。
まずは誰もが知っているナスカの地上絵の観光へ。
リマの国内線で南へ400キロ。
ナスカ着
10/113
パイロットを含め12人乗りの小型機でナスカへ到着。
ナスカ空港はほんとに小さな空港でした。
ナスカの地上絵
11/113
4人乗りのセスナで地上絵を見に行きます。
エリアが広すぎる事と地上絵が大きい事から地上からの観光には向かない。
全景を観光するには上空からとなる。
これはイヌ。
ナスカの地上絵
12/113
これはハチドリ。
くちばしから尾っぽまでの長さは100mにもなる。
紀元前2世紀頃から紀元後5世紀にかけて、この地にナスカ文化が栄えた。
ナスカ人達は200k平方にも及ぶ大平原に巨大な線画を描いた。
ナスカ人達が去った平原に地上絵だけが残り、我々に多くの謎も置いていった。
ナスカの地上絵
13/113
これはサル、長さ60m。
全ての地上絵は一筆書きになっていて、地上ではただのガレキの溝にしか見えない。
黒っぽい地表の土を削り、白っぽい下の層を露出させて線を描いた。
ナスカの地上絵はナスカとフマナ平原の地上絵としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
ナスカの地上絵
14/113
これはコンドル、長さ140m。
雨がほとんど降らない環境が現在まで地上絵を残したが、その環境はもろく、有名になったナスカに車で押しかける人が増え、地上絵の平原まで平気で入って来る。
そのため線画は荒らされ、徐々に消えて行きつつある。
ナスカの地上絵
15/113
これはクモ、長さ50m。
描いた方法は謎だが、ナスカ人は高度な測量技術を持っており、全景を描いた原画を基に原点となる杭と寸法を決める縄を用いて、数十倍もの拡大した相似形の地上絵を描いたとされている。
ナスカの地上絵
16/113
木、長さ70m。
左から右上にかけてパンアメリカンハイウェイが走る。
右上の鉄のやぐらはミラドールと呼ばれる、地上からの観測塔。
見にくいですが、左にはハイウェイによって分断されたトカゲのしっぽ部分があります。
これ以外にも3k四方程度の広さの中に、ペリカン、クジラ、魚、手、宇宙飛行士、等々が残る。
ナスカの地上絵
17/113
長さ160mもの巨大なオウム。
これらは何のために描いたのか。
雨や農耕の時期を占って知る占術説、神官による呪術的な雨乞いの儀式説、絵は太陽や月の軌道、星座を意味し、暦とした天文説、地上絵の地下から水路が見つかった事から地下水路説などに始まり、奇想天外な宇宙船発着場説まで限りなくある。
ナスカ空港
18/113
活躍のセスナです。
小型機なので窓からの眺めは良かったが、地上絵が見えやすい様に右に左に旋回してくれたお蔭で目が回り、到着後のナスカ空港ではしばらく死んでいました。
ワカチナ
19/113
地上絵観光の後はチョット足を延ばして砂漠にあるオアシス、ワカチナへ。
満々と水をたたえた泉がありました。
ワカチナ
20/113
昼食に立ち寄ったホテル。
リゾートホテルできれいなホテルだった。
リマへ
21/113
同じ飛行機でリマへ戻ります。
コックピットも目の前で、着陸も真正面で見る事のできる小型機は面白い!
クスコへ
22/113
リマを後にしてインカの都、クスコへ。
インカ帝国の首都だったクスコの街の車窓風景。
アルマス広場
23/113
クスコのアルマス広場。
インカ帝国時代の広場の名前はワカイパタ。
スペイン人が征服後変えてしまった。
アルマス広場
24/113
ラクダの仲間、アンデスの代表的な動物リャマを連れたインディオの家族。
スペイン人が征服後、新しい街はインカ時代の中心地だったこの広場を中心に据え、クスコの町を破壊し、神殿を壊し、教会を建てていった。
カテドラル
25/113
アルマス広場の北側に建つカテドラル。
スペイン人はインカの神殿ビラコチャを破壊し、その跡地に約100年掛けて建てた。
ヘスス・マリア教会
26/113
カテドラルの両脇に小さな教会が建つ。
写真は向かって左側のヘスス・マリア教会。
反対側の右にはエル・トリンフォ教会が建つ。
ラ・コンパーニャ・ヘスス教会
27/113
インカの王ワイナ・カパックの宮殿をスペイン人は破壊し、その跡地に建てられた。
一度大地震に見舞われたが、その後再建されたもの。
サント・ドミンゴ教会
28/113
ここはサント・ドミンゴ教会。
アルマス広場の東、1k足らずの所に建つ。
通りに面した広場からの全景。
サント・ドミンゴ教会
29/113
回廊に囲まれた中庭風景。
インカの人々は太陽神を崇拝し、首都クスコに太陽の神殿を建てた。
それが現在のサント・ドミンゴ教会が立っているこの場所にあった。
サント・ドミンゴ教会
30/113
インカ時代、コリカンチャと呼ばれた太陽の神殿。
コリカンチャとは黄金の宮殿を意味し、スペインの破壊者達はコリカンチャにあった数々の金細工、黄金で装飾された太陽の祭壇などを手当たり次第に強奪し、すべて鋳つぶし、金の延べ棒にして本国に持ち去った。
サント・ドミンゴ教会
31/113
スペイン人は欲しい物を奪うだけ奪った後、太陽の神殿を破壊してしまう。
そして礎石だけになった所に教会を建て、サント・ドミンゴ教会とした。
サント・ドミンゴ教会
32/113
外からこの教会を見るとインカ時代の礎石の上に建つ教会が良く判る。
クスコが大地震に見舞われた時、この教会は無残に崩れ落ちたが、土台の礎石は全く動かなかった。
サント・ドミンゴ教会
33/113
教会の高台から通りに面した広場の風景。
サン・クリストバル教会
34/113
アルマス広場から北西に1k足らず、小高い丘に建つサン・クリストバル教会。
敷地に建つキリストの十字架。
丘の上にも十字架がある。
サン・クリストバル教会
35/113
この教会の観光の目玉となるのは、教会の見晴らしのとても良い広場から見る美しいクスコの街並み。
赤レンガ屋根の家々が遠く山すそまで続く。
サン・クリストバル教会
36/113
教会の広場からの見るアルマス広場の風景。
中央にラ・コンパーニャ・ヘスス教会が、その左にカテドラルが見える。
プカプカラ遺跡
37/113
クスコから北側、ウルバンバ渓谷にかけて郊外に残る遺跡群へ。
ここはその一つプカプカラ遺跡。
プカとは赤いという意味で、昔は赤い要塞と呼ばれていた。
周囲を見渡せる場所に建っており、後述するタンボマチャイ遺跡で沐浴するインカ王の安全を確認する監視所だった。
プカプカラ遺跡
38/113
バスの駐車場にいたリャマを連れたお土産屋さん。
タンボマチャイ遺跡
39/113
インカ王も沐浴した、聖なる泉と呼ばれる沐浴場の遺跡、タンボマチャイ。
前述のプカプカラ遺跡のすぐ近く。
謎なのが、乾季も雨季も関係なく一年中同じ水量の水が湧き出しており、近くに川や泉が無く、どこから流れてきているのか。
今に至っても解っていない。
タンボマチャイ遺跡
40/113
インカ王の沐浴のため、立派な石の建造物が建てられた。
タンボマチャイ遺跡
41/113
遺跡にいた露店のお土産屋。
サクサイワマン遺跡
42/113
次はクスコ近郊の遺跡群の中でも最も大きいサクサイワマン遺跡。
クスコの郊外、2kほど北の丘に巨石の石積みが残る。
サクサイワマン遺跡
43/113
今から600年ほど前、インカ帝国の王が首都クスコの郊外に巨石を積み重ねて宗教寺院の建築を始めた。
完成まで50年はかかったとの事。
サクサイワマン遺跡
44/113
インカがスペインに滅ぼされた時、インカ軍の残党がサクサイワマンを堅固な要塞として立てこもった。
しかしここも打ち破られ、サクサイワマンは破壊され、多くの石材はクスコへ持ち去られ、教会の材料となった。
今は石組みのみが残る。
サクサイワマン遺跡
45/113
インカの巨石文明の謎は、この様な巨石を山や谷の丘を越え、どんな方法で運び、積み重ねたのか。
巨石は大きいもので高さ5m、重さ360tもある。
サクサイワマン遺跡
46/113
積み重ねた土木技術は巨石を紙一枚の隙間も無いほど精巧なもの。
しかも真四角では無く、凹凸の有るパズルの様に複雑な合わせ面。
高度な幾何学の知識と研磨の技術が必要だ。
サクサイワマン遺跡
47/113
フォルクローレを演奏のストリートミュージシャン。
ケンコー遺跡
48/113
サクサイワマン遺跡の近くにある祭祀遺跡。
石組みではなく自然の岩山を削って建築された。
家畜をいけにえにし、宗教儀式や占術を行った場所と言われている。
ケンコー遺跡
49/113
店を開いていた、露店のお土産屋。
クスコは標高3360mと高所。
その為、リマなどの低地から急に移動して来ると高山病になりやすい。
そこで高山病の特効薬、地元の人にとって、とっても日常的な飲み物、コカ茶を頂いた。
ケンコー遺跡
50/113
コカの葉、高濃度に抽出精製すればコカインになる事から、南米以外では麻薬原料に指定されている。
しかし、コカの葉をお湯に浸したコカ茶の状態では薬物成分は非常に少なく、全然問題は無かった。
ハーブティーの一種と言った所。
昔コカ・コーラができた当時、コカの葉は原材料の一つだった。
今は入っていないが、名前の由来にもなったのがコカの葉。
写真はケンコー遺跡から見渡せたアンデスの雪の峰。
ケンコー遺跡
51/113
内部は岩を掘った洞窟になっていて、そこにはインカ王の玉座やいけにえの台が残っている。
マチュピチュへ
52/113
次はマチュピチュ。
クスコ発の列車でマチュピチュへ向かいます。
出発前のクスコ駅にて。
車窓の風景
53/113
マチュピチュ行きの列車をアウトバゴンと呼ぶ。
クスコとマチュピチュの間を3時間で走る。
車窓の風景
54/113
急斜面に建つ地元の家々。
赤茶色のレンガ造り。
車窓の風景
55/113
ウルバンバ渓谷に沿って走る列車。
車窓の風景
56/113
車窓からは雪を被った美しいアンデスの山々が見渡せる。
マチュピチュ到着
57/113
到着です。
ここはマチュピチュへの玄関口、プエンテ・ルイナス駅。
ホームの風景。
プエンテ・ルイナス駅
58/113
空になった客車にいた女性の車掌さん。
マチュピチュへ
59/113
マチュピチュの遺跡は山の上。
プエンテ・ルイナス駅からくねくねの登山道路をバスで。
途中の風景。
切りだった、深い山々が現れた。
マチュピチュへ
60/113
登山道路を登るバスの車窓風景。
眼下には先ほどのプエンテ・ルイナス駅が見える。
手前に流れる渓谷はウルバンバ川。
マチュピチュ
61/113
バスを降り、少し歩くとマチュピチュへの入り口。
この建物は農地管理人住居跡。
ここからのマチュピチュ全体の風景は定番となっている。
マチュピチュ
62/113
農地管理人住居跡からのマチュピチュの全景。
最もよく見るアングルにて筆者近影。
マチュピチュ
63/113
下って行く遺跡への道。
山すそから見えない事から空中都市と呼ばれるマチュピチュはインカの言葉で老いた峰を意味する。
マチュピチュ
64/113
石積みの建物も美しいマチュピチュ遺跡。
この様な人跡未踏の山の上にいつ頃から人が住み始めたのか、はっきりした事は判っていない。
マチュピチュ
65/113
マチュピチュにはインカ帝国以前からの痕跡も残るが、保存状態の良い遺跡の大部分は15世紀のもの。
石畳の道が続くマチュピチュ遺跡。
マチュピチュ
66/113
写真中央の広場は神聖な広場と主神殿、右は3つの窓の神殿。
階段の上部にはインティワタナと呼ばれる日時計がある神殿。
マチュピチュ
67/113
三角形の石組みが残る居住区域。
神殿や居住址を含め建造物の総数は200にも及ぶ。
マチュピチュ
68/113
大広場と呼ばれる遺跡の最も低い場所にいたリャマ。
観光客も遺跡観光を一時忘れ、リャマ相手に記念撮影。
マチュピチュ
69/113
筆者もリャマとツーショット写真。
リャマは可愛くて触っても怒りませんが、気に入らないとペッと唾をかけられます。
マチュピチュ
70/113
ここの広場は神聖な広場。
筆者の後ろは主神殿、右手は3つの窓の神殿。
左奥の建物はマチュピチュの遺跡の中では最も高い場所にあるインティワタナ。
これから上ります。
マチュピチュ
71/113
インティワタナの風景。
一番奥には日時計と言われている石のモニュメントがある。
マチュピチュ
72/113
インティワタナから振り返ってのマチュピチュ遺跡風景。
中央が前述の神聖な広場と主神殿。
マチュピチュ
73/113
16世紀中頃、マチュピチュの人々は突然都市を放棄し、どこかへ消えてしまう。
侵略者スペイン人もこの地は知らず、マチュピチュは破壊からまぬがれた。
マチュピチュ
74/113
遺跡内には今なお水が流れている水汲み場がいくつか残る。
山の尾根づたいに岩を削った水路が作られ、高さがある所ではサイフォンの原理を使って水を引き込んでいる。
現在から見ても驚異の技術力である。
マチュピチュ
75/113
中央は丸い形状が特徴の太陽の神殿。
これ程美しいカーブを持った形はマチュピチュでは他に見かけない、
左は王女の宮殿。
マチュピチュ
76/113
マチュピチュは山の上の遺跡だが、クスコより低地にあるため空気は濃く、クスコで高山病になった人もここでは楽になる。
マチュピチュ
77/113
遺跡の面積の半分は斜面に広がるアンデネスと呼ばれる段々畑。
石段はインカ道となって遠くクスコへと続いている。
マチュピチュ
78/113
1911年に4世紀ぶりに発見された時は草むした廃墟となってはいたが、インカ時代のままの手付かずの貴重な遺跡となった。
マチュピチュ
79/113
勾配がきつい山の斜面に残る住居址と段々畑。
ここに暮らす人々は生活のため、ジャガイモやトウモロコシなどの農作物を収穫する段々畑を山の斜面いっぱいに所狭しと作った。
平地が少なかったマチュピチュに住む人々の知恵の結晶。
マチュピチュ
80/113
マチュピチュ遺跡は、マチュピチュの歴史保護区としてユネスコの自然と文化の複合遺産に登録されている。
プエンテ・ルイナス駅
81/113
マチュピチュ観光も終わり、駅に戻って着ました。
ここは駅にあった露店の民芸品屋さん。
帰り
82/113
出発前のクスコ行き列車。
筆者近影。
フォルクローレ
83/113
クスコの街でのフォルクローレのショー。
フォルクローレ
84/113
フォルクローレのライブ演奏。
アレキパ
85/113
次の訪問地はアレキパ。
街で見かけたお葬式。
練り歩いていました。
サンタ・カタリナ修道院
86/113
アレキパの街には見どころが多くあるが、ここはその代表的なサンタ・カタリナ修道院。
通路のゲートに「SILENCIO」(静粛に)とある。
厳しい戒律に従っていた当時をうかがい知る事ができる
サンタ・カタリナ修道院
87/113
アレキパはリマに次ぐペルー第二の都市。
セントロと呼ばれる旧市街に建つ建物は、近郊で産出される白い火山岩で建てられている。
このため、アレキパは白い街とも呼ばれる。
サンタ・カタリナ修道院の外観も白い。
サンタ・カタリナ修道院
88/113
16世紀中頃から約400年間、修道女が禁欲的な戒律の下、外界から隔絶された修道院で共同生活をしながら神に仕えた。
修道女は名士の令嬢から身分の低い、貧しい者まで、多い時には数百人もの出家女性が暮らしていた。
時代を重ねる毎にいくつもの住居や食堂、礼拝堂などが増築され、複雑に入り組んだ構造になった。
サンタ・カタリナ修道院
89/113
修道院に残るアーチ状の回廊。
写真では判りにくいですが、壁や梁の上には宗教画が描かれている。
サンタ・カタリナ修道院
90/113
この様なスペイン風の中庭をパティオと呼ぶ。
噴水や栽植された草花が置かれている。
天気の良い日は修道女たちが憩う場所。
サンタ・カタリナ修道院
91/113
ここはコルドバ通りと呼ばれる、修道院の中でも最も美しい場所の一つ。
赤い花はゼラニウム。
サンタ・カタリナ修道院
92/113
白い建物に赤いゼラニウムの花はとても引き立ち、美しい風景を作っている。
スペインはアンダルシア地方の都市コルドバの名が付けられた修道院の一区画。
ここの修道女には本土スペインからやってきた人々もおり、故郷の名を付けたとの事。
サンタ・カタリナ修道院
93/113
アレキパの街は地震が多く、旧市街に残る建物にも被害がでた。
16世紀末、大地震により修道院の建物は大きな被害を受けた。
それでも修復しながら修道生活は続けられたが、1970年に修道院は閉鎖された。
サンタ・カタリナ修道院
94/113
現在は博物館として一般公開されている。
この修道院を含めてアレキパの街は、アレキパ市歴史地区としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
サンタ・カタリナ修道院
95/113
噴水のある広場はソコドベル広場。
かつて毎週日曜の朝に修道女たちがこの広場に集まり、自分たちが作った手製の品々や織物などを交換したと言う。
サンタ・カタリナ修道院
96/113
修道院の建物の中へ入ってみます。
博物館となっている内部には、当時の修道女の部屋や使っていた家具、台所用品に始まり、収集された貴重な美術品が展示されている。
プーノ
97/113
ここはチチカカ湖観光の拠点、プーノの町。
標高3850mで富士山の山頂よりも高い。
チチカカ湖観光
98/113
プーノはチチカカ湖観光の拠点。
プーノの町のチチカカ湖遊覧船の船着場。
チチカカ湖
99/113
この船は観光客だけではなく、地元の人々も利用する。
チチカカ湖に浮かぶ島々は陸地と遮断されているため、船だけが唯一の交通手段。
チチカカ湖
100/113
岸辺近くの湖面にはびっしりと水草がおおっていた。
チチカカ湖
101/113
チチカカ湖は、アンデスの高地、ペルーとボリビアにまたがっている淡水湖。
湖面は富士山頂より高い3810m。
琵琶湖の12倍の大きさがある。
古代インカのインディヘナから聖なる湖と崇められてきた。
チチカカ湖
102/113
島に上陸。
この島はウロス島。
島は島でも、アシで出来ている「浮き島」です。
チチカカ湖
103/113
ウロス島に飼われていた、クイナかキーウィに似た鳥。
食用です。
チチカカ湖
104/113
ウロス島は全体がトトラと呼ばれるアシでできた、大小合わせて50ほどの島の総称。
浮力のあるトトラを刈り取り、敷き詰める。
水に浸かっている古いトトラが傷んで来れば、その上へまた敷き詰める。
チチカカ湖
105/113
島には展望台が設置している所もあり、その上から周辺を展望できる。
島の寿命は15年程度らしい。
そこに数百人のウル族と呼ばれる先住民族インディヘナの人々が暮らす。
チチカカ湖
106/113
展望台から見た別の島。
トトラが生い茂り、それを材料にした家々が建つ。
チチカカ湖
107/113
展望台からの船着場風景。
地面のトトラはとっても柔らかく、座り心地は最高。
だが油断は禁物。
場所によっては筆者の様に体重があるものは足首まで沈み、湖水に浸かる羽目に。
チチカカ湖
108/113
トトラを編んだカヌーの様な舟、バルサ。
結構丈夫で10人程度乗ってもびくともしない。
チチカカ湖
109/113
自給自足の生活をしているウル族の人々。
彼らが作った民芸品は現金収入を得る大きな手段となる。
チチカカ湖
110/113
トトラの上に土を盛り、畑にし、ジャガイモなどを作っている。
鳥やウサギも食料のため飼っている。
大きな島には学校や病院などの施設から、観光客向けのレストラン、商店、宿泊施設などもある。
もちろん、全てトトラでできた建物。
チチカカ湖
111/113
チチカカ湖に浮かぶトトラの島で暮らすウル族の末裔。
チチカカ湖周辺にいる先住民族、インディヘナの中でも最も古い民族との事。
先人達から何代にもわたって、独自の伝統を守りながら、この島に暮らしている。
とても簡素な生活風景だった。
国境
112/113
これから陸路にて国境を越えボリビアへ入国します。
入出国スタンプ
113/113
リマでの入国スタンプとプーノ・カサニでのボリビアへの出国スタンプ。