ペルー共和国(クスコ)
クスコへ
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ここはインカの都、クスコ。
インカ帝国の首都だったクスコの街の車窓風景。
アルマス広場
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クスコのアルマス広場。
インカ帝国時代の広場の名前はワカイパタ。
スペイン人が征服後変えてしまった。
アルマス広場
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ラクダの仲間、アンデスの代表的な動物リャマを連れたインディオの家族。
スペイン人が征服後、新しい街はインカ時代の中心地だったこの広場を中心に据え、クスコの町を破壊し、神殿を壊し、教会を建てていった。
カテドラル
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アルマス広場の北側に建つカテドラル。
スペイン人はインカの神殿ビラコチャを破壊し、その跡地に約100年掛けて建てた。
ヘスス・マリア教会
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カテドラルの両脇に小さな教会が建つ。
写真は向かって左側のヘスス・マリア教会。
反対側の右にはエル・トリンフォ教会が建つ。
ラ・コンパーニャ・ヘスス教会
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インカの王ワイナ・カパックの宮殿をスペイン人は破壊し、その跡地に建てられた。
一度大地震に見舞われたが、その後再建されたもの。
アルマス広場
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広場で見かけたインディオの女の子。
抱えている大きな荷物は、観光客へ売るためのお土産品。
サント・ドミンゴ教会
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ここはサント・ドミンゴ教会。
アルマス広場の東、1k足らずの所に建つ。
通りに面した広場からの全景。
サント・ドミンゴ教会
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回廊に囲まれた中庭風景。
インカの人々は太陽神を崇拝し、首都クスコに太陽の神殿を建てた。
それが現在のサント・ドミンゴ教会が立っているこの場所にあった。
サント・ドミンゴ教会
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インカ時代、コリカンチャと呼ばれた太陽の神殿。
コリカンチャとは黄金の宮殿を意味し、スペインの破壊者達はコリカンチャにあった数々の金細工、黄金で装飾された太陽の祭壇などを手当たり次第に強奪し、すべて鋳つぶし、金の延べ棒にして本国に持ち去った。
サント・ドミンゴ教会
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スペイン人は欲しい物を奪うだけ奪った後、太陽の神殿を破壊してしまう。
そして礎石だけになった所に教会を建て、サント・ドミンゴ教会とした。
サント・ドミンゴ教会
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外からこの教会を見るとインカ時代の礎石の上に建つ教会が良く判る。
クスコが大地震に見舞われた時、この教会は無残に崩れ落ちたが、土台の礎石は全く動かなかった。
サント・ドミンゴ教会
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教会の高台から通りに面した広場の風景。
サン・クリストバル教会
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アルマス広場から北西に1k足らず、小高い丘に建つサン・クリストバル教会。
敷地に建つキリストの十字架。
丘の上にも十字架がある。
サン・クリストバル教会
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この教会の観光の目玉となるのは、教会の見晴らしのとても良い広場から見る美しいクスコの街並み。
赤レンガ屋根の家々が遠く山すそまで続く。
サン・クリストバル教会
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教会の広場からの見るアルマス広場の風景。
中央にラ・コンパーニャ・ヘスス教会が、その左にカテドラルが見える。
サン・クリストバル教会
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サン・クリストバル教会からのクスコの街並み風景。
この美しい、アルマス広場を中心にしたインカ帝国の首都、クスコの街は、クスコ市街としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
プカプカラ遺跡
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クスコから北側、ウルバンバ渓谷にかけて郊外に残る遺跡群へ。
ここはその一つ、プカプカラ遺跡。
プカとは赤いという意味で、昔は赤い要塞と呼ばれていた。
周囲を見渡せる場所に建っており、後述するタンボマチャイ遺跡で沐浴するインカ王の安全を確認する監視所だった。
プカプカラ遺跡
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バスの駐車場にいたリャマを連れたお土産屋さん。
タンボマチャイ遺跡
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インカ王も沐浴した、聖なる泉と呼ばれる沐浴場の遺跡、タンボマチャイ。
前述のプカプカラ遺跡のすぐ近く。
謎なのが、乾季も雨季も関係なく一年中同じ水量の水が湧き出しており、近くに川や泉が無く、どこから流れてきているのか。
今に至っても解っていない。
タンボマチャイ遺跡
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インカ王の沐浴のため、立派な石の建造物が建てられた。
タンボマチャイ遺跡
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遺跡にいた露店のお土産屋。
サクサイワマン遺跡
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次はクスコ近郊の遺跡群の中でも最も大きいサクサイワマン遺跡。
クスコの郊外、2kほど北の丘に巨石の石積みが残る。
サクサイワマン遺跡
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今から600年ほど前、インカ帝国の王が首都クスコの郊外に巨石を積み重ねて宗教寺院の建築を始めた。
完成まで50年はかかったとの事。
サクサイワマン遺跡
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インカがスペインに滅ぼされた時、インカ軍の残党がサクサイワマンを堅固な要塞として立てこもった。
しかしここも打ち破られ、サクサイワマンは破壊され、多くの石材はクスコへ持ち去られ、教会の材料となった。
今は石組みのみが残る。
サクサイワマン遺跡
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インカの巨石文明の謎は、この様な巨石を山や谷の丘を越え、どんな方法で運び、積み重ねたのか。
巨石は大きいもので高さ5m、重さ360tもある。
サクサイワマン遺跡
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積み重ねた土木技術は巨石を紙一枚の隙間も無いほど精巧なもの。
しかも真四角では無く、凹凸の有るパズルの様に複雑な合わせ面。
高度な幾何学の知識と研磨の技術が必要だ。
サクサイワマン遺跡
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サクサイワマン遺跡の巨石の前で筆者近影。
サクサイワマン遺跡
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フォルクローレを演奏のストリートミュージシャン。
ケンコー遺跡
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サクサイワマン遺跡の近くにある祭祀遺跡。
石組みではなく自然の岩山を削って建築された。
家畜をいけにえにし、宗教儀式や占術を行った場所と言われている。
ケンコー遺跡
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店を開いていた、露店のお土産屋。
クスコは標高3360mと高所。
その為、リマなどの低地から急に移動して来ると高山病になりやすい。
そこで高山病の特効薬、地元の人にとって、とっても日常的な飲み物、コカ茶を頂いた。
ケンコー遺跡
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コカの葉、高濃度に抽出精製すればコカインになる事から、南米以外では麻薬原料に指定されている。
しかし、コカの葉をお湯に浸したコカ茶の状態では薬物成分は非常に少なく、全然問題は無かった。
ハーブティーの一種と言った所。
昔コカ・コーラができた当時、コカの葉は原材料の一つだった。今は入っていないが、名前の由来にもなったのがコカの葉。
写真はケンコー遺跡から見渡せたアンデスの雪の峰。
ケンコー遺跡
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内部は岩を掘った洞窟になっていて、そこにはインカ王の玉座やいけにえの台が残っている。
フォルクローレ
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クスコの街でのフォルクローレのライブ演奏。
フォルクローレとは南米、特にアンデス周辺の民族音楽の事。
フォルクローレ